2022/12/31

心理的虐待の言い訳に自己責任という言葉が使われている山の世界

 ■ 自覚できない虐待とは?

この本より引用です。https://amzn.to/3WGaZ2L


心理的虐待やネグレクトとは以下のようなことです。
 

「小学生の時に熱があって息苦しかったのに、そのくらいで学校を休むなと言われて家を出された」

=ネグレクト。
 

「学校で苦しそうにしているのに先生が気づいてくれて、計ったら40度あって、親が呼び出された。すると親は不機嫌で、なんで熱なんか出すんだ、となじられた」

=心理的虐待。
 

「学校でいじめられて親に相談したら、ああ、そうなの、で終わりだった」

=心理的ネグレクト。
 

このような場合、周囲からは虐待は見えません、ということです。


■ 私のクライミングで起こったこと…と同じですね…

 「岩場で肉離れし、立つだけでも痛かったのに、そのくらいなんだ、と言われて家に帰してもらえなかった」

=ネグレクト。
 

「岩場でいやいやながら登って、苦しそうにしているのにトニーが気づいてくれて、普通の思いやりある関係性で登ったら、楽しく登れた。すると相方は不機嫌で、なんで俺とは登れないんだ、と態度でなじられた」

=心理的虐待。
 

「無謀な登攀について行けず、ベテランに相談したら、もっと危険な登攀…二人を一人がビレイする状態…で登る羽目になった」

=心理的ネグレクト。
 

このような場合、周囲からは虐待は見えません、ということです。

ほんと、このような関係性はTOXIC(毒になる関係性)ということなので、愛情あふれる関係性でない場合は、最初からスタートしない、というのが大事です。

■ 登攀力だけではなく、お金や物でつながる関係

というのも、

 心でつながらない

ので、難しい関係になるかもしれません。

もちろん、能力には偏りがあるのが人間なので、ある人がリード向き(ランナウトを怖がらない、突破力がある、確実な支点構築が得意、ロープワークが確実)で、他の人がフォロー向き(担いでも登れる、ビレイが確実、など)というのはあると思いますが、その関係性の中で、

 権利意識

もっと相手から搾り取ろう、という意識が生まれると、これはヤバい関係性です。

 

 いや~ JFAが助けに来てくれた。ありがたかった。それほど、九州のボルトはヤバかったんですね。

 

死と無執着について

 ■ 仏教の目指すべきゴールである無執着とはどういう境地なのか?

ーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーー
仏教は肉体が壊れても苦痛に耐えなさいという教えではありません。それは極端な苦行ということで、禁止だと教えています。

では無執着と何が違うのかというと、心を育てていった先に、肉体にも何にも囚われない(不動)の精神的な境地があり、仏教ではそれを悟りと言いますが、その境地が究極の幸福(安楽)だと説いています。

そういう境地の方が実際に存在していて、その人たちは肉体に対して、どのような態度を示すことができたのか、その一例が紹介した経典に記録されていたということです。

一般人の精神は、我欲で汚れていますので、何よりも肉体を大事にします。あるいは、貪瞋痴によって、肉体を何より疎かにします。


この両極端では、どちらも間違えた結果となってしまいます。

ですから、肉体は丁寧に扱って、心を育てなければ意味がないというのが仏教と理解しています。心を育てるためには肉体が必要です。肉体の上手な使い方も学ばなければいけません。

ですから、心を育てる人であれば、生きることと肉体の維持のバランスが取れる思っています。

まず肉体を無闇に酷使しない、壊さないようにする。壊れたら修復する。

しかし、肉体が壊れることは止められない、死ぬことは避けられないので、完全に壊れる前に、死んでしまう前に、できる限り心を育てる努力をする。

心を育てた分だけ、肉体が壊れても苦しみを減らすことができる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 引用終わりーーーーーーーー

■すでに覚った人(阿羅漢)が自分の体(肉体)に対して、執着しない態度とはどういう感じなのか?

ーーーーーーーーーーー

洞窟に住む僧侶が蛇に触れ、その毒の影響で肉体が壊れ、住む場所を汚してしまうので、他の僧侶に頼んで自分を洞窟から運び出してもらう

ーーーーーーーーーー▼相応部経典 第1六処相応 第7ミガジャーラの章 7「ウパセーナ蛇経」(Upasena āsīvisa sutta)(パーリ語 光明寺経蔵)

■ クライマーバージョン

クライミングにおいて、肉体の保護、つまり、文字通りの命綱であるロープワークや、登攀能力の補強なしくて、岩場に向うのは、自殺行為、つまり、無謀です。

敗退を前提としないロープ構成で行く、懸垂下降が出来ないロープ長というのも、同じく、無謀であり、極端な態度です。

適切にプロテクションをとらない、という心も同じで、そこにあるのは、

です。クライミングにおいては、肉体を酷使する羽目に、頼んでいなくてもなることがあります。

私はー25度になる雪山でキャンプしていたところ、冬フライなのに雨が降ってきてしまい、テントずぶぬれになったことがあります。これなど、頼んでいなくても、肉体を酷使せざるを得ない目に遭うということですよね?

日ごろのトレーニングをおろそかにする、ということも肉体を丁寧に扱わないということだと思います。

しかし、一般クライマーにはないことですが、死に瀕することがあります。

私の師匠の師匠は、キノコ汁の毒に当たったそうです。その方はきのこ取りの名人で、みんなに食べて良いキノコとそうでないものを選り分けてくれたのだそうですが、その選り分けた後のを間違って口に入れてしまったのだそうです。

キノコ汁で亡くなるとは、お釈迦様の亡くなり方と同じですね。

その方は、緊急で入院したりせず、ご自身の死を受け入れて、静かに息を引き取られたようです。

一般に、肉体への執着が強いと、

 男性なら 強さ への執着

 女性なら 美貌 への執着

が生まれ、自分がもはや若いころのような肉体強度の強いアルパインルートに行けないことを、苦々しく思い、しがみついてしまい、

 誰か若い人に担がせてでも、行こうとする

ことになってしまうようです。

プライド(慢)が高すぎて、俺のために飯と酒を担いでくれるならビレイしてやってもいい、という態度になってしまうということですね。

そんな高慢は、手放し…無執着ということ…が進まないから、起こることなのだろう…

と仏教を聞くようになり、分かるようになってきました。対等の関係性、互いに感謝できる関係性でクライミングは登るべきであり、

  ただ登ってくれるだけで相手に感謝できない、

と感じられるとき… つまり、相手が負担だ、とか、相手によって自分の生命が脅かされる、と感じる時は、

登らない (無執着)

という判断が良きこと、だと思います。

クラックの岩場


2022/12/30

山での死を仏教的に理解する

■ もう頑張ってる

クライミングで、頑張れ、と言われるのが嫌でした。

なぜなら、すでに120%、頑張っており、これ以上、頑張れば、死に至るのではないか、特に、わざと危険なことを冒して粋がって見せるのがクライミングだと考えている人たちの同調圧力に負けて、40年もののカットアンカーでバンバン落ちながら登るのは、死へ至る近道である、と私の知性がいうから。

しまいには、過去のトラウマまでフラッシュバックしてきていました… 父にプールに突き落とされた3歳児の記憶が突然よみがえっていました…

50歳になれば、もう、誰からも頑張れ!と言われないと思って(笑)、ホントにやっとゴール!と思って、ホッとしたんだが…、マウンテンバイクのほうで、あらー、積み上げた体力貯金がなくなっているね~!ということで、ちょっと残念です。

■ 期待に沿っても反発しても影響

周囲の期待(=同調圧力)に振り回されていたんだな~と振り返る。

自分を変えさせられることによって関係を維持しなくてはならないくらいなら、その関係は、Toxicである、と思う。

私は十分、母や先生の承認欲求のために子供時代をささげたので、もはや、誰かの承認欲求のために生きていたくはなく、自分に由って生きていきたい。

自分に由ることを自由という。自分に由ること、自分のせいであることを自己責任、という。

甲府時代は、アンダーエスティメイト(君には出来ない)で自由を阻害され、福岡時代はオーバーエスティメイト(こんなこともできないのか)で自由を阻害されている。

クライミング界では、自己責任でしょ、の言葉を、自分勝手におれはしていい、けが人を放置していい、ビレイを交代しなくてもいい、破談寸前のボルトだと相手に知らせずに、相手を登らせてもいい、という意味に使っていたりします。

それ、無責任って意味ですよね?むしろ…


■ 他者との同調=教育の日本社会

他人によって生きることを是、とされ、それができることを”大人”とされることを、スマナサーラ長老は、ロボット化、と言う。つまり、教育。

教育は、ロボットのプログラムをプリインストールしようとしている、と言う。特に日本の教育はそうでないか?と思う。胎教なんて最悪のようですね。

■ 深い共感が癒しをもたらす

今日は、長老に深く共感されたことがどんなに大きな癒しだったか、ということがしみじみと感じられた。

そして、弟が死んだということが、なんだか自分の喪失、として初めて感じられた…

■ いい加減なリスク管理での死について

クライミングや山でも、

 いい加減な考え

のために、人はポロポロ死んでいるんだが、

 その人たちの命の価値が軽いのが切ない、

教えてやらねば!と思っていたが、それは

 私の仕事ではない

ことが分かった。

そう考えてしまったこと自体が、事故↓だったんだということだ…



そのような業を背負って生まれてきた人たちなのだ…ということが、仏教を聞くようになって分かるようになり、またどうせすぐ転生するんだろうな~と思うようになった。

互いを思いやるような関係性をクライミングで築き上げなかった人たちや、自分の今世の課題を前に進めなかった人は、たぶん、何万回も生まれ変わる業を積み上げているので、逆に言えば、永遠の命があるのと一緒のことになる。
 

ので、山での死については、そこまで悲しむ必要はないようです。彼らは、山で死にたい(それがカッコイイ)とすら思っているかもしれませんね。

それよりも、永遠にそれを繰り返して転生するのだろう…と見える

 山好きという業の、力強さ

にすごくびっくりしています。山に登ることを、まるで100%良いことのように肯定するのが世間の見方ですが、それは正確ではありませんね。山で不幸になっている人もいます。

アドレナリンジャンキーだったり、家庭が壊れたり、辞められない止められない状態の方とか…

一般に山が好き!というのは、非常にポジティブに受け取られていると思いますが、仏教的には、それは、単なる

 渇愛

です。それも、異常な方に入る。現在は山ブームで、異常渇愛、もよく中身を見れば、ただ

 みんなと同じことをしたいという同調圧力への降参つまり、ミーハー

あるいは

 名誉欲

ってことが多いです。幸福とバランスよく生活に取り入れましょう。

■ 参考 仏教における死

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 コラム|智慧の扉「死を想うことは精進の原動力」(2021年1月号)
 みな人生の計画を立てますが、誰の計画にもひとつだけ「死」という確実な予定は含まれていません。生きていることが暗黙の前提で人生の計画を立てているのです。しかし、実際にはどこを見ても死が見えます。物事が壊れていく(変化する)ことは、毎日・秒ごとに見えています。それなのに、人間は死について、あり得ないことだと思っています。私たちが築いてきた社会・知識・政治などすべては、死という現実が存在してはいけないものであるかのように振る舞っているのです。日常的に死と隣り合わせの医学でさえ、死を避けるための知識体系になっているのです。医学は人を生かすための学問であって、死は最大の仮想敵になっています。
 仏教では、このアベコベな人類の生き方を転換するために、「死は確実な現実である」とくりかえし確認することを推奨するのです。そのためにお釈迦様が提案しているのは、死をシミュレーションすることです。具体的には、「死ぬとき私の心はどうなっているだろうか?」と考えるのです。そうすると、まだ貪瞋痴が残っていることを発見できます。貪瞋痴の心で死んでしまうと最悪です。そこで「いつ死ぬかわからないのだから、とにかく心の汚れを落とさなくてはいけない」と修行に励む原動力とするのです。

ですから、「死」という確実な現実を認めることが、超越した心に成長するため欠かせない原動力となると憶えておいてください。死を想うことは、心に安穏をもたらし、人生を成功に導く秘訣なのです

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2022/12/29

壁での雪崩

■ 雪崩が起こる場所での区別 

私はアルパインアイスをしていたので、冬の沢の雪崩は警戒心があったのですが、壁で起こる雪崩について分かっていなかったので、アドバイスを貰いましたので、掲載します。

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壁でも雪崩は出ます。

私は剱岳で80度くらいの傾斜の岩に、新雪が20センチも付着したのを見たことがあります。

これ雪崩になって落ちました。

クライマーが吹っ飛ばされ、スノーバーでセルフをとっていたのでセーフでした。スノーバーは45度くらい曲がっていました。
 

人生クライマーで山野井さんがマカルー西壁前のトレーニングに、唐沢岳幕岩に行って降雪。壁一面の巨大スノーシャワーとなり、あれは雪崩と同じです。
 

12月一周目に私は黄連谷右俣のインゼルを越えたあたりで、自分の足元から雪崩を起こし、完全埋没したことがあります。運良く自己脱出が出来ましたが、口の周りの雪を除くまで、呼吸ができずに意識が遠のきました。後数秒で意識がなくなったでしょう。

新雪20センチで、雪崩の長さは30メートルでした。

こんなチンケな雪崩でも人は死ぬと思いました。私は以後雪崩については過敏警戒するようになりました。 

今年の4月1日の赤岳南峰リッジ取り付き近辺の雪崩事故は、事前の予兆があったときにエスケープしていれば避けられたかもしれません。

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確かに摩利支天に登りに行ったときは、前日30cmの新雪だったので、雪崩の警戒をし、滝に近づく前に

 弱層テスト

をしました。

福岡の山岳会レベルだと、阿弥陀北稜、南稜、主稜線の縦走くらいはするのかもしれないと想像しますが、いくら太平洋気候の八ヶ岳でも、前日30cmのときは、警戒が要ります。

余談ですが、雪崩講習会は、4-5万円講習費がかかりますが、出る価値があります。日山協のより、労山の講習会の方が細かくて、埋没と搬出もあり、価値があります。

一般縦走で雪になれたら、次はラッセルの山となるかなと思いますが、九州のメンバーがなれている大山は、湿雪です。乾いた雪の雪崩とはまた違う感じがしました。

どちらにしても、九州では雪について体験知を深めていくことはできないと思うので、いきなりヒマラヤでーす、となるのかもしれません。

数年雪国で暮らすと、雪や寒冷についての知識も増えるような気がします。 

八ヶ岳のように寒いほうが濡れに対する管理は楽ですが、濡れると寒くない雪山でも寒い雪山になってしまいます…。ヤツ程度の縦走でも、大学山岳部君たちは、凍傷で下山とかになっているので要注意です。

温かい九州と違って、寒い八つでのアイスはビレイは、ダブルのブーツが要ります。基本的に装備不足が目立つような気がします。 

あと黄連谷は正月前じゃないとダメというのが通例です。



期待への反応を変える課題

期待への心理的反応についてはこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=lq_jAzB3G6s&t=192s

私も勉強していたゾーンの著者、マーク・ダグラスの心理学のまとめです。

■ パワークライミング

クライミングでは、私がしたいと思っていないこと

=イケイケどんどんなクライミング

=ぶいぶい言わせるクライミング

を、なんでみんなが私に期待して来るのかなぁ…と、思っていました…。あるいは、九州クライミングのまとめ役とか…。

私は、転勤で来ているだけで、定住する人ではないので、リーダーシップをとってもすぐに入れ替わることになるだけです。意味がないでしょう。

今は人がスッカラカンに去って、超快適化してきました…。

■ BMC トラッドフェス

UIAAからのトラッドフェス参加のお誘いが来たときは、相手の期待値が分からず、混乱しました。

もしかしたら、純然とした親切で、誘ってくれたのかもしれませんが…相手の意図が分からず、混乱しました。

もしかしたら、期待を読むことに慣れ過ぎて、相手の

 純粋な好意

を読み取る能力が欠如しているのかもしれないです。ひも付きではない親切ですね。

紐付き親切=期待、ひもなし親切=行為

この切り分けは大事ですね。

しかし、今もって期待値の切り分けは出来ていないかも…。

ここは、乗り越えるべき課題ですね。

要注意!分かりやすい成功を求めると不幸になります

■ 不幸になる機序 

5分ほど瞑想して、何を間違ったのか?明らかに分かりました… 
 

小さな不満

億万長者とか、世界一周とか、年収一千万円とか分かりやすい成功をぶら下げる成功者という名の詐欺師に、あなたも私みたいになりたいでしょう?と言われる

いや、なりたくないけど…と言っても、そんなはずはないはずだ!と言われる

そうかなぁ…と思って取り組む

今の生活が色あせて不幸に思える  ←比較

不満がうまれ、本当に不幸になる

つまり、見掛け倒しの成功者の成功を真に受けるとダメです。見掛け倒しではなく、登山界で言えば、ピオレドール受賞者のような真の成功者の表面だけをなぞってうらやむのもダメです。

■ クライミングバージョン

高校山岳部

登山ガイドになる

俺だって、めぐり合わせさえよければ佐藤ユースケと思う ←比較

目の前の家族やお客さんに感謝できない

アチコチ浮気して回る

家庭不和

不幸

■ 私のバージョン

パワーこそクライミングに必要なものだ!と言われる

そうかなぁ…

指を見せて見ろ、なんだ、曲がっていないじゃないか?お前はクライマーじゃねえと言われる ←比較

やってみる

怪我

やっぱり違う

そもそも、クライミングできなくなる

不幸

恨む

不幸

■ 一般クライマーバージョン

普通に山登りしていてステップアップでクライミングする

5.12登れるの~すごいねーと言われる(ホントは全然すごくない)

そうかも?と思う

ウエアが派手になり、イケイケクライミングを自己PRするようになる

クライミングの成功…ブイブイ言わせる?を周囲から期待されているように錯覚する

実際は、普通のクライミングライフ  ←比較

仲間に感謝できない

要求が過大になる

仲間が去る

不幸

■ キラキラライフ

結局、共通の、不幸の原因というのは、

 どこか架空のキラキラライフをやっている人と自分を比べる

ように迫ってくる”詐欺師”とか”世間”とか、”俺だって”&”私だって”の自尊心とか、自分の中の妄想…得体のしれない何か…漠然としたもののような気がします。

つまり、存在しない”欲”に向って生きると、非常に不幸になります。期待値が、この世のものではないために、追いつけないからですね。

欲… 将来どうしたいか?ということを目標にして生きるのは、漠然としたありえない目標、例えば、登山で言えば、〇〇歳でピオレドール賞を受賞する、とか、はダメですね。少年よ、大志を抱け、は時に不幸の道です。個人の努力で影響を起こすことはできないからです。

そういう目標ではなく、”3年後に北岳第四尾根を登りたいから、今は毎週2日人工壁に行き、週末はピッチ数を稼ぐために外岩”、とか、計測できるような目標を、

 お尻から考えて、現在、何をしておかなくてはいけないか?

ということに落とし込めば、実効性のある努力になります。

■ 嫉妬心は慢

クライミングにおいて

 キラキラライフ=著名クライマー

一般生活において

 キラキラライフ=世界一周 月収1千万

みたいな感じで、名誉の欲や、物質の欲、をニンジンのようにぶら下げられると思いますが…

それは、

一体、誰の欲なのか?

っていうのが、かなり問題です。 

親の欲の場合は、親の自己承認欲求の手段にされていたり、コーチの場合も自己承認欲求の道具にされていたりします。

私は熊本高校へ進んだときは、中学の担任の先生の自己承認欲求の道具にされました。

■ 圧倒的な幸福にも、ネガティブ面はある

例えば、ピオレドール賞も、生涯功労賞を受賞した山野井さんの淡々とした様子を見ると、”あれ?あんまり嬉しそうではないんだな…。面倒なことが増えたのかな?”とか(笑)、ギリギリボーイズの皆さんにしても、知名度を上げるために苦労しており、”受賞ってだけで、後は、安泰、ってないんだな…”とか、色々分かりますよね(笑) 。

去年あるクライマーに、こちらで著名なクライマーのフォローを情報収集目的で薦めました…ら、

「どうせ、取り巻きに囲まれて、ちやほやされているんでしょ」

という返事で、

 取り巻きに囲まれてちやほやされること

が彼の真の願いで

 ボルダリング三昧

ではないことが分かりました…。これは幼児的願望、ってものです。https://www.youtube.com/watch?v=iElAjP1HZ44

でも、取り巻きに囲まれて、ちやほやされたい…って、この先、一生ありえない状態ですよね… 。この要求を満たすのは、お母さんに甘えるしかありません。恋人でも、一方的にちやほやするってないです。恋人は愛されるために得るものではなく、愛するために得るものなので。

多分、日本人の生活って、世界で稀に見る豊かな生活で周囲の人も同じくらい豊かなので、幸福がイマイチ実感できないというのが、コアにあると思いますが…、ガチで確実に言えることは、

 明日、食べるものがない、寝るところがない、それ以外は全部幸せ、

ということだと思いますよ。

そういうのを分かるために山に登っているんだと思うんですが。


 

2022/12/28

アルパインロックのグレーディング表

■ 使い分け

私は、沢用、アイス用、アルパイン&一般登山用、フリークライミング用、とブログを使い分けており…というのは、自分が行きたくなったときに過去の記録を捜すのが分けていないとやりにくいからなんですが…

このブログは、フリークライミング用なので、グレードというのは、デシマル以外はいいか~と思って特に掲載していなかったのですが…

九州では、”アルパインロック”と”フリークライミングのマルチ”が、まるでごちゃ混ぜに語られており、フリークライミングどころか、インドアのスポーツクライミングの流儀で、脆い支点のアルパインに行くことが普通のように扱われているようなので、掲載。

アルパインのルートに行くときは、セカンドもトップもセルフレスキューのトレーニングをし、知識を共通化したうえで、セカンドは、ロープアップされない場合に備えて、ロープ登高、もしくは、自己確保での登攀をマスターしていないと、セカンドでも務められません。

これは、フリーのマルチでも同じです。

アルパインロックの場合は、

 1)一番難しいピッチグレードが、落ちないで、つまりオンサイトで登れる能力と、

 2)気象知識、

 3)ロープに使われてしまうのではなくロープを使う技術、

 4)アプローチをこなす体力、

 5)敗退時に備えた支点構築と懸垂下降の技術、

 6)敗退が起こった時にも何とか出来るだけのロープ長、を考えることができる計画立案能力、

 7)山での一般的生活能力 (排泄、寒冷の対処、落、テント泊、読図、一般登山の常識)

が必要です。

大体、男性クライマーは一番難しいピッチグレードがレットポイントで登れるから何とかなるだろう…と思っているような節がありますが…

現代のルートは、残置のボルトがあったとしても、それが落ちれるボルトとは限らない…たとえハンガーがついていて、新品のペツルにそっくりだとしても…です。 

ですので、一般に、マルチは2グレード下、というよりも、40年経過したカットアンカーのルートでは、もっと厚いマージンが必要です。

(例:5.9がオンサイトできるから、5.7では多分落ちないだろう=NG、安全マージン薄すぎ。5.11がオンサイトできるから、5.8はめったなことでは落ちないだろう=OK、安全マージン、まぁ大丈夫)



 ■ 菊地さんの『日本の岩場』より




 

6級の難しいルート 例:奥鐘



 

 

フリークライミングにおけるクリエイティブ性とは何か?の予習

こんなアドバイスを頂戴しました。

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岩の優良ルートを沢山登らないと、ジムでよいルートはセットできないと思います。

ジムのよいルートとは、ルートのグレードのムーブとフィジカルが釣り合っているということです。

外岩の良いルートとは、10aのルートを10aのムーブと、10aのフィジカルが必要ということです。

力のある人は最適ムーブをしないでも登れるのですが、そういうクセをつけると、たとえば限界グレード13aを登ろうとして、さらに難しいムーブ(最適でない)ことをすることになります。

13を登る上手な人は、初見で10aを10aのムーブで登ります。最適でないムーブ(10cムーブ)でも、登れるはずですが、そんなことはしません。

これが上手なクライマーということです。

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なるほど、と思いますね。ボルダー出身の人は、同じルートを登っても動的で、ひやりとすることが多いです。ジャンボさんが同じところを登っていると静的で、足を組み替えていました。アルパイン出身の登りこんだ人たちは、ホント足を細かく拾います。手では登っていないことが多いです。もちろん、ハングになったら、手も必要ではあるんですが。

薄被りで練習するのが良いと教わっていましたが、手先行の登りなので、反省して足先行を意識しようと思いました。

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草野俊道さんの設定したルートは8級でもムーブがあって面白いそうです。

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九州に草野さんのルートってあるんだろうか…。

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フィジカルで登っている人がガイドをやると、講習生は悲惨です。技術的指導は何もできません。

核心を越えて、よれよれの講習生に、「さっさと登れ、そんなところで休むな」ですから。

ホールドの持ち方やレストのやり方は指導しません。

3年くらい前にクリス・シゃ―マが御前岩で14cに苦労しました。1日では登れなったです。力が落ちて来たんでしょう。現在41歳ですけど。

一方、ユージは現在52歳ですがまだまだ登れます。近頃二子で14d登ってます。

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■ 私の経験

九州で知った開拓者の米澤さんのルートは、典型的パワールートでした。

米澤さんはさすがのクライマーで74歳になってもツヨツヨで、45歳で12まではRPできるクライマーですら、米澤さんの10bで落ちていました。

私は米澤さんのことを知る前に、鬼が鼻岩で、米澤さんの10Aをほんとに10Aだと思って、リードで取りついてまったのですが、途中クリップするゆとりが出せずに、トップアウトしました…。あれは絶対10Aではないですね…。

あとで、九州であそぼうという会をしている方が、「おれ、米澤さんの10cは登れない」と言っていてその方はいつも11までは楽勝で登るので、米澤さんの課題が辛いことに気が付きました。

九州では、ムーブというよりパワーが中心の課題設定になっています。

以前の師匠、青木さんとは、彼が慣れていない初めて見る課題をオブザベして行きたい!となったところ、ちょうど彼が登れるところは、私が登るのに適していました。昇仙峡はトポないので、岩そのものを見て青木さんが登りたくなり、登ってみて、”これ、5.8やで~、登ってみー”という感じだったので、ちょうどよかったのです。

ところが、岩を見てグレードを判断する習慣がない現代のクライマーと岩場に行くと?

トポで見て、5.9をほんとに5.9だと信じています。これは危険です。

以前、八面の下部エリアに行ったのですが… 実は、そこ、地元のクライマーがリボルト候補の筆頭にしており、ボルトが劣化していることが知られて、誰も登らないところでした(汗)。

日向神でもオールアンカーのところに連れていかれ、どう?と聞かれ…(汗)。いや、どう?と聞かれても…と、言葉に窮すことになりました。いくら楽勝で登れそうでも、ボルトが悪いところには取りつけませんよね?

ということで、現代のクライマーというのは、クライミングのメッカ山梨で10年登っても、

  ボルトの良しあしは見分けられるクライマーには育っていない

という意味です。

九州がカットアンカーであることに気が付いたのは、私が最初のクライマーなのでしょうか… なんせ、誰も指摘しないので、新規ボルトもカットアンカーみたいなことに比叡ではなっていました…(汗)

つまるところ、支点の見極め=リーダー性、なのでリーダー性はない、ってことです。

ルート選びは、易しいところ、ではなく、

 支点がしっかりしているところを選ぶ、

というのが基本です。沢とかでもそういうルートファインディングになると思うのですが…。

そういうのができていない人は、易しいから、と言って支点になるものがないところを落ちれば死に至る高さまで登って行って、そして、降りることもできなくなっていますよね?

いや、ほんと死ななくて良かったです。

彼のために言うと、相手にだけ、悪いボルトを薦めるのではなく、東さん開拓の野岳ですら、カットアンカーなんですが、本人も、バンバン落ちながら5.12を登っていました。

ボルトの見分けがつかないのは、九州の人に限らず、たぶん関西の人も同じで、

 グージョンとカットアンカーは見分けられていない

と思います。カットアンカーは、カムより強度が低いですよ。

■ クライミングは、ビレイヤーとクライマーの協力の結果作り上げるもの

は6Aの課題で、ラオスで、各駅停車で行ったのがあるのですが…。

短い6Aだったので、傾斜が強く、ずっとハングしているので、恥ずかしながら、一ピンごとにレストで、ビレイヤーにはホントに感謝しました。

ビレイヤーの方も、よかったね~という感じで、喜んでもらえました。その時は夕暮れ時なのに、ギャラリーがいて、登り終わると、拍手が出たので、ちょっと嬉しかったです。

6Aでも、別のもっと素直な課題があるとは思ったんですが…その課題は、思い入れが生まれました。私の超苦手系課題ってことです。

その時は

 ビレイヤーと一緒に作るクライミング

というのを感じました。オスカーというスイスの若者と登ったんですが…。オスカーは、7Aまで登れ、体の大きいクライマーでしたが、他の6Bで下部核心ので、必死になっていたんですよね‥ それで、お互いに、パワーが課題だね~みたいな雰囲気に自然となり、彼の四苦八苦の後、私の番、みたいな感じの6Aでした。

オスカーとはビレイヤーとクライマーの間の絆が築けた、と感じられました。

■ 絆不全症?の日本人男性

前回、ある国際ガイドの方とラオスに行った時、私が彼と組むのは嫌になり、周囲に根回しして、オスカーじゃないですが、長身のスイス人の若者を見繕って組ませたことがありました。

そのスイスの人、11くらいでそこまで上手じゃないので、ちょうどレベルもあっていたと思うし、国際ガイドの方はリスク管理にたけていたと思うので、ぴったりだったと思うのですが…身長もおなじくらいだし…。それに国際ガイドの方は、とっても喜んでいました。

それでホッとして、これで私の役目はすんだ!とおもったら…、二人は翌日は登っていませんでした…。せっかく根回ししたのに…。

私の勝手な空想では、日本人男性の

  日本男児的な態度が、世界標準ではないのではないか?

と…

だっていくら国際ガイドでも、フリークライミングの世界では、誰しも

平民

ですよね? アルパインクライミングは身分制度でカーストがありますが、フリークライミングは、民主主義国家ですよね(笑)? 

アルパイン出身の人はなんか、関係ない実績で、尊敬されたがっていませんかね?

例えば、指がないとか…で、自慢するとか…。国際ガイドの資格あるから、俺が作る支点の方がエライ、とか…。支点は、頑丈であれば、ノットのタイプは何でもいいですよ。

それは、一般登山で、俺は○○株式会社の社長だ!と言って偉そうにするのと同じだと思うんですが…。

フリークライミングでは、世界最高難度を登るまで、延々と、

 どのグレードの人も質的に同じことをしているだけ

です。

12登る人が、9登る人よりエライ!って思っているのは、アルパインの身分制度なのではないかと思います。

■ アルパインの人が言う実績も大体においてええ加減なもの

アルパインの人は、エイドに逃げても、それを言わないことが多いです。

アルパインの人は、Aゼロしてしまっても、登れた、と自分を丸め込む癖は、フリーでは改めたほうがいいです。

現代のフリークライミングの強化ギプスみたいなクライミングジムがいっぱいある時代で、

 エイドで初登

って発表するのは、時代錯誤のような気がします… それは立派なことというより、むしろ恥ずかしいことに分類されるのではないでしょうか…。これは私の私見ですが。

きちんと登れるような人たちは、いくら初登でも、フリーでない限り、発表して自慢しようとは思わないのではないでしょうかね?

その辺は現代のトップクライマーがどのような記録を上げているか?研究して、スタイルに対するそのクライマーのこだわりを研究しないと見えてこないと思いますが。

そう言うのを見せるために、佐藤ユースケさんなどのトップクライマーは記録を発表しているんだと思うのですが、違うんですかね??

逆に言えば、スタイルを書かない記録というのは、大体、しれっとエイドで抜けている、のかもしれませんね…(笑)

神津牧場 シャイアンV+級。私のリード課題。うまくプロテクション打てたなと思って嬉しかった事例。この時はVないような気がしますが。

なんで醤油樽がダメで、シャイアンをリードしなさい!になってしまったのか?当時の初心者の見識しかないワタシには、当時、謎でしたが、現在の解釈ではこうです。

シャイアン=下部が優しく、上部が垂直という課題は、初心者に向いている。クライミングでは上では落ちても大丈夫というのが常識なので。

醤油樽=ずっと段々がある=ビレイが難しい、落ちれば段に当たるというので、醤油樽は回避され、十分Ⅵ級が登れるようになってから、Ⅴ級をリードするほうが安全、ということなのでしょう。

アイスだけでなく、フリーも、この作戦の方がいいのではないかと思います。



2022/12/27

制動する手の位置が悪いビレイ

元になっている動画はこちらです。


 

待機時の制動手の位置が間違っています。ビレイ器より下にないと制動は効きません。

九州でもこのようなビレイをする人ほんとに多いです。

 

リードへの移行は啐啄同時

■ 早い段階でリードをとらせる害=アルパイン教育をフリークライミング教育に持ち込む害=俺様思考

かもしれないと、ふと気づきました。


アルパインクライミングでは、ザイルのトップは責任が重い(トップは落ちることは許されない)

セカンドにもトップの立場(や苦労)を分からせるために、易しいⅢ級やⅣ級でリードさせる


簡単なので、ザイルトップの責任感が分からない & 簡単なので大ランナウトが普通


意図は先輩の立場を分かってもらうことなのに、意図に反して、えー?こんなのも登れねぇの?と言うようになる


 ランナウトの危険は認知できないクライマーに育つ

もしくは 認知したとしても、やせ我慢して登る

ランナウトに耐えることがリードなのだと誤解する

その価値観を、フリークライミングに持ち込む

↓ 

自分もそういう教育を受けたのだからと、他の人にリードを強いるようになる

怖いもの知らず&ロープの配置が悪いクライマーが出来上がる

 

例:ダブルのロープは使い方をマスターしていない、あるいは、すぐロープスタックするようなスリングもしくはカム配置なのに、登りながら気が付けない、など…

…と、こういう機序になっているような気がします。

というのは、

 RPグレードの高さと実際の岩場での行動がミスマッチ感

がある男性の先輩がいて、その方の記録にふとめぐり逢い、え?というドえらい早い段階で千波の滝をリードしていたからです。

その方のアイスクライミングのムーブは、私よりも洗練はされていなかった…師匠の判定です…ので、ふと思いました。

私は師匠からリードのススメを貰ったのは、6級の氷柱がスイスイ登れるようになってから、です。

4級は最初から楽勝(ザック担いで登りました)でしたが、広河原沢左俣ですら、リード許可下りず。リードはしていますが、と言っても、本当に初級のところでした。5級の氷を登っていた程度の時は、私は醤油樽の滝は、段々で立てる(レスト出来る)ので、リードできるのではないか?と思っていましたが、師匠は嫌がっていました。許可はおりませんでした。

■ 男女差?

男性と女性でリードしていいよ、という許可が与えらえるスキルレベルは違うのかもしれませんが…。

つまり、男性は薄いマージンで、女性は厚いのかもしれませんが…。

それでも、初期から、リードしろ、の圧力があるのは、良くない教育方針のように思いますね…

もちろん、依存心があるのは良くないですが、かといってリスクを小さく見積もるクライマー…つまり、慢心があるクライマーってことです…は、クライマーとしての基本能力開発に失敗している。リスクは適切に見極められるように育てないといけません。

男女差より、個人差が、高所への恐怖心には大きいです。私の夫は、私より当然、体力も上で、筋力も強いですが、高所は怖がって全くダメです。

■ 啐啄同時

そったくどうじ、は、卵が孵るときは、内側から殻が割られる、という意味です。

卵が孵化する瞬間を待たず、外から卵の殻を割ると、中身の雛は死んでしまいます。

リードもそのようなものではないかと思います。

つまり、本人が自信をもって、リードに進みたいと思い始めてから、進ませるということです。

なんせ最近の人は、インドアジムでスタートしているので、

 支点の強度を疑うことがなく

 すぐ落ちることを是としており

 すぐにダイナミックムーブを使う

のです。これでは、日本の支点が40年ものの外岩で安全に登れるはずがありません。外岩リードでは、

 支点の強度がヤバい、

 ランナウトしているので、落ちていい箇所と悪い箇所がある

 ダイナミックムーブは使ってはならない

というのは、教えないと彼らは自発的に気がつくには、何年もかかるか、もしくは事故ったり怪我してから、ということになります。 

外岩では、墜落NG、テンションOK、です。

■ 自分の育てられ方は間違っていたな…

私の教育は、アルパイン流の教育で、最初の確保は雪上ですし、三つ峠なんて2度目からリードしていましたし、西湖の岩場のアイゼントレのところは2度目からリードでしたが、考えてみるとⅣ級のところなので、まあ、いいか、と今では思いますが、現代のアルパインクライミングは、フリークライミングを基礎力とすることを考えると、やはりフリークライミング流の教えられ方のほうが良かったなと思います。

あのタイミングでは、支点のことを学ぶべきだったなぁと思いますが、教えられたことはなかったように思います。なにせ、落ちないので、支点の存在価値希薄だからです。

落ちないところでは、支点の強度の大事さ、というのは身につまされないので、身につかないです。

だから、フリークライミングの時代に変遷しても、スポートルートなのに支点がボロイことを受け入れるような、そんなクライミング文化になってしまっているのではないでしょうかね?

■ リッジの古いリングボルトやハーケン

日向神でも、残置のハーケンやリングボルトが残っているリッジのルートがありますが、

「これ、ボルトにするべきと思う?」

と聞かれ、返事に窮しました。

いや、あれで落ちる人、いないですよね…みたいなルートだからです。どう考えても25kNの強度のボルトは、オーバースペック。

一般登山者でも、普通の人は、まず落ちないレベルです。もちろん、左右は切れ落ちているんですけど…。怖い人は来ないですよね。なので、リッジが好きな人というのは、ある程度、

 高度感(見せかけのこわさ)は平気で、本当に落ちるリスクだけを怖がる人

です。

アルパインクライミングでは、見せかけのこわさと、本当のリスクを切り分ける能力が必要です。

例えば、甲斐駒の黒戸尾根って、私にとっては転滑落するようなところあったっけ?くらいな登山道で、難易度的にあれで怖い人には、アルパインのルート無理では?と私には感じられましたが、それでも、一般山岳会の会員レベルの人たちでは、落ちている人いますよね…。男性でもです。

さらに言えば、スリップというのは、本人の意識で防げるか?というと防げない。

Ⅱ級のアイス…つまり、凍った平坦なところ、って意味ですが、それで転ぶ、”6級アイスはすいすいフリークライミングのムーブでこなすクライマー”なんて、なんぼでもいます。

スリップ時の保険という意味のロープと、フリークライミングのロープの意味は全く違う。

それにも関わらず一緒に理解されているのが、事故多発の思想、なのではないかと思いました。

■ ロープの意味の違い

フリークライミングの場合は、ロープは頼れる心のよりどころ、って感じです(笑)。ロープが信頼できるから、つまり、ビレイヤーが信頼できるから、ツッコむ勇気が出る、って話です。ロープが信頼できない=登れない、です。

アルパインクライミングの場合は、ホントにただの保険、万が一の保険なので、使わないで済むのが成功の証です。

その意味の差を教えそこなうのが、

アルパインの論理で、フリークライミングを教える教授法スタイル、

という気がします。

結果として、

イケイケクライマー & 無謀を自慢してしまうクライマー

が出現してしまうのでは? 

それを40年ものの支点でやると、ロシアンルーレット状態です。

こう考えると、イケイケの方、無謀の方、天国に一番近い男と言われて誉め言葉だと考えてしまう方は、

失敗した教育の被害者

なのかもしれません。

つまり、本来は、しばらくセカンドで登って、ランナウトの危険や、自分の登攀力と課題が要求する登攀力がミスマッチしないように分かるようになってから、リードに進むのが良い(そったく同時)が大事なのに、そういう風に育てられず、急かされて育てられ、

他の人にも恐怖心を乗り越えることがクライミングゲームだ

と無理強いするようなクライマーに育つ、ということです。

■ 怖くないラオス

なんせ、私ラオスでは全く怖くなく、たった2週間で一年分くらい成長したんですよね…

それだけ日本での環境がストレスフルで、私の成長を妨げていたということです。

九州のクライミングカルチャーでは、甲府時代より、さらにストレスフルになったので、ここではクライミングで成長することは冷静に考えても、無理ですね。

  野岳よ、お前もか…のボルト。カットアンカー… 早くリボルトされませんかね? つまり、九州ではきちんとした開拓者でもカットアンカーだったってことです… 安物買いの銭失いどころか、安物買いの命知らず、ってことになっています…

2022/12/26

マウンテンバイクで使われていない道の価値を再構築する!登山におけるクリエイティブ性とは何か?の研究

■ 思ったより疲れてなかった

昨日は、MTBの大会に出ていました。研究のためです。

しかし、右膝の脱臼の後、2年もきちんとした運動をやれていない…クライミングでボルダーに行くのは危険極まりないし、ヨガの仕事は蓮華座を組めない…というので、仕事でも運動習慣を失いました。

また栄養欠損で鬱…作った筋肉も失いました…ので、体がフレイル化している自覚があり、筋肉痛でヤバいかもしれないと恐れていましたが、思ったより大丈夫でした。と言っても、明日辺りに来るのかもしれませんが…(笑)。

近所の温泉に入ろうと2件もトライしましたが、一件は廃業、一件はすごい混雑のようだったので、帰宅後、速攻でお風呂に入りました(エプソムソルト入り)。とりあえず、今日もあまりくたびれていないようです。

■ 自分を知る

ルートのクリエーションのほう、どうルートを設定するか?というほうが、私は、レースよりも興味があることが分かった。

■ マウンテンバイクの特性

マウンテンバイクは、実際は登山で使うような山の中を走るものではなく、どちらかというと登山の等級では、価値がないとされた道を使うものです。

UIAAのⅡ級、つまり、平坦な道、を徒歩より素早く走り抜けるためのものです。登山で楽勝のⅢ級(一般登山道)の道すら、マウンテンバイクがあると、もう担いで上がらないといけなくなり、バイクがないほうが楽です。Ⅳ級(鎖場レベル)なんて、とんでもないです。

ちなみにクライミングはⅤ級から上(ロープが必ず必要)の事です。(マウンテンバイクでも、降りる方はⅢ級までは行けます。周囲が切れ落ちていないなど、条件が良ければⅣ級程度まで降りれる男性の強いライダーはいるかもしれません)

そういうことなので、マウンテンバイクで走れる 

  ”自然の中の道”

というのは、いわゆるハイカーが嫌がって誰も来ないような道、です(笑)。

■ 事例

これは昨日使ったルートの 一部ですが… 読図で、この地図内の

 黒実線の道

のようなのをたどります。黒実線がたくさんあって、道路が近い=目の付け所、のようです(笑)。

時に車道や、白い実線レベルの道を使い、スタートとゴールへループ状にコースにまとめる。

この道の選択や構成にクリエイターと言われる人のセンスが現れるのだそうです。

■ 登山価値のない道

里山の登山に行くと、よく登山道以外に、この道どこへ続く道なのだろう?というのが出てきますよね?大抵は、どこにもつながっていない道ですが、たまに地元の人が使っている道で、ほかの道と繋がっていることがあります。そういうのをつないでコースにします。

私は甲府時代に、裏山の愛宕山では色々な地図に載っていない道を知っていました。

そのような道をつないで、自転車で約25㎞ほど走るというのがレースの概要です。自転車で行く場合は、

  乗車率の高さ、

が、ルートの良しあしの判断基準となるそうです。

この地図の◇のところは、道がループになっているのをたどると、間違いで、その先の北上するのをつなぐと、この地図にはないですが、尾根道に出ます。大体登山でも顕著な尾根には必ず踏まれた後がありますよね。あれは、みんなが楽しく遊んだ後だと思うのですが。

この地図で、鉄塔のマークをまるで囲みましたが、高圧線の場所とは離れた位置に鉄塔が出ています。

登山における読図との差は、登山では、ピーク、尾根、谷、コルを読む、ということになりますが、マウンテンバイクで使う道は、里山の人工物が多い道なので、記号と現実を照合する、のが多いことです。もちろん、傾斜が読めたら助かります。等高線一つで10mですが、マウンテンバイクだと、10mの登りも、12,3kgの重し付き、ってことです(笑)。

自転車が得意なのは長い下りかな…

■ 里山はあまり好きでないけど、探検は好き

私はずっと以前から、ちょっとした里山のすそ野の、誰も来ないようなところに道がついていたりするのを、へぇ~おもしろいなーと思うような人でした…。

夫とも甲府の愛宕山周辺を探検して楽しみました。筑紫野の暮らしのころは、よく近所の川辺を散策に行っていました。

福岡は、都会すぎて、そのような身近な、普段着の探検がない…。出かけた先に小さな発見、近所の野良猫道、発見!みたいな路線というか…。そういうものが、大都会は、街ビルでありますよね、裏路地に店があって、へぇ~とか。そんな感じの知らないことを発見するのが好きな子供でした。たぶん、じっとしていてほしいという母親の都合に合わせさせられてきたからだと思うのですが。

■ トレーニングギプスのマウンテンバイク 

マウンテンバイクは前述のようにちょっとした坂ですら、筋トレマシーンです(笑)。

今回は、風邪気味?だったので、やたら登りがつらく、初心者だけのツーリングクラスに参加しているのに、置いて行かれそうになる…ので、おかしいな?と思っていたら、下りでも皆に追いつけなかったので、はて?これは自分の体力低下だけの話ではない、おかしい、というので、途中棄権して、読図でスタート地点に帰ったのですが…。

車道をヨレヨレと一番軽いギアにして漕ぐ私を、大会スタッフの方が心配して、車から応援…なんか、感動の名シーンやってるよ??と思っていたら(笑)、なんと、最後の1㎞くらいのところで、後輪がパンクしていることに気が付きました…。

スローパンクチャーってやつです。パンクだから、スピードがまったくでなかったのね…と分かりました。

もちろん、トレーニング不足というのも純然とした理由としてはあると思うのですが。他に、考えられる要因としては、まだ悪性貧血が全快ではないのかもしれません。葉酸とB12は充足したとしても、女性の場合は慢性的に、Fe の不足があると思うので、そろそろそちらに取り掛かるタイミングかもしれません。Siboはだいぶ良いのではないかと思うので。

今回は、途中棄権したので、より一層

 車の走る道と、クリエイターが用意した里山の見捨てられた道の差

が分かりましたが、

見捨てられた道をうろうろするほうが、植林の中だったり、竹林の中だったり、ため池の堰堤の上だったり、なんだかんだで変化に富んでいます。

車道を走ると、店しか発見がないですね。あるいは、神社だの、人が作った人工物です。つまり、

 車道=店、見えるものみんな人工物

ということが分かった。車道にいるだけで、人は目に入るものに対して、先入観を持たざるを得ない宿命にあるということです。

車道から離れてみると、資本主義社会から、切り捨てられた様々なもの…が、ほこりをかぶって、誰か見出してくれる人を待っています。例えば、竹林、ため池、ブルーベリー農園、イノシシの罠、高圧電線の鉄塔…そのために苦労して付けられた道…ということです。

■ 好奇心

 こっちに行ったら何があるのかな?

という程度の好奇心が満たされることは、非常に幸福なことなのだ、と思いました。

これは、アーティストデートと言われるものだと思います。https://torinoweb.work/2022/04/25/spiritual003/

これからは、うろうろしてみようと思ったりした大会でした。私の家の近所は、あまりうろうろし甲斐がある場所はなく、ちょっと郊外に行かないと、出かけて楽しい場所はないようです。

■ 町でも楽しかったサンフランシスコ

そう言えば、私は1年いたサンフランシスコでは、6回も引っ越しました…(笑)うろうろして、町の中を知り尽くすのが楽しかったんですよね。

そう言う風にウロウロするのが、私の言葉で言えば、

 探検、

です。

■ アルピニストやアルパインクライマー とは?

こうしたことに照らし合わせると、

一般にアルピニストと言われる人たちは、高所登山の手段(酸素ボンベ、シェルパ、スポンサー、広告宣伝)という手段を使って、このウロウロを、高所で行う人たちなのでしょう。

山野井さんたちのようなアルパインクライマーは、ロープが出るレベルの登攀、山に対するリスク認知力、気象や天候のスキを突くことができる機動性、スピード、寒冷に耐える肉体能力の高さ、などによって、登頂を成し遂げるというゲーム…を行っている人たちの事でしょう。

もちろん、一般登山者レベルの肉体能力でも、すでに踏み固まれたところを道標に導かれた山をするのではなく、読図によって進んだり、沢の道、岩の道、氷の道、など、様々な要素が易しいレベル…5.7~5.9…であっても含まれた、

 オリジナルなルート

をたどることは可能でしょう。

既存ルートの踏襲に踏みとどまっているだけでは、全然、創造性というのは開発されません。

つまり、主体性=創造性、なのかもしれませんね。

つまり誰かがここを歩きなさいと言ったところだけを行くというのは、創造性はゼロですね。クライミングの課題でも、同じです。

そうではなく、創造性を発揮するには、

 自分の計画で自分の道を作る、

ということです。それは既存ルートの組み合わせでも、そのクリエイターの思想、設計というのはうかがえます。

私のパートナーたちの立てる計画は、パートナーの私を考慮せず、自分の喜びを最大化するだけのものでした…

■ 大人だった…

昨日は、私は、病み上がりから久しぶりだったので、遠慮してツーリングクラスに参加したのですが、ツーリングクラスですら、足を引っ張る有様でした。

なので、ちょっとしたご褒美が用意してあるポイントまで遠い段階で、だいぶ時間を浪費させたので、皆さんに申し訳なかったのですが、誰一人、

「迷惑なんだよ」

って態度の人が、いなかったのが驚きでした…というか、そのことに驚いている自分にも驚きですね… どんだけ悪環境で今まで登っていたのでしょう…。これが普通の大人社会なんだな~としみじみとしてしまいました。

現在、クライマーが登っている環境は、非常に雰囲気が悪い環境みたいですね…。

最近、山岸さんのテレビで、東野さんがワイドクラックに挑戦するという企画がありましたが、あとで記録を調べてみると、私は昇仙峡のワイド5.9+を2日目で登っていたようなので、あれ?と思いました…もうほんとに、

 登れない人扱い

えー、これくらい登れよ、みたいな扱いを受けたのですが、そんな扱いを受けるほど、ヒドイ状態ではないような気がしました。経験値・体力・技術ない割に、よく頑張っていた方では…?

まぁ、周囲の期待が高すぎるという害があったのかもしれませんが。

今回の仲間は、これが普通の大人集団なんだな~と思いました。人間性回復です。

実はパンクだったので、最後の1㎞くらいから、自転車を押す羽目になり、その際、地図上でチラッと近道が見えたので、車が通れる車道を離れたのです…すると、ゴールに到着後、大会スタッフの方が心配して、

「いなかったね、すれ違ったかな」

と声をかけてくださりました… 。びっくり!なぜ驚いたか?というと、平地で迷子になるとか、クライマーの場合ありえないので、どうせ一人で帰れるでしょ!と、怪我しようが、なんだろうが、放置されるのが、クライマーの常識って感じだからです。

実際、岩場で墜落して怪我したクライマーを、偶然見たときに、全く関係ない通りがかりの私が介抱して電車に載せ、大阪駅まで随行しました…同じ会の人は、見ず知らずの私にその人あずけっぱで、自分は岩場に帰ってしまいました…。

私も岸良の岩場に行ったときは、肉離れをしたのに「それは困る」と言われ、福岡に返してもらえなかったし、自分で4時間運転して帰還しました…。

転落して頭を打っているのに駐車場に着くなり、じゃあね、と放置されたこともあります。

つまり、クライマー界は、血も涙もない世界みたいですね…。

私もそれに染まっているかもしれないので、気を付けようと思いました。

■ さて、仏教の話です

私は、仏教的な善行為を積み上げる人生を生きていたいので…

何が善行為で、何が悪行為か?

ということに興味があります。仏教で教える善、は、俗世間の善行為とは時に、だいぶかけ離れています。

自然界の不思議を発見することを、センスオブワンダーと言いますが、これは、ただの無知の表明だったのかもしれません。

ただ山の中で朝日が昇るのを見たり、夕日が沈むのを見ると、人の人生が何万年も生死を繰り返してきたように、自分自身の命や、生活の日常が、些末なことに思えてきたりします。

それは、非常に良い悟りの感覚ではないか?無常の味わい方ではないか?と思うのですが、どうでしょうか。

暫くそういう気持を味わっていないので、山に出かけて朝日を見る、という活動は再開したいかもしれません。



2022/12/23

現代のトップクライマーは、5.12オンサイトでRPではない事例

 https://drive.google.com/file/d/1f6GCxD25jbJQnkX-MPpkIX1tXY8YKbZO/view

https://drive.google.com/file/d/1cRJ3rIDSyIe9BE_go5IhltZJZwx-yioJ/view

佐藤祐介さんの投稿が回ってきました。

山梨だと、他にもツヨツヨクライマーが一杯です…。

大事なことは、冒険の思想、であり、グレードではない、かもしれませんが、あまりに情報に疎いと、

 どのようなレベルでどのような冒険が可能になるか?

ということが、正確に読めないので、それで、栗城さんみたいなこと、つまり実力を勘違いして高度な山に挑んでしまう事態…になるのかもしれません。

栗城さんのようなことは他人事ではなく、九州でも、現代的レベルに達していない登攀を発表して天狗になってしまう…まるで栗城さんみたいな…ことが市民クライマーレベルで起こっているような気がします。 

アルパインクライミングを志向する人は、

 オンサイトのレベル

を上げて行かないといけないですよ。それから、パートナーに伝えるには、自分のクライミング経験をきちんと脚色せずに伝えるのが大事です。

どうも、前のパートナーは、大急ぎで実績を稼ぎたい余り、私に正確に自分の経験値を伝えておらず、私が彼が持っていると思っていた経験値は積みあがっていなかったように、彼のロープワークやクライミングに対する態度からは思えました。

■  本屋で…

本屋でパラパラと雑誌を眺めたら…『のぼろ』には、渡辺さんの記事などが載っていましたが、しかたないのかもしれませんが、登山の価値を伝える記事は載っていませんでした。

本州向けの山雑誌には、積雪期の北岳が載っており、大丈夫なのかな?って感じでした…積雪期の北岳は訓練が必要な山に入るように思います。一般登山者向けではないですね。

ロクスノだけではなく、市井の山雑誌は、決して頼りになる情報源ではないです。

佐藤さんの記録などのようなものは、当然出ていない。しかし、今の時代、若い男性クライマーは、5.12に親しみを感じています。壁でよく見かけるグレードであるからです。それがレッドポイントではなく、オンサイトである、ということの意味が分からない、というのは、よく起こることであっても不思議ではないかもです。

文登研の ”登山研修”を読むほうがいいのか?まだロクスノよりは、現状を捉えているような気がします。

https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/tabid/215/Default.aspx

こちらは、高みへのステップ

https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/images/contents/syusai/2022/takamihenostep/leaflet0325.pdf 

うーん、肝になっている無知を防ぐ知識にはなっていないような気がします…現在問題になっているのは、

中高年登山者の遭難以外では、

スポーツクライミング上がりのジムクライマーが、外岩に来るときにインドアで課題を選ぶように気楽には課題を選べない問題や、ピッチグレードだけを見て、アルパインルートに行こうとしてしまう問題、あるいは、セルフレスキューなしに新人を連れて回る問題

だからです。 スポーツクライミング、フリークライミング、アルパインクライミング、で、同じ登攀グレード…デシマルを使い続けていることが事故の原因のように思います。

スポーツの5.12とフリーの5.12でもリスクは違いますし、山の中にある6級ルートではさらに違います… 

今の人は奥鐘とか言っても分からない人が多数です。

クルティカ尺度 …同行者が一人も亡くなっていないこと

 『アート・オブ・フリーダム』が余りに良い本だったので、みんなに読んでもらいたいと思い、あちこちに貸そうか?と声をかけたら…このような回答を貰いました。

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アートオブフリーダムは即買いました。私のクルティカの評価は、同行者が一人も亡くなっていないということです。ククチカは同行者が何人も亡くなっています。

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■ 山岳会の評価指標…会員が死んでいるか?どうか…

日本人は山での死を美化していると私は思うのですが、自己責任に由らない死をも、仕方がないとして受け入れているような気がします。

ただの不注意、不勉強、に寛容ということですね。寛容と言えば、聞こえはいいですが、反省していない、ということです。

子どもたちの行動改善の研究をしていて、平凡なサッカー部が強豪に育った事例が出ていました。そのサッカー部では、ミスをしたときに、「なんでそんなところでミスるんだよ」と言い合って、雰囲気が悪くなっていたそうです。それを、「ドンマイ」に変えたところ、雰囲気は一転して良くなったのだとか…。その後、それだけでは、行動改善につながらないことが分かり、さらに「で、次どうする?」をくわえたそうです。この次どうする?が加わって以降、強豪になったそうです。

つまり、失敗を気にしないだけではダメで、失敗から学ばないといけないのです。

「ドンマイ」+「次どうする?」です。 日本のクライミング界に足りていないのは、これのような気がしますね…。

■ 山岳会のありよう

このように、同じチームでも、ありよう、で、よくも悪くもなります。

クライミングの場合は、ありよう、で、相手を殺したり、自分を殺したりしてしまいます。

その”ありよう”、を 私自身も含めて、学んでいくのが、クライミングであり、登山という活動だという気がしますね。

■ クライマーの心のありよう

アルパインのルートで、必要もないのに、残置を掴んで落下した、とか… これは良くないありよう、です。アルパインルートでは残置を信用してはいけないということは、よく知られています。

北鎌尾根に初心者を連れて行っているのにロープを出さないとか…それも良くないありよう。その方は亡くなったそうです。これは会山行です。

40年前のカットアンカーで、止めてあげるから、落ちろ、落ちろというのも、ダメです。ボルトは破断寸前です。

そもそも40年もカットアンカーを使っているのが、ありようとしてダメです。時代はとっくの昔にグージョンです。

パートナーが肉離れしたのに、医者に見せるのに、帰してあげないとか…

応急処置もなしとか…

あるいは、 怪我をして痛がっている人を登らせるとか…

いきなり初対面で相手の力量も分からないのにリードさせるとか…

必要なところでロープを出さない、相手の登りたいところを登らせない…etc etc... 

パートナーシップ破局は、自分さえよければいいというエゴ、あるいは、俺様という男のエゴから発していたような気がします。

■ エゴ > 危険認知

エゴが危険認知に勝った場合に、たぶん、山で遭難やクライミングの事故が起こるのです。

そう言えば、ラオスに行ったとき、パートナーが、ちょっと遠いエリアに行きたがったことがありました。そこは、5cや6Aが多く、彼の登るグレードよりは少し低かったので、不思議だったのです。おそらく私に登ってほしかったのでしょう…

ラオスの岩場は平地なので、アプローチシューズではなく、みな大体、クロックスやビーチサンダルなんですが…その時、はいていたクロックスでは、山道の四級で歩けなくなってきたので、「〇〇さん、この道、この靴ではダメみたい」と引き返すように声をかけました。そこ、ルートがあっているか?も不明で、たどっていたからです。

すると帰ってきた返事が…。「私の靴は大丈夫だ」でした…。いや、こっちの靴がダメ、私が危険にさらされてしまう、という話なんですけど…。

それで、一人で結局引き返しました。岩場に戻ると、外国人のみんなが、「おや、一人でどうしたの?パートナーは?」と聞くので、何が起こったのか、話したら、みんな同情してくれました。その後は彼らと登りました。

でも、なんで、その時その人は、そんな辺鄙なところに行きたかったのか?というと、たぶん、「誰もいないところで、パートナー(私)に登り放題をさせてあげよう」と思っていたのかもしれない、と思うんですね… でも、このやり取りで、そんなことわかりませんよね?ただの嫌な奴です。

その方は私に自信をつけさせたいという気持があったのかもしれない…と思います。ある意味、好意なんですが…。 

でも、うまく行かなかった。

その理由は、その方は自分軸で、相手への問いかけがなかったからです。私は何も聞かれず、問答無用で連れて回られるドレーヤーの扱いを受けていました。

それで、外国人たちが、”救済”に割って入ってくれたほどなのです。誰の目にも分かる、DV状態って意味ですね、いうなれば。

時々思いますが、江戸時代の宣教師たちが平民を救おうとしたのも、そんな封建的な上下関係に虐げれた人たちを客観的に見て可哀そうになり、救おうとした、というのがあったでしょう。

ラオスでは私と外国人の関係は、大名に虐げられている平民の娘と宣教師、そんな感じでした。 

日本人男性は、気が付かずに女性を虐待状態に置いているということです。

■ パートナーと良く相談すること

このような、上から全面的に相手の行動を規定する行為の源泉は、

過剰なパターナリズム、です。それが人によっては

  パターナリズム × 強気 = 俺様思考

  パターナリズム ×  弱気 = 教えないコーチ

として現れます。強気(ポジティブ思考)か、弱気(ネガティブ思考)か、で現れ方が違ってきてしまいますが、結局、本質的に直さないといけないのは、

 パターナリズム → 民主主義 

なのです。 これは、家庭生活でも同じで、パパがすべての面倒を見る、ではなく、子供が成長して来たら、少しづつ、家計の全体像を見せて、子供にも責任を分担していくのが、きちんとした共同運営の家庭であり、自立のプロセス、です。

日本人は、戦後70年経っても、民主主義は、全然マスターしていないので、

  ドレイヤー

を得るのに、クライマー皆が躍起になっているのです。

それどころか、家庭の妻、嫁、主婦というのは、みな、奴隷ということになっています。

私の場合は、20~21歳でアメリカで生活開始しているので、大人となる初期にアメリカ式の関係性の作り方を学んでしまったので、海外のほうがパートナーシップが楽に組めるのでしょう… もちろんですが、外国人でも相手に依存するタイプの人はいます。

佐世保の海軍の兵士と日向神に行ったときは、彼はトポを調べて来ておらず、運転もすべて私が行いました。

しかし、日本人男性とのパートナーシップよりはうまく行く確率が高いと思いました。

おんぶにだっこであることについて、本人に自覚があったからです。九州の人に紹介されて小川山に連れて行った男子にはその自覚はゼロでした。

■ コンフリクトの解消 = 話し合い

日本人でも外国人でも、個人と個人で利害が対立することは当然あります。その際に大事なことは、

話し合って決める

ということで、どちらか一方が引くことを当然視していないということです。

九州では、女性が譲ることを男性が権利視しており、男性の甘えが問題になっています。

一方、女性は、男を立てる、という美化した言葉によって騙されている状態です。これが文化、という言葉で騙されている状態です。これは文化でも何でもなく、単なる女性への抑圧、です。共依存を心地よいと感じている女性の側にも問題がありそうです。

■ 無価値観 と 過剰な自己肯定感の発生原因(因縁)

常に相手の要求が勝ち、自分の要求が満たされない状態…というのが続くと、人は、自分は無価値なんだ、と学習します。

逆に、自分の要求が常に通る環境では、過剰な自己肯定感が膨らみます。

九州で起こっていることはコレだな…と思いました。

高齢化で、ベテランクラスの人が登攀力、グレードというベースで見たときに、登れなくなっているので、相対的に若い男性の地位が上がるということです。若いと言っても30~50代。

5.12が外岩リードでRPできる能力というのは、山梨を含む関東では、特に登れる人、に値するグレードではないです。ごく普通です。

ところが、高齢化すると、ベテランでも、10代、11がやっとというのが普通の落としどころです。そうなると、お前が強いから行け、という状態が常態化する。

こういう因縁で、俺はトップクラスのクライマーなんだ、俺の登りたいところは相手の登りたいところに優先されて当然なんだ、という幻想が生まれるんではないかと思います。

平たく言えば、井の中の蛙化って奴です。九州のクライマーは特にこれに気を付けたほうが良いような気がしますね。

■オンサイトグレードのほうが大事ですよ

とくにアルパインでは、レッドポイントより大事なのは、オンサイト出来る能力のほうで、向上させるならオンサイトグレードを上げるようにしないと、本番では使えないです。

ですから、アルパインのクライマーに対しては、オンサイトオンサイトと口うるさく指導されるわけですから。

しかし、フリークライミングのクライマーに囲まれていると、いくら11前半が確実に登れても、レッドポイントで難しいのが登れないと肩身が狭いように感じる、というのは、理解ができます。同情もしてあげられます。

■ クルティカとククチカ どっちと登りたいですか?

クライミングマシーンだったククチカは、パートナーがバンバン死んでしまっています。

リスク認知をしない、常にポジティブシンキングで、迷ったら行く!という判断のクライマーだったようです。

一方、クルティカと組んで死んでいるパートナーはいません。

あなたはどっちと登りたいですか?

私がクライマーならば、リスク認知がしっかりした人と組みたいです。 




 

2022/12/22

読了 『アート・オブ・フリーダム』 これ一冊でヒマラヤ概要が理解できる

 ■ ヒマラヤの価値ある登山とは何か?が理解できる本

この本は、クルティカの評伝(他者が伝聞で人物を描いたもの)なのですが、ポーランドのヒマラヤ黄金時代や、クルティカ本人のアルパインの考え方、スタイルへのこだわり、思想などもさることながら、

何がヒマラヤにおいて価値がある登山なのか?

という一般山やには、なんか意味が分からないミステリーになっている部分を明らかにしてくれる本です。

たとえば、大体のヒマラヤの商業登山…公募の登山…は、ただユマールで上がるだけで、どうも、足を前に出す体力だけしかイラナイみたいで、そんなのに何百万も出したいと思います?

よっぽど名誉に飢えていない限り、思わないですよねぇ? 高所遠足、と国内でも揶揄されるくらいだし…。

しかし、聞こえてくるのはそういう山ばかり…お誘いが来るのもそういう山ばかり…(と言っても、そういうのじゃない本格的なのが来ても、能力的に困るんですけど…)みたいなときに、やだな~登山の王道がない山、と思ったら…この本を読むといいです。そうよね~!と思うことができる。

例えば、ギリギリボーイズの皆さんや平出和也さんらなど、ごく少数のきちんとしたクライマーは、どうも楽しいヒマラヤの登攀をやっているみたいだし、それはどういう系譜なのかな?と思うと思いますが…この本を読むと、大体、価値ある登山の意味が明らかになります。

メスナーが包囲法で登ろうとしていることが描かれていたり、トランゴタワーをアメリカのヨセミテクライマーにフリーで登れ、と言ったり、ガッシャブルムⅣ峰のほうが、他の〇峰より、難しいこととか…、そういえば前穂北尾根も、2峰とか楽勝でしたよね… 登山許可をどう取ってきたのか?など…ちょっとした豆知識的なことも分かりますし。

クルティカの登山の足跡を追うように描かれているので、読みやすいです。

https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB_%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

晩年、下界のフリークライミングで、ルート開拓とかしているのも、成功したクライマーの王道って感じです。さすがで13Aを含むルートを開拓しています。ヒマラヤニストってフリーはイマイチなのかね?と思っていたら、すごい人はどっち向いてもすごいのみたいでした。

■ 成功したクライマー 山で散る?

山で亡くなる人が余りに多いので、山で散る…がクライマーの成功した生き方なのか?と思ってしまいそうになりますが、そうではない、山でも成功し、人としての成熟としても成功した人生とは、どういうものなのか?ということについて、一つの例を提示している点も興味深いです。

ただ山男は結婚生活はどうもお留守みたいなんですが…。昨今、若いアルパインクライマーはみなさん、家庭を持っており、ほほえましいなぁと、見ていて思っていたりしたのですが、そうれは他人の目からの感想で、自分が奥さんの立場だったら、サイテーの旦那、かもしれません(笑)。クルティカも2度も離婚しています…家庭を顧みない、ということらしい…。

 男性クライマーの皆さんは気を付けましょう(笑)。

 

■ アルパインスタイル、

というスタイルでは、極地法みたいな大勢で登る山はしないのが、最近は忘れ去られているというか… シェルパに工作すべてお任せ、登る人はお金を出して、登らせてもらうだけ、みたいな山になってしまうと悲しいですが、そういう山ではない少人数で、マルチピッチを登る山のスタイルが描かれています。

当時でも、クライマーではなく、トレッカーもいたみたいです。ですよね、海外に行くと、ヒマラヤをトレッキングしてきました…という若い人には、結構良く会います。日本では、なんだかヒマラヤって年を取ってから行くところみたいですけど…。それどころか、登山自体がおじいさん・おばあさんの趣味なのだと大阪OL時代はずっと思っていました。

■ 女性パワー

この本の著者ですが、女性の山岳ジャーナリストです。また、翻訳者も女性。そして、谷口けいさんの言葉が、数か所、箇所引用されています。なんだか、女性パワーを感じます。

ヒマラヤは女性クライマーの活躍もあったエリアですよね。一人友人を思い出しつつ、彼女は元気かな~と思いました。滑落で怪我をしたのち、それから連絡が途絶えてしまっていますが…。

■ 日本の若いクライマー頑張ってほしいなぁ

最後、アマゾンのコメント欄にけんじり君のコメントが出ていました。彼もいい山をする人だったと思いますが…日本のバリエーションルートで小さくまとまっていないで、若い男性はヒマラヤの大きな壁を目指したらいいのかもしれません。まだまだ、未踏の壁はあるのではないでしょうか…。

まぁ、世界的に、冒険は含まれない、スポートルートのほうが流行中のような気がしますが…。

10代後半とか、20代前半の若者に是非読んでもらい、次世代のヒマラヤ、アルパインクライマーに育ってもらいたいなーと思う本でした。

体力一点豪華主義登山とか、グレード一点豪華主義とか、競争主義で、ワールドカップのコンペで勝つのに四苦八苦している場合ではない!って感じです。

人生を楽しまないと、あっという間に年を取って、どこを登る能力もなくなってしまいそうです(笑)。



姉キャラを乗り越える

 『いつも無理してるなと思ったときに読む本』より

■チェックリスト 

  • しっかり者で、一人で何でもできる  ★★★
  • 周りから頼りにされている ★★★
  • プライドはちょっと高めだと思う ★★
  • 人に頼るのが苦手、甘えるのはもっと苦手 ★★★
  • 弱みを見せることができない ★★
  • 考えすぎたり、一人で抱え込みがち ★★★
  • 面倒見は良いが、自分のことは大体あと回し ★★★
  • 「ちゃんとしなきゃ」と思うことが多い ★
  • 誰かのために頑張るのが好きだけど、いつもオーバーワーク気味 ★
  • 「いい女」と言われることが多いけど、あまり自覚はない 
  • 実は男女関係にちょっと自信がない ★
  • いつも誰かの期待に応えている気がする ★★★
  • 自分はちょっと不器用なところがあると思う ★★
  • 肩の力の抜き方が分からない ★

 自己評価 ★出つけました。

■ いつまで頑張れば楽になれるんだろう?

フリークライミングにきて、「いつまで頑張れば楽になれるんだろう…」と考えるようになりました。アルパインをやっていた頃にはありえない…。

フリーってやってもやっても、これで良し!がない世界です… 

”私のこれで良し!” は、”うーん、ロープ屈曲せずにうまい事プロテクション打てたな~”とかでした。

■ リードに進むための基礎力としてのフリー

リードに進むには、基本となるフリークライミング能力が必要です。それが、どの程度のものなのか?というのが、あまり明らかにされないので、どこまで頑張ったらいいか?というのが分かりにくいのが原因です。

私はアイスが一番進んだクライミングなので、アイスで表現するほうが楽なのですが、

Ⅱ級 歩き

Ⅲ級 緩傾斜

Ⅳ級 70度 初心者でもセカンドならその日に登れる

Ⅴ級 80度 垂直

Ⅵ急 90度 オーバーハング 氷柱 

ですが、初心者のリードは、Ⅳ級なので、Ⅴ級が落ちる気配まったくなくスイスイ登れるスキルが、Ⅳ級リードの条件です。たぶん、男子は、そこらは無視して、勝手に登っているので、リードまで進んだ人でも、きちんとした内容のリードではなく、ロープ屈曲しまくりのほっといたら自然にロープドラッグで登れなくなる系のリードのようでした…たぶん、指導を受けていないのではないか?と思われました。

フリークライミングで一般的男子が登れる程度まで一旦クライミングができるようになってから、アイスに来た人は、Ⅵ級は上手なのですが、Ⅳ級が超下手くそで、Ⅱ級で転んでいたりするものです。

同じことが、クラックでも、外岩のルートでもいえ、易しいルート…例:リッジ…で学ぶべき、ロープの配置方法などをきちんと学ばないで、いきなり、自分の能力ギリギリのルート…壁…に挑んでしまうのが、一般的な男性クライマーのようです。(事例:白亜スラブ) 

たぶん一般的男性は、当人が持つ俺はこのくらい出来る、という自己イメージは、本当の実態より大きいような気がします。 

その幻想を壊さない人が男性は好きそうです(笑)。 

■ 私の安全マージンが厚いのではなく、世間が無知

また安全マージンも、わたしは厚すぎるという避難?を受けましたが、私より関西の女性クライマーはかなり厚く、相当登れてもリードではなくTRだったので、九州の安全マージンが薄すぎるというか、古いボルトやランナウトに対するリスク認知が軽薄短小すぎるんだと思います。

それはおそらく事故情報が共有されておらず、どこも事故の情報を集めていないので、結局、ランナウト等で起きた重大事故事例について、大方の人が無知でいるためではないかと思います。山の事故ではなく、岩場の事故は報道ゼロですから。(例:四阿屋でのグランドフォール

■ 起こっていること

私の自分を後回しにする癖という弱点に、ここぞとばかりに、パートナーが付け込んでいると思う。

 ■ 処方箋

1)競争心 → 負けを認める

2)期待 → 自分軸を確立する

3)強がり → 人に与えてきたものをリスト化

4)完璧主義 → ダメでも愛される理由を捜す

5)犠牲 → 誰かのために頑張ってきたことを承認する

6)アイデンティティ喪失 → 相手の魅力を30個あげる=自分の魅力

7)罪悪感 → お恨み帳

8)無価値観 → 頑張ったことで手に入ったことを考える

9)平和主義 → アファメーション

10)理想主義 → 頑張らない選択肢を持つ

11)思考優位 → 体を動かす

■ 予想される不安のリスト

  • 必要とされなくなって、居場所がなくなる
  • ばかにされたり、見下されたりするんじゃないか?
  • 相手にがっかりされたり、「期待外れ」なんて言われたくない
  • 自分がすごく弱くなったように感じる
  • 今までの頑張りが無駄になるんじゃないか
  • 誰からも愛されなくなるんじゃないか
  • ちゃんとしていない自分なんて、何の役にも立たないのでは?
  • 誰も相手にしてくれなくなってしまうのではないか?
  • もめ事が多くなるのは嫌だ
  • 周りから孤立してしまうんじゃないか?
  • 何もしないナマケモノになってしまうんじゃないか? 

■ 『ビヨンド・リスク』を読みましょう

https://amzn.to/3FMPy8X キンドル無料です。

フリークライミングというのは、本来は、アルパインが持つリスクから、フリーって意味で、元々はかなり安全なクライミングのハズです。

一般に、アルパインを引退する年になったら、フリーでお茶を濁しましょうか、という話なのです。

私はその路線で、山をスタートしたのは38歳ですから、あれ?もうとっくに若い時期すぎてる…というので、元が文系女子ですし、ヨガを教えていたくらいですから、体力自慢というわけではないですので… 最初から、あら?アルパインは無理って話だったのねーという感じでした。

ので、冬のゲレンデフリークライミングである、アイスに転進です。コンペに出たのは、師匠の青木さんが、なかなかリードに進めてくれないので、トップロープオンリーなら、コンペにでも出ようかというのが動機です。コンペはリードはないですから。

アイスの場合は、クライマーの中の頭の中の固定観念の方が間違っていることが多く、イケイケクライマーの人は、わざと危険な薄いアイスを登りたがります。

しかし、アイスクライミングは、バチ効きで登るものなので、基本落ちません。かなり安全です。アイスの状態の見極めの力の方が大事です。

まぁ、そういうわけでコンペでたのですが、師匠は私がコンペ向きに登りを変えると、リードしろと言ってきたので、ゲレンデでコンペ向きの練習のハズがリード練習になり、

コンペ向きの登り(安全よりスピードをとる登り)と

リード登り(スピードより安全をとる)

では性格が真反対なので、リード登りをコンペでもする羽目になりました(笑)。

そういうことで、指導者レベルでも、リスクのとり方の幅に差があることを理解していない場合もあると分かりました。コンペも出ないし、セカンドをしたことがない人は安全マージンが薄い登り、が分からないのです。

■ トップロープ登り & ドラツー

トップロープ、すなわち、セカンドで登っているときは、安全マージンというのは薄くていいです。スピード重視です。

リードで登る場合は、落ちたらパーティ全体に迷惑ですから…。時間もそのほうが余計かかるし。落ちるくらいなら、その前にアックステンションしろ、みたいな感じです。

昨日見た平出さんの動画では、ミックス壁で、岩にフッキングできず、落ちているところがありましたが…。 

あれ、ドライツーリングをやっていると、上手くフッキングできるようになると思います。ドラツーの人工壁の方が、外に岩場の岩角に引っ掛ける系のミックスより、数段難しいです。なんせ金属のホールドとか、5mmくらいしかフッキング余地ないのに、滑りやすかったりします… しかも、被りが強烈なので、ツイスト(側体)しないと絶対に登れないです。

またホールドに効く、向きが限定的で、かなり許される体制の幅が狭くなります。鉛直方向に引くだけのアイスとはまた違うテクです。

最後、余談でしたが、雪稜→アイス→アイスルート→ドラツー→ミックスルートという成長ステップは、冬季バリエーションに進むのに有効だと思いました。

ドラツーの人工壁は簡単に安く作れるので、九州でも作ったらいいんではないですかね?

 




カルマを乗り越える

■預金700万円を残したそうです

当代の一流クライマー谷口ケイさんの亡くなった後の預金700万円が、若いクライマーがバリエーションに進むための基金の原資になっていると聞いて感動しました。

山に行くのは、お金がかかる、逆に言えばお金さえあれば俺だってと思って、子供が6人いる人が、おいらだって佐藤祐介と思っていたみたいでしたが、あれってホント情けないなと思いました… 子どもが6人って…普通二人目くらいで気が付くでしょう… ただ欲望に素直にしていただけではないの?って思うからです。

人の死は、今世の学びを終わったところで訪れるとすると、谷口さんは、十分今世で成し遂げるべきことをし終わったために亡くなったのかもしれませんね…

■ クライマー谷口けい 未知の岩壁に挑む

この動画はとても分かりやすいです。現代的なバリエーションは、モノポイント、クォークのダブルアックスで登るようですね。

私も山デビューしてすぐのころは、ほぼ毎日ロープまとめる練習していました…山岳総合センターでは、まとめていないとすぐ怒られます。フリークライミング…つまり、ゲレンデクライミングしかしない人は、ロープバッグがあるので、全然まとめる気配ないですが(笑)。

あれ悪習慣かもしれませんねぇ・・・。無理やり買わされましたが。

■ カルマ= 自分の壁

カルマこそが生命エネルギーだと知って、色々な人のカルマのことを考えています。

分かりやすいカルマの人…俺ってかっけーってカルマの人とか…分かりやすいけど、そう思っていると、全然かっこよくない羽目になっている…。そういう逆転現象を乗り越えて、すっかり、かっこいい俺、を成就するまで、生まれ変わるんだろうなぁ…と思ったりしています。

師匠の青ちゃんは、韓国の超ロングどっかぶりのアイスが…登りたかったけど、怖かったから、私を韓国に巻き込んだんだろうなぁ…とふと直感で気づきました…。そうすると、俺が頑張らねば!みたいなスイッチが入るから。娘さんが大好きで、でも娘は遊んでくれないので、私を身代わりにしたかったんですかねぇ… 

私にとっては師匠すら、弟、みたいな感じでした…。例えば、空港で入国審査に、韓国人のラインに並んじゃって、そっちじゃないよ、って言ったのに、ガンとして譲らず… もう勝手にしなさい!とほっておいたら、やっぱり私があっていて、文句言いながら並びなおしました… 変なところで意地を張って…。男の子は…みたいな感じです(笑)。

私は姉ちゃんキャラなので、男性からは分かりやすいハズです。どうして、いちいち反抗してくるんでしょうかねぇ? なんで私に向っていちいち、どーだ!俺!とやるのか分からない。最初から勝敗がはっきり分かり切っている、女に勝って何の自慢になるのか?なんの競争も成り立たないでしょう…
 
頼られると嬉しい = 頼られないと頑張れない のか?
 
私自身の業は、姉キャラ克服と思って、福岡の残り時間は、それに使うことにしようと思いました。

これを治さないと、基本的にイコールパートナーと助け合いの精神で登る関係性が築けない。
 
■ かっこつけるためにこの世に来たのか?

あるいは、成功するためにこの世に来たのか?
 
かっこつける、成功する、有名になる = 愛される
 
つまり、愛されることが善 ではなく、自分の今世の課題をこなすことが善です。

2022/12/21

おススメ書籍『アート・オブ・フリーダム』

 

https://amzn.to/3V9c5CA

 これは、すごい良書でした。

『高みへの憧れ』でしたっけ?

文登研の登山教科書がありますが…

 登山家の心のありよう

は、あまり触れられない書籍が多い中、この本のクルティカの言葉は、かっこいいです。

お釈迦様みたいな感じです。

お釈迦さまとお金の話は仏教徒には有名ですが…

ーーーーーーーーーーーー

 「そこに、毒蛇がいるぞ。かみつかれぬように」
「ハイ、心得ております」
 
お釈迦様に従って歩いていた弟子の阿難が答えます。

その会話を聞いた農夫が、怖いもの見たさにのぞいてみました。

なんとそこには、まばゆい金銀財宝が、地中から顔を出しているではありませんか。

「昔、だれかが埋め隠したのが、大雨で洗い出されたに違いない。こんな宝を毒蛇と間違うとは、釈迦も、まぬけやろうだ」

農夫は喜んで持ち帰りました。

ーーーーーーーーーーー続きはこちらへ https://1kara.tulip-k.jp/buddhastory/2016121291.html

さしづめ、これを、名誉、あるいはヒロイズム、ナルシズムに置き換えると、いいですね。

ーーーーーーーーーーーー

 「そこに、毒蛇がいるぞ。かみつかれぬように」
「ハイ、心得ております」


 師匠に従って登っていた弟子が答えます。

その会話を聞いたクライマーが、怖いもの見たさにのぞいてみました。

なんとそこには、新品で、残置のカラビナが、終了点からぶら下がっているではありませんか。
ーーーーーーーーーーー

とか…

ーーーーーーーーーーーー

 「そこに、毒蛇がいるぞ。かみつかれぬように」
「ハイ、心得ております」
 

師匠に従って登っていた弟子が答えます。

その会話を聞いたクライマーが、怖いもの見たさにのぞいてみました。

なんとそこには、大ランナウトしたルートがあるではありませんか。
ーーーーーーーーーーー

 そんな感じかなぁ(笑)。

まぁ、私が思うには、登攀能力と匹敵する範囲では、ランナウトというのは受け入れざるを得ないものですが、それでもランナウトを自慢する、というのは、大蛇と同じレベルの煩悩のような気がしますね… 負けてはいけない誘惑、という意味です。

冒頭にクルティカが、ピオレドールの生涯功労賞を辞退するところが出てきます。 誘惑に負けないように頑張るという感じが、よく表れている箇所です。

これだけ頑張っても、山が競争の世界になってしまう…グレードの弊害、ということなんだろうかなぁ…。

まぁ私はクライミングは、グレードではないというような教育を受けたのですが、かといって、アルパインのルート選択ではある程度のグレードの理解がないと、とんでもない不釣り合いなところに行ってしまう…という問題があります。

もちろん、きちんと敗退を前提に行くならば、どんな難しいところでも取り付いても構わないのですが…

その敗退を前提に行くならば…ってのが出来ないと? リスクですね…

敗退を想定しないロープ構成で行くなど、100年くらい早いのかもしれません。

 

まだ、読み始めですが、大変な良書なので、皆さんも是非読んでください☆

山や×オーソモレキュラー栄養医学

 ■ オーソモレキュラー栄養医学

 2月3月にうつ病になり、希死念慮が出たので、はて?これはおかしいと思い、本格的に勉強して、8月には、回復しましたが… こういう風にするのが、クライマーや山ヤ、つまり、強度の高い運動をする人にはいいのではないか?というのが少しあります。

■ 卵  いくら食べても大丈夫

山ややクライマーは、伝統的に、貧乏、で、食事も質素な中で耐えている、というのが定常だと思うのですが…もし、そうだとしたら…

卵はかなりお助け食材です。

古い知識では、卵はコレステロールの原因として一日1個まで制限があったと思いますが、一日1パック食べるみたいな偏食でなければ、卵は

アミノ酸スコア100

で、貧乏な人はこれだけで、一日の必要なアミノ酸・プロテインのスコアアップにつながるお助け食材です。

大事なことは、体重×1g 以上のプロテインを毎日摂り続けることです。でないと筋肉が痩せる。特に怪我で療養中は、卵、です。カロリー制限しても、プロテイン制限してはいけないです。

■ プロテインをとる

毎日、20g×2のプロテインをとるように指導されていますが、私は取れないので、5g×2を頑張っていますが、肉でプロテインをとると資質過剰になります。ので、ホエイプロテインを定期的に取る食習慣があるといいと思います。山にも持っていくのが楽ですし。

■ アルコールを控える

アルコールを飲むのは、ほんのちょっとにして、大量の大酒というのは、エネルギーを生産するビタミンB群の消耗につながるので、山では避けたほうがいいです。

■ カフェインは適量

一方カフェインは、大量でなければ、適量であれば、害よりメリットが多いようです。

■ 炭水化物をとるときはB50とセット

iherbで買えるB50は、800円くらいで、大変おススメです。B50のタブレット1個に含まれるビタミンを、豚肉で摂るということになると、3.7kg食べないといけないなどということになります。

B50タブレットは破格値と言っていい安値ですので、上手く活用したほうが食費節約になります。

ちなみに、神経伝達物質の合成に必要な栄養素は、

プロテイン、鉄、葉酸、B6 

です。メンタルが悪化している、やる気が出ない、という方には、B6タブレットがもし聞けば、ビタミンB不足ということです。B6だけでも購入できますが、価格があまり変わらないので、B50のほうがおススメです。

■ B12

B12と葉酸が欠乏すると、貧血になります。言うまでもないですが、貧血は、アスリートすべての敵。 鉄を補給しても良くならないです。

血液検査をして、フェリチンという数値を測れば、鉄不足がはっきりします。血液検査が健康保険で出来る範囲にフェリチンが含まれていないので、検査するのが大変ですが、前述のB50には、葉酸400、B12 50以上が含まれているので、800円くらいですから、摂り始めて見て、120日後に体調がよくなったら、巨赤芽球性貧血(通称、悪性貧血)だったということです。

血液が更新されるスピードは120日です。なので、例えば、ヒマラヤの高所登山の計画が、あれば、その4か月前から、摂り始める必要があります。

■ 消化力

いくら栄養を摂っても、消化力・吸収力が落ちていては、体からスルーして便になって出て行くだけです…

山やの力の差は、内臓力だ、と誰かも言っていました。内臓の力を上げるには、日ごろから、

よく噛んで、食べる

が必要です。噛まないで早食いがサラリーマンの掟みたいになっていますが、あれをやるとタンパク質の消化ができず、一方で、糖質や資質は普通に吸収されてしまい、消化の面で消極的な、選択になってしまいます。

どうしてもちゃんと噛めない人は、消化用のタフマップを処方してもらうか、漢方の六君子湯を常用して胃腸の働きをサポートするという方法があります。

私は胃腸が弱いので、六君子湯を今取り入れたところです。

■ 低糖質ダイエット

糖質ですが、極端な糖質制限をしなくても、普通に食品から糖質は取れますので、ビタミンB群の消耗を避けるために、砂糖を使った甘いお菓子を日ごろは避けておく、のが良いことのようです。

スタバなどでコーヒーを飲むときは、ナッツをおやつにするとよいです。ミネラル補給ですね。

糖質に偏る食事に体が慣れると、インシュリンを消耗してしまいます。ナルコレプシーではありませんが、意識が飛ぶ、みたいなことがある人は、反応性低血糖、の可能性があります。

現代の低価格の食事だと、高炭水化物食になります。例えば、ラーメン&チャーハン、みたいな食事です。これだと全く栄養価的には価値がないですから、山やは自炊がおススメですが、そうなると何を食べようか?みたいになりますが…

単純に市販のお弁当から、ご飯を全部除去、だけでも価値があります。

その際に、お酒をお供としないように気を付けてください。もしどうしても飲まずには、おかずだけで食べるのは、無理!というなら、赤ワイン、あるいは、ハイボールがおススメです。

日本酒やビールでは糖質と同じことになります。

山のため、と思えば、アルコールなし生活も大丈夫ではないですかね?

■ 運動

運動量が上がれば、それに従って必要なカロリーが上がります。運動=炭水化物、と覚えてもいいかもしれません。

プロテインをとるべきタイミングですが、運動後にプロテインをとるべきという定説がありますが、どこで摂っても、効果があるようですので、まずはプロテインが不足する害、のほうに認識が高まる必要があるようです。

疲れが残って抜けない人は、グルタミン、不足です。これは味の素ではなく、グルタミン、です。

高額ですが、musashiのグルタミンは本当に疲れを軽減します。

■ 発達障害の人

クライマーで、ビレイが出来ないとか、ピンチになると慌てふためくとか、発達障害気味の人は、ミネラルの不足があると思われます。

HSP(ハイパーセンシティブ)の人は、マグネシウム、亜鉛が不足しています。

多動で物覚えが悪く、集合時間を間違えて来てしまうような人は、鉄、亜鉛不足ではないかと思います。

鉄の不足で男性でも、フェリチンが下がれば、メンタル鬱気味になります。フェリチン50以下で、鬱病になると言われており、要求値は100以上です。

私は、5月に測定した時は、21しかなかったので、そりゃ鬱になるよね~でした。

■ 母親の葉酸不足

余談ですが、母親が妊娠時に葉酸・鉄不足があると、発達障害気味に子供が生まれることが知られています。

海外では、菜食ビーガンになっても、小麦に法的に葉酸と鉄が含まれているので、妊婦が葉酸不足というのはなりにくくなっています。同じ理由で高齢者の認知症も発生します。

■ メンタルのビタミン…ナイアシン

ナイアシンは、メンタルのビタミンと言われています。ナイアシンはナイアシン療法という特定のビタミン治療が確立しているビタミンです。

ですので、アスリートに必要というわけではなく、特定の精神疾患が疑われる人に必要です。

ビタミンB50に通常の人に必要なナイアシンは含まれていますし…。

私の場合は、摂ってみたら非常に快調になったので、ベジタリアン歴30年と経歴が長いので、3年ほど続けてみようと考えていますが、普通のアスリートには不要だと思います。

ナイアシンは統合失調症の特効治療と言われています。価格も非常に安いですので、統合失調症気味だったり、気分のアップダウンが激しい、天気痛がある、などの人は、1瓶試してみて、効果があれば、ナイアシン欠乏症だったということです。

光過敏症の人もナイアシン欠乏が疑われます。

■ 山やの強さの源

以前から、山やの強さの個人差は、何に基づくんだろうな~と思っていました。

体力の個人差、ランナウトに耐えるメンタルの強さ、

そう言うものです。若い時に飢餓経験があると、飢餓に強いと言われていますが、基本的には、飢餓は、生命にはマイナスです。ですが、一度糖質が枯渇しないと、脂質を使うエネルギー回路にスイッチが入らないです。

資質と言えば、ラードを持っていくというのは、栄養学的には片手落ちな気がします。資質の代謝経路は、こちらです。

この図にあるようにB群の補酵素がないと回路がまわらないです。最近発見した盲点はクエン酸で、クエン酸回路を回すのに必要ですので、肉料理には黒酢を使っています。

いかにビタミンB群が重要か、ということですので、山に行く際は、日数分のビタミンB50タブレットを持っていくのがおススメです。

幻覚や精神錯乱などは、栄養学で科学的に説明がつく現象です。

藤川医師による症例集 https://amzn.to/3v8DZUC




 

 


2022/12/20

言われたとおりにするのではなく、複数の正解がある世界を教えるには?

 ■ 現代の若者には、核心を教える

以前ロープワーク講習会を主催した時に、成功したやり方です。

1)まず核心的知識を教えます。

ロープワークなら、

 ノットやヒッチの肝は、摩擦、フリクションです、

 元のロープとスリングの径の差=フリクションの大きさです、

と教えます。最初から、奥義は教えてしまう、ということです。

たぶん、昔の教え方だと、その核心ところが奥義みたいな感じで、本人が自ら

ああ、ノットの核心はフリクションなんだ…

と分かるように導いていくというのが王道だと思うのですが、普通の若い人は、そこは答えを教えてもらいたがっています。

そして、教えてあげても、別に減りはしません(笑)。

2)そのあと、その解を使った解決法を 複数出させます。

1+1=2 ですよ! と教えるのではなく

=2 になる 数式は?と問いかけ

 0+2、1+1、2+0 などの複数の組み合わせを発見させます。

フリクションヒッチなら、多数の筆致がありますが、どれが一番自分のロープの組み合わせで効くか?は、道具の組み合わせによりますから、それを色々なヒッチで試すように自ら向かい始めます。

つまり、フリクションヒッチを色々と発想させて、どの組み合わせが一番よく効くか?という風に考え出すと、みんな自分で、あれこれ試してみよう!と生き生きとし始めます。

たぶん、正解が一つである、という日本的教育の害なんですね。間違いがある、と思っているので、自分で試さないのです。

間違いはないんだよ…というのが分かれば、若い人も色々と試し始めます。



I Spent 3 Years Alone Building A Log Cabin

羨ましいな~と思いました。このようなことが可能になる肉体能力があることが実際羨ましいですし…。私はアイスアックスは振り下ろせても、木こりのアックスで、溝を掘ってたら、永遠に時間がかかって無理と思いました。チェーンソーがあれば、なんとかできるけど…。

この動画にあるように、本来はログキャビン一個くらい、17歳の若い男性が作れるのは当然ってことです。

なので、チェーンソーがあるなら、誰でもと言っていいレベルで、皆が作れるはずですね。

なんか登山のレベルがどんどん下がって行って、人間の能力が低くなっていることとダブって見えました。

良きメンターを持ちましょう

■ 良きメンターを持ちましょう

私は、アドバイスは偏らないように、何人かに聞くことにしています。しかし、答えるにはそれなりの経験値がいるので、誰も聞ける人がおらず…。

そういえば…と思いついて、登山の専門サイトに聞いてみました。

すると、めんどくさがっているだけの答えが返ってきたのです…。

それできちんとしたメンターのありがたさが本当に身に沁みました。

改めていつもありがとうございます。

■ 山に向き合っていない人は、答えられない  = 聞く相手を選ぼう!

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山〇井さん、坂〇さん、横〇さんたちは、私が聞けば、ちゃんと答えてくれます。
私は山に真摯に向き合っている人はそういうものだと思います。

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■ ただ年配というだけで、若い時に冬壁をしていないと答えられない

昨今は、年を取ってからインドアの人工壁でフリークライミングに接して、若い時に冬壁の経験がない人でも、そうなると指導者側に立つことになってしまうという欠点があるのかもしれません。

あるいは、昔から冬壁していても、現代のフリークライミング力を基礎力としたものではないかもしれません。

現代のフリークライミング能力って言っても、人工壁だけの人は偏っていますし…。コンペ上がりの選手が、トップクラスのフリーが登れても、おそらく冬壁は登れないのではないでしょうかね?それは因数分解がおろそかだからですが。

どちらにしても、師匠任せ指導者任せにせず、自分の感覚で置き換えて、リスクを因数分解して、自分の足りない能力をきちんと判定する必要があります。でないと、現代的に記録とは言えないようなものを、堂々と発表して、どーだ!という顔をしてしまうという恥ずかしいことになってしまいます…

指導する側も、きちんとしたアルパイン教育は受けていないのかもしれませんから、

そうなると、ロープクライミングをするにあたっての、

適切な関係性の築き方

を適切に初学者に指導するのは出来ないのかもしれません。

そうかもしれないと考えるのは、ただのリスク管理であり、失礼ではありませんから、複数のソースからアドバイスをもらうのが良き事でしょう。

■ 適切な関係 = 天国の三寸箸

私が想像するには…なのですが、ロープを出す基準というものは、バディ、このパーティがどんな関係性で登るか?ということに最初につながっていきます。

そして関係性こそが、山での安全をつかさどる大事な要素です。

互いに思いやる姿勢で登っているということが大事だということです。

地獄の三寸箸と天国の三寸箸の話を知っているでしょうか? 両方とも、同じ三寸箸なのです。

ビレイはかわりばんこ、行きたいところは代わりばんこ、人のギアを当てにしない、人のパートナーをとって行かない、粋がりで山をしない、怖がっている人にリードを無理強いしない、山は弱い人を基準にする、トポを調べる、天気を調べる、レスキューは行く前に行う、などの基本的なルールは、余りにも当然で普通の事なので、誰も教えてくれないかもしれません。

しかし、K2などの登攀の記録を読んでも、基本的には

 自分さえよければいい (自分はもっと行ける、登頂したい、という奢りによる執着心)

 ほかのパーティがいるから、何とかしてもらえる 

という2点が、大体、事故の原因です。

エゴへの執着と、他者への依頼心を手放す練習と思って山をするのがいいのではないでしょうかね?


2022/12/19

サチさんの動画 グレードについて

 

安間サチさんの動画です。私はゾーンのために登っていたので、共感。クライミングくらい強度がきついことをしないと集中できないという人は現代では多そうだけどなぁ…。ADHDの人でも、多動の人でも、命がかかるとなるとちゃんと集中しますから。特にスラブだと集中力の勝負っぽいクライミングです。 

 

発音が間違ってる。ドスエイジではなく、ドーセッジ、つまり、用量って意味ですが…。https://www.merriam-webster.com/dictionary/dosage 

海外に行きたい岩場を見つけるのに、良い動画だそうです。ご参考に。

■ グレード

グレードについて、最後に言及があります。

グレードはグラデーションに過ぎないという風に説明しています。プライドやエゴと絡めると、グレードってめんどくさくなりますね。

山野井さん動画集

 

 ■ 今世の課題

仏教的には、今世は、肉体という制限を得て、その制限の枠の中で何ができるか?ということを確認しているのが人間界の在り方なので、失敗しても次ちゃんとできればいいか…と捉えて、命に執着していないことは、非常に仏教的なことのような気がしますね。クライミングで阿羅漢になったのかなぁ…山野井さん。

私は、男子の粋がり、とか、クライミングについての無知、とか、こちらの親切心に付け込んだ俺さえよければパートナーはどうでもいい、というような低レベルの感情で、私の命が絶たれる羽目になるのは、今世の命の無駄遣い、だと思いました。命への冒涜、です。

そんな無駄遣いをしたら、仏教徒の場合は、次は人間界には生まれないかもしれないです。 例えば、初めて三つ峠に行って、いや簡単だというので、ロープ出すのを端折って、落ちて死んだ、という若者とか、人間界に生まれないかもしれません。一方的に喰われるだけのもの…動物…に生まれ変わる可能性が強い気がしますね。

阿弥陀北稜に大学山岳部で行って遭難して死んだとか…は、次の生では、執念深く記録的登山に向う人に生まれるかもしれませんが…。死んだときの気持ち次第ですかね…。業、カルマというのは、量子力学的なエネルギーで、念と言ってもいいかもですが、人が持って生まれるものです。

 

  

ジョン・ロスケニーさんは、こちら。 https://en.wikipedia.org/wiki/John_Roskelley 

https://youtu.be/H7YRGyc58-k

■ 喜びが半減

単独行について、誰かと行くと喜びが半分になるとおっしゃっていましたが、私の台湾単独クライミングとかはそうですね…。大体の人が海外岩場に連れて行っても、こちらが世話を焼く側になるので、自分の山の喜びが削減されちゃうので、誰かと行きたくないって感じなのです。

最初は連れてってもらっってホントに良かったなって思ったインスボンも、なぜか最後は引率のお母さんみたいな感じでした…(涙)。アダルトチルドレンであることで自己責任率200%になってしまうのは、私の精神的な欠落かなと思っていましたが、山野井さんも同じような半減するのが嫌だという気持ちになることがあるそうなので、人間力で劣る私がそう考えても、仕方ないよねと思いました。 

シルヴィア・ヴィダルさんはこちら。https://youtu.be/5SHphKS2ILs

 沢登りでルートファインディング力をつけるというのは、あっているみたいですね。

 

 

■ 質問力があるインタビュアーがいない

Q)若い人を応援したい気持ちはあるか? → A)応援しなくていいんだと思います、やりたいクライマーは突き進むんです。

無理やり登らせなくていいんで、応援っていうのも、どうしたもんかと思いますよね…。

”大体、登りたいです、教えてください”とか言ってくるクライミング歴2年で5.12登れますっていう新人クライマーが、トポも見ていないって、どういうことなんでしょうかね? ほんとに登りたいのか!?って感じだよ。

この動画では、せっかく偉大なクライマーに質問ができるのに、なかなか的確な質問ができる人がいないってことが分かりました。

■ リスクに敏感=集中力

偉大なクライマーが偉大たる理由は山の様子(リスク)に気を配るのが、ものすごく得意だから、ということでした。

私も同じで、このまま歩くと夜になるとか、おかしいなホントは左から沢の音がしないといけないのに、なんで右からするんだろう?とか、みんなより早く気が付いてしまいます。

山野井さんは集中力と言っていましたが、私も一人で歩くのが好きなのは、そういうリスクに集中を途切れさせないで、気を配っていれるからで、おしゃべり登山者とかと行くと、おしゃべりに付き合わされるので、アブナイ… 道を踏み外す。

オジサンと行くと一方的に聞き役しながら、あ、こっちですよ、とか言わないといけなくなるので、これもなんだか…というので、一人で歩くのが好きです。体重の重たいおじさんが私の後ろで転ぶと私は突き飛ばされる可能性があるので、男性は登りは私の前で、下りは私より先行でお願いしたいです。

ともあれ、集中力があるという言い方をすると、ポジティブに受け取ってもらえそうですね(笑) 。

■ 山野井さんらしい山 = バフィンアイランド

またバフィンアイランドのほうが山野井さんにとっては、かなり重要な冒険だったことがうかがえました。 

ピオレドール賞を受けても、フランスへ招かれて行っても、なんかインタビューに答えないといけないというのが、ノルマちっくで、ちょっとお気の毒な感じもしました。