2022/12/26

マウンテンバイクで使われていない道の価値を再構築する!登山におけるクリエイティブ性とは何か?の研究

■ 思ったより疲れてなかった

昨日は、MTBの大会に出ていました。研究のためです。

しかし、右膝の脱臼の後、2年もきちんとした運動をやれていない…クライミングでボルダーに行くのは危険極まりないし、ヨガの仕事は蓮華座を組めない…というので、仕事でも運動習慣を失いました。

また栄養欠損で鬱…作った筋肉も失いました…ので、体がフレイル化している自覚があり、筋肉痛でヤバいかもしれないと恐れていましたが、思ったより大丈夫でした。と言っても、明日辺りに来るのかもしれませんが…(笑)。

近所の温泉に入ろうと2件もトライしましたが、一件は廃業、一件はすごい混雑のようだったので、帰宅後、速攻でお風呂に入りました(エプソムソルト入り)。とりあえず、今日もあまりくたびれていないようです。

■ 自分を知る

ルートのクリエーションのほう、どうルートを設定するか?というほうが、私は、レースよりも興味があることが分かった。

■ マウンテンバイクの特性

マウンテンバイクは、実際は登山で使うような山の中を走るものではなく、どちらかというと登山の等級では、価値がないとされた道を使うものです。

UIAAのⅡ級、つまり、平坦な道、を徒歩より素早く走り抜けるためのものです。登山で楽勝のⅢ級(一般登山道)の道すら、マウンテンバイクがあると、もう担いで上がらないといけなくなり、バイクがないほうが楽です。Ⅳ級(鎖場レベル)なんて、とんでもないです。

ちなみにクライミングはⅤ級から上(ロープが必ず必要)の事です。(マウンテンバイクでも、降りる方はⅢ級までは行けます。周囲が切れ落ちていないなど、条件が良ければⅣ級程度まで降りれる男性の強いライダーはいるかもしれません)

そういうことなので、マウンテンバイクで走れる 

  ”自然の中の道”

というのは、いわゆるハイカーが嫌がって誰も来ないような道、です(笑)。

■ 事例

これは昨日使ったルートの 一部ですが… 読図で、この地図内の

 黒実線の道

のようなのをたどります。黒実線がたくさんあって、道路が近い=目の付け所、のようです(笑)。

時に車道や、白い実線レベルの道を使い、スタートとゴールへループ状にコースにまとめる。

この道の選択や構成にクリエイターと言われる人のセンスが現れるのだそうです。

■ 登山価値のない道

里山の登山に行くと、よく登山道以外に、この道どこへ続く道なのだろう?というのが出てきますよね?大抵は、どこにもつながっていない道ですが、たまに地元の人が使っている道で、ほかの道と繋がっていることがあります。そういうのをつないでコースにします。

私は甲府時代に、裏山の愛宕山では色々な地図に載っていない道を知っていました。

そのような道をつないで、自転車で約25㎞ほど走るというのがレースの概要です。自転車で行く場合は、

  乗車率の高さ、

が、ルートの良しあしの判断基準となるそうです。

この地図の◇のところは、道がループになっているのをたどると、間違いで、その先の北上するのをつなぐと、この地図にはないですが、尾根道に出ます。大体登山でも顕著な尾根には必ず踏まれた後がありますよね。あれは、みんなが楽しく遊んだ後だと思うのですが。

この地図で、鉄塔のマークをまるで囲みましたが、高圧線の場所とは離れた位置に鉄塔が出ています。

登山における読図との差は、登山では、ピーク、尾根、谷、コルを読む、ということになりますが、マウンテンバイクで使う道は、里山の人工物が多い道なので、記号と現実を照合する、のが多いことです。もちろん、傾斜が読めたら助かります。等高線一つで10mですが、マウンテンバイクだと、10mの登りも、12,3kgの重し付き、ってことです(笑)。

自転車が得意なのは長い下りかな…

■ 里山はあまり好きでないけど、探検は好き

私はずっと以前から、ちょっとした里山のすそ野の、誰も来ないようなところに道がついていたりするのを、へぇ~おもしろいなーと思うような人でした…。

夫とも甲府の愛宕山周辺を探検して楽しみました。筑紫野の暮らしのころは、よく近所の川辺を散策に行っていました。

福岡は、都会すぎて、そのような身近な、普段着の探検がない…。出かけた先に小さな発見、近所の野良猫道、発見!みたいな路線というか…。そういうものが、大都会は、街ビルでありますよね、裏路地に店があって、へぇ~とか。そんな感じの知らないことを発見するのが好きな子供でした。たぶん、じっとしていてほしいという母親の都合に合わせさせられてきたからだと思うのですが。

■ トレーニングギプスのマウンテンバイク 

マウンテンバイクは前述のようにちょっとした坂ですら、筋トレマシーンです(笑)。

今回は、風邪気味?だったので、やたら登りがつらく、初心者だけのツーリングクラスに参加しているのに、置いて行かれそうになる…ので、おかしいな?と思っていたら、下りでも皆に追いつけなかったので、はて?これは自分の体力低下だけの話ではない、おかしい、というので、途中棄権して、読図でスタート地点に帰ったのですが…。

車道をヨレヨレと一番軽いギアにして漕ぐ私を、大会スタッフの方が心配して、車から応援…なんか、感動の名シーンやってるよ??と思っていたら(笑)、なんと、最後の1㎞くらいのところで、後輪がパンクしていることに気が付きました…。

スローパンクチャーってやつです。パンクだから、スピードがまったくでなかったのね…と分かりました。

もちろん、トレーニング不足というのも純然とした理由としてはあると思うのですが。他に、考えられる要因としては、まだ悪性貧血が全快ではないのかもしれません。葉酸とB12は充足したとしても、女性の場合は慢性的に、Fe の不足があると思うので、そろそろそちらに取り掛かるタイミングかもしれません。Siboはだいぶ良いのではないかと思うので。

今回は、途中棄権したので、より一層

 車の走る道と、クリエイターが用意した里山の見捨てられた道の差

が分かりましたが、

見捨てられた道をうろうろするほうが、植林の中だったり、竹林の中だったり、ため池の堰堤の上だったり、なんだかんだで変化に富んでいます。

車道を走ると、店しか発見がないですね。あるいは、神社だの、人が作った人工物です。つまり、

 車道=店、見えるものみんな人工物

ということが分かった。車道にいるだけで、人は目に入るものに対して、先入観を持たざるを得ない宿命にあるということです。

車道から離れてみると、資本主義社会から、切り捨てられた様々なもの…が、ほこりをかぶって、誰か見出してくれる人を待っています。例えば、竹林、ため池、ブルーベリー農園、イノシシの罠、高圧電線の鉄塔…そのために苦労して付けられた道…ということです。

■ 好奇心

 こっちに行ったら何があるのかな?

という程度の好奇心が満たされることは、非常に幸福なことなのだ、と思いました。

これは、アーティストデートと言われるものだと思います。https://torinoweb.work/2022/04/25/spiritual003/

これからは、うろうろしてみようと思ったりした大会でした。私の家の近所は、あまりうろうろし甲斐がある場所はなく、ちょっと郊外に行かないと、出かけて楽しい場所はないようです。

■ 町でも楽しかったサンフランシスコ

そう言えば、私は1年いたサンフランシスコでは、6回も引っ越しました…(笑)うろうろして、町の中を知り尽くすのが楽しかったんですよね。

そう言う風にウロウロするのが、私の言葉で言えば、

 探検、

です。

■ アルピニストやアルパインクライマー とは?

こうしたことに照らし合わせると、

一般にアルピニストと言われる人たちは、高所登山の手段(酸素ボンベ、シェルパ、スポンサー、広告宣伝)という手段を使って、このウロウロを、高所で行う人たちなのでしょう。

山野井さんたちのようなアルパインクライマーは、ロープが出るレベルの登攀、山に対するリスク認知力、気象や天候のスキを突くことができる機動性、スピード、寒冷に耐える肉体能力の高さ、などによって、登頂を成し遂げるというゲーム…を行っている人たちの事でしょう。

もちろん、一般登山者レベルの肉体能力でも、すでに踏み固まれたところを道標に導かれた山をするのではなく、読図によって進んだり、沢の道、岩の道、氷の道、など、様々な要素が易しいレベル…5.7~5.9…であっても含まれた、

 オリジナルなルート

をたどることは可能でしょう。

既存ルートの踏襲に踏みとどまっているだけでは、全然、創造性というのは開発されません。

つまり、主体性=創造性、なのかもしれませんね。

つまり誰かがここを歩きなさいと言ったところだけを行くというのは、創造性はゼロですね。クライミングの課題でも、同じです。

そうではなく、創造性を発揮するには、

 自分の計画で自分の道を作る、

ということです。それは既存ルートの組み合わせでも、そのクリエイターの思想、設計というのはうかがえます。

私のパートナーたちの立てる計画は、パートナーの私を考慮せず、自分の喜びを最大化するだけのものでした…

■ 大人だった…

昨日は、私は、病み上がりから久しぶりだったので、遠慮してツーリングクラスに参加したのですが、ツーリングクラスですら、足を引っ張る有様でした。

なので、ちょっとしたご褒美が用意してあるポイントまで遠い段階で、だいぶ時間を浪費させたので、皆さんに申し訳なかったのですが、誰一人、

「迷惑なんだよ」

って態度の人が、いなかったのが驚きでした…というか、そのことに驚いている自分にも驚きですね… どんだけ悪環境で今まで登っていたのでしょう…。これが普通の大人社会なんだな~としみじみとしてしまいました。

現在、クライマーが登っている環境は、非常に雰囲気が悪い環境みたいですね…。

最近、山岸さんのテレビで、東野さんがワイドクラックに挑戦するという企画がありましたが、あとで記録を調べてみると、私は昇仙峡のワイド5.9+を2日目で登っていたようなので、あれ?と思いました…もうほんとに、

 登れない人扱い

えー、これくらい登れよ、みたいな扱いを受けたのですが、そんな扱いを受けるほど、ヒドイ状態ではないような気がしました。経験値・体力・技術ない割に、よく頑張っていた方では…?

まぁ、周囲の期待が高すぎるという害があったのかもしれませんが。

今回の仲間は、これが普通の大人集団なんだな~と思いました。人間性回復です。

実はパンクだったので、最後の1㎞くらいから、自転車を押す羽目になり、その際、地図上でチラッと近道が見えたので、車が通れる車道を離れたのです…すると、ゴールに到着後、大会スタッフの方が心配して、

「いなかったね、すれ違ったかな」

と声をかけてくださりました… 。びっくり!なぜ驚いたか?というと、平地で迷子になるとか、クライマーの場合ありえないので、どうせ一人で帰れるでしょ!と、怪我しようが、なんだろうが、放置されるのが、クライマーの常識って感じだからです。

実際、岩場で墜落して怪我したクライマーを、偶然見たときに、全く関係ない通りがかりの私が介抱して電車に載せ、大阪駅まで随行しました…同じ会の人は、見ず知らずの私にその人あずけっぱで、自分は岩場に帰ってしまいました…。

私も岸良の岩場に行ったときは、肉離れをしたのに「それは困る」と言われ、福岡に返してもらえなかったし、自分で4時間運転して帰還しました…。

転落して頭を打っているのに駐車場に着くなり、じゃあね、と放置されたこともあります。

つまり、クライマー界は、血も涙もない世界みたいですね…。

私もそれに染まっているかもしれないので、気を付けようと思いました。

■ さて、仏教の話です

私は、仏教的な善行為を積み上げる人生を生きていたいので…

何が善行為で、何が悪行為か?

ということに興味があります。仏教で教える善、は、俗世間の善行為とは時に、だいぶかけ離れています。

自然界の不思議を発見することを、センスオブワンダーと言いますが、これは、ただの無知の表明だったのかもしれません。

ただ山の中で朝日が昇るのを見たり、夕日が沈むのを見ると、人の人生が何万年も生死を繰り返してきたように、自分自身の命や、生活の日常が、些末なことに思えてきたりします。

それは、非常に良い悟りの感覚ではないか?無常の味わい方ではないか?と思うのですが、どうでしょうか。

暫くそういう気持を味わっていないので、山に出かけて朝日を見る、という活動は再開したいかもしれません。