2022/12/27

リードへの移行は啐啄同時

■ 早い段階でリードをとらせる害=アルパイン教育をフリークライミング教育に持ち込む害=俺様思考

かもしれないと、ふと気づきました。


アルパインクライミングでは、ザイルのトップは責任が重い(トップは落ちることは許されない)

セカンドにもトップの立場(や苦労)を分からせるために、易しいⅢ級やⅣ級でリードさせる


簡単なので、ザイルトップの責任感が分からない & 簡単なので大ランナウトが普通


意図は先輩の立場を分かってもらうことなのに、意図に反して、えー?こんなのも登れねぇの?と言うようになる


 ランナウトの危険は認知できないクライマーに育つ

もしくは 認知したとしても、やせ我慢して登る

ランナウトに耐えることがリードなのだと誤解する

その価値観を、フリークライミングに持ち込む

↓ 

自分もそういう教育を受けたのだからと、他の人にリードを強いるようになる

怖いもの知らず&ロープの配置が悪いクライマーが出来上がる

 

例:ダブルのロープは使い方をマスターしていない、あるいは、すぐロープスタックするようなスリングもしくはカム配置なのに、登りながら気が付けない、など…

…と、こういう機序になっているような気がします。

というのは、

 RPグレードの高さと実際の岩場での行動がミスマッチ感

がある男性の先輩がいて、その方の記録にふとめぐり逢い、え?というドえらい早い段階で千波の滝をリードしていたからです。

その方のアイスクライミングのムーブは、私よりも洗練はされていなかった…師匠の判定です…ので、ふと思いました。

私は師匠からリードのススメを貰ったのは、6級の氷柱がスイスイ登れるようになってから、です。

4級は最初から楽勝(ザック担いで登りました)でしたが、広河原沢左俣ですら、リード許可下りず。リードはしていますが、と言っても、本当に初級のところでした。5級の氷を登っていた程度の時は、私は醤油樽の滝は、段々で立てる(レスト出来る)ので、リードできるのではないか?と思っていましたが、師匠は嫌がっていました。許可はおりませんでした。

■ 男女差?

男性と女性でリードしていいよ、という許可が与えらえるスキルレベルは違うのかもしれませんが…。

つまり、男性は薄いマージンで、女性は厚いのかもしれませんが…。

それでも、初期から、リードしろ、の圧力があるのは、良くない教育方針のように思いますね…

もちろん、依存心があるのは良くないですが、かといってリスクを小さく見積もるクライマー…つまり、慢心があるクライマーってことです…は、クライマーとしての基本能力開発に失敗している。リスクは適切に見極められるように育てないといけません。

男女差より、個人差が、高所への恐怖心には大きいです。私の夫は、私より当然、体力も上で、筋力も強いですが、高所は怖がって全くダメです。

■ 啐啄同時

そったくどうじ、は、卵が孵るときは、内側から殻が割られる、という意味です。

卵が孵化する瞬間を待たず、外から卵の殻を割ると、中身の雛は死んでしまいます。

リードもそのようなものではないかと思います。

つまり、本人が自信をもって、リードに進みたいと思い始めてから、進ませるということです。

なんせ最近の人は、インドアジムでスタートしているので、

 支点の強度を疑うことがなく

 すぐ落ちることを是としており

 すぐにダイナミックムーブを使う

のです。これでは、日本の支点が40年ものの外岩で安全に登れるはずがありません。外岩リードでは、

 支点の強度がヤバい、

 ランナウトしているので、落ちていい箇所と悪い箇所がある

 ダイナミックムーブは使ってはならない

というのは、教えないと彼らは自発的に気がつくには、何年もかかるか、もしくは事故ったり怪我してから、ということになります。 

外岩では、墜落NG、テンションOK、です。

■ 自分の育てられ方は間違っていたな…

私の教育は、アルパイン流の教育で、最初の確保は雪上ですし、三つ峠なんて2度目からリードしていましたし、西湖の岩場のアイゼントレのところは2度目からリードでしたが、考えてみるとⅣ級のところなので、まあ、いいか、と今では思いますが、現代のアルパインクライミングは、フリークライミングを基礎力とすることを考えると、やはりフリークライミング流の教えられ方のほうが良かったなと思います。

あのタイミングでは、支点のことを学ぶべきだったなぁと思いますが、教えられたことはなかったように思います。なにせ、落ちないので、支点の存在価値希薄だからです。

落ちないところでは、支点の強度の大事さ、というのは身につまされないので、身につかないです。

だから、フリークライミングの時代に変遷しても、スポートルートなのに支点がボロイことを受け入れるような、そんなクライミング文化になってしまっているのではないでしょうかね?

■ リッジの古いリングボルトやハーケン

日向神でも、残置のハーケンやリングボルトが残っているリッジのルートがありますが、

「これ、ボルトにするべきと思う?」

と聞かれ、返事に窮しました。

いや、あれで落ちる人、いないですよね…みたいなルートだからです。どう考えても25kNの強度のボルトは、オーバースペック。

一般登山者でも、普通の人は、まず落ちないレベルです。もちろん、左右は切れ落ちているんですけど…。怖い人は来ないですよね。なので、リッジが好きな人というのは、ある程度、

 高度感(見せかけのこわさ)は平気で、本当に落ちるリスクだけを怖がる人

です。

アルパインクライミングでは、見せかけのこわさと、本当のリスクを切り分ける能力が必要です。

例えば、甲斐駒の黒戸尾根って、私にとっては転滑落するようなところあったっけ?くらいな登山道で、難易度的にあれで怖い人には、アルパインのルート無理では?と私には感じられましたが、それでも、一般山岳会の会員レベルの人たちでは、落ちている人いますよね…。男性でもです。

さらに言えば、スリップというのは、本人の意識で防げるか?というと防げない。

Ⅱ級のアイス…つまり、凍った平坦なところ、って意味ですが、それで転ぶ、”6級アイスはすいすいフリークライミングのムーブでこなすクライマー”なんて、なんぼでもいます。

スリップ時の保険という意味のロープと、フリークライミングのロープの意味は全く違う。

それにも関わらず一緒に理解されているのが、事故多発の思想、なのではないかと思いました。

■ ロープの意味の違い

フリークライミングの場合は、ロープは頼れる心のよりどころ、って感じです(笑)。ロープが信頼できるから、つまり、ビレイヤーが信頼できるから、ツッコむ勇気が出る、って話です。ロープが信頼できない=登れない、です。

アルパインクライミングの場合は、ホントにただの保険、万が一の保険なので、使わないで済むのが成功の証です。

その意味の差を教えそこなうのが、

アルパインの論理で、フリークライミングを教える教授法スタイル、

という気がします。

結果として、

イケイケクライマー & 無謀を自慢してしまうクライマー

が出現してしまうのでは? 

それを40年ものの支点でやると、ロシアンルーレット状態です。

こう考えると、イケイケの方、無謀の方、天国に一番近い男と言われて誉め言葉だと考えてしまう方は、

失敗した教育の被害者

なのかもしれません。

つまり、本来は、しばらくセカンドで登って、ランナウトの危険や、自分の登攀力と課題が要求する登攀力がミスマッチしないように分かるようになってから、リードに進むのが良い(そったく同時)が大事なのに、そういう風に育てられず、急かされて育てられ、

他の人にも恐怖心を乗り越えることがクライミングゲームだ

と無理強いするようなクライマーに育つ、ということです。

■ 怖くないラオス

なんせ、私ラオスでは全く怖くなく、たった2週間で一年分くらい成長したんですよね…

それだけ日本での環境がストレスフルで、私の成長を妨げていたということです。

九州のクライミングカルチャーでは、甲府時代より、さらにストレスフルになったので、ここではクライミングで成長することは冷静に考えても、無理ですね。

  野岳よ、お前もか…のボルト。カットアンカー… 早くリボルトされませんかね? つまり、九州ではきちんとした開拓者でもカットアンカーだったってことです… 安物買いの銭失いどころか、安物買いの命知らず、ってことになっています…