2022/12/23

クルティカ尺度 …同行者が一人も亡くなっていないこと

 『アート・オブ・フリーダム』が余りに良い本だったので、みんなに読んでもらいたいと思い、あちこちに貸そうか?と声をかけたら…このような回答を貰いました。

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アートオブフリーダムは即買いました。私のクルティカの評価は、同行者が一人も亡くなっていないということです。ククチカは同行者が何人も亡くなっています。

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■ 山岳会の評価指標…会員が死んでいるか?どうか…

日本人は山での死を美化していると私は思うのですが、自己責任に由らない死をも、仕方がないとして受け入れているような気がします。

ただの不注意、不勉強、に寛容ということですね。寛容と言えば、聞こえはいいですが、反省していない、ということです。

子どもたちの行動改善の研究をしていて、平凡なサッカー部が強豪に育った事例が出ていました。そのサッカー部では、ミスをしたときに、「なんでそんなところでミスるんだよ」と言い合って、雰囲気が悪くなっていたそうです。それを、「ドンマイ」に変えたところ、雰囲気は一転して良くなったのだとか…。その後、それだけでは、行動改善につながらないことが分かり、さらに「で、次どうする?」をくわえたそうです。この次どうする?が加わって以降、強豪になったそうです。

つまり、失敗を気にしないだけではダメで、失敗から学ばないといけないのです。

「ドンマイ」+「次どうする?」です。 日本のクライミング界に足りていないのは、これのような気がしますね…。

■ 山岳会のありよう

このように、同じチームでも、ありよう、で、よくも悪くもなります。

クライミングの場合は、ありよう、で、相手を殺したり、自分を殺したりしてしまいます。

その”ありよう”、を 私自身も含めて、学んでいくのが、クライミングであり、登山という活動だという気がしますね。

■ クライマーの心のありよう

アルパインのルートで、必要もないのに、残置を掴んで落下した、とか… これは良くないありよう、です。アルパインルートでは残置を信用してはいけないということは、よく知られています。

北鎌尾根に初心者を連れて行っているのにロープを出さないとか…それも良くないありよう。その方は亡くなったそうです。これは会山行です。

40年前のカットアンカーで、止めてあげるから、落ちろ、落ちろというのも、ダメです。ボルトは破断寸前です。

そもそも40年もカットアンカーを使っているのが、ありようとしてダメです。時代はとっくの昔にグージョンです。

パートナーが肉離れしたのに、医者に見せるのに、帰してあげないとか…

応急処置もなしとか…

あるいは、 怪我をして痛がっている人を登らせるとか…

いきなり初対面で相手の力量も分からないのにリードさせるとか…

必要なところでロープを出さない、相手の登りたいところを登らせない…etc etc... 

パートナーシップ破局は、自分さえよければいいというエゴ、あるいは、俺様という男のエゴから発していたような気がします。

■ エゴ > 危険認知

エゴが危険認知に勝った場合に、たぶん、山で遭難やクライミングの事故が起こるのです。

そう言えば、ラオスに行ったとき、パートナーが、ちょっと遠いエリアに行きたがったことがありました。そこは、5cや6Aが多く、彼の登るグレードよりは少し低かったので、不思議だったのです。おそらく私に登ってほしかったのでしょう…

ラオスの岩場は平地なので、アプローチシューズではなく、みな大体、クロックスやビーチサンダルなんですが…その時、はいていたクロックスでは、山道の四級で歩けなくなってきたので、「〇〇さん、この道、この靴ではダメみたい」と引き返すように声をかけました。そこ、ルートがあっているか?も不明で、たどっていたからです。

すると帰ってきた返事が…。「私の靴は大丈夫だ」でした…。いや、こっちの靴がダメ、私が危険にさらされてしまう、という話なんですけど…。

それで、一人で結局引き返しました。岩場に戻ると、外国人のみんなが、「おや、一人でどうしたの?パートナーは?」と聞くので、何が起こったのか、話したら、みんな同情してくれました。その後は彼らと登りました。

でも、なんで、その時その人は、そんな辺鄙なところに行きたかったのか?というと、たぶん、「誰もいないところで、パートナー(私)に登り放題をさせてあげよう」と思っていたのかもしれない、と思うんですね… でも、このやり取りで、そんなことわかりませんよね?ただの嫌な奴です。

その方は私に自信をつけさせたいという気持があったのかもしれない…と思います。ある意味、好意なんですが…。 

でも、うまく行かなかった。

その理由は、その方は自分軸で、相手への問いかけがなかったからです。私は何も聞かれず、問答無用で連れて回られるドレーヤーの扱いを受けていました。

それで、外国人たちが、”救済”に割って入ってくれたほどなのです。誰の目にも分かる、DV状態って意味ですね、いうなれば。

時々思いますが、江戸時代の宣教師たちが平民を救おうとしたのも、そんな封建的な上下関係に虐げれた人たちを客観的に見て可哀そうになり、救おうとした、というのがあったでしょう。

ラオスでは私と外国人の関係は、大名に虐げられている平民の娘と宣教師、そんな感じでした。 

日本人男性は、気が付かずに女性を虐待状態に置いているということです。

■ パートナーと良く相談すること

このような、上から全面的に相手の行動を規定する行為の源泉は、

過剰なパターナリズム、です。それが人によっては

  パターナリズム × 強気 = 俺様思考

  パターナリズム ×  弱気 = 教えないコーチ

として現れます。強気(ポジティブ思考)か、弱気(ネガティブ思考)か、で現れ方が違ってきてしまいますが、結局、本質的に直さないといけないのは、

 パターナリズム → 民主主義 

なのです。 これは、家庭生活でも同じで、パパがすべての面倒を見る、ではなく、子供が成長して来たら、少しづつ、家計の全体像を見せて、子供にも責任を分担していくのが、きちんとした共同運営の家庭であり、自立のプロセス、です。

日本人は、戦後70年経っても、民主主義は、全然マスターしていないので、

  ドレイヤー

を得るのに、クライマー皆が躍起になっているのです。

それどころか、家庭の妻、嫁、主婦というのは、みな、奴隷ということになっています。

私の場合は、20~21歳でアメリカで生活開始しているので、大人となる初期にアメリカ式の関係性の作り方を学んでしまったので、海外のほうがパートナーシップが楽に組めるのでしょう… もちろんですが、外国人でも相手に依存するタイプの人はいます。

佐世保の海軍の兵士と日向神に行ったときは、彼はトポを調べて来ておらず、運転もすべて私が行いました。

しかし、日本人男性とのパートナーシップよりはうまく行く確率が高いと思いました。

おんぶにだっこであることについて、本人に自覚があったからです。九州の人に紹介されて小川山に連れて行った男子にはその自覚はゼロでした。

■ コンフリクトの解消 = 話し合い

日本人でも外国人でも、個人と個人で利害が対立することは当然あります。その際に大事なことは、

話し合って決める

ということで、どちらか一方が引くことを当然視していないということです。

九州では、女性が譲ることを男性が権利視しており、男性の甘えが問題になっています。

一方、女性は、男を立てる、という美化した言葉によって騙されている状態です。これが文化、という言葉で騙されている状態です。これは文化でも何でもなく、単なる女性への抑圧、です。共依存を心地よいと感じている女性の側にも問題がありそうです。

■ 無価値観 と 過剰な自己肯定感の発生原因(因縁)

常に相手の要求が勝ち、自分の要求が満たされない状態…というのが続くと、人は、自分は無価値なんだ、と学習します。

逆に、自分の要求が常に通る環境では、過剰な自己肯定感が膨らみます。

九州で起こっていることはコレだな…と思いました。

高齢化で、ベテランクラスの人が登攀力、グレードというベースで見たときに、登れなくなっているので、相対的に若い男性の地位が上がるということです。若いと言っても30~50代。

5.12が外岩リードでRPできる能力というのは、山梨を含む関東では、特に登れる人、に値するグレードではないです。ごく普通です。

ところが、高齢化すると、ベテランでも、10代、11がやっとというのが普通の落としどころです。そうなると、お前が強いから行け、という状態が常態化する。

こういう因縁で、俺はトップクラスのクライマーなんだ、俺の登りたいところは相手の登りたいところに優先されて当然なんだ、という幻想が生まれるんではないかと思います。

平たく言えば、井の中の蛙化って奴です。九州のクライマーは特にこれに気を付けたほうが良いような気がしますね。

■オンサイトグレードのほうが大事ですよ

とくにアルパインでは、レッドポイントより大事なのは、オンサイト出来る能力のほうで、向上させるならオンサイトグレードを上げるようにしないと、本番では使えないです。

ですから、アルパインのクライマーに対しては、オンサイトオンサイトと口うるさく指導されるわけですから。

しかし、フリークライミングのクライマーに囲まれていると、いくら11前半が確実に登れても、レッドポイントで難しいのが登れないと肩身が狭いように感じる、というのは、理解ができます。同情もしてあげられます。

■ クルティカとククチカ どっちと登りたいですか?

クライミングマシーンだったククチカは、パートナーがバンバン死んでしまっています。

リスク認知をしない、常にポジティブシンキングで、迷ったら行く!という判断のクライマーだったようです。

一方、クルティカと組んで死んでいるパートナーはいません。

あなたはどっちと登りたいですか?

私がクライマーならば、リスク認知がしっかりした人と組みたいです。