2022/12/14

ヒマラヤの6千メートル峰で、BCからの標高差1000メートルくらい=1日で登頂し下山できる

■アドバイスを貰いました

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ヒマラヤの6千メートル峰で、BCからの標高差1000メートルくらいなら1日で登頂し、下山できる

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だろうなぁと思っていました。推理の通りであっていました。

■ 私が上記の推測を持っていたのは、こちらの山屋さんの記録を知っていたからです

 http://kokuryoukai.sakura.ne.jp/2-2-1-4.html

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現役の竹下君が登頂を成し遂げたのは、若さの勝利である。
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今回の遠征に参加して、私の持っていたヒマラヤ登山のイメージが、現実の物とはずいぶん違っているのを実感した。私たちの隊が、年長者によって構成されていた事より、全てシェルパにお膳立てを整えてもらい、その後をついて登るという結果になったのは、仕方の無い面があろう。こうなると、日本での積雪期登攀の経験など、意味を成さなくなってくる。特別困難なルートを目指すのでは無く、ただ、ピークに立つだけならば、

 歩き続ける体力のみが問題となる時代

に入ったのだろうと思う。今はやりの公募隊の内容は、その様な物ではないのだろうか。 

ーーーーーーーーーーー 赤字当方

つまり、若くて体力があり歩ければ、登山技術なんてゼロでも行けるという意味です。

高所遠足、とはこのような山ですね。 

■ 登山技術ゼロだった学生山や

以前アコンカグアに大学山岳部時代に最年少で登頂した人が、パートナー候補で来てくれましたが、岩場に行くのにトポも調べないし、地図読みの読図も出来ないし、登山計画自体が立てられないし、天候判断もできず、とにかく行く!という強い意志のみ…。ホワイトアウトしてもツッコむ…という方だったので、大学山岳部で山を教わると、

山=体力

以外は何も教わらないだな~と思ったことを思い出しました。もちろん、あげれるときに体力を上げておくというのはいいことなんですが、そのあと、知識を得る時期が来ても、その気にならないみたいです。

■ 例

この方は私がハンギングビレイをしていると、

「よくこんな支点にぶら下がっていられますね、怖くないですか?」

と聞いてきたのです…。え~?! 

 ビレイステーションはパーティ全体の最後の砦、なのに…、

ビレイステーションが怖かったら、リードなんてできません。

全然分かっていないので、ガックシしたのでした。しかも、

 岩場=恋愛対象を物色する場

ずっと憧れの男性の話しかしないので、”こりゃ山は、恋人づくりのついでだ”と思ったんでした。

別に悪いわけではないですけど、私は既婚者だし、山で恋愛する気は毛頭なく、山では山の話がしたくて、恋話は、普段でも超興味ないタイプなんですよね。きっと大学山岳会って男女の出会い系なんでしょう。 まぁ、若い時は誰でもそういう時期があるのですから、いいのですが。

■ ヒマラヤお買い得化 = 誰でも行ける化 という推察ができた経験

山梨時代に、 私はカモシカで、金峰~雲取~鳩ノ巣のロングルートを歩きたかったのですが、会にはそんな体力勝負の山したい年齢の人がもういなかったんです…それで、ある時、超有名なガイドで、山田さんという方がそのルートを募集されていたのです… それで、おお!これは渡りに船と思い、ガイド料払いました…。

ところが!

金峰山から鳩ノ巣までの縦走をカモシカ山行と題売って、ガイドは、ぜんぜん歩く気ゼロ。

縦走初めの金峰山荘で、何と小屋番とダべリングで時間をエライ無駄に使っていました…。

もう、この時点でやる気あんのか?と思った。全く歩く気ゼロだと分かりました。このルートは、エスケープ豊富だからです。

それでどうも会話を聞いていると、縦走を集客手段としたヒマラヤ山行募集の会だったみたいなんです。私はヒマラヤに行きたくて参加したわけでなく、誰もカモシカに付き合ってくれる人がいないから行っただけですが、聞いていたらヒマラヤの前座って話でした。

こんなトロトロペースでしか歩けなくても、その参加者の女性たちが、ヒマラヤ行けるなら、私はすでに行けると、その時、思いました…。

ガイドさんは、お客のお金で自分がヒマラヤに行けるから連れて行ってるだけでしょう…。というので、その時は場の雰囲気を乱さないようにと思い、仮病を使い、雲取で山梨側に下山させてもらいました。

本当のことを言ったら、皆がワイワイと行きたがっているヒマラヤ未踏峰を馬鹿にすることになるからです。それに青梅線沿線のエスケープで下ろされでもしたら、山梨の人は最悪です。ただでさえルート貫徹できないのに、電車代大損です。

これで2015年とかでしょうかね…? 

こちらは、女性がひとりでタサルツェに挑んでいる記録ですが…

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ネパール観光省は今年最後のプレゼントとして8000m峰の残る5つをオープンした。

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とあります。

要するにネパール政府は、観光収入目的で、登頂の価値もない無名ピークでも何でも、登れる許可を出しつつある、という話です。

日本の山だって、登山地図を見れば、名前の無いピークそれこそ何万とありますよね? それらだって、誰かが踏んでいるとは思いますが、誰も発表していなかったら、発表すれば、

未踏峰の初登頂

です(笑)。 なぜ、誰も名前を付けて発表してないのか?その価値がないからでしょう…

一般に登山史を勉強すると、ヒマラヤ時代で大体の重要なピークはすでに踏まれていることが、普通の知性の人でも分かります。その後は、登山の価値は、初登頂から、困難度へシフトしました。なので、今残っているのは、落穂ひろいの山、ということは誰でも知っています。

 今頃ハイキングパーミットでオープンされるピークって、つまり、女性一人でも、行ってみようか、というようなピークってことですよね?

そんなところに何十万も払う気には到底なれないワタシです。そんなことをするには、知恵がつきすぎました(笑)。まったく価値を感じられません。

なにせ、K2ですら、昨今、エベレスト化して、商業登山で誰でも登れる山、に成り下がってしまっています。 (K2 過去最多のニュース

たったの97万円で買えるなら、お買い得なのかもしれませんね(笑)?

■ 人生に一度は未踏峰を…?

山梨での話ですが、中国の未踏峰に山梨全体で、みんな行っていて、みな、あれで満足して、その後は、自分の山のスタイル、をするようになったようでした。つまり、誰でも一度は、登山界の名誉、栄誉であるヒマラヤに足を踏み入れて、どのようなものか?分かっていないと、登山者として片手落ち、未完成のように感じるのではないでしょうか?

それはそれで悪いこととは思いません。 

でも、私はそうじゃないんです。

私は、38歳の遅いスタートです。最初から、登山者としては遅いスタートだし、最初から、

 名誉なんて必要なく、堅実着実に自分の山を続ければいいだけ

なので…。みんなのように、

 ・一生に一度は未踏峰を踏む、とか、

 ・ロクスノに名前を残す、とか、

 ・コンペで優勝する、

っていう目標は、

  既製服の目標

のように思います。そもそも、女性は男性より、名より実を取るタイプ、が多いです。私には、名を上げる、モテる、ってモチベーションにはならないんです。

■ 福岡は、いまだにヘルンリ稜=40年前

一方福岡では、ヘルンリ稜にガイドなしで登ろうとしている若い男性を聞きました…

でも、師匠の青木さん、ヘルンリ稜は下山路だよ、って言ってたんですよね…。50ピッチくらいあるバリエーションを登ったそうです。

下山路なら、私が八ヶ岳の地獄谷で、ツルネ東陵~川俣尾根をしたのは、将来のバリエーションに向けて、退路を確保しておくためでした。ので、この若い人がヘルンリ稜を、というのは同じ意味なのかもしれませんが…。

北壁なら、ロープが出るきっちりしたバリエーションと思いますが、ヘルンリ稜で自慢になるか?というと?

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 マッターホルンヘルンリ稜は、ガイドの後を着いていく体力があれば登れたそうです。

彼はルーファイできません。ロープはつかわなかったそうです。3級以上の所は固定ロープあります。

ヘルンリ小屋から頂上までの標高差は約1200メートルです。現地ガイド登山では頂上まで、5時間がタイムリミットと聞いています。つまり5時間過ぎたら頂上間際でも下山開始となります。西黒尾根登山口から谷川岳頂上くらいです。1時間で240メートルくらい登ればいいわけです。(私は経済ペースで日本の山だったら、440m/H なのですが…)


しかしヘルンリ稜はバカにできません。今井道子さんとマッタ―ホルン北壁を登った若山美子さんが、後日遭難しています。

ツェルマットとシャモニの交通費は往復12000円です。シャモニで登って一ヶ月間の交通費が20000円なので、私はマッタ―ホルンは行く気がなかったです。
 

若い人が日本で11前半が登れて、わざわざヘルンリ稜を登りに行くって私には理解できません。どうせ行くなら北壁でしょう。
 

登山として40年前でも遅れていると思ったのですが、相変わらず進歩していません。

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私もスイスだったら、登攀でないと行く気になれないというか、下見なら別ですが…。そもそも、スイスって滞在費高そうで、遠慮したいかもしれません。 

福岡には、まだパタゴニア時代は来ていないんだな~と思いました。山梨のトップクライマーはみなパタゴニアを目指していたからです。

馬目さんに聞いたら、大学生くらいの人がステップアップで行く場としては

ルース氷河

が候補に挙がるそうでした。

九州では、クライミングのボルト知識は40年前で停止していたので、同じように、登山史のヨーロッパアルプス時代にまだいるのかもしれません。

そして、悲しきかな、そのこと自体に気が付けていないかもしれません。

■  修道院には興味があります

ネパールは、私の家に泊って行ったチベット僧のターパさんが修行した修道院があり、そこにはちょっと興味があります。ダライ・ラマが、教えるチベット仏教の出家者が修行する場所です。

 

それは、私が、

 まだ発展していない国で、古くからの生活を経験すること、

に興味があるからです。山をやるようになり、

  現代文明が、人類にとっては天に唾するような行為である

ということを、登るたびに感じるようになりました。しかし、人類として、

 エコロジー意識を高める、

以外に、どのような自然と調和した生き方が選択できるのか?分からないでいるからです。

出家というのは、人の施しだけで生きるものなので、環境負荷ゼロですから、一つの解であるので、それで興味があるのです。

登るほうは、別に私は名誉を求めていないので、普通のトレッキングで、瞑想的に周辺を歩ければ、私には十分な気がしました。それより長く滞在して、まだ文明が浸透していない場所での、素朴な人々の生き方、あり方、から学びたいです。

■ 海外=目がハートマーク 

一般論ですが、団塊の世代の年配の人は、海外ってだけで、すごくステータスになり、どうだ!感というか、満足するみたいなのですが、私は実は、

アメリカに自力で2年自活しながら、生活した

ことがあり、その頃、海外へ対する日本人が普通に持っているコンプレックスみたいなものは、すっかりなくなってしまいました。恋人は金髪碧眼のアメリカ人でしたし。

実は、私は日本で本格的という形容詞が付く登山をスタートする前のOL時代に、普通にヨセミテも行ったし、オーストラリアの山も登ったんです。

西洋の現代の若い人は、普通に国立公園に、運動靴で登っています。以前、西穂に上高地から登ったドイツ人が、運動靴&ジーパンでしたが、そんな感じで、力まないです。

日本の団塊世代、年配の人は、なんだか、海外ってだけで、別の値札みたいな感覚ですよね。それは、世代の惑業苦ですので、私の世代には、全然ないというか…。昔ほど今は海外旅行は高くないです。

仕事でも、うんざりするほど行きましたしね…。海外出張自体が仕事なので、行くとなったら1週間くらいしか準備時間がなくても行きますし、観光地ではなく、普通の人は行かないようなところです…。現地で通訳とタクシー丸1日を雇います。それで大臣にあったりもしたんですよね…。帰りの飛行機でTIME誌を見たら、表紙にあってきたところの大臣が載っていました。それであの人大臣だったのか、と気が付いた程度の話です。28歳の女がそんなことをやっていたんですが、私だけでなく同僚もそうです。

観光地は行けませんが、そもそも観光地自体が好きでないかもしれない…。

ということなので、岩崎師匠がいう、地球を遠足、は私にはそこまで魅力がないのです。

…というか、もうやった、って感じです。登山に来る前に。

それは日本の取り巻きごと、つまり、日本を海外に持っていくって話でしょう…。

大事なことは、ご縁、をつないでいく旅であることだ、と思っています。つながり、と言ってもいいかもしれません。

現代は、すでに 地球市民感覚時代 です。日本国を海外に持っていく、のではなく。

もし私に、97万円の余分なお金があるのなら、現代アメリカで馬車生活を続けているアーミッシュコミュニティの視察に参加したいです。