■ 後輩は面倒をかけるもの
”3級しか登れないのにノーマットで2段登るとか言うクライマー”の頭の中って、どうなっているんだ?!と呆れてモノが言えない…と、思っていた。
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写真はイメージです |
それでも、
奥村講習に来てくれたのが嬉しかったし、自分を振り返ると、私も、師匠の清高さんには、口答えいっぱいして苦労を掛けた。
特に、”5.11がインドアジムで登れるから北岳バットレス四尾根に行くとか言うクライマー”の相棒が、私を振り回していた時は、清高さんは、せっかく雪洞泊を教えてくれようとしたのに、叶わなかった。
私は、何とかして相方を思いとどまらせようと、そっちを優先した。これには、清高さんは面食らったようで、なんで自分が後回しなのか分からなかったようだったし、だいぶ、清高さんのプライドも傷つけてしまったようだった。
つまり、自分も師匠の目から見たら、私も
わからずや
だったということになる。私の方からすると、雪洞には、人の命、は、かかっていないが、相棒が四尾根をあきらめないということは、自動的に、私が殺される羽目になる、ということだった。私はそれだけ心理的に追い詰められていたという訳である。
まぁ、どんな形であれ、後輩というものは、先輩に、
面倒
をかけるものだ。私も清高さんはじめ、多くの人に助けられた。
■ クライマーの思いやりは、そこはかとないもの
というわけで、先輩はありがたいもので、私も恩送りをせねばならぬ。
先輩は後輩の面倒を見てくれるものだ。
私も先日、奥村講習では、それとなく面倒を見てもらった。
つまり、私がクリックアップで落とされた原因は、”カラビナが純正品ではなかったためなのではないか?”と、なんとなく、私に分かるように、ギアの紹介のところで伝えてもらった。
このようにクライマー間の思いやりのやり取りは、そこはかとなく、受け取りての感性次第なところがある。受け取れない人は受け取れない。感受性の感度が鈍くて、もらった恩にそもそも気がつくことができず、貰いっぱなしの人は多い。
一般的に言って、クライマーは、事故原因の究明が出来ていないと、次に安心の土台を何に築いていけばいいのか?分からない。
だから、いつまでたっても、ビレイに身を任せることはできない。
ビレイを信頼できなければ、伸び伸び登ることはできず、結果としては、上達しない。
■ 初心者は誰しもに愛されている
さて、このように、クライマー界は支え合いで成り立っているので、偶然とはいえ、自分が出会った初心者クライマーに対しては、大なり小なり、誰しもが、
気をかけてやる
ものだ。
後輩の面倒を見るうちの一環に、例のボルダラーを何とかクライマーとして、形が付く程度…山岳会一年目の新人さん程度…までにはしてやる義務はあるかなぁ…と思った…なんせ、出会っちゃったんだし…。これは神が下した私への試練かもしれん、と思ったのだった。
ので、別の男性初心者君とセットで、岩場に連れて行ってやろうかと思った。なぜなら、クライミングというものは、二個一がセット販売なのだからである。クリックアップとカラビナがセット販売のように、片方が無ければ、機能できないものなのだ。
…んだが…そっちの別の初心者君は、初心者とセットだと嫌だそうだった。残念。
その初心者も、根子岳行きたいとか言っていて、てんで分かってない…のは、同レベルだったんだけどなぁ…。
まぁ、アルパイン指向の人とボルダラーでは、そもそも相性が悪いのかもしれぬ。男性には男性同士の計り知れない相性があると思う…。私は女性だから、男性同士の相性の機微は、全く感知できないが、前に痛い目に遭っている。
■ マットがないのは誰のせいか?
さて、ボルダラーの人のほうは、”マットがないから登っていない”と言う。
うーん…なぞだ。
”マットがないと登ってはいけない(=公道でシートベルトなし運転はありえない)”ということを指摘したのは、私を通じた、小山田さんだが…。
普通に考えれば分かることだが、クライミングシューズがなくても、チョークがなくても、ボルダーは登れるが、マットがないと登れない。
私も九州に来てすぐのころ、1回目は、ジムでマットを借りてボルダーに行ったが、その後すぐ購入したけどなぁ…。普通、登りたい人は、人にマットは借りてでも、なんとかするものなんだがな…。
またまた、相手の行動原理が分からん!と思った。
まさか、マットがないから登れない!と嘆いていれば、誰かがマットを譲ってくれるとでも思った訳でもあるまい…。前に、俺には子供が6人いて大変!と嘆いていれば、気の毒に思った女性のファンが貢いでくれる、という期待をしていたガイドさんいたけど…どこが気の毒なんだか、意味が分からなかったんだよなぁ…。
まぁ、私には理解できない。
しかし、それにしても、この時期、つまり冬季は、ボルダーをやっている人にとってはハイシーズンで、登り時である。
ついでに言えば、子供と違い、年齢が高めのクライマーにとっては、1シーズンでも惜しいハズである。大人になると、与えられた時間が無限ではなくなる。今が全人生で最も若いのである。やりたいことはとっととやっておかないと時間切れで、できなくなる。金に糸目をつけている場合ではない。
ちなみに、私が2017年に1シーズン35回もアイスに行ったのは、この時を逃すと時間的資源も年齢的資源も、失われると分かっており、機会喪失を避けたためである。
ま、分からないものは、わからないものであるし、それ以上ではないのだろう。
そのあと、かわいそうだから、励まそうかと思って、サチさんが岩との対話が面白いという記事を書いていたので、サチさんのコピペを送ってやったら… 完全に意図を取り違えていた…(汗)。
■ 俺なんてという自動モード
どうも、有名クライマーの投稿を読むと、役立つところを読まず、自動思考で、”俺なんてモード”に入るようだった。
サチさん → スゴイ人 → 俺なんて…(=すごくない)
そもそも、超人と自分を比べるなんて、そこが間違ってはいないか(笑)?
それに、サチさんの記事でハイライトした、強調したところはそこではなく、岩との対話には、グレードは関係ないことを説明したが、意味が分からないそうだった。
彼は、3級が登れても、ぜんぜん今まで岩と対話しないで登っているってことで、それだとどんなクライミングをしていたのだか、想像もできない…。
日本クライミングガイド協会のクライミングガイドの資格保持者でも、ジム課題は3級がせいぜい登れるだけなのに。つまり、3級というのは、なんら自己卑下する理由はない。
岩との対話にしても、ごく普通にしていても、これは登れそう!と思った岩に跳ね返されたりとかして、あーあ、と思ったりするのは、別にアンダー9程度しか登れないような人でも当然のごとく、起こることで、そういう風にやらないで、他に登る方法があるのか?私には全く想像がつかないな。
■ 憑依されるメカニズム
結局、私と彼は、水と油のようにそり合わない。
同じ言葉を使っても、火星人と金星人なのであるから、私は、彼に技術を教えてやるには
不適任
なのであろう。
個人的にこの人に必要なのは自己肯定感で、ボルダー2段のスキルで解決できる問題ではないように思う。段が登れても自分に自信がない、という点は改善されようがないだろう。原因は、おそらく、そこにはないからだ。
最近、大嶋信頼先生の著書を読んで、ミラーニューロンという仕組みで、脳が憑依されることが分かった。
理解できない相手に対して、なぜ彼はこういう行動をとるのだろう?と考えていると、脳が憑依される。
私の場合は、マットがないから登っていない、などと言われると、え?マットがなくても、登れるけど?と、問題を解決する思考が生まれてしまう。もともと、問題解決が得意だからだ。
つまり、本来は本人が解決しないといけない問題を肩代わりしないといけないような気分になって来てしまい、どんどんと、それが義務感に変わり、苦しくなる…のは、子供の時に、母が仕事に出ないといけないのに、弟と妹がギャン泣きして出かけられず、この事態を何とか収めるには、私が悪役を甘んじて受けて、弟と妹に嫌われてでも、捕まえておかないといけない、全体像を見て、何をしたらいいのか、分かっているのは、私だけだ…という自覚に基づく義務感…の再現による。6歳の自覚が再演されてしまうのである。当時は解決できるのは、私しかいなかったが、今見ている事態は違う。課題の分離、だ。
ボルダラー君は私の年齢以上の大の大人であり、世の中にはクライミング技術の本は山とあり、マットなんて5,6万も出せば買えるものである。
5,6万なんて弟が突然死したときに、大阪から実家まで当日に飛ぶのにかかった飛行機代程度の事で、この日本で5,6万がローンで払えない人は、実質存在しない。26歳で苦学生出身の私が払えた程度の額だし。まぁ、ロープで登れば、グリグリを入れても3万円でおつりがくるとは思うけど。
まぁ、そういうわけで、私が憑依されるメカニズムは分かった。分かったので、もう憑依されなくなった。
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