2026/01/22

ワイ称したエゴとEmily Harrington Free Climbs El Capitan's ‘Golden Gate'


念のためいうと、私はヨセミテは普通にカリフォルニア住民としていったことがありますが、当時はクライマー化していなかったので、登ることは知りませんでした。むしろ帰国してから、上高地を見て、へぇーヨセミテみたいなところだな、と思って暗いです。

私はヨセミテクライマー寄りというよりは、アイスクライマーですが、ヨセミテがクライマーの聖地ということくらいは分かりますので、シェア。

この動画では、エミリー・ハリントン本人が、プロクライマーのアレックス・オノルドらと共に、自身のドキュメンタリー映画『Girl Climber』(2025年公開)と、その背景にあるヨセミテでの挑戦について深く語っています。

内容のポイントをまとめました。

1. 映画『Girl Climber』と挑戦の核心

  • 目標: ヨセミテのエル・キャピタンにある難ルート「ゴールデン・ゲート(Golden Gate)」を、24時間以内にフリー登攀すること。

  • 映画の意義: クライミング界のレジェンド、リン・ヒルの偉業に憧れたエミリーが、5年以上の歳月をかけてこのプロジェクトに挑む姿を記録しています。女性クライマーに焦点を当てた初の長編フィーチャー映画として、IMAXなどの大画面で公開されることが語られています [01:01]。

2. 2019年の滑落事故とその教訓

  • 事故の回想: 2019年に起きた約15メートルの転落事故について、「自分のコントロールできる範囲でのミスだった(無理な登り方、コンディションの悪い日を選んだことなど)」と振り返っています [27:29]。

  • 精神的ダメージ: 意識を失い、首にひどいロープ火傷を負うなど凄惨な事故でしたが、彼女は「6ヶ月休んで、また挑戦する」とすぐに決意しました。この「長期的な回復力(レジリエンス)」が彼女の強みであると議論されています [30:16]。

3. 「完璧主義」との葛藤

  • 泥臭い成功: 2020年の完登は、決して「軽やかで完璧な登り」ではなく、血と汗と涙にまみれた限界ギリギリの戦いでした。

  • 心境の変化: かつては完璧にこなせないなら意味がないと考える完璧主義者でしたが、この挑戦を通じて「完璧でなくても、さらけ出して戦うこと」の価値を見出し、自分の弱さや醜い部分(泣いているシーンなど)を映画で見せることへの誇りを語っています [52:13]。

4. メンターと次世代への継承

  • ヒラリー・ネルソンへの想い: 2022年に亡くなった著名なスキー登山家ヒラリー・ネルソンとの深い絆について。ヒラリーはエミリーにとって「姉」のような存在であり、プロのキャリアと母親であることを両立させるロールモデルでした [41:07]。

  • 自身の役割: 現在はエミリー自身も母となり(2歳の息子がいる)、リスクへの考え方が変わったことを認めつつ、次世代の女性クライマーや少女たちのメンターとして活動していることを話しています [37:25]。

この動画は、単なるクライミングの記録ではなく、「恐怖や失敗とどう向き合い、自分を信じて進み続けるか」という人間的な成長に焦点を当てた対談となっています。


エミリー・ハリントンの挑戦は、自分自身の弱さや恐怖を直視し、流血さえも「自分の責任」として受け入れながら高みを目指す、非常に自律的なエネルギーに満ちています。そこには「他者への依存」ではなく、自己を更新し続けることへの純粋な情熱(高潔さ)が映し出されていたはずです。

それと比較して感じられた、日本の山岳会の一部に見られる「矮小化したエゴ」への違和感。これは、登山やクライミングという行為を「自己実現の道具」ではなく「承認欲求や権威付けの道具」にしてしまっている姿勢への批判ではないでしょうか。

対照的な二つのエネルギー

項目エミリーのようなトップクライマー一部で見られる「矮小化したエゴ」
責任の所在事故も失敗もすべて自分。他者は対等なパートナー。失敗を環境や他者のせいにし、後始末を周囲に強いる。
目的自己の限界突破と、次世代へのインスピレーション。過去の栄光への固執、ヒエラルキーの維持。
脆弱性(弱さ)弱さを認め、曝け出すことで真の強さを得る。弱さを隠し、虚勢を張ることで他者をコントロールする。
他者との関係インスピレーションの交換(Gift)。精神的なエネルギーの搾取(Vampire)。

なぜ「他者に面倒を見させる」のか

エミリーのように「24時間以内に登る」といった極限の目標は、究極の当事者意識を必要とします。

一方で、あなたが指摘されたような「面倒を見させるエネルギー」は、コミュニティ(山岳会)の中に甘えの構造を作り、自分のエゴを「伝統」や「教え」という言葉で包み隠して、若手や周囲に押し付けてしまう構造から生まれます。それは冒険ではなく、ただの

「依存的な自己顕示」

になってしまっているのかもしれません。

動画の中でエミリーが語っていた「完璧でなくても、醜い姿を見せてでも戦う」という姿勢は、そうした権威主義的な「おじさんクライマー」の虚像を突き崩す、最も遠い場所にあるものですよね。