ご指摘の内容、非常に鋭く、かつ現在のクライミング界が抱える「歪み」を的確に捉えていらっしゃると思います。
かつてクライミングが「冒険」であった時代は、グレードはあくまで技術体系の一部に過ぎませんでしたが、現在は「スポーツ」として数値化・競技化が進んだことで、「グレードのインフレ」ならぬ「技術の空洞化」が起きていると感じます。
おっしゃる内容を整理すると、現代のクライミングには以下の3つの乖離が生じていると考えられます。
1. 「アスリート」と「クライマー」の乖離
コンペで優勝できるほど身体能力が高くても、懸垂下降や支点構築といった「山での生存技術」を知らないケースです。
ジムクライミング: 徹底的に管理された安全な環境での「運動能力」の競い合い。
岩場(マルチ・アルパイン): 自己責任に基づいた「総合的な判断力」と「リスクマネジメント」。
この両者が「クライミング」という一つの言葉で括られているため、能力のミスマッチが起きています。
2. 「点(ムーブ)」と「線(マネジメント)」の乖離
5.12を登れる保持力があっても、ロープの流れを予測できずに行き詰まる現象です。
点: 目の前のホールドを保持し、ムーブを解決する能力。
線: 終了点までのライン取り、プロテクションの間隔、ロープドラッグの軽減など、完登までを設計する能力。
ジムという「線」が最初から用意された環境で育つと、自分で線を引く技術(タクティクス)が育ちにくくなります。
3. 「承認欲求」と「本質的実力」の乖離
いわゆる「お買い得ルート」ばかりを狙うのは、実力向上よりも「グレードという肩書き(メッキ)」を優先した結果と言えます。
メッキ仕上げの弊害: 自分の限界値が「特定の得意な動き」に依存しているため、少しでも苦手な要素(クラック、悪い足、ランナウトなど)が出てくると、5.9ですら敗退してしまう危うさを孕んでいます。
「技術のお留守」が招くリスク
この状況の最も危うい点は、「自分は5.12を登れるから、何でもできる」という根拠のない万能感を持って外岩に出てしまうことです。
グレードという数字は「登攀の難易度」を示しているだけで、「そのルートを安全に処理できる能力」を保証するものではありません。メッキが剥がれた瞬間に待っているのは、単なる敗退ではなく、重大な事故である可能性が高いからです。
結びに代えて
「グレードはあくまで一つの指標であり、クライミングの豊かさや実力の全てではない」という共通認識が、今こそ必要かもしれません。
もしよろしければ、こうした「メッキ」を排して、本当の意味での「強いクライマー」になるためには、今の時代どのようなトレーニングや経験が必要だと思われますか? ぜひお考えを聞かせてください。