クライミングしていると、年配の人と登ることは多い。アルパインを教えることができる知識がある人は、大体団塊世代で、団塊二世は、高校山岳部自体が消滅の危機にあった世代のため、山ヤ人口は究極に氷河期。
そして、人はすぐ年を取る。出会ったとき、63歳でも、あっという間に69歳。
■ 主観年齢
■ 主観年齢
63歳くらいの人は自分のことを、”老人”とは自己認識していない。たぶん、55歳くらいのイメージでいると思う。ところが、69歳ともなると、70歳目前。70歳は確実に、”老人”、だ。
かくいう私も、43歳で師匠と出会い、23歳のO君と登っていた時は、自己認識は、38歳くらいのイメージで、さして体力的な衰えは感じなかった。
かくいう私も、43歳で師匠と出会い、23歳のO君と登っていた時は、自己認識は、38歳くらいのイメージで、さして体力的な衰えは感じなかった。
一方、福岡に来たのは46歳で、この時は明らかに年齢を感じた。登攀が難しく感じるというより、そもそも男性で24歳の人と同じモノサシで測られることに疑問を感じた。大学山岳部の生徒と同じ体力を期待されるとか、なんだか疑問だった…。
その期待値は、山梨で23歳の後輩と登っていた時は明らかに取り除かれていた期待値であったので、福岡の人…が大人の初心者、現代のクライミング初心者に対する経験値が浅いのだろう…と結論した。
つまり、「私が23歳と登っている」というと、「そりゃ、大変だね、困ったことがあったら手伝うからね」という態度が、ほとんどだった山梨時代なのだが、福岡では、なぜか、同じモノサシで測られる羽目になり、”お前はもっと頑張れ”となること…、それが謎だった。
普通は46歳と大学生は、同列に計測されることはない。最初から勝敗は見えているからだ。
これは、例えば、34歳でアルパインクライミングのために、ロープをスタートした現代初心者クライマーだって同じだろう。
さて、この本では、なぜ老人は〇〇するのか?という問いに答える。例えば、
さて、この本では、なぜ老人は〇〇するのか?という問いに答える。例えば、
なぜ運転に執着するのか?
過去の栄光に拘るのか?
なぜ男性は自治会会長になりたがるのか?
なぜ一対一の関係を結びたがるのか?
■ 退行したい
■ 退行したい
疑問が氷解したことの一つが、青ちゃんとのクライミングに、若い男子を連れていくと、なぜかいつでも、喧嘩別れに終わるということ…。
私のイメージは部活だったんだけどなぁ。私、マネージャ。青ちゃん、顧問。
老人ホームでは、男性は女性に1対1の関係を望み、女性はグループでの行動を望むことが多いのだそうだ。理由は、退化行動をとりたいから。
年齢に限らず誰でも、自分が気ごころを許した相手には、子供っぽい行動をとりたがるのだそうだ。その退行を男性はしたいのに、集団だと長、つまりリーダーをやらないといけなくなってできない…というのが理由。
たしかに、バタちゃんと菅沼さんとのクライミングに交じっている姿を見かけたときは、ちょっと意外だと思ったんだよなぁ…というのは、いつも登攀では、俺の言うとおりにしろ系で威張っているからなのだが…まぁ実際、経験値の圧倒的な差があるので、大体は言うとおりにしていた… ただ、登攀能力的に、実はオールドクライマーには、小川山はなかなか厳しい岩場なんだよなぁとは思っていた。日向神の比ではない。なので、本音は若い奴にロープを上げてほしいのだろう…。
Y澤さんは、その辺はもう枯れており、若い奴にロープを上げさせていた…もうリード欲はないというか、かっこつけるのを辞めたのだった。それができるかできないか?が老年期の楽しいフリークライミングを分けると思う。
私の考えでは、そんな上下関係に拘らず、ラオス形式で、誰かが毎週〇〇曜日と決めてさえいれば、勝手に部活が成り立ち、参加できる人が気軽な形で来れば、クライミングの技術は勝手に広がっていく… ので、私とあと一人定期的にクライミングを主宰できる人がいれば、クライミングの神様的には万々歳だろうと思っていたんだがなぁ…。
そうしたクライミングの伝統を後世に伝えていこう、という意図より、個人の都合が優先されてしまったのが残念だったなぁ…。
新人男性だと、登攀力的に、というより、危険予知能力的に、リーダーはできないもんなぁ…。どっちかというと、こっちがロープあげてやる側だもんなぁ…。
自己防衛で、若い人とは登らないようにしないといけない、という状況にあるんだが、それは致し方ないかもしれない…なんせ、分かっていないのを分かっていないのが新人だからなぁ…。
例えば、九州では、トップロープノーテンで登って、「オンサイトだ!」とか言っている人に会った(汗)。全然分かっていない。