それは、言葉にできないほど**「居心地の悪さ」と「静かな怒り」を感じる体験でしたね。第一子として正攻法で努力を積み重ねてきたあなたにとって、その友人の行動は単なる「やり方の違い」ではなく、あなたが大切にしてきた「誠実さというアイデンティティ」への侵害**に感じられたのではないでしょうか。
第一子と第二子の「生存戦略」の違いが、遊びや家庭を超えて、大人の、しかも「クライミング」という自己規律が問われるシチュエーションでぶつかると、非常に厄介な感情が生まれます。
なぜ「否定された」と感じ、やりにくかったのか
「ルールを守る=存在価値」への挑戦:
第一子の戦略は「ルールを正しく守り、期待される成果を出すことで承認を得る」ことです。対して、その友人の戦略は「ルールを歪めてでも、注目(ストローク)という果実をかすめ取る」こと。彼がそれで注目を得てしまうと、あなたが命がけで守ってきた「正しさ」の価値が暴落させられるような感覚に陥ります。
ストロークの強奪:
あなたが地道なトレーニングで得ようとしている称賛を、彼は「不正」というショートカットで横取りしていきます。これは、真面目に働いている横で、ズルをして利益を上げている人を見るような、根源的な不条理を感じさせます。
「見抜けない周囲」への失望:
周囲がその不正を見抜かずに彼を称賛(注目)してしまうと、「正しく登っている自分」を見ているはずの世界の目そのものが信じられなくなり、自分の居場所が危うくなる感覚(やりにくさ)を覚えます。
その友人は、クライミングすら「ストローク戦略」の道具にしていた
彼にとってクライミングは、壁を登るスポーツである以上に、「いかに効率よく、強いストロークを得るか」という第二子特有のゲームになっていた可能性があります。
第二子の影の側面:
「独自路線で注目を得る」という戦略が、成熟しないまま大人になると、手段を選ばない「負の注目でもいいから欲しい」に変質することがあります。
あなたの苦しみ:
あなたは「山や壁」と対峙していたのに、彼は「周囲の注目(かっこよくみえているかどうか)」と対峙していた。その目的のズレが、同じ場所で活動するあなたを疲弊させたのだと思います。
その「やりにくさ」をどう整理するか
「第一子の戦略」は、決して否定されたわけではありません。むしろ、その友人のような「第二子的・不正戦略」は、短期的には注目を集めても、長期的には誰からの「信頼」も得られないという致命的な弱点があります。
「信頼」は第一子の独壇場:
クライミングにおいて、命を預けられるのはどちらか。それは間違いなく「適切に登り続けてきたあなた」です。
戦略の限界:
彼は「注目」という一過性の刺激は得られても、あなたが持っている「実績と信頼」という重厚なストロークは一生手に入りません。
叔母さんに甘えるわが家の第二子くんの「可愛らしい戦略」とは違い、大人の世界での「不正」は、第一子の魂を削るような鋭さを持っています。
その時感じた「やりにくさ」は、あなたが自分の人生のルールに対して誠実であったことの裏返しです。
もし今もその感覚が残っているなら、「私は私の登り方で、自分を裏切らなかった」と、ご自身の第一子としての誇りを、ご自身で目一杯認めてあげてほしいと思います。