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2024/11/23

【クライミング界の事情】アルパイン族vsフリークライミング族が派閥争い中?

私のように、40代からクライミングをスタートした人には、

傾斜が0度の水平面から、緩やかな坂になる15度は歩き、30度になるとストックをついて歩き、45度になると手が必要で、60度になるともはやクライミング、80度になるともう壁で、フリークライミングをやっていない人にはどうしたらいいのか意味不明、90度では、大抵の人が大変困難と感じ、それ以上、オーバーハングになると?腕力勝負。ムーブも必要、

…というのは、別に理解するのが難しくない感じです。

しかし、昔の登山家たちは、傾斜がゼロ度~60度、70度くらいまでが守備範囲で、80度、90度なんて、雲の上の話、オーバーハングなんて、どうしたらいいのか?道具を出して登るしかない、という世界の住人だったのかもしれません…。

そういう人と、今の時代の、ボルダリングジムって最初っから前傾壁でしょう?おのずと登り方が変わってきてしまいますよね。

ボルダーでスタートした人は、基本的には、ぜんぶかぶっていますから、振りを使わないと登れないはずです。

■ 登り方だけでなく、ビレイも全然違う

 昔のアルパインクライマーがフリークライマー業界から排除される理由は

 ビレイが超遠い

から、かもしれませんね。2mも3mも壁から離れていて、それで何の問題があるのか?分かっていない。ということは、

 落ちたクライマーをキャッチした経験がない

のではないか?と思う。

今までヒマラヤ行ってきました!雪崩で生き延びました!って人とも、組んでみたけど、超・離れたビレイで、こんなんでフリークライミングのルートが登れるわけがない、って感じでした…。

■ スポーツクライミングしか知らない人もダメ

逆にスポーツクライミング上がりの人は、外の岩で、

 岩の形状

…テラスになっているところで出し過ぎると激突します…や、

 体重差

を考慮せずに、俺、流して止めてあげるよ~とか…。

ビレイヤーのほうが小さく軽い場合は、流さなくても勝手に体が浮いて、流したのと同じショックアブゾーバーになります。

自分が落ちる側をやっていないクライマーは、ビレイの体重差の関係性が理解できないので、でっかい人は、小さいクライマーの墜落をとめるときに

 パッツンビレイ

なので、登っている私の衝撃が大きく、体に負担で大変です。

■ 共感力の欠如

クライミング界では、このように、大体大まかに分けて

・アルパイン族(山で登る)

・フリークライミング族(リード族)

・スポーツクライミング族(人工壁)

・ボルダリング族(ロープを使わない)

と4つくらいの種族がいます。

しかも、それぞれの種族が、自分たちの種族内部での常識をクライマー界全体の常識だ!と主張し合っているので、大体は、話し合っても話がかみ合わないことが多いです。

ややこしいのは、クラッギングと言われる外の岩場を登る種族が、大体縦横無尽に各種族間を出たり入った入りしていることです。

年に一度には大きな山に行ってクライミングし、普段の週末はリード族と同じように岩場に通い、平日はボルダリングジムに通って鍛えている、という人がほとんどなのです。

そして、全員が自分のクライミング観が唯一絶対の正解だ、という前提で、相手に同じ常識を期待するのです。

そうなると、4種類の人種がいる中なので、平均的に人口が分割されているという大雑把な前提で、言っても、

 4回に3回は、自分の種族外の人

です。例えば、ボルダリング族の人が、「あのさ、最近、クライミングで~」というときに、4回中3人の頭の中に浮かんでいる景色は

一人は、山のクライミング → リスク多大。けど、簡単。

一人は、近所の岩場のクライミング → リスクはあるけど、大体安全。けど難しい。

一人は、近所の人工壁のクライミング → リスク全然ない。超・難しい。

という感じなわけです。全然、互いに思っている中身が違う。しかも、その話している人が、「最近のクライミング」で意味していることが、”外ボルダー”だったりした日には…

どの人も全く違う想像しちゃってるとなります。

しかも、大体クライマー族って、ボルダラーだったらボルダー以外のクライミングについて無関心なので、相手の言葉の意味を取り違えてしまいます。

アルパインの人が「へぇ、どの山行ってきたの?何ピッチ?」と聞いたら、は?!となるし

フリークライミングの人が、「へぇ、どこの岩場?混んでた?」と聞いても、は?!となるし

スポーツクライミングの人が、「あの新しいボテ、悪いよね~」と言っても、は?!ってなるんですよ。

その、”は?!”って空気を出すのは、その人の世界が狭いから…なんですよ。

でも、新人さんには、そのことは分かりませんから、

は?!って空気感を出された側は心に傷を負うことになります…

例えば、今まで人工壁でクライミングしてきた人を、アルパインのルートに連れて行ったりしたときに、アルパインでは支点が十分に強固だと判断したら、1点でバックアップを取らずに懸垂下降して降りてしまうこともあります。そんな話になっているとは知らない、その新人君は、恐怖体験、ってことになります。しかも、その時に「お前はこんな程度で怖いのか」とか言われちゃったら、人によっては、もう二度とその会に来ないでしょう…

そうではなく、「ここは、一点で降りるけど、ほら、こんなに強固で崩れることは考えられないから。」「体重をかけてみ。」「懸垂下降には、1~2kNの強度しかいらないんだよ。中間支点には、最低12,3kN必要だけどね」とか説明したほうがいいのです。

現代の整備されたフリークライミングのルートで必要な中間支点(ランニング)の強度は25kNですが、カラビナの強度が22kNですから、先にカラビナが壊れてしまいますよね。だれですか、10年も、20年もカラビナ買い替えていない人は…?

古いカラビナを見る度に、私などは、「アルパインの人は落ちないからなぁ…カラビナって、まぁほんとに保険で実用ではないよなぁ」と思って、古くても目をつぶることにしています(笑)。

しかし、バンバン墜落することが前提のスポーツクライミングで、人工壁の登りをもし私が再開するならば、ペツルのジンアクシスあたりを新たに新調することでしょう…もうバンバン落ちますからね…

そんな感じで、それぞれの墜落頻度や、それぞれの危険の度合い、そして、クライミングそのものの難しさの度合いが、みな違うのに、みんなが一つの言葉

 クライミング

ってだけを使って話をし、その前についている、”〇〇クライミング”の○○のところを端折って語るので、お互いがお互いを誤解しあって、結局、その誤解により

 対立

しているのが、現在のクライミング業界のありさま、という気がします。

■ 想像力と共感力が必要な世界になっています

こういうことになっていることを誰かに初期に教えてもらえば、想像力と共感力を使って、異なるクライミング派閥の人ともお友達になれると思いますが、現実はその正反対。

しかも、フリークライミング派閥の内部には、もっと詳細なグループ分けがあり

 ・花崗岩派

 ・石灰岩派

 ・トラッド派

とかなり異なるクライミングを繰り広げています。その上、最近はトラッド派にも、ワイド派、開拓派、などと異なる派閥が生まれつつあり、トラッドとひとくくりにできなくなりました。

しかも、この中のどれにも属しがたい、

 ・アイスクライミング派

もいますし、そのアイスクライミング派の中にも

 ・ミックス派

 ・コンペ派

と別れてしまい、さらにゲテモノ的なもので

 ・渓谷登攀

みたいな、沢登りの中でもクライミング要素が強いものを特化したクライミングも生まれています。

…ということになっています。

昔は、クライミングと言えば、アルパインクライミング以外なく、ほとんど全員が、同じステップアップの仕方をしたのちに、それぞれの派閥に分化していったのですが、そういう同じ流れが、クライミングジムの登場により、なくなり、ジム上がりの人は、

 新人教育

と言われるものがゼロのまま、いきなり分化した派閥にそれぞれ属すことになってしまった、というのが現状です。

なので、小川山でクライミングしよーってときも、それぞれの派閥で全然スタイルが違います。例えば、アルパイン族は、山岳用テントで過ごすのが当然です。ところがフリークライミング族は、テーブルに椅子に、とお遊びモード… びっくりですね。

要するに、想像力や共感力がより必要な現状なのです…。

ところが、伝統的人種…ここではアルパイン族のことですが…は、もともと社会に優遇されてきた男性たちが多いので、こうした現状について、客観的にメタ認知できない人が多いのです…。

説明しても、? のままの男性が多い…つまり、同質性の中でしか、生きてきていない…んだろうなぁ・・・という事態になっています。

その同質性の中で、俺一番!になりたいというのがこれまでのクライミングの世界観だったわけですが、クライミングの世界が多様化して、”俺一番”の分野も多様になり、一番の人が何人もいる世界になりました。

例えば、平山ユージさんは、フリークライミング界の”一番”ですが、冬山やるか?というと?やらない。アイスクライミングやるか?というとやらない。

じゃ、楢崎さんがK2北壁やるか?というとやらない。

じゃ、小山田大さんが、渓谷登攀でヒマラヤの谷に行くか?というと行かない

じゃ、門田ギハード君がボルダーで5段のに行くか?というと行かない

結局、みんな好きなクライミングをしていいのです…

なんで、私だけが、瞑想を目的に、クライミングしていることを間違いだ、そんなのクライミングじゃない、という扱いを受けないといけないのか?みたいな気持ちです。

同じような、気持ちになったことがある人はいっぱいいるんじゃないですかね?

40代でスタートした人でも3年やれば、10Aくらいはマスターでリードできるようになります。そういう人が安全に登れる岩場は、ただし、日本にはほとんどありません。


2024/05/25

【クライミング事情】平均クライマーが25+35=60が計算できない理由

テレビでは絶対に放送できません…。女性より男性の方が犯罪者が多い本当の理由【ひろゆき 切り抜き】

2024/04/06

【提言】クライマー界は知恵を結集せよ!

 ■ お前は誰の味方なのか?みたいな不毛な観念…

小鹿野に行って分かったのは、小鹿野のクライミングによる町おこしに古いクライマーが、横やりを入れて絡んでくる理由…

要するに、1980年代の開拓”戦国”時代のノリのまま、なんですね…。

そういう古いクライマーって、もしかして、全国の岩場の置かれている、閑古鳥状況、分かっていないかもしれないですし、全国の岩場がある自治体の切迫した財政状況も分かっていないかもしれないですね。

たぶん、世界的に見て、日本経済が、”逆転サヨナラ負け”の状況にある現在の在り方とか…

たぶん、全然わかっていないと思われ… 誰がその岩場の主導権を握るか?で競争していた、1980年代つまり、日本のバブル期の気分のまま、何だろう…

というのは、現代に必要なのは、競争ではなく、協力、のほうなんですよ。

日本国は、互いに競争して足を引っ張りあっている暇はないくらい、2024年の今、落ちぶれました。まぁ足を引っ張りあって保身したり、主導権争いに終始しているから、落ちぶれたのは当然なんですが。

岩場でも同じことが起っているんですよ。それで割を食っているのは、若い世代だけ。私は50代ですが、若い世代の割を食っている側です。団塊2世から下は割を喰う世代です。それもこれも、上の世代の視点が、

 協力ではなく競争

だからなんですよ。でも、もう日本は一致団結しないとやっていけないほど、よわよわ国なんですよ?

政治家をはじめ、血税を海外に配りまくったりして、みなさん、事実誤認しているようですが。

■ 岩場はどうすれば安全になるか、知恵を絞れ!

現代のクライマーは、インドアジム上がりです。登山から鍛えて来るわけじゃない。当然だが、読図もできないし、沢って言っても、は?って感じだし、雪って言えば、なおさら、何の関係もありません。

なので、昔のアルパインクライマーを育てた、外岩教育…5年は修行な!ってのでは、誰もついてこないです。なんで5年もひたすらセカンドなのか?理由が分からないでしょう?

そんなの相手の立場に立ってみれば、一瞬で分かりますよね?

俺の時は、5年でリードが取れたら早い方だ、って言われても、今、俺の時と状況違うし、俺より、目の前の新人はジムで5.12登れるようになってから来てませんか? まぁ当人にもよりますが。

私は登山からスタートし、沢、雪、アイス、⇒岩 と進んだオーソドックスな育ちをして、フリークライミングに来ましたが、フリークライミングでは5.9しか登れなくても、相当の知識の集積とアウトドアリテラシーの高さを持ってからフリークライミングをスタートしました。

フリーしかやらない故・吉田さんだって、その辺のジム上がりで山を知らず、ただフィジカルが強いだけで登っている男子より、私を取ったのでした。

フリーのグレイドで登れるだけなら、ボルダーやっている子は、2段とか3段とか瞬間芸で登っています。それでも、岩場に連れて行っても一から10まで面倒見ないといけないですよ?つまり、彼らがやっているゲームは、本質がかなり違うことが可能性としてあります。

フリークライミングの醍醐味、なら醍醐味を、現代のジムクライマーにはきちんと噛んで含めて教えないと、ただの”楽しい筋トレ”にしてしまう。 

タダの”楽しい筋トレ”がジムクライマーで、九州クライマーは、”一か八かクライミング”です。九州では、一か八かに掛けるのがクライマーだ!みたいな本末転倒ことになっている。

目で見て、明らかに、ここで落ちたら死ぬと分かっているところで、一か八かをやるのは、勇気があるのではなく、タダのバカって意味ですよ?

そこを理解しそこなっているのは、本当の意味では、大変なことをやっていないで、大変なことをやっているふりをして賞賛される、注目を集める、に成功してしまっているから。

しかも、一か八かがすごいという価値観にすら全く迎合していない、栗城さんやなんとかマリンさんの言説にいとも簡単に騙されてしまって、踊らされており、もう、目も当てられません。

スポーツクライミングには、命は全くかかっていません。”楽しい筋トレ”なんですよ?

フリークライミングに存在する、岩との対話やかけひき、は、スポーツクライミングでは、ルートセッターとの駆け引きですよ。対象が人です。岩という自然物ではなく。

なんでそういうことをきちんと教えないのか?

クライミングと言う言葉でひとくくりにしてしまうから。

全く違うもの。

しかも、九州では一か八かをクライミングだと教えてしまっている。その上エイドを出してもエイド出したとすら書かない。ホワイトポイントって書いている記録がありましたが、そういう実態を見るとほんとかなぁと思ったりしますよね…

サチさんの、FAは、フリーで登ったFAだと思いますよ?もちろん、試登はしたと思いますが。試登というのは、トップロープのことです。

しかし、九州のは、初登って言っても、エイドも出しの、なんでもありの初登(FA)で、要するに昔の日本登山体系のアルパインのFAです。現代クライマーなのに、昔の登り方だから、そりゃ登れて当然でしょう。。。 

ストレートシャフトだと登れなかったルートが、バナナシャフトやハンドル付きアックスで楽勝になったくらいな差があります。

要するに、フリークライミングのレベル感のFAとは内容が全く違います。

そこは、たぶん、まったく理解されていないと思いますよ?





2024/03/29

【ルート整備】 ルートの再整備に必要な高度人材の育成を!

 ■ 初心者ルートのボルト整備  事例:赤岳主稜

良い点

・さながら、ヒマラヤの氷雪壁のよう

・技術的には簡単

・周囲に誰もおらず、初登気分が味わえる

・楽しい冬のクライミング

悪い点

・ルートのいたるところにボルト

・簡単にナチュラルプロテクションが取れるところでボルト

・頼りない露岩にボルト

結論:本当の魅力をダメにしている。

本当の魅力: 自分自身の力でラインを見出し、プロテクションを取ることの重要性と面白さを伝えるべき

■ 残すべきルート 例:ヨセミテ ミドルカシードラル

・気楽にオンサイトトライできる(5.11d)と思ったら、跳ね返された

・グラウンドアップ開拓 = 魂とセンス

・再登者はほとんどいないが、ボルトが打ち換えられていた

・クライマーの確固たる哲学と信念

■ 何を残し、何を捨てていくか… 事例:錫杖

1)残すべきルート

ロケーション、ムーブ、緊張感、どれをとっても素晴らしい

2)捨てるべきルート

ボルト連打の単調なアブミ架け替え リングボルトを残すと事故になる事例

3)捨てるべきルート

無理やり割り込んで開拓した、一部に危ういエイドを強いられる緊張感の高いルート

価値観: フリーで登れるのなら、それが最も良いスタイル。

価値観:自分自身が登ったルートが消滅したとしても、岩場全体が良い方向に向かっているのだとしたらそれで構わない。自分が納得がいくスタイルで登った事実は消滅しない。

価値観:良かれと思った行動が数十年を経て間違っていたと気が付くこともある

打ったボルト跡も 本人の思いが伝われば受け入れられる。

残すべきとされたフリールートにしても、将来ボルトレスで登られるのであれば、その議論が生まれてしかるべきである。

■ まとめ

この文章は、ルートの再整備とクライミングエシック(スタイル)について議論しています。

赤岳主稜の良い点と悪い点について述べられ、ボルト整備の過剰さルートの魅力を損ねていると指摘されています。

ヨセミテのミドルカシードラルでは、グラウンドアップ開拓の精神や再登者の少なさ、ボルトの状況について語られています。

最後に、錫杖を例に挙げて、残すべきルートと捨てるべきルートについて考察され、フリークライミング(エイドではなく)で登ることの重要性や登山の哲学について述べられています。

結論として、ボルト整備や登山スタイルの選択には個々の価値観が関わることが強調されています。

■ 感想

開拓は簡単でやりっぱなしでいいけど、再整備には円熟したクライマーの高度な洞察力とクライミング界の歴史の流れについての体験知に基づく経験が必要。しかるにルートの再整備ができるクライマーは、

クライミングに対する深い理解と経験に基づく、ルートに対する高度な審美眼

・クライミング史を生きた生の経験値に基づく、倫理観や哲学に関する洞察力

・世界的ルートを含めて登ってきた広い見地 

・コミュニケーション能力

の4点が必要で、これらを備えた人材は、非常に限られてくることであろう。そういった人材を今後育成していくことを考えないといけない。

#ボルト整備 

#フリークライミング 

#グラウンドアップ開拓 

#再登 

#アルパインクライミング哲学 

#ロクスノ101号 

  誰でも登れる山から見た槍  とってもきれいでした☆ 11月最終週がおすすめです



2023/02/16

若者よ、現実を見よう!もはやオールドクライマーは本当にオールドなのだ…

■ Old but...Old...after all?

杉野保さんの書籍に、『Old But  Gold』というのがありましたが、現実は

Old But Old

腐っても鯛、ではなく、ただの腐った鯛、みたいなことになっています。

■ 昔のクライマーは登れないけど、自慢話はします

その客観的な評価は、若い未経験のクライマーには出来ません。

『わが岩壁』の黄連谷では、WI4をエイドで登っているようなのでも、すごいクライミングみたいに、ポエティックに書いています。

山の記録というのは、いくらでも味付けしてかっこよく書けるもの、なのです…。

皆さんも経験ありませんか?書籍で読んで、ものすごいルートだと思って期待して行ったら、あれ?みたいな?

同じことが、昔のクライミング技術についても起こります。もちろん、レスキューワークとか、機械化できないところは、本当に昔から、人力、の世界で、最後は、担げる力がモノを言う、というのはあります。心底スゴイ!というは、そういう場で発揮されたりします。

が、それを根拠に、一般山岳会の古参のクライマーに、技術移転…自分に教えてくれること…を期待すると?お門違い、ということになります。

例えば、医者に対して、先生は私の病気が治せる、と期待するようなものです。 病気は本人が治すものであるように、ロープなどのクライミング技術は本人が習得しようとするもの… 

これは、転移という心理現象です。冷静に考えたら、相手は教えるだけの能力があるはずがないのが分かるでしょう…

若いクライマーはあきらめて、

  独学

してくださいね。

かくいう私も、ほとんどが独学の成果です。

独学独学と言って回ると、周囲のクライマーから信頼が得られないと思っていましたが、むしろ、独学で習得しました、と表明するほうが、誰からハンドダウンされた古い技術ではない、という意味で、良く受け取ってもらえる時代かもしれません。 

昔から、英語も、なにもかも、独学で学んできました。

本音を言うと、MBAを取るようなエリートには憧れてきました…そういう風に育ちたかったなぁ。

が、結局、私以外の参加者が会社の金で出席しているような社会人ビジネススクールのグロービスで、マーケティングのクラスにMyMoney…自腹…で出たら…、

 いきなりMVPもらったし、卒論でもトップ成績だった…(汗)

…んです。

山岳総合センターとかも同じでした… 村上先生には、会えて良かったけど…。

なんか、最後の雪洞泊は、一緒に講習することになる他の男性参加者があまりに頼りないので、こんな人たちと一緒にやったら、山に喰われるのは私だ、と思って参加しなかったくらいです。

七倉沢のビバーク訓練で、ホントにビバークしたの、私ひとりだけ、でしたし…(汗)。

世間のレベルは、下がり切るところまで下がり切っているので、関係なく自分の基準で進んでいくのが一番良いと思われます。


変化しないことは、問題があることの対遇です

■クライミングだって変わる

今は人工壁があり、ジムで誰でも登る時代になったのに、昔からの教え方しかできないから、漏れや抜けが出て、それで事故って死ぬ人が出る、と思います。要するに、

教える側の新人に対する認知が時代遅れ、

なんですね。

 


 https://amzn.to/3EaUggI より引用

■インストラクターも質で争う時代

今日はテニス二日目。昨日と違って、女性の先生のレッスンは運動量多かった。
どうもこのテニススクールは、講師へ競争原理が導入されているようです。
私が山梨時代に属したヨガスタジオも同じ路線でした…

昔の教え方は、教える側も、教わる側も、競争がなく、その状況に適応するだけが唯一の技術習得の道。相手が、靴からビールを飲め、と言ったら飲むしかない世界(これは物産でマジであったそうです)

今の時代は、テニススクール同士で競争があり、そして、スクール内でもインストラクターは競争にさらされるわけです。実際は、自分のレッスンが好きだという生徒は必ずいるので、個性的なレッスン内容でも、必ず生徒はいます。

ちょっと自慢ですが、私のヨガレッスンは売り上げ良かったです。スタジオには大分貢献したと思っているのですが。

2022/12/15

国内冬期登攀レベルとは?

これは信頼できるクライマーからの情報ですので、転載します。

追伸: こちらの記事には訂正があります。ゆめゆめ、5.11前半で冬壁に向わないでください。

https://allnevery.blogspot.com/2022/12/512rp.html

すごく溜飲が下がりました。というか私の推測があっていると分かった。

推測というのは、以前九州のクライマーが、私の師匠クラスが現役で若い時でも難しすぎるといって登らない国内冬期アルパインルートにチャレンジしていて、はてな?と思ったからです。そのクライマーは、無雪期の5.9もとい10cに2時間半もかけエイドで登っていたからです…そんなレベルの人が、なんでこの冬季ルート?行けるはずがないのでは…?という感じでした。

やはり九州ではトップクライマーの情報が来ないので、40年前のままの指導者の判定をうのみにしているのではないでしょうかね?

ーーーーーーーーーーーーーーーー以下 引用ーーーーーーーーーー

冬季登攀で国内のアルパインルートを、目指すのであれば、最低でもフリーで5.11以上が登れて、5.10前半はいつでもオンサイトで、しかもプロテクション悪くても安定して登る力が必要です。

既存支点無視のラインを読む形の現代アルパインクライミングでは、アイゼンを付け手袋をした状態で。5.11のムーブをこなさないとイケない場合もあります。

ですから一見アイゼントレーニングは、重要にも思えます。

ところが、こういったゲレンデでアイゼントレーニングしている人の多くは、そういったグレードが登れない人たちばかりなのです。

つまり、クライミングシューズを履いて、手にチョークを付けても、トップロープで5.10登って、テンション、テンションの人が、アイゼンつけて、5.11登れるわけありません。

ですから、晴れたフリーのゲレンデや岩場に、来たならば、まず、フリークライミングの実力をあげる練習したほうがいいのです。

今の技術練習環境で、5.11登れない5.10オンサイト出来ないのでは、運動能力低すぎです。

冬期登攀の前にまず、ワンシーズンかけてでも、フリーの実力を上げたほうがいいと思います。

そういった、難しいことはやらない(やりたくない?)といった人たち。つまり冬山の登山の一般ルート出てくる岩場の対応。冬季バリエーションルートのためのアイゼン訓練ならばデシマルのついていない(UIAAグレードのⅢ+やⅣ等)岩場でやるか、フリーで登られることのない湿った岩や草付きで練習するといいでしょう。

僕は高校まで。神奈川県で山登りをしていました。17歳ペアで冬季北鎌尾根を完投するのにあたり、遠くに行く費用もないので、冬の丹沢の沢をアイゼンつけて登りまくりました。

まぁ当時は丹沢でもけっこう凍っていて、チョロっとアイスクライミングもできましたし、沢の源頭のガレ場やルンゼは、とても良い練習になりました。

 

今、アイゼントレーニングしている人の多くは、そういったクライミングに自らが主導でいく人よりも、ガイドさんに連れていってもらう。山岳会、山のサークルの人が新人や、女性会員を連れていくために、利用しているのがほとんどに見えます。

そういった人達は、良いとか悪いとか全く考えずに、連れてこられて、言われたところを登っているだけです。

そういった人は、大ちゃんが素晴らしいクライマーであることを知りません。連れてきたガイドさんや、山岳会のおっさんのほうが偉いから困ったものです。

皆が少しづつ、こういったことを話し合うことは重要だと思います。そういった意味でも、小山田さんの提言は意味があると思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー赤字当方ーーーー

これは、関東での山岳会が主催しているアイゼントレの実情をよく示していると思います。 

まだ山梨にいた当時の私ですら、(つまり5.9レベルってことです)、このような山岳会の人たちがウルウルした目で私を見てくるのですから…。 フリークライミングのレベルと、一般山岳会の新人さん達のレベルは、非常に乖離しています。

私は当代のトップクライマーに

 5.12がスイスイ登れる

 40kgが担いで普通に歩ける

が、一流と言われる人たちの最低ラインだと聞いています。

 



フリークライミングとアルパインクライミングの切り分け を

 ■ 九州ではごっちゃ

九州では、アルパインクライミングの価値観…このくらいの登攀困難度ならロープいらないから、一本も中間支点取らない、とかで支点の数が決まっているフリークライミングのルートの作られ方で、ひえ~ヤダなぁと思ったのですが、それ以外にも、

 フリークライミング に アルパインの思想や倫理を持ち込む弊害

が出ている事例が、トップクライマーから警鈴がならされているので、紹介します。

■ ルール作りとトポの整備が大事

ここにも書いてありますが、ルールをきっちり作り、それを周知できる仕組み作り、が必要です。

九州では雪は大して降らないので、一体どこで、雪になれる気なんだろう?という感じです。こちらの若い人の会を見ていても、GWに七倉沢で、雪上訓練を受ける(滑落停止)とか、雪崩講習会を受ける、とか、12月の第2週の富士山5合目でアイゼントレして、ついでに宿泊もして寒気に慣れる、とかしないで、唐突感ありありで、冬山合宿計画が立てられており、それで塩見とか言われても行く気になれないです…。

一般登山者レベルの人(つまり、雪のトレーニングゼロで、ピッケルも持っているだけの飾りで滑落しても使い方を知らないレベル)なら、11月最終週の燕岳とか、正月の鳳凰三山で小屋止まりとか、テント泊とかは、行けますから、何も訓練しないのであれば、そういうのに行っておけばいいのではないか?と思います。

九州では、天候判断もいらない山しかない。ので、天候判断の習慣が身についていません。ので、上記のような優しい冬山では、天候とか、雪上生活を、小屋があるという安全ネット付きで学ぶということです。何にも冬用の訓練しないのでしたら、その程度しか行けないですよね…。

まぁ、安全ネットがあるので、別に個人でも行けるって意味ですが。でも、九州で仲間とつるむ意味は、交通費割り勘、にあるのでいいのではないですかね?

■ アイゼントレをフリーのルートでしてはいけない

さて、アイゼントレですが、本州では、やっていいところと悪いところが、はっきりしています。

誰でも分かることですが、フリーのルートでやる人はいません。やってはいけません。

しかし、九州ではその辺はあいまいなのかもしれません。九州の登山界はどうなっているのか不明ですが、九州から本州に来た人の様子を個人的経験から想像すると、フリークライミング歴5年とか言っても入会したのに、何も教わっていなかった人が思い浮かびます。フリークライミング歴5年という話だったのに、行ったことがあるルートは比叡でのセカンドだけだった。なんか比叡ってフリーですかね?って気もしますよね。その人は全部Aゼロで、本州のフリーのルートを不思議とも思わずに登っていました。(当然ですが、その人より私の方が最初から登攀力では上でした)

なにせ、九州に限らず、

 フリーのルートを開拓している=エイドの技術がある=元アルパインのエイドクライマー

という図式になっており、イマイチ、フリークライミングらしいルートづくりという意味では、世界的に後塵を期しているようですし、なんだか、昔の人の自信たっぷりぶりが強すぎて、現代の若い人は、リードエリアから追い出されてしまい、九州では、ボルダー以外出来ないように追いやられてしまっているような気がします。

安全面からも、若い人がリードに進もうにも、ボルト40年物か、新品でも使ってはいけないカットアンカーとかで、外岩で安心して登れるという環境にない。

そうなると、人工壁しか登れないですし。そうなると、スポートクライミングの事しか分かるようにならない…という悪循環が働いて、結果的には、リードエリアでの事故多発、となっているような気がします。

なにもかも、アルパインクライミングとフリークライミングがきちんと区別されていないために起こっていることです。ついでに、スポーツクライミングとフリークライミングも、九州では、峻別されていません。

■ そもそもフリークライミングの教科書がない

アルパインクライミングには、UIAAの出している『総合登山技術ハンドブック』が出ています。 

内容はペツルが出していた取説を充実させたようなものです。ペツルが紙での提供を辞めたので、新人に渡すガイドブックが無くて困っている状態が数年続いていましたが、これが出たので解消したものの、市販されておらず、一般の登山者の手に取りやすいか?というと、これもまた流通上の問題があります。

ちなみに、韓国の登山用品店では、誰でも買えるように普通に登山ショップに置いていました。

これと同等のフリークライミングの倫理観や歴史的流れ、経緯について書かれたものはほとんどありません。

結果、『岩と雪』同時代人しか、事情が分からないということになっています。

■ アルパインの岩場

私がアイゼントレに使っていたのは、関東だと、越沢、三つ峠、西湖の岩場の右の岩塔です。

あきらかにフリーのレベルのルートでアイゼンで登る人がいるとは思えません。

■ ドラツー仲間はトップクライマー揃いです

ドライツーリングで登れる人は、小山田さんが危惧するような初心者であることは、ほとんどなく、トップクラス中のトップクラスですので、フリーのルートをアイゼンで登るという言ことはないだろうと思います。

なにせ、国内有数のトップクライマーしか、現在ドラツーで外で登るスキルはありませんから(笑)。

彼らが登って記録を作っているのは、ワールドカップ参加のついで、です。

■ クライミングの良心的グループに入ろうとしない人たちがいる

ただ、私が不安に思うのは、こういうトップクラスの倫理観がしっかり確立した人たちに接する機会があっても、入らない人たちがいるということです。

事例

・ギリギリボーイズの方と宴会する機会があり、知り合いの若い男子には全部声をかけたが誰も来なかった

・ダウラギリに登った人と宴会する機会があり、同様に誰も来なかった

・井上D介さんと知り合いになる機会があり、男子に声をかけたが誰も来たがらなかった

・トップクライマーの故・吉田和正さんをビレイする機会があり、知り合いに声をかけたが、俺なんて、という返事で来ない

・海外遡行同人に参加する機会があったが、声をかけても誰も来なかった。 

・天野和明さんの主催する読図講習会に呼んでも誰も来なかった

・日之影町に移住するほど、日之影命の初心者ボルダラーに小山田さんが日之影の話題をFBにあげているからフォローしたら?と教えたら、「どうせ、取り巻きに囲まれて、ちやほやされているんでしょ」という返事がきて、おったまげた…。

・奥村さんのビレイ講習会が格安で開催されるので、知り合い前部に声をかけたが誰も来なかった

・横山ジャンボさんと倉上慶太さんの講演会、九州で知っている顔はゼロ人だった

どうも男性クライマーは、

「俺なんて」という心と、「俺だって」の心で揺れ動いており、

きちんとした技術情報や、クライミングのベータ(周辺情報)が来たとしても、それを受け取らない方向に心が閉じているようなんですよね…。

なにかやましいところでもあるのでしょうか…?そこらへんは、私は女性なので、理解が難しく、どういう心理なのか分かりません。私は、ホイホイ、山の先輩のありがたい話が聞ける会には顔を出すので。 海外遡行同人にすら臆せず出ていました。

それで、結局、機会があっても、

 正しいクライミングの知識を得る機会をスルーする結果

になるのです。一般男子クライマーは。なんせ、あの奥村さんの講習会に誘っても来ません(汗)。理由は、”俺、もうできるから…”とか、です。

でも、その判断は、主観ですよね?主観とは自分に都合の良いものです。

実際は、もう出来る、というのは本人の判断で、客観的判断とは異なることが多いです。

■ 同等慢は、正しい知識があれば、治る

このような「俺なんて」=卑下慢、「俺だって」=高慢、の害というのは、正しく自分を評価できる客観的な視点があれば、克服できるのではないか?と思います。

ところが、これが現代では難しいのです。

一般に、5.12が今の時代は一応の男性クライマーのプライドが満足できるレベル…俺は普通と同等の能力がある、と感じられるレベルのようですが、普通と感じられることを、同等慢、と言います。

同等慢は、子供のころによく親が使います。

 「〇〇ちゃんにやれたんだから、あなたにもできます」

です。これは、真実ではありません。特にクライミングでは、真実ではなく、トップクライマーになるには、基本的に要件があります。

1)一般的にどんな物事でも、一流になるには、一万時間の練習時間が必要だと言われています。

2)また、一般的に、8歳~18歳がゴールデンエイジと言われ、その頃に習得したことは、オンリーワン化することができると言われています。

3)また、クライミングは一般の人では、知識的にも、安全教育的にも、大衆化が発展途上であるため、知識の面でも、親がもともとトップクライマーレベルで、知識伝達ができる必要があります。

歴史的に見ても、芸事と言われることは、みな世襲制で幼少期から特訓しているでしょう。

このような事例が、室井登喜男さんにも、奥村さんの息子さんにも、樋口先生の息子さんにも、中嶋岳志さんの息子さんたちの事例にも言えます。つまり、知識や環境という面は親子の世襲制で現在のところカバーされています。山岳会の代わりです。

一般の人で言えば、それをカバーするのは、山岳会でしたが、それは現在機能していません。

その次の選択肢と言えば、師弟制度ですが、それは師匠の側が弟子を選ぶので、選ばれる弟子でない限り、師匠が現れるということはあまり期待できません。

唯一、クライミングのそのもののスキルは、他者との比較で測ることができますが、アルパインの人は、スポーツのコンペに出たがりません。アイスではコンペが盛んで、ある程度、自分の実力を客観的に見ることができます。

私は岩根アイスカップには一度しか出たことがありませんが、師匠クラスが非常に登れる、と判断する登攀能力が、現代のレベルでは、非常に初歩の登攀力に過ぎないことを知りました。ちなみに私のアイスは、そこらのアルパイン男子より上です。九州で一緒に登っていた先輩、5.12RPの方…より、上だという師匠の判断です。

同じことが、普通のフリークライミングにも言え、5.12=俺は普通だ(同等慢)と思っても、その中身は、5.12がレッドポイントレベルなのか?オンサイトレベルなのか?はたまたフリーソロレベルなのか?で、スキルの中身は全く違います。

現代のアルパインクライマーですら、フリークライミングや人工壁により、レベル向上の恩恵を受けて、5.12がレッドポイント出来るレベルではなく、フリーソロができるレベルに至っています。

しかし、40年前の価値観で自分を測ると、5.12レッドポイントのレベルで、よし!お前がリーダーだ!と言われてしまいます。なんせ、現代でアルパインクライミングを志向してやってくる若者…山岳会の新人像、というのは、このような岩場でロープを出してやらないといけないレベル…非常に低レベルという意味です。

私の会に来た新人男性(30代)がどのような登攀能力だったかを端的に示す写真。ここでロープがいるような登攀レベルの人が、昨今は主流です。

そりゃ、こんなレベルの人が来たら、私ですらリーダーレベルですよね…。ちなみに私はフリーの外岩は、5.11までしか登れません。

■  古い基準で自分を測ると間違う

このように、現代は、アルパインクライミングが廃れて悲しい、とは言われますが、アルパインの方向性を向いても、きちんとしたレベルが判定できるわけではありませんし、逆にスポーツの方を見たら、とんでもなくレベルが高騰しており、5.11がジムに来たその日に登れるという人は珍しくはありません。5.13が一週間で登れた人にも、師匠はあったことがあるそうでした。

このように、底辺は、一般のハイカーレベルの登攀能力、アルパインの4級でもロープを出さないといけないレベルから、トップは5.12はフリーソロ出来たり、5.15が数便で登れたりするピンのレベルまで、非常に幅広く、その内容は、他のリスクによっても条件付けが異なり、統一のグレードで測ること自体が無意味なことになってしまっています。

そのグレードの前提になっている条件を検討することなしに、端的にグレードだけでクライマー同士がコミュニケーションをとることは不可能ということです。

それにも関わらず、グレードにとって変わる、能力を知る目安、というものがないので、現在でも、グレードによって相手を推し量る以外ないかもしれません。

■ フリーではチッピングは侮蔑ですよ

翻ってアイゼントレですが、アイゼンで岩を登る=岩を壊す、という行為は、

フリークライミングの人にとっては、単なる破壊行為以上の、侮蔑に当たる行為

です。

■ フリーのクライマーもフリークライミングの価値観を表現できていない

フリークライミングの価値観というのは、どのようなクライマーの書いたものを読んでも、的確に語られている様子はありません。

最近、ニンジャ5.14を登った若い現代アンバサダーの記録を拝読しましたが、

 僕、頑張った、

以外の価値観には触れられておらず、ニンジャがどのような歴史的経緯があり、どのように初登者と岩を介して、コミュニケーションをしたのか?というようなことは一切わかりませんでした。結局、ニンジャがステファン・グロバッツの初登だ、ということにすら、触れられていませんでしたね…

なので、頑張っただけの価値しか表現できないのならば、それは、一般クライマーが頑張った価値となんら変わらず、です。

故・吉田和正さんは、執着心で頑張ることの価値を世の中に示した最初の日本人フリークライマーではないか? と思いますが、それから時代はすでにだいぶ経過しています。

フリークライミングの分野でも、新たな価値観へのステップアップが、滞っているという、閉塞感がありますが、現在、それを打破しているのは、コンペクライマーが技術を外岩に持ち込んで、困難度を高度化しているだけのものです。したがって、当代の一流クライミングというのは、一般クライマーには手が届かないところにあります。

 未知→ 困難度 → ???

と 次の価値観がまだ表れていないということです。

結果、いまだに

 なんだ、頑張ることが価値なのか?と一般クライマーが誤解

してしまえば、100回トライしたほうが、10回のトライで登れる人より上ということにもなってしまいかねません。当然ですが、同じルートなら、10回で登れる人のほうが強いですよね?

もちろん、頑張ることは価値ですが、みんなもう頑張っていますので…(笑)。他者と比べて自慢になる話ではありません。

■ 自己満足は、一般クライマーの特権

ま、”山は自己満足” と伝統的に言われますから、登山史の形成と関係のない一般クライマーは、そのような物差しではなく、自分の中の前年比、でがんばればいいのです。

しかし、男性クライマーは、そうもいかないのか、もしくは、古いクライマーにお前は登れると言われて勘違いしてしまったのか、で、歴史に名を刻みたい!という気持を捨てられない人もいるようですから、その場合は、

 出した記録が、現代的基準で見て、本当に登攀史的価値があるかどうか? 

は、客観的に判断できる能力がないと、

 長所を自慢しているつもりで欠点を披露している

ということにもなりかねません。 

最後、少し違う話になってしまいましたが、アルパインをやる人は、くれぐれも、フリーのルートでアイゼントレなど、なさらないよう。

それをやるくらいなら、ベアフットクライミングにでもトライしたらよろしいでしょう。


2022/12/08

アンダーエスティメイトの理由…”非・自立の世界”

■ 低身長はリスクが大きい(不利)と世間では知られていない

日本のクライミングで言えば、私は低身長なので、常に、ごまめ、状態です。

日本の外岩のボルトは、

・日本人男性の平均身長を前提に打たれている、もしくは、

・エイドルートをフリー化したもの、

ですので、いずれにしても、ピン間隔が、中学生くらいから登る、ということを対象にしていないため、140cm、150cm代の身長の人は、その他の人より大きなリスクを背負うことになります。核心前にクリップできない。ということです。

しかし、プリクリップは問答無用に、弱虫の証とされるのが、日本の伝統。同じ基準を、核心前にクリップできない人に当てはめると、

 クリップできる人がしなくていい勇気を出さないといけない

 だけでなく

 死のリスクを背負う

ことになります。

■ 事例

例えば、小川山の『トムと一緒』5.10Aは、私は同じところに立っても、クリップできないので、より小さなスタンスに立つとなると、もはや10Aとは言えなくなります。が、プリクリップというのは、日本の伝統では否定されています。

そうなるとどうなるか?というと、その辺の男子が取っていないリスクを取らないといけないです。あそこ、核心前にクリップせずに落ちたら、振られて激突ですよねぇ。あれは落ちれない箇所です。

遠いボルト間隔で、落ちて重大事故になった事例は、四阿屋インディアンフェイス10bで見ました。普通の身長の男性でした。

このようなことは、登山歴40年の方でも理解していないです。 背の低い人に向かってエイドで鍛えてやるとか言いますが、遠藤由香さんがショルダーされていましたよ。つまり、どんなに登れても、ショルダーされないと届かないものは届かないってことです。

■ 外岩5.8

私は最初から外岩の5.8はリードで来たので、昔の18歳大学山岳部新人と比べても、よく登れたほうであると、今では分かります。

山登りがガンガン出来る若い男性…山小屋にいるような人…外岩に連れて行っても、5.8がいきなり登れる人はあんまりいないです。

師匠の青木さんが若い人を預かって、まるでサブガイドみたいな立場になってしまい、それで、40代くらいの新人の面倒見たことがありますが、外岩での新人男性の挙動は、同じころの私の挙動より微妙に分かっていない人が多いです。年齢は関係なく、

 予習する習慣がないもの

と思われます。外岩で登ろうとする新人に必要な知識がまとまった書籍がないので、色々な本を読み合わせるしかありません。

実は山岳総合センターでの講習でも、4人の班でしたが、村上先生が私をリーダーに選んでしまって困りました。他は男性だった。

■ インドア5.11

ところが、インドアでは全く話が別になります。インドアの5.8って、幼稚園生でも登れます。しかも、インドアクライミングには、予習必要ないです。

人工リード壁では、20、30代の男性は、5.11とラベルされたリード課題は、初めてジムに来た、その日に登るくらいなのです。

同じ難易度だと思って、「(いきなりアウトドアで登っていて)5.8が登れます」と発言する人をたぶん、”なんだ、5.8しか登れないのか”と考えてしまいます。

つまり、全然実力を勘違いして、自分が上だ、と思ってしまいますね。実際は、5.12を登る人でも、外岩では経験不足が著しく、10代をリードさせてもかなり危なっかしいです。

■ ジム5級&5.11 = 外岩5.8

つまり、ジムグレードと外岩グレードのコンバージョンで誤解が生じるわけですね。

ジムと外岩両方に通っている人は、大体、

  ボルダリンググレードで5級=外岩の5.9

です。

5.9というのは、ムーブがいらなくて、身長さえあればガバに届き、特に大きな危険なく、登れるという意味です。

その場合でも、5.9は、5.12が登れる人にとっての5.9で、ジムがなかった昔の基準では、”会の中で最高に上手に登るやつ”が担当するグレードです。

ですから、ワングレード下げてリードしないといけません。 

ジムでどれだけ登れても、外岩で登れる保証は全くありません。なにせ外はスラブが入門課題で、フェイスの5.8、5.9で初心者が安全に登れるような課題は、めったにありません。

■ 昔の新人は万年セカンド

昔の基準では、5.6あたりが平会員向けなのです。そこまでグレードが下がれば、ピンが遠かろうが、ボルトではなく腐ったハーケンだろうが、たぶん大体の人は登れます。

私も初めて登った岩は、アイゼンを履いて登った5.6で、2度目からはリードしています。ランナウトはしていますが、登山靴での延長なので、落ちるようなことは、起こる確率的に非常に低い、ということです。

登山靴ベースでの最高峰が5.9って意味です。

同じ昔の基準でも、5.8で、腐ったハーケンのルートをリードした時は死ぬかと思いました。

しかし、この想定を知らない、ジム上がりの人が聞けば、”インドアの5.8”しか頭に浮かばないので、登れる方に入らない。インドアの5.8って、幼児でも登れそうですから。ところが、アウトドアだと5.7でも、ごつい体格の新人男性、登れないですよ。

これが私が日本のクライミングで適切に実力判定されない理由です。

ま、今では往年クライマーと同じくらいは登れるので、お買い得品化してしまったかもしれません(笑)。

■ 外岩ボルダー1級が登れても5.9はリードできない

エイハブ船長は、1級の基準課題ですが、1級が登れても、リードの5.9は登れないですよ。

そこも若い男性は、ちょっと誤解しがちです。

ボルダーで培った突破力って、ものすごく動的なので、リードで行き詰った時に、その突破力が常に使えるのか?というと、私はまだ到達していない境地ですから、誰かに教えてもらいたいですが、使えるんですかね?

日本の課題は、5.12より下はランナウトしていることが多いので、課題に対する見極めが必要になりますから、1級が登れる人は、最初から、5.12以上に取り付いたほうが安全なのかもしれません。そのグレードであれば、人工壁みたいにボルト近いことが多いですし、最初から、高度な突破力前提だと動的ムーブを前提にしたボルト配置かもしれません。

つまり、ランナウトした外岩課題をバイパスできる、という意味です。高難度を登る人は命は賭けないで済みます。

■ 12フリーソロ

それを知ってか、佐藤さんなどは、命がけのアルパインの伝統を示すため、5.12でフリーソロして見せないといけないのかもしれません。

そうじゃないと、リードで5.12登る人ってゴロゴロいるので、真の実力の意味がみなに伝わらないのかもしれませんね。

■ 外岩から入るか?ジムから入るか?

私のように、外岩から入る人材で、下から順々にグレードを上げて登って行こうという人は、現代では、かなり少数派です。なかなか現実的には、実行が不可能だからです。

私のように海外に行かないと、自分が思ったような成長…グレードピラミッドを積み上げること…はしづらいという意味です。

また、雪の山から入って、積雪期メインで登っています、という人も珍しいです。

■ 実業界

さて、実業界でも、同じようなことが起こります。

私は関西ではトップから2番目の国立4大出ですから、そもそも偏差値が74くらいですが、開発部に限らず日本の会社組織は、男性の階級社会です。

その世界は社会が順調に、能力順に人を割り振ることが可能だった時代…昭和…は、自分の上に、自分よりも賢い人、あるいは仕事を分かっていて経験値が上の人が来たので、それなりに問題なく、機能していたのです。(ちなみに私の職歴では大体東大卒の人が上司に来たことが多いです)

ところが、失われた10年とかで、新人が入ってこない。そうなると、階級で上の男性より、就職氷河期の人は、買い手市場の人材なので、仕事ができます…仕方ないでしょ、学歴、歴然と違う。

一般論ですが、バブル期入社組は、売り手市場だったので、優秀な人がおらず、そのあと10年空いて、氷河期を潜り抜けた超優秀な人が入ってくるのです。

氷河期組は、社会の約束を反故にされて、今まで新人はぬるま湯で名刺の渡し方から指導されたのに、この世代は、入社した時から即戦力。一番下っ端なのに、実践で覚える系です。

私なんて、新卒で入った時から、バグ管理データベースをMSアクセスで作っていました。当時アクセスでデータベース組めたら、普通に左うちわで独立できたと思います… まぁそうやって、かなりお買い得商品だったわけなのです。それが、ものすごく上級の仕事をしているとも気が付いていないので。

初めての職場だと比較する対象がない、ってことに社会が付け込んでいる状態です。しかも、私は英語が話せたので、普通の英語話せる人は、IT分からない。

私の適正年収に数年後に戻してもらいましたが、当時で800万円でした。

それでも、適正年収が分からない場合、多くの氷河期世代の人が、日本の階級社会では、冷え飯を食っているわけです。親世代の何もしない働かないおじさんが年収700万円で、業務効率3倍の新人が年収200万円です。

しかし、旗目に見ると、下っ端です。クライミングと同じですね。

実力ではなく、社会の基準の方が、能力がなくても男性を楽に優位にするように働いているということです。

■ 海外のほうが平等が浸透している

しかし、海外に行くと、どうなるでしょう?

日本のような、そもそも、本当の実力とリンクしていない階級制度自体がない。

仕事は自分の好きなように成果を出せば、普通に自分の手柄になります。そうなると、ふつーに仕事出来る人、です。

それが理解できないのが、日本の階級社会の男性です。立ててもらわないと怒る=傲慢です。

不利な立場の人が出してきた成果がどのような意味なのか?全然わからないのです。

■ 翻って日本のクライミング

日本のクライミングで、男性の平均身長170cmにボルト配置が合わさっているので、例えば小川山のトムと一緒は、私は核心前にロープがかけられない… これ、小川山で一番易しい10Aと言われています。ところが、それは誰にとってか?というと、男性の平均身長がある人にとって、です。

私より背が低い男性がいれば、同じように核心前にクリップできないでしょう。(ま、152cmより低い人はいないでしょう、めったに。こないだ水上で会いましたが)

ラオスでは、問題なく6A(10A)は総なめしてしまいました。ラオスの6Aは日本の10Aと同じかというと、そこは疑問が残ると思いますが、別にボルトは遠くないので、不必要に命がけになることなく、普通にバンバンリードで登れました。

私が普段、怖がっている姿を見て知っている人が見たら、あれ?と思うでしょう。

というわけで、私は、ごまめから、一気にフツーのクライマーに格上げです(笑)。

■ ”非・自立の世界” 日本では、1本10Aを登るだけで一苦労

そもそも日本の岩場では、クライミングピラミッドを築けるほどの本数がない。

その上、低身長の人にはリスクが多い。

だから、結局、トップロープを誰かが張ってくれる世界、そこで自動化して、リードする、という

”非・自立の世界”

を前提にしているということです。

”非・自立の世界”

を前提にするということは、依存関係を維持するために、おべっか使ったり、相手のご機嫌取りをしたり、色々しなくてはいけないってことに、結局なります。

一方、ラオスでは、一日5,6本、安全に登れます。それだけ登れば、そのグレードはマスターした、と言えるでしょう。

■ ヘッドハンティング

しょーもないのも足せば、私は海外から3度ヘッドハンティングされています。

きちんとしたエンジニア職だったのは、32歳のテレコムニュージーの話だけですが、タイでホテルの支配人から、うちで働かないかと言われたこと1回、東京の外資でセクレタリーとしての仕事を打診されて一回です。間違いました、4回ですね、一回はドイツ会社にセールスで勤めたので。

私に海外からヘッドハンティングが来ても、夫は、「君、仕事出来ない人なのになぜ?」と思ってしまう…のは、

 四大卒に限らず女子は全員=日本の職場では永遠に下働きを要求される地位にいる、

と頭から思っているから、という、上記のような理由です。

同じことで、台湾やラオスへ、別に一人で行っても私は登れて、他の人はパートナー出来ないのは、日本の価値観で相手を裁こうとしているからです。フランス人の男子だって5cでヒイヒイ言ってますよ?

■ この社会では才能を開花できないのは、私の個人的理由ではない

ラオスの登攀、日本の登攀の両方を経験して、私は、日本の土壌では花咲けない花、という気がします。私に限らず、女性で低身長だったら誰でもそうでしょうね。

それは、私のせいではなく、日本のクライミング土壌と日本のクライミング歴史的経緯が、男性の平均身長を前提にし、中学生並みの身長の私にはまったく合っていない。

実社会では、私ではなくても、四大卒女性を男性の階級社会に無理やり組み込んで、職歴が長い低学歴&低能力男性の下で、下働きさせようとすると、みなそうなるのでは?と思います。

低能力というは、知性が低い、という意味です。知性が低いというのは、相手の立場に立つ能力が低いという意味です。

つまり、自分の無能が証明されてしまう脅威に感じて、叩き潰そうとするでしょう… 

チェーンソーは胸高で使用してはいけない、危険なのに、やれと言ってきて(弱い者いじめ)、嫌だと断ると、お前は頭が高いとせめて来るというのと同じことです。

仕事では、家で家事も何もしないで上げ膳据え膳の男性社員の3倍の効率で仕事しても、PMになったら、サブって意味です。実際は、ほとんどすべての業務を私がしており、リーダーは何もしないことになります。

こういうことになってしまうのは、女性の側のせいですかね? 

違うでしょう。

そもそも、女性の方が、小学校の時代から、同じ偏差値だとしても、ずーっと、男性より厳しい環境でやってきていますよね?

それは、相も変わらず、成人していも、60代を見るようになっても、同じなだけです。

その地位に値する能力が備わっていない男性に、形だけの地位や名誉を与えるために優秀な女性をつけて、意思決定のポジションにつけていること自体が、

 日本の破滅=現代の様相…失われた30年を作った原因

のような気がします。

コロナ禍でちゃんとした政策出した国の人、みんな女性首脳ですよねぇ…

日本政府がいかに頼りないか…無能の人の集まりか…

オジサン種族男性は、平時に威張っているだけで、ピンチの時はてんで頼りにならないってことです。

クライミングガイドが海岸でゴミを拾って帰る現代の新しい男性像

2022/12/05

 日本のクライミング vs ラオスのクライミング

■カンザスオーバーランドパークシティに一か月開発で住んだこと

カンザスって、「大草原の小さな家」も出てくるので、ワクワクして出かけたんですが…。日本人の同僚曰く、”何もない”、でした。つまり、商業施設は何もないです。多分、日本で勉強していない人…無学な人…には、何もない。というか、何も見えない、です。

カンザスでの仕事場は取引先のSprintという携帯電話会社でしたが、オーバーランドパークシティは、全米第3位のリッチな市で、スプリント社の城下町でした。

スプリント社内は、日本の開発部と全然ちがい、海外ドラマに出てくるブース仕様。半個室です。仕事しやすかった。日本の開発部は、島、もしくは、だーっと階級順に個デスクが並べられており、めちゃ落ち着かない仕様ですので、私はロボットの置いてある部屋に隅っこを陣取っていましたっけ…。発達障害児っぽい行動です(笑)。とにかく常時監視されるような環境苦手です。

で、カンザスは、一か月いたんですが、黒人と白人の差別が強烈でした。カンザス川をはさみ、あっちとこっちに分かれるのですが、黒人居住区は映画に出てくるスラムみたいで、白人の方は、門と塀で囲まれた高級住宅なので、ゲーテッドコミュニティを見たことがない人には、ずっと塀があるだけの、ただの静まり返った、ひと気のない町にしか見えないです。

が、実は門番がいて、門の中に入ると、おとぎ話から抜け出てきたような瀟洒な家々が並んでいます… 並んでいるって言っても、お隣と 家、3,4個分くらい開けてあります。私は、カリフォルニアで富裕層の暮らしを知っていたので。

で、スプリント社で働いている人は、インド、中国人、ヒスパニア系‥、アメリカ人ほとんどいない。マネージャ職というか、取引先なので相手をしてくれたのはアメリカ人ですが、実際実働しているのは、インドの方とか… 前述のセルの中で働いているのもインド人。何人かと話友達になりました。

で共同キッチンがあり、ピザとか牛乳とか冷蔵庫に入っており、コーヒーは無料です。ちょうどシェアハウスみたいな感じです。つまり、寝泊まりできそう、っていうかしてそう…

で、黒人さんと言えば、門番のオジサンとバスの運転手だけで、私は門番おじさんと仲良くなったので、黒人さんだけが知るレストランに連れて行ってもらいました。

日本人は、黒人差別の歴史も学ぼうとせず、目の前の差別にも気が付かず。その上、勝手に日本人はアメリカ人同様の意識で、上から目線の日本の同僚たち…超失礼。しかし、実際は、ホテルに帰って、スリッパで廊下に出てくるような、勘違いおじさんグループ…

をまとめる私のストレスを一番分かってくれたのが、黒人さんの門番のオジサンでした…。 
ホテルでは、レセプションで黄色いサル扱いされているのですが、みんな英語が分からないので、そのことに気が付きもせず、日本人だけが、40人の大所帯で、毎日大型バスで会社に行き、大型バスで同じ時間にランチに行き、レストランで40人が一斉に食事が出来ないと言って怒り、大型バスでセーフェーに行くのです…。日本人が周囲の目を気にする人たちというのはうそでしょう…。

ホテルではディナーは出ないので、備え付けの電子レンジで、チン出来る料理を食べるのですが、電子レンジ調理器を出張道具の中に持っていくというのがベテラン、という世界でした。

日本アズNO1を経験した日本人男性は、能力がないにもかかわらず、態度がデカくて、横暴で、それでかわいそうと思って黒人の門番のおじさんは私をランチに誘ってくれたんですが、その誘ってくれたランチに、同僚に文句つけられた…。

大体、日本国内だって、40人が一斉に食事するレストランなんてファミレスでも無理でしょう… 数人ずつ時間ずらして行けばいいでしょう…タクシーか何かで。

そういう融通が利かないのが日本的経営。みんなおなんじ。何が何でもおんなじ。

■ リモートが広がらない=競争力低下

カンザス懐かしいです。-30度になるので、ホテル缶詰が一番快適。当時でもホテルはWifi整備されていたので、別に取引先に毎朝行かなくても仕事出来たのに、無理やり出社。それを言えば、正直、海外出張自体が要らない出張だったような気がしますね。

それだけ金を使いまくっていたってことです。なんせホテル1泊1万円くらいでしたから、30日の出張で、一人30万円。40人でいくので、滞在費だけで、1200万円。そんな開発形態していたら、あっという間に世界のIT軍団に抜かれますね… なんせ、連れて行った日本人エンジニア、アホばかりで、もう疲れる…って感じでした。エンジニアの癖にPMの私に、「IPアドレスって何ですか?」とか聞いてくるんですよ?

そういえば、竜巻がきて、買い物途中でみんな投げ出して逃げた(笑)。あれ、どさくさに紛れてもらって帰った人いたと思う。

あの開発部には勤めたくないけど、スプリント社では働いてもいいなと思った(笑)。
 

同じ仕事をしても、ぜんぜんありようが違うので、日本的雇用で働けば不幸、外国の土壌で働けば普通に幸福、と思えた経験でした。

同じことを、

 日本のクライミング vs ラオスのクライミング

に感じました。

 日本のオジサン至上主義型クライミングをラオスに持っていくための手段

に私を使いたいというのが、どこか見え隠れするので、そういうのが嫌ですね… 

とにかく、オジサンという人種を団体にまとめると、ダメです…もともとちゃんとしていた人でも、朱に交じれば赤くなります。


 

2022/11/27

最近の兆しと話題

 ■ 日之影町の可能性…ボルダラー×自伐型林業に光明

九州での出来事を相変わらず総括中…。

日之影町は、今日も小山田さんが頑張っており、なんだか神々しいほどだ。

日之影では、自伐型林業が町長を上げて推進され、研修林も整備されたそうだ。素晴らしい。

■ ボルダーのほうがロープより危険

念のため、一応断っておくと、私はボルダーはヤラナイ。

というのは、私は関節が非常に柔らかい。人には、軽い衝撃でも、私には、重大な事故につながるからだ。

ランディングが、ボルダーでは最も危険なところであり、ボルダーって、ロープでキャッチされるクライミングより、危険だ。ランディングで、膝が脱臼しただけで、2年の休養を余儀なくされている、現在進行形の経験者。

とはいえ、岐阜県の事例を考えると、誰か、地域おこしに心がある人が、

 ボルダリングによる地域おこし×自伐型林業 

で、生計を維持しつつ、地域に入れば、

 環境保全型観光として、ボルダリングによるユニークな観光開発が進む、

という可能性は大いに感じる。

私がボルダーもできれば良かったですけど、人の能力は、全知全能ではないので致し方ないですね。

林業にしても、女性の先駆者を見ても、施業プランナーなどのホワイトカラー職であり、ゴリゴリのブルーカラー職は女性には体力的に無理があるかと思います。

登山のガイドでも、月に何日山に行って平気か、数えてみたのですが、13日はきつく、11日くらいがマックスっぽかったです。

私が得意科目なのは、多文化共生、です。ゲストには外国人一杯で、なおかつホワイト人材ばかりです。

■ 田舎のよそ者排除は縄張り意識

田舎は縄張り意識のとりこになっているんだなぁ…と最近、とある動画を見て納得した。

縄張り意識というのをかみ砕くと、基本的には、”俺のものだ!”という我執だ。

子どもが、「僕のおもちゃ、貸さない」と友達におもちゃを貸すのを嫌がっている状態。

日本人はアメリカから来た考えだと思っていると思うが、アメリカでは、昔から、シェアするような教育が標準で、おもちゃを貸さない子供は、幼稚園で、だいぶ強くたしめられる。

日本の田舎では、変な縄張り意識があって、よそ者、という言葉で、それを端的に表し、排除するのだが…それをやっているところでは、それが我執であり、当の村生まれの若者さえ都会に追い出してきた、つまり、過疎化や限界集落化の原因は、縄張り意識なのだ、という自覚が、なぜか生まれない…。

自覚がないということは、それを改める気がない、ということ…。

いい加減、身につまされてもよさそうなものだけどなぁ。 若者が出ていくのは、なぜなのか?ってことに。

我執を離れられない基本には、取れる作物が限られていたという江戸時代レベルの現実認識があるのだが、実は、それは100年ぐらい前の現実。今は日本は、隅から隅まで豊かになって、年貢を納めていた時代の貧しさは、100年前の過去のこと…控えめに言っても、とっくの昔…になっているのだが、それを手放すことが出来ない、というのが一般的に田舎に起こっていることのようだ。

多分、そうした思いに囚われて本質が見れないでいる間に、その背後では、

 巨大な搾取

が行われていそうなんだが…例えば、一部の素材生産者である伐採業者だけが、ものすごく儲かる上、その後の植林という苦役も外部経済化されており、

 植林計画なき伐採

が可能という産業構造が、疑問視されないという”常識”…それを 普通だ、と思って、特に問題視していないのは、日本人の、その中でも特に田舎の人の強い思考だ。 

戦後教育で、

 普通に考えたら、おかしいことにおかしいと言う

ということが、右へ倣え思考でおろそかになってしまっているのだろう…。

おかしいことには、おかしいと言わなくてはならない。

なぜなら、結果として、村(自分)に良いものを排除して、悪いものを温存するという、顛倒の妄念がおこっているから…

端的に言えば、岩場にせよ、村にせよ、よそ者が開拓するなど許さん!となるわけだろう…。

私は九州生まれなので、よそ者ではないし、一緒に登っていた先輩も佐賀なので、二人ともよそ者とは言えないけれど、やっぱりよそ者、山梨から殴り込みをかけられた、という扱いをされたんだろうな。

都会コンプレックスがあるってことなのかもしれない。

そういうことを考えると、先日、とある過疎の村で、私よりも背が小さいおじさんがいて、チェーンソー使うときに、盾になってくれ、ホントにあの人は天使だったなぁ…と思う。私の守護天使(笑)。

■ 時代はシェアした人から勝って行ってる

田舎の過疎の町が、縄張り意識で、よそ者を排除して、内輪だけで自己完結してしまいたいと考えるのは、おそらく自殺行為だろう…。

日本の人口が縮小していくということは、どこかの村は、廃村になることを意味するわけで、その廃村になることを避けうる規模、というものがあり、維持可能な最小規模を見出す必要がある。人口が平衡を保つために必要な移住者数というのが割り出せる。その数を確保したら、それ以上は基本的にはイラナイ。その最小の規模で、維持可能な数を知る必要がある。

その意味では、八女の黒木町は、すでに世界に向けて開かれており、外国人や若い人の移住者も多く、すでにコミュニティを形成しつつあり、多文化共生はひと段落している田舎なので、日向神が混乱した岩場であることは、かなり残念なことだ。

■ NHK 『遺体を捜す人たち』

https://www.nhk.jp/p/rs/M65G6QLKMY/episode/re/J9N5XGP5Y1/

聞き逃し配信もあるそうです。

以下私の体験談。

ーーーーーーーーーーーーー

 アイスクライミングに一緒に行こうと言われたが、その日は会の冬山合宿の日だったので、断った。ら、その人が、パートナーがいないからと…冬富士に行ってしまった。冬富士なんて素人が気軽に行く山ではなく、現地の人でも毎日富士山を眺めて、無風のタイミングを見つけてそれ!と行くような山。富士山は単独峰なので強風は舐めてかかれない。案の定遭難し、携帯電話でレスキュー要請したが、NZの携帯を日本でローミング使用していたため逆探知できず、出動した隊は、別のオロク(死体)を発見して帰ってきた。発見したのは、半年後で当然だが遺体。

ということが山梨時代にあった。冬の富士山5合目は、テント泊している人一杯で、その辺でアイゼントレしているのは普通です。が山頂までというのとは話が違います。そんなことは、昨日今日、ポイっと登山を始めた人にはわからない。山頂も5合目も同じ富士山。なんなら、浅間神社から歩く”下界の登山道”も富士山。
私は積雪期の富士山山頂には、5月に言っていますが楽勝でした。
アイスクライミングができるなどと登攀のグレードだけで山を測るとものすごく危ないです。山のイロハが全く分かっていないで、自信満タンで登ってしまう。

ーーーーーーーーーーーー

この事例からも導き出せるように、

 スポーツクライミングでグレードだけが上がってアウトドアのリスク認知がゼロの人

が、自信がある分、一番危ない、です。

グレードがさほどでない、体力もさほどでない、という人たちは、そもそも、自信満タンでないので、自分の力を超えるようなことをしようと思いつきさえしません。

リードできない人は、終了点の作り方を知る必要がない、というのと同じです。

しかし、バンバン登れるようになっても、終了点の作り方を知らないと自分で自分をピンチに追い込んでしまいます。この彼のように。 

振り返っても、ホント、”登れるだけで、その他のことを何も分かっていない人”を後輩にもらったりしたら、登れない人を貰うより厄介です。

なんせ、登れる方が上っていう階級社会を当然視して、育っているので、リスクを指摘しても、いうこと聞きません。

こちらがしてあげていること自体が、そもそも認知できないので…、つまるところ、お返しや感謝も、当然ながら、”ない”ですし。

そう考えると

登攀力だけをやたら上げるだけの教育、

そのような教育が、最も悪いクライミング教育、です。

一生、人工壁しか登らないで、プラスチックだけするなら別ですが、外岩に進みたいと思うなら、山のリスク認知が先で、グレード追求は後というのが、短命で終わらないためには必要そうです。

        結果を顧みず快楽にふけりたい=無謀なクライミング

同じことで、学業の結果だけ、テストの点数だけを求める教育が一番悪いのかもしれませんね。

登れたら、スタイルは関係なしの、ビデオでムーブを盗み見してしまうボルダーも同じかもしれません。


  図書館に行けば一杯こんな本あるけどなぁ…

2022/11/22

 椅子でお茶を沸かせないからと言って椅子に失望する必要はない

■椅子でお茶を沸かせないからと言って椅子に失望する必要はない
 

椅子なんだから。
 

女性が4.5kgのチェーンソーを持ち上げるのが困難で危険だからと言って、

ダメな奴、

ではない。 男女に限らず、4.5kgを楽々持ち上げることができる筋力がない人、に、とっては誰にとっても危険。

身長152cmの人が、高いところに手が届かないからとって、

 能力がない、

ということにならない。男女誰にとっても、届かないものは届かない。

結果、例えば、

 高いところに積まれた丸太を切るのが危険だ

とか、

 背の高い人に合わせたボルト配置では核心前にクリップできないから、より危険だ

というのは、

 無能の証明にならない

誰が見ても明らかな真理なんだが、なんでか知らんが、それが分からない九州男児…を含む日本のクライマー男子。俺の基準がすべての基準になるように、

 立てて

もらってきたため、だろうと思うんだが、違うのかなぁ。

体格の不利有利で、ものすごくバカにする文化があり、なんだか子供のいじめみたいだなと思う。

■ 私のような不利な人でも出来たということの方が大きな事実では?

私はクライミングにはかなり不利というか不向きな体格だと思うが

それで、ラオスに行って楽しかったり、小川山でも色々登れているのがある、台湾も行っている

そういう結果を見ると、

こんな不利でハンデある人でも、ここまでできる

ってほうが正しいと思います。指力もないし、握力は17kg。リーチは152cmだから6年生程度です。

アレックス君のお母さん、70歳初心者でエルキャップ登っていましたよねぇ? 

https://www.ktvu.com/news/mother-of-famous-climber-alex-honnold-marks-70th-birthday-with-record-setting-ascent-up-yosemites-el-capitan

自慢にならないことを人々の誤解に基づいて賞賛されたいというのが、本心なのでは?


2022/07/12

那智の滝の思い出

■ しばらく旅にでていました♪

今回の旅…は、那智の滝という切り口で見ると、私の本格的がつく登山の歴史…この10年をを振り返るような…そんな旅になった。

夫の仕事の都合で山梨転勤になり、時間ができたので、余暇に雪の山に行き始めた。すると、私自身にとって、全く危険がなく、ゆとりで登頂できるような山すら、”危険だ、危険だ”との大号令で非難された。そんなに言うなら…と言われたとおりにする=ツアーに参加する、と、結局、何も得るものなく、大枚を取られた。例えば、厳冬期のしらびそ小屋に行く程度で8000円とか。そんな山、朝飯前すぎてツマラナイ。どこが危険なのかもわからない。4歳児でも行けるよ?

とはいえ、ピッケルの使い方は知りたくなり、きちんと分かっている人ということで、三上ガイドを紹介され、教えを乞うことになったが…それで知ったのがアルパインクライミングの世界だった。

時は、2012年の7月… 那智の滝事件が起きた。

いたずら?(笑)した側の言い分は、ここで読める。

https://www.excite.co.jp/news/article/E1460910422329/

私は大阪時代は、山登りというのは老人の趣味だと思っており、別に興味がなく、山梨に来て雪の山だけを登っていたので、当然だが、クライミングにも興味がなかった。そんな中で三上ガイドに会ったのだが、様々なご縁があって『八ヶ岳研究』は好きだった。『北八つ彷徨』とか、そういうのが好みなんです。つまり、まったくアルパイン派ではなく、逍遥派。

その状態で起きたのが那智の滝事件でした…。まぁ、正常な社会人の私の目からは、完全にアウトでした。

ただ、三上ガイドが、やたら佐藤祐介さんを羨ましがるのが、不愉快だった。なんで私に言ってくるんだ、って感じで。そんなに羨ましいなら、自分もやれば?みたいな。まるで、私が三上ガイドを佐藤祐介にしてやる義務があるかの如く、俺だって!と主張されて、当時ホント謎だった、です。

現在は、私はアイスもフリーもひと段落し、ミックスの入門ルート(M5)も登った経験があり、フリーでいいなら海外でも一人で行ってパートナーを見繕って登れるので、その深まった知識を持って、過去の三上ガイドの行動を判断すると?

三上ガイドが、”時期とチャンスさえそろえば、俺だって佐藤祐介になれた”という気持ちは、まったくの無知に基づくもの、に過ぎない。と分かるようになった。

だって三上ガイドは、5.9でもやっとか11程度の登攀力しか、もはやないと思うからだ。一昔前の山岳会のリーダークラスの標準的な登攀力は、5.12がRPできるレベル感で、それは、5.9がリード確実で、5.11までは、ほぼ落ちないというレベル感のことだが(=中山尾根がリードできる)、それは過去のトップクラス。

現代では、5.12がフリーソロ、つまり、一昔前の5.9並みということなのだ…。そのレベルを、標高5000、6000に持って行っているわけで、登山から離れて10年のギャップがあった人には、佐藤さんの偉業の内容が全然伝わっていなかったからこそ、

羨ましい

という気持が湧いたのだと分かる。俺だって、と思う気持ちは、スキルレベルのけた違いの違いが理解できないからこその、羨望であり、俺だって、の気持ちだ。三上ガイドは逆立ちしても、スーパー赤蜘蛛フリーソロはできないだろうし、パタゴニアや黒部の登攀だってそうだ。

きっと全国の山岳会で同じような現象が起きているのだろう…。つまり、昔のリーダーの基準で、リーダークラスと判断された人を、世界のトップクラスの人がやっている登攀に、「お前だって出来る」とけしかけてしまうようなことだ。というのは昔のリーダークラスの人が、もはや現代のトップレベルのレベルが理解不能だからだが…。

どうも昔の山岳会は全国で、似たり寄ったりの実力だったので、あいつらがやれば、うちらも…、みたいなのが普通だったらしいんですよね…。 その感覚が抜けないだけみたいですが、現代でそれをやると、未熟なレベルで、高度な場所に取り付いてしまい、理解力がある人からはバカに見える(例:ネット中継でエベレストで死んだ人…名前忘れた)

■ ”レべち”を理解されない苦悩

レべちというのは、”レベルが違いすぎる”という意味です。

那智の滝を登ってしまった佐藤さんらの苦悩は、日本の山岳社会が、レベチを理解しないという苦悩だと思います。

いくら、スポンサーを貰ってもスポンサーシップだけでは、遠征費用に足りないのではないかと思いますし…。

世界の一流クライミングをしている人たちも大変なんだなーって生活を見ていて思います。

そこで苦肉の策で出てきた那智の滝なのではないか?と思いますが…真相はどうなんでしょうね。

■ ボロ壁だった…

今回、那智の滝を生で見る機会が出来て、あの壁をクライミング的に、”ステキ!登りたい!って、一般クライマーにはないな~”と思いました。なんか、行縢のボロ壁みたいな感じだった。

一般的ではないちゃんと5.13が登れるフリークライマーにとっても、脆くて登攀価値なさそうだった。

まぁ、アルパインの人もフリーの基礎力が上がってしまって、たいていのボロ壁はこなせるレベルになってしまったってことなのでしょうか…。

どの程度が登攀価値がないボロ壁か?という判定も、昔と今では異なってしまったのでしょうか…。

現代のスキルアップした登攀力を持ってすると、相当なボロ壁まで登れてしまいます。

■ 行縢

行縢に行ったときも、この壁をステキ!登りたい!と思うのか、自分に問うてみましたが、私にはないな~と思ったので、マルボーさんとか、ちゃんと開拓してくれていて、ホントえらいよな~!と。しかも、売名行為はしていないし。ほんとうの実力があるってことかな。

行縢は、最近、開拓されて、一般クライマーが楽しめる5.11レベルのマルチができました。

一般クライマーでも、11のクラックが登れる現代…。昔は5.9とか、10代がそうだったのです。

■ 熊野古道

那智の滝より熊野古道を歩きたくなりました。

今回出会った外山さんは南裏健康さんの幼馴染でしたが、那智の滝に登ったことについては、はっきり反対していました。

私の感性からも明らかすぎるくらいに失礼な行為で、当時、アルパインクライマー業界は謎だな~と思ったのでしたが、フリークライマー業界では、クライマー側をサポートする意見が根強く、クライミングのためなら、社会規範や人の気持ちを踏みにじっても良い、と考える、極端なクライミング原理主義が根強いです。

その中で、健全な心の人に会えたのが良かった。外山さんはフリー全盛になってクライミングがつまらなくなり辞めたそうですが、山でクライミングをスタートした人からは良く聞く意見です。たぶん、私もかも、です。

日本のフリークライミングの世界観に魅力を感じたことは無いかもしれません。

ラオスのフリークライミングの世界は好きだったのですが、それは、あまり男の意地とか、プライドが関係ない世界だからかも。ラオスはとにかく楽しかったですね。クライミングしていれば、安上がりに楽しめるので、エコなスポーツだと思います。登山と比べても、自然界に与えるインパクト小さいし。

好きなのは、アウトドア活動、であって旅であり、クライミングではないかも。

■ フリークライミングの旅終了

アルパインをするにも、フリーに専念しろ、と言われ、そうか、とやってみたのですが…成果のほうですが、”散々”と言うグレーディングが正当なのではないでしょうか?

白亜スラブの記録を見ても、殺されかけてる…(汗)。

まぁ、たぶん、フリークライミング界でまっとうな人と繋がり損ねてしまっているのかもしれませんが。

気に入ったのはラオスのクライマーの世界観。つまり、ドイツのクライミング観。

日本国内のクライマー感性とは私は全く合わないです。もう目も当てられない。粋がりと男性性礼讃主義で、師匠の青木さんなどは、私のパートナーを見て、アイツ、ホモなのか?とか、私に聞いてくるほどでした。

そんな男性性PRでいっぱいいっぱいの人に付き合って終わった、私のフリークライミングの歴史…

ある意味、面白い旅だったなぁ…。 

ある意味、戦後の日本は父親不在の家が増えて、世の中の男性は女性の愛し方を教わらなかったのかもしれません。 こちらが今回出会った旅で見た光景。女性として羨ましい限りでした。

■ マーク・アンドレ

最近、映画の”The Alpinist”というのを英語版で無料で見ました。偶然、私のネットに現れたので、神の思し召し…

いい映画だったんですよね。

私は、バカみたいな、犬死に反対しているのであって、山での死を全否定しているわけではありません…そこが九州の人には伝わらない。

九州の人というくくりが悪いかもしれませんが、私が見た限り福岡の歴史ある山の会の人でも過去にとどまっており、到底、自慢するレベルにないレベルで、イケイケをPRする場になっている…大阪の人もそんなところあります。階段10段飛べるほうが、5段しか飛べないより偉いみたいな…。子供っぽいところって意味です。

そこがどうしても九州人には分からないらしくて、本州や北海道の山などで遭難者を出しているのも、九州のツアーが目につきます。ある会では、北鎌尾根程度で死者を出していました。会山行で、ですよ?ロープを出すということを覚える前に死んでいる。

九州では明らかに入門者にロープを出すレベルのところで出さないです。(どの時点でロープを出すべきかは、クライミングをやっていない人とやっている人、山岳会レベルでは違います。私は初心者をガイドできますが、自分が歩くときは山岳会レベルでしかロープ出しません)

九州は暖かくて山のリスクがある山が皆無だから、リスク感性は身につかないということだなぁと思いますが、本人が気が付かない、見えないものをいくら、見えている人が言ってやっても、同じなんですよね…

つまり、三上ガイドが佐藤祐介さんを見て、”俺だって”と思ったのと同じ構図なんです。

■ 俺だって型ギリチョン

”俺だって”と思うと、ついギリチョンをやってしまいますよね…。

そういえば、三上ガイド、シュラフ忘れて北岳行っちゃったことがあったなぁ…。

あれは、花谷康弘ガイドが女性の登山者を連れてマンツーマンで北岳へガイドで登ったのが羨ましかったのでした…それで、”俺だってこの程度の山、個人ガイドできるぜ!”ということを示すために行ったら、なんとシュラフを忘れていくことになったのでした…

私の夫も、よく俺だって型アウトドアをやります。突然10㎞マラソンに出たり、元君ともたまには遊ばないと、と思って出たオリエンテーリングの大会で、夫婦の親睦がテーマなのに、勝つために一人で出たいと言ってきたり…と、それは、自分のレベルを客観視できず、俺だって、とプライドがもたげてしまうからです。

体力自慢やイケイケ自慢のプライドで、アウトドア活動しなくていいですよ…何しろ、楽しくてやるのが趣味なのですから。

私が行く沢や雪の山、あるいはクライミングが可能なのは、体力や登攀力の問題ではなく、単なる理解力の問題です。沢も理解力の問題だし、ビレイの上手下手は、知性の問題。海外にクライミングに行けるか行けないかも、能力の問題で、勇気の問題ではないです。

能力の問題は、スモールステップに分解すれば、対処可能です。

つまり、誰でも私がやっているようなことはできるということです。羨ましがるに値せずです。

■ 頑張る方向違い

つまり、頑張る方向違い、ということなんです。

山岳総合センターのリーダー講習では、春山の雪上訓練は、宿泊はビバークを兼ねていますが、男性たちの参加者は、GWの春山なのに、分厚い厳冬期用シュラフ… 贅沢な甘ちゃん仕様。ちゃんとツエルトだけで過ごした人は私だけでした… 

男性が頑張らないといけないのは、どちらかというとそっちです。自然界への対応力を上げる方。歩荷力なんて、何もしないでも、女性より上、です。

まぁ、フリーの世界は、担がなくていいから楽できて、それで難しい課題に力を振り向けることが可能なわけですが… 17kgしか担いでいないワタシより歩けない男性と組まないといけないとなると、ただでもアウトドアでは弱者の私に負担が来ることになり、死へまっしぐらかもしれません…

アルパインをやっていたクライマーの間では、ボチボチやるフリーは老後の愉しみ、みたいな感じです。



2022/04/01

紙のトポ=地元とのつながり…小山田発言

昨日回ってきた記事です。私も、紙のトポのほうが良いと思います。携帯のトポは、電池切れたら、見れませんよね?

PDFでトポが回って来ても、印刷して岩場に持って行っていましたけど…

ーーーーーーーーーー 以下引用 ーーーーーーーーーーーーー

 正直、またか、、、という感じである。

自分が関わったエリアで紙媒体のトポを廃止して電子化するという話が持ち上がった。

僕がなぜ電子化を嫌がるかという理由は以前ここで書かして貰った。

賛同して下さる方々のコメントを多く頂き、紙トポを続けていこうという気持ちを保つ励みにもなった。

それなのにだ、これは時代の流れとして変わらないといけない事だと諦めるしかないのだろうか?

笠置のコンビニには本になったトポが置いてある。

初めてそれを見た時に地元とクライミングがちゃんと繋がっているようで嬉しかった。

たぶんクライマーでない人も目にするだろうから「この辺りはこういう事が出来るとこなんだな」とか知る事だって出来ると思う。

地主さんと土地利用に関する交渉をする時もいつも本になったトポを見せて「こういうガイドブックを作って公開します」って説明したしてきた。

これからはそういう時に携帯出して携帯の画面を見せるのか?嫌だな。

こういう事もあった。地主さんにプレゼントしたトポ、その後何年も経ってお会いした時に見せてくれた。

「まだ持ってるよ」って言ってくれて嬉しかった。

なんか、ちゃんと形がある物ってそういう血の通った付き合いが出来るような気がする。

地元のおじいちゃんおばあちゃんにアプリ入れてダウンロードして、、、ってウチの親とかでもまず無理だ。

まあ、クライマー界がどんどん内向きになって開拓する側がクライマーだけに発信出来ればいいやーってんならそれでいいけどね。

僕はコンビニにトポが置いてある光景が好きだから嫌だけど。

なんか何でもかんでも電子化電子化っておじちゃんはついていけません。

簡単便利携帯一個で何でも出来ますってか。

そのうち「まだ本物の岩とか登ってんすか?VRクライミング楽しいっすよ、危なくないし」とか若者に言われそうで怖いわ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

           タイの友人が作っているタイのトポ



2022/03/26

入門者向け課題に上級者向けリスクテイクが求められる日本の岩場

 ■ 戦うか逃げるか?

クライミングは、基本的に、疑似的なファイトオアフライト行動を楽しむものです。

戦うか逃げるか反応

これに直面するのは、クライミングでピンチに陥った時です。つまり、登りに行き詰った時。

■ 戦うにおける2大対応

ムーブに行き詰った時、選択肢は3つです。

 1)麻痺する ⇒ 何もできない状態

 2)逃げる ⇒ 安易なハングドッグ、安易なA0

 3)戦う ⇒ ハードプッシュ、あるいはムーブによる解決、エイドによる解決

アルパインでは何としても前進することが肝心の目的なのですから、エイドを出して乗り切るというのは、逃走反応というよりは、冷静な対処、というほうがふさわしいです。

一方、フリークライミングの様式においては、道具なしで登るというのがフリーのフリー足る目的なので、すぐにハングドッグに行ってしまったり、安易にA0してしまうのは、フリーであることをすぐにあきらめた、逃げの反応ということになるでしょう…

しかし、これを複雑にしているのが、ボルトの信頼性の低さ…です。

■ ボルトが信頼できない場合の対処法

たとえば、私の登ったことがある課題では、大蛇山 10cがあります。

この課題は、私が課題について紹介を受けた時点では、ボルトは超怪しく、案の定、というか、のちにJFAによるリボルト対象になりました。

つまり、リボルトされるということは、気楽に墜落は許されないボルトの状態だったということです。

この課題は、私は初見のとき、2撃でしたが、核心部では、私はリーチが短いので、クリップ前に核心をこなさねばならず、だいぶ躊躇して登ったことを覚えています。確実性を上げるには、手順の暗記が必要で、何度か、降りては登る、の登り直しをしました。

このリスクを本人が考えて落ちないように登っているのに、”なんだよ!落ちろよ!!”と言われるのが嫌。基本、余計なお世話です。リスク対応こそが、クライミングのだいご味。

しかも、落ちて怪我をしても責任取るのは、本人。

■ ハードプッシュ一辺倒は危険

このようにボルトが信頼ならない状態では、暗記なしのハードプッシュ、での登りは、おススメできません…。

つまり、人工壁でやるように、ボルトが確実に墜落を支えてくれる前提、という登りは、するべきでない、ということです。

特に古いボルトの場合は、ロシアンルーレット状態になっており、前の人が登って、テンションや墜落に耐えたボルトが、その次の自分の番で耐えてくれるか?というのは、未知数、であり、全国的に問題になっているのは、その未知数性、だからです。

■ ハードプッシュを楽しむならケミカル、もしくは自分で設置したプロテクションで

逆に、ハードプッシュを楽しめるのは、ケミカルのルートです。ボルトが強固ということは、ケミカルうち替えが証明しています。

ハードプッシュを楽しみたい人ほど、ケミカルルートはどこか?と探した方が良いかもしれません。

もちろん、ケミカルだからと言って、ランナウトの問題が是正されているとは限らないのが日本の国内岩場ですので、その点は、別の注意が必要です。

支点の信頼性、ランナウト、の両方の問題点を解決する課題は、

 自分で設置したカム

による登攀です。

■ 実力にあったリスク

この写真は、私のラオスの課題を登っているところですが、見ての通り、離陸ははしごです。

さらに位置ピン目の位置がかなり低いことが見て取れるでしょう…

これはクライミングのリスクにおいて、理にかなっています。

 ・1ピン目を取る前は墜落は許されない

 ・この課題は入門課題であり、入門者には、過大なリスクテイクは求めるべきでない

です。

これは、初級者には初級者に即したリスクの量、が設定されているため、です。

当然ですが、上級者になればなるほど、大きなリスクが取れるようになっていく、というのが、まっとうな成長の流れであり、初級者の段階で、大きなリスクを取らされることは、事故の原因になります。これが日本の岩場で起きていることです。

つまり4級しか登れない人に40mランナウトに耐えるよう、求めること自体が、本末転倒です。

逆に40mランナウトが平気なくらいの人は、6級つまり、デシマル換算で5.12は登れているハズですから、そんな簡単なルートでランナウトすることに関しては、普通はバカバカしさ、しか感じなくなると思われます。

懸けなくて良いところで命を懸ける羽目になるからです。例えば、海外のクライマーをそのようなルートに招待できるか?というと、出来ないですよね?

何が面白しろいの?と言われてしまいそうです。

日本の岩場の問題点は、入門者向けの課題に、上級者向けのリスクテイクが設定されていることです。

しかも、手が届けばリスクは減るということなので、怖くもなく、リスクテイクもしていない人が、より大きなリスクを取らねばならず、恐怖と戦わないといけない、リーチの短い人を馬鹿にしたり、「なんでこんなところで怖がるんだよ」という無理解を押し付けることになっています。

ボルダーをしたことがない人に顕著です。6級のボルダーがシットスタートになったとたんに2段になるのは良くあることです。同じことで、5.9でもホールドに手が届かない人が登れば、もっと上級のムーブが必要、ということになります。

まぁ、日本に限ったことではなく、怖い岩場というのは世界的に多いように思いますが、海外では、そのことが日本のような暗黙知ではなく、明快な、集合知、となっていると思います。ですので、初心者の段階から意識的に自分は、どの程度のリスクを取りたいか?クライマー自身に選択肢が豊富です。

日本の場合は、本人の好むと好まざるとにかかわらず、すべての人が一律の選択肢しか取れない、ということになっています。

日本の場合、このように選択肢がない、という問題があり、インドアクライマーが、徐々に困難度とリスクを並行的に上げつつ、スキルアップができるという岩場が用意されていません。

そうなると、トップロープを手放すということはかなり難しくなります。トップロープ癖というのは、岩場の不備と二人三脚、共依存状態だということです。

ラオスのこの課題は、5c(5.9)くらいの課題ですが、こんなところで、開拓者のプライドだの、初登者の権利だの言っている人は、いません(笑)。

12が中級者であるという現代のレベルから見たら、そんなことにこだわっていること自体が陳腐であるのではないかと思います。

ですので、登る人のスキルに合わせたリスクを課題は設定すべき、という前提を超えて、初登者の権利主張にこだわるのは、過剰な保護であり、権利を主張するところ義務アリ、ですので、死亡や重大事故者に対する補償や、リボルト義務を開拓者には求めていくべきだと思います。現状は、ボルト打ち逃げ、と称しても良いような状況が続いています。

少なくとも、自分の課題での死亡者の存在には、向き合っていく必要が人としてあるでしょう…

2022/01/26

2003年登山時報vs2021年登山時報

 ■ 2021年


■ 2003年 


















■ 大日岳の事故… 

大日岳の雪庇事故だけでなく、中川博之さんと伊藤仰二さんのアルパインとかも載っている2003年11月の登山時報… 中川さんって福岡の人なんですよね。誰も知らないみたいですが。

一方、瀬戸内海の山の特集になっている2021年11月の登山時報…

聞いたこともない地味な山の話。山は高きがゆえに尊からずですが。

まぁ、山の内容自体が、ものすご~く、”トーンダウン”している感じは否めいないですね。”おばあちゃんの山”って言うか、料理に例えるなら、”煮しめ”みたいな感じで、若い青年が若き血をたぎらせる山…”ステーキ”、では、まぁないわな… 

UIAAのアイスコンペが開催中ですが、その話とか、行縢の5.14bの話とかではダメなんですかね?

SNSを見ている限り、若いクライマーでクラックやっている人とか、九州では14歳とかが8cを登ったりとか、OldButGoldなルートを再登したり、とか、それなりに、記録になりうることもしていると思うだけどなぁ…

日山協の人とか、労山の人とかが、若いクライマーと繋がっていないとか???

目次を見ただけでも、面白そう!と思うか思わないか… でいうと、2021年ので、わくわくする人って誰?って感じです。世間は中高年登山に席巻されているような印象…。

2021/11/27

日本には海外クライマーをもてなせる楽しい岩場がない

 ■ 日本には海外クライマーをもてなせる楽しい岩場がない

小川山も世界一怖い岩場指定されていたしなぁ…。

数年前に行った台湾で、シンガポールで普段登っているというクライマーに教えてもらいました。そのシンガポールには外岩がないのだそうで、インドアジムで鍛えたら、誰しもが、よし!次は外岩だ!=海外、となるのだそうで、シンガポール人は小川山を目指したらしく、それが間違った選択肢だったと早々に気がついたそうです。

だよなぁ…。

一般に、アウトドアクライミングのデビューはスラブからです。傾斜が寝ているので、初心者向きとされているのですが、残念ながら、ボルト間隔的にはぜんぜん初心者向きではないことが多く、多くがランナウトしており、落ちたら大怪我になってしまう。それが歴史的流れなのです。これはアメリカも同じで、ヨセミテも強烈なランナウトなのだそうです。

小川山はヨセミテを範とした岩場だから、当然ヨセミテ流。日本では花崗岩の岩場はぜんぶヨセミテ流なのではないかと思います。

■ グレードの表現

一方インドアジムの人は、5.9が一本でも登れたら、つまり限界グレードが5.9だとしても、自分のグレードを5.9と表現することが多い。

私も今登れたことがある最高グレードは11Aのオンサイト。でも、もし快適に楽しく登るとすれば、10Aとかです。私がインドアで練習するなら、11Aに取り付くべきです。落ちながら強くなるのがインドアの正義。その正義をアウトドアに持っていくと?まぁ、大怪我や事故になりますね。

この教えてくれたシンガポールの人は、日本の岩場は怖いと連発していました。比叡にも行ったそうです。

その比叡は、米澤さんによると、現代はまだましになって、以前は40mランナウトしていたところが、20mランナウトくらいに収められているそうです。

昔の人は、国の威信とか、会の威信とか背負って登っており、現代の一般社会人が楽しむ健全なスポーツとしてのクライミング、趣味となり、余暇として求めらるクライミングとは、まったく話が違ってしまっています。

■ ボルト=スポートルート

それでも、ルートに打たれているのが、ハーケンやリングボルトだったら、20mのランナウトでも、40mのランナウトでも、何の誤解も生まれないのですが…ボルトが打たれているとなると、ボルトというのは、スポートルートって意味なんですよね…。一般常識では。

自分のために打つのがハーケン。あとに続く人のために打つのがボルト。自分さえよければいいのがハーケン。公共の利益のためにあるのがボルト。

ロープが出ているのが20mで、20mランナウトしていたら、墜落したら、ロープの伸びの分で、グランドフォールします…つまり、ボルトがあっても、なんの保護の役目も果たしていない…。もしそのボルトがぽっきりと折れたり、抜けたりしても、おんなじですよね。40年前に打たれたボルトは今そんな状態です。

こんなランナウトになったのは、出来るだけボルトを打たないという正しい方針のためですが、ランナウトしていたら、ボルトの役目自体が果たせないので、いっそノーボルトのほうが正直って感じです。ボルトがあると人間は安心してしまいますが、実質はボルトがないのと同じ状態なので、結局、ボルトレスと同じです。ならロープもあってもなくても一緒ってことなので、フリーソロと同じです。

20mランナウトの岩場は、20mフリーソロの岩場として売り出すほうが、正直。

そうすると、命知らずな人しか来なくなって、誤解が減る、ってものです。

■ 趣味として楽しむクライマーに命がけは勧められない

海外クライマーに何人か友達がいますが、遊びに来たいと言われても…、困る。

バケーションで楽しくクライミングしようと思っている、ノーマルで11くらい登れ、頑張ればやっと12が届くかどうか?な人なら、もしオールラウンドに、スラブも、オーバーハングも、フェイスも、クラックも、ワイドも登れるみたいな成長をした人なら、たぶん20mフリーソロのスラブで落ちることはないと思うのですが…それは人に寄ります。

大体のクライマーは平素がインドアジム。それでやっている人に、

 20mランナウトした岩場が易しい岩場があるけど、どう?

って聞けます?しかも、ルートのピッチグレード5.7とか。

普通のクライマーなら、もっと難しいのでいいから、安全なルートのほうが好みだと思います。

一方、もし彼がスラブに経験がなく、5.7?やるやる!というような状態の人だと、逆にまだ分かっていない5.7がギリギリの人かもしれず、それで5.7でランナウトした課題に取りつかせると、ヘリが飛ぶ可能性が五分五分です。5.7のスラブをノーテンションで登るには、5.9のスラブがギリギリグレードである必要があるからです。ゆとりが必要。

ゆとりが必要、というのは、もっとも現代クライマーには理解しがたいようです。

それはクライミングを初心者がどのように学ぶか?というプロセスが変わったためで、現代は入り口がクライミングジム=落ちながら成長。

という理由で、大体、外岩リードクライミングの指導ができるレベルのオールドクライマーは、ジム上がりクライマーを嫌がります。自分の指導中に気楽に落ちて、怪我でもされたら後味悪いですよね。

■ じゃ適性ボルトの岩場はどこなの?

とか聞かれて、これも困るんです…。なぜなら、海外のように岩場ごとにボルト間隔の適否が分かれているんじゃなく、

開拓者別

なんです。日本では。しかも、トポに開拓者の名前が書いてあることが少なく、開拓者の個性も、トポには記載がないです。誰が作ったルートなら安全なのか?っていうのは、ローカルクライマーに対しての、聞き取り調査、しかなく、それでは、海外から来た人は登れない。

■ 楽しくない

クライミングは危険なので、スリルを楽しむスポーツであることは確かですが…

バンジージャンプが楽しいのは、スリルであって、本当に死ぬのではないから。

同じ理由でクライミングが楽しいのは、単に死ぬかも…というのは、見せかけであって、本当に死ぬことは想定されていないから。

どうだ!と命知らず自慢をしているクライマーだって、ホントに死ぬとは思っていないから、自慢になるわけで、ホントに死んでしまったら、ただのアホです。

ので、普通のクライミンググレード…海外のインタビューでは、基本的に5.10代を登るクライマーが25%の人口を占めており、11登る人も12登る人も、全員が成長プロセスで通る道のりが10代なので、10代でランナウトしていて落ちて死ぬかもしれない作りになっていたら、クライマー人口の半分に、”来ないで”と言っているのと同じことです。

■ 適正グレードと適正ボルトが急務

というわけで、日本のクライミングが海外で一般にクライマーが楽しんでいるような、趣味として、命を掛けずに楽しんで登れる状態になるには、

5.9なのに、実は10cとか、不適切かつ不誠実なグレードが与えられていることがない

5.9しか登れないクライマーが5.9に取り付いても死なない程度のボルト間隔になっている

の2点が必要です。5.9を例に出した要るのは、タダの便宜上です。5.11でも、5.12でも、おんなじです。

適性グレードなんて、インターネット全盛のこの時代、何人も登る人がいるので投票であっという間に決着がつきそうですが、そういう仕組みがないのでつかない。

余談ですが、一般登山でも、適性グレードの問題は根深く、簡単なロープウェイで登れる山の唐松岳の隣だからというだけの理由で、後立の山の中では難易度が高い五龍に来てしまうヨレヨレ登山者が後を絶ちませんでした…帰りは遠見尾根でこれも長くて難しい道です。

登山者もクライマーもどっこいどっこいで適性グレードではないという問題は根深いです。

海外のハイキングを求める人は、日本の山と言えば、富士山一択…。発想が貧困です。夏の富士山なんて行っても楽しくないですが、そう教えても誰も話を聞かない。行ったという事実が自慢話のネタとして帰国の折に必要だからです。故郷の人が名前を知らない山に登っても、話題にならない…。

というので、適性グレードがないのは、クライミングだけの問題ではないですが、そういう問題を一足先に飛び越えて、

グレードが適正であると、ボルトが適正であるとかはごく当然のことであるラオスの環境…

ホントに羨ましいです。日本の初級クライマーはすべからくラオスで一か月くらい登れば、アウトドアへのデビューはバッチリだと思います。