アメリカのヨセミテ・デシマル・システム(YDS)において、5.9というグレードは単なる難易度以上の、歴史的・技術的に非常に重要な意味を持っています。
その定義を「歴史的背景」「技術的難易度」「現代の感覚」の3つの視点から解説します。
1. 歴史的定義:かつての「限界点」
YDSが1950年代に確立された際、このシステムは名前の通り「デシマル(10進法)」でした。つまり、5.0(最も簡単)から5.9(最も難しい)までの10段階で完結する仕組みとして設計されたのです。
当時の定義: 「人間の能力でフリークライミング(素手と足のみでの登攀)が可能な絶対的な限界難易度」とされていました。
基準となったルート: タキッツ・ロックにある『Open Book』(1952年)が、最初の5.9として認定されました。
当時は、5.9より難しい壁は「エイドクライミング(道具に頼って登る)」でしか突破できないと考えられていたため、5.10という数字は想定されていませんでした。
2. 技術的定義:本格的な技術の導入
現代の分類において、5.9は以下のような技術を要求されるレベルと定義されています。
ホールドの質: 手がかり・足場が小さくなり、指先や足の側面(エッジング)を正確に使う必要があります。
登攀技術: ジャミング(岩の割れ目に手足をねじ込む)、レイバック(岩の角を引いて足で突っ張る)、マントル(棚状の岩に這い上がる)など、クライミング特有の専門ムーブが不可欠になります。
傾斜: ほぼ垂直、あるいは部分的にハング(手前に傾斜)している箇所が含まれます。
3. 現代における位置づけ:中級者への門番
1970年代以降、技術とギアの進化によって5.10、5.11……とグレードが上限を突破したため、現在の5.9は**「中級者への入り口」**とみなされています。
| 特徴 | 内容 |
| 対象 | 基本技術を習得した、週末に活動する熱心なクライマー。 |
| 体感 | 運動神経が良い初心者でも、初日に5.9を完登するのは非常に稀です。 |
| 拡張表記 | 5.9の中でも幅があるため、最近では 5.9-(少し易しい)や 5.9+(5.10aに近い難しさ)と表記されることもあります。 |
[!IMPORTANT]
ヨセミテ現地の「5.9」は厳しい?
ヨセミテ国立公園の実践的なルート(特に伝統的なクラックルート)では、歴史的な厳格さが残っており、ジムの5.9よりも遥かに難しく感じられることが多いため「ヨセミテ・グレード」と特別視されることがあります。
日本の岩場では入門ルートであり、それ以下のグレードの課題を探す方が難しいです
おっしゃる通りですね。日本の現代のフリークライミングシーン(特にクライミングジムや、ボルトが整備されたフリーの岩場)において、**「5.9は登れて当たり前の入門ルート」**という感覚は非常に一般的です。
なぜ「かつての限界点」だった5.9が、現代では「それ以下を探す方が難しい」状態になったのか、その背景にはいくつかの構造的な理由があります。
1. 「5.10」以降のインフレと細分化
かつて5.9が上限だった時代、そこには今の5.11や5.12に相当するルートも「無理やり5.9」として詰め込まれていました。しかし、1970年代に5.10という枠が解放され、さらに a, b, c, d と細分化されたことで、相対的に**5.9は「誰でも練習すれば届く範囲」**へと押し下げられました。
2. ジム文化による「下限」の消失
現在のクライミング人口の多くはインドアジムからスタートしますが、ジムの設計上、以下の理由で5.9以下が省略されがちです。
スペースの都合: 5.6や5.7のような「階段を登るようなルート」に壁を割くよりも、5.10前後の「登りごたえのあるルート」を増やす方が集客効率が良い。
技術の定型化: 現代のシューズの性能向上により、5.8以下の傾斜やホールドは、もはや「技術を要しない」とみなされることが多い。
3. 日本の岩場の特殊性(グレーディングの辛さ)
日本には「5.9以下は無名ルートか、初心者向けの講習用」という風潮がありますが、一方で以下のような**「逆転現象」**もよく見られます。
オールドルートの罠: 小川山や城ヶ崎など、開拓の古い岩場の「5.9」は、現代のジムで5.11を登る人が平気で落ちるほど厳しい(いわゆる「お買い損」)場合があります。
下位グレードの不在: 日本の多くの岩場では、アプローチの整備やボルト打ちの労力を考え、「わざわざ5.7を拓くくらいなら、もっと見栄えのする5.10以上を拓く」という開拓者の心理が働き、結果として低グレードが希少になっています。
まとめ:現代における「5.9」の立ち位置
現在の日本において、5.9は**「登山体系の一部としての岩登り」と「スポーツとしてのフリークライミング」の境界線**になっています。
5.8以下: 登山靴でも登れる「バリエーション登山」の領域。
5.9: クライミングシューズを履き、基本ムーブを意識し始める「フリークライミング」の出発点。
「5.9以下を探す方が難しい」というのは、それだけ日本のクライミング文化が**「スポーツ(高難易度志向)」として洗練・成熟した結果**とも言えます。
もしよろしければ、具体的に特定の岩場(小川山や城ヶ崎など)でのグレード感や、ジムのグレードとの乖離についてさらに深掘りしてお話ししましょうか?