2026/01/20

自分の何が危険なのか?老いも若きも自覚できない人々に囲まれたこと

 さて、続きを書きます。

私はアラーキーとの関係で、非常に興味深いと思ったのは、彼が、「傲慢だと指摘されるけれど、自分の何が傲慢だと指摘される点なのか分かっていない」点でした。

大堂海岸に一緒に行ったときは、「5.7をなめている」と自己否定的なことを言っていましたが、本当にそう思って発言しているというよりは、皆に舐めていると言われるけど、かんたんなんだけどな、って感じでした。

彼は、私が一時帰国的に言った城ケ崎では、”本日の一番危険なクライマーアワード”を受賞していました。非常に危険なリードをして、ビレイヤーが怖かったと言っていました。

私は登るところを見ていなかったので、?と思ったのですが、プロテクションが決まらないまま、登っていたのではないかと思います。

そして、彼はNPDであるのと同時に、同調圧力というか同調圧力をまったく圧と感じず、みなと同じにすることがリスクであるという自覚がないので、どこかのルートに登ったぜと自慢することが実力を意味しないかもしれない…とはつゆほども思っていないようでした。

「○○一撃」とか、そういうのが、山梨でも九州でも、クライマー界のデファクトスタンダードです。

もちろん、それはクライミングという遊びの無邪気な側面で、たのしむためのものであればいいのですが、NPDにかかると楽しむためというより、本当にじぶんの優位性だとうけとっているようだったのです…。

あれ?みたいな。大人ならば、遊びの発言、悪ふざけの発言だと分かる、○○登った自慢は、真実としてある程度通用する通貨として、九州では扱われていそうでした。

だから、彼にも『白亜スラブに登った』という看板が、必要になったのでしょう。つまり、中身を伴わなくても、看板だけでいいって感じでした。だから、どうしても敗退ロープなしで行かなくてはならなかった。目的は、無双した、と相手から想像されることであって、実力をつけることでも、そのルートそのものに興味があるわけでもない…

それが私は見抜けなかったんですよね…。バットレス四尾根と同じじゃないか…。

彼は、周囲から危険を指摘はされていたのではないかと思いますが、自分がクライミングを組み立てるスキルに欠けていることについて、最後まで理解はできなかったんじゃないかと思います。

ロープはシングルか?ダブルか?ヌンチャクは何本要りそうか、経験から積み上げていくというプロセスにはおらず、一つ一つの登攀が、ギャンブルによる勝利、でしかない。と、次もギャンブル、その次もギャンブル、で掛け金であるリスクが吊り上がるだけの活動になってしまいます。それが彼が自覚できなかったことの内容です。なぜじかくできないのか?

実際に登攀力、つまりパワーで何とかなってしまうからです。私だって5.7ならばランナウトも気にしないで登れてしまいます。なんていったって、セブンで落ちないので。ルートもそのように組みたっていますし。だから、そのままのノリで5.12までは行けてしまうのが現代の男性クライマーなんですよ。その上に行かないと、プロテクションの重要さが分かるようにならない。私は5.9で分かるようになりましたけどね。

私にとってクライミングは、ギャンブル活動の正反対の活動で、リスクを一つ一つ自分の力で凌駕していく活動です。

たとえば、雪の山も、いざとなれば一泊できると考えていれば怖くなくなります。そのために雪中テント泊するんですよね?いざという時への恐れをなくすため。

クライミングも同じところで、落ちるかもしれないところにプロテクションを打つ能力、自分の能力に信頼があるから、前進できる。

それがそうはなっていなくて、落ちてはいけないところがどんどん高グレードになるだけでは…死への階段を上がっているだけのことになります。

しかし、かれの周りではその活動のほうがメインだったらしく、それがクライミングの本質的な活動ではないということがアラーキーには理解が難しかったということにかなり驚きました。

そして、当の彼が「バッドレス四尾根に行かななくて良かったですよ、ホント」と言った人だったのです。良識をもっている”ポーズ”がナチュラルにできる。嘘をついている、ポーズで発言している、とはつゆほども思っていないと思う。白亜スラブで起きたのは、四尾根と同じことなんですが…というか四尾根は未遂に終わったが、白亜スラブでは実践されてしまっている。

つまり、言葉は、その場をコントロールし、自分が「まともな人間」に見えるためのパフォーマンスに過ぎないってことです。嘘をついている自覚すらない(=自分も騙している)からこそ、周囲は彼の言葉を信じてしまい、結果として彼の自殺的な行為を加速させてしまう。私もその周囲の一人にされたってことです。

そして、その後、私が救いを求めた先は松井さんでしたが、松井さんすら、「ビレイはオリンピックで習ったから(オリンピックのビレイと外岩のビレイじゃ正反対です)」「祝後川、2名?行ってきたら(沢登教室の当日に沢登のリスクはほかの登山形式と比べて大きいことが言われます)」の2重の攻撃で、どっちの発言も、クライミングの現実の見当識が正常ではないということを示しています。

えー?です。これらのセリフを聞いて、クライミングのことを分かっていない人なんじゃないか?と疑えなかったら、あなたはもう少し勉強したほうがいいです。

つまり、松井さんも周囲の雰囲気に合わせて発言しているだけってことです。

つまり、九州では、年配の人ですら、周囲のノリに合わせて発言しているだけで、誰も本質的なクライミングのリスクについて自覚的でないということなんですよね。

そりゃ、自覚がないんだから事故になって当然ですね。

「みんなこう言っているから」「このグレードを登った奴なら大丈夫だろう」という根拠のない空気感が、クライミングの絶対的な物理を覆い隠してしまっていた…ら、まったく実力の伴っていない人が、誰かに連れられて行った山でも、暗記のルートでも、○○に行った人、で通用できてしまい、そこでは大将になれる。

みんながやりたいのは、自尊心を守る活動であって、クライミングそのものではないということが透けて見えています。

一生九州から出ないならばそれに気が付くことすらできません。

今、その「狂った空気」から離れて振り返ってみて、彼らのような「看板だけのクライマー」を量産してしまうこの構造…その可視化が流れるプールだったんですよ。

だから、昨日は流れるプールに行って癒されました。

ほんとに、ただ流されているだけの人たちなんですよ…それが分かった。