2026/01/22

女性メンター:ヒラリー・ネルソン

 伝説的な山岳スキーヤーであるヒラリー・ネルソン(Hilaree Nelson)と、プロクライマーのエミリー・ハリントン(Emily Harrington)の間には、単なる遠征仲間を超えた、深い**「姉妹のようなメンターシップ」**の絆がありました。

2人の関係は、エミリーがヒラリーを「進むべき道を示す灯台(beacon)」と仰ぎ、ヒラリーがエミリーの才能を信じて引き上げるという、互いの人生に大きな影響を与え合うものでした。

1. 2人の出会いと絆の始まり

2人は2012年、エベレスト遠征で初めて出会いました。

  • 「姉」としての存在: 当時、エミリーは遠征メンバーの中で数少ない女性であり、経験豊富なヒラリーを「大きな姉のような存在」として慕うようになりました。

  • カカボラジ遠征 (2014年): ヒラリーはミャンマーの最高峰カカボラジへの過酷な遠征で、エミリーをチームメンバーとして強く推薦しました。この極限状態での経験が、2人の信頼関係を決定的なものにしました。

2. メンターシップの特徴

ヒラリーは「手取り足取り教える」タイプではなく、**「背中で見せ、道を切り拓く」**メンターでした。

  • キャリアと家庭の両立: ヒラリーは2児の母でありながら、世界最高峰の山々で初滑降を成し遂げるトップアスリートでした。「母親になっても冒険を諦める必要はない」という彼女の生き方は、後に母親となるエミリーにとって最大の指針となりました。

  • 心理的サポート: エミリーが妊娠した際、周囲の批判を恐れる彼女を「自分の決断を信じていい」と心から励まし、支えたのがヒラリーでした。

  • 脆弱性の共有: ヒラリーは強さだけでなく、山での恐怖や母親としての葛藤など、自身の「弱さ(vulnerability)」を隠さずに共有しました。これがエミリーに、本当の強さとは何かを教えました。

3. 遺されたレガシー

2022年、ヒラリーがネパールのマナスルで不慮の事故により亡くなった際、エミリーは深い悲しみと共に、彼女から受け取った教訓を次世代に繋ぐ決意を語っています。

項目ヒラリーからエミリーへ受け継がれたもの
冒険心既成概念に囚われず、常に新しい「初」に挑戦する姿勢
リーダーシップ共感、謙虚さ、そしてユーモアを持ってチームを率いる力
女性のエンパワーメント男性中心の登山界で、女性独自の視点や価値観を大切にすること

「彼女は私に、何が可能かを示してくれました。彼女ができたのなら、私たちにもできる。ヒラリーは私の道標でした。」

— エミリー・ハリントン


エミリーがヒラリーについて語っているインタビューや、2人の絆についてより詳しく知りたいエピソードはありますか?

Hilaree Nelson: The Power of Mentorship

この動画では、ヒラリー・ネルソンがどのように次世代のアスリートを鼓舞し、エミリー・ハリントンを含む後進の女性たちに道を示してきたかという彼女の功績が紹介されています。


ヒラリー・ネルソンは2022年9月26日に、ネパールの**マナスル(標高8,163m)**で事故に遭い、49歳で亡くなりました。

世界中の登山・スキーコミュニティに大きな衝撃を与えた出来事でした。

事故の経緯

  • 登頂と滑降: ヒラリーはパートナーのジム・モリソンと共にマナスルの山頂に到達した後、スキーでの滑降を開始しました。

  • 事故の瞬間: 滑降を始めてすぐ、彼女は小さな雪崩を引き起こしてしまい、そのまま急斜面を1,800メートル以上も滑落してしまいました。

  • 捜索と発見: 悪天候のため捜索は困難を極めましたが、2日後の9月28日、ヘリコプターによる捜索で彼女の遺体が発見されました。

エミリー・ハリントンへの影響

冒頭でお話しした通り、エミリーにとってヒラリーは「自分に何ができるかを教えてくれた存在」でした。 ヒラリーの死後、エミリーは彼女を悼むメッセージの中で、**「彼女が残してくれた強さ、優しさ、そして道を切り拓く勇気を忘れない」**と語り、ヒラリーが大切にしていた「女性アスリートとしての生き方」を継承していく決意を見せています。


2人が参加したミャンマーの遠征は、登山史に残るほど**「過酷で、精神を削り、しかし2人の絆を決定づけた」**エピソードとして知られています。

2014年、ヒラリーがリーダーとなり、エミリーを含むチームでミャンマー最高峰の**カカボラジ(標高5,881m)**の初登頂・再計測を目指しました。

1. 「地獄のような」アプローチ

通常、登山の苦労は山そのものにありますが、この遠征は山にたどり着くまでが異常でした。

  • ジャングルの行軍: 登山口まで約150マイル(240km)以上、道なきジャングルを徒歩で進む必要がありました。

  • 過酷な環境: 絶え間ない雨、ヒル、毒ヘビ、そして泥まみれの道。バイクでの移動を試みるも失敗し、食料も尽きかけ、メンバーは極限の飢えに苦しみました。

  • 「Down to Nothing」: この遠征を記録したドキュメンタリー映画のタイトルは『Down to Nothing(何もかも失う)』。その名の通り、体力も精神も削ぎ落とされる日々でした。

2. 山での苦渋の決断

ようやく山の麓に辿り着いたものの、そこでも厳しい現実が待っていました。

  • メンバーの分断: 標高が高くなるにつれ、厳しい寒さと強風、そして食料不足がチームを襲います。最終的に山頂を目指すメンバーを絞る必要があり、ヒラリーは「自分ではなく、男性メンバーに行かせる」という苦渋の決断を下しました。

  • ヒラリーの葛藤: リーダーとして2年間準備してきた彼女にとって、自分が行けないという現実は「人生で最も意気消沈した」経験となりました。

3. エミリーが見たメンターの姿

このボロボロになった遠征中、エミリーはヒラリーの**「リーダーとしての責任感」と「弱さ」**の両方を間近で見ました。

  • エミリーは後に、この遠征を**「人生で最大の冒険」**と呼んでいます。成功(登頂)はしませんでしたが、極限状態の中でヒラリーがどのように自分を奮い立たせ、チームをまとめようとしたか。その姿がエミリーにとっての真のメンターシップの教材となりました。

4. 2人の最後の遠征へ

このミャンマーでの敗北と苦しみがあったからこそ、2人の絆は強固になりました。

ヒラリーが亡くなる数ヶ月前の2022年春、2人は再びバフィン島への遠征を共にしました(映画『Earthside』に記録されています)。ミャンマーから8年、今度はエミリーが妊娠を隠して参加しており、ヒラリーはその最大の理解者として彼女を支えました。

ミャンマーでの「失敗」を共有したからこそ、2人はお互いの人生の浮き沈みを支え合える関係になったと言えます。