2022/10/31

慈悲の瞑想…強い自己肯定感を作る

■ 慈悲の瞑想

このように唱えます。このように唱え始めてまだ3日目くらいですが…。

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     私が幸せでありますように
    私の悩み苦しみがなくなりますように
    私の願いごとが叶えられますように
    私に悟りの光が現れますように
    私が幸せでありますように(3回)

    私の親しい生命が幸せでありますように
    私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
    私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
    私の親しい生命に悟りの光が現れますように
    私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

    生きとし生けるものが幸せでありますように
    生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
    生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
    生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
    生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

    私の嫌いな生命が幸せでありますように
    私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
    私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように
    私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように(3回)

    私を嫌っている生命が幸せでありますように
    私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
    私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように
    私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように(3回)

    生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

ーーーーーーーーーー

 ■ 40年モノのカットアンカーの対応法を知らない現代クライマー

九州に来て初めて知ったのがカットアンカーなのですが、10年クライミングをしていても、相方も知らなかった。

ということは、相方も

 気の毒な方

の一人です。九州で登っているクライマーも知らなかったのではないでしょうかね?

無邪気にバンバン落ちるクライミングをやっている様子を見る限り…。 

ということは、

 気の毒な方

かもしれません。

これが慈悲の瞑想の効果なのかどうかは分かりませんが…。とりいそぎ。

基本的に、余りクライミング界では、ボルトの知識、特にカットアンカーがボロいボルトであり、新品でも信用するには足りないボルトであることは、強調して教えられている知識ではないかもしれません。

 

カーラーマ経…自分が分かったことだけを頼りにする

https://j-theravada.net/dhamma/kougi/kougi-012/

これがわたしがクライミングで追及していたことだなぁと思いました。

その心は?

1)迷信や呪文に頼らない → 例)山の神様が住んでいる 答え)山の神は民間信仰。遭難には自分で備える。

2)伝統 → 例)山岳会には伝統が残っている 答え)残っていない。会を頼らず自分で勉強する。

3)言い伝え → 例)山が好きな人に悪い人はいない 答え)山にもいる

4)本 → 例)8環ビレイ 答え)現代では沢の登攀以外ではほぼ使われない、バックアップとして持っていくのみ

5)理性 → 例)白亜スラブ グレードで行けば登れるはず 答え)実際は事情は複雑で、40年経過したカットアンカーで登る技術と整備された岩場で登る技術は別物

6)理論 → 例)確保理論 答え)確保理論通りにビレイをしても、ランナウトしている課題(例:インディアンサマー)では、後ろに走りデモしない限り落ちれば事故になる

7)見解 → 例)ランナウトすると燃える 答え)ランナウトに燃えない人間はいない、わざとランナウトするようになるのは、アドレナリン中毒

8)見解 → 例)一緒に登ろうぜ!と意気投合する 答え)その人が安全なビレイをするとは限らない 年配の人はビレイ危険なことが非常に多い

9)立派さ → 例)高グレードを登るクライマー 答え)ビレイヤーとしては最悪の場合もある

10)肩書 → 例)高名なクライマー 答え)ビレイヤーとしては最悪の可能性もある

■ ビレイと登攀力は別物

別物だという理解がクライミング業界はあまりないかもしれないですね…。

また、ビレイ以外の周辺知識で、安全にかかわる部分が大変おろそかな現在…例えば

1)ロープの選択方法、使い方、ショックロードとの関係 

2)ランナウトの知識

3)パートナーへの信頼関係とクライマーの登攀能力の関係 ビレイが悪かったら登れない

4)体重差

5)傾斜ごとに違う登り方とリスクのとり方 

6)動的ムーブとリード登り

7)初心者のリードに向いた課題の選び方

8)登り方より、降り方が難しいこと

9)セルフレスキューと事故の考え方

10)登って良い岩場の見極め方 ランニングや終了点の経年劣化

■ 最近分かったこと

情で登ってはいけない。

私は、若くして亡くなったアスリートであまり成績は良くなかった弟をパートナーに投影していたので、必要以上に良く対応してしまっていました。

弟への無念の念…生きているうちに、よくしてやりたかった…は、クライミングで関係を構築するには不要どころか、逆に害悪です。

男性=ヒロイズム。相手のナルシズムという火に油を注いでしまう結果になります。

大体、女性の注目や親切心という名の愛情は、どのクライマーにもそういう結果になる…必要以上に、かっこ付けるため、自分を大きく見せようとしてしまい、遭難や事故、ヒヤリハットにつながるようです。

2022/10/30

乾徳山vsインスボン

■ 乾徳山旗立岩

乾徳山旗立岩は、アルパイン”ロック”クライミング、つまり無雪期の山の登攀の入門ルートです。https://allnevery.blogspot.com/2016/06/blog-post_20.html

これと、インスボンのようなスラブの登攀ルートとの違いが分かるようになるのが、

   アルパインとフリークライミングの違いが分かる

ことになる、というようなことのような気がしますね。

■ リッジで落ちる=クライマー失格

乾徳山旗立岩はリッジ登攀です。3P。つまり、尾根です。ですので、足で歩く登山の延長戦にあります。でも落ちたら死ですね。まぁ、フリークライミングの視点で見れば、絶対落ちないような程度の難易度ですけど…。それでも、フリークライミングの能力開発なしで行けば、落ちてる若い男性います。

記録。https://allnevery.blogspot.com/2016/06/blog-post_20.html

■ 若い男子でも落ちる

若い男子なら誰でもフリークライミング能力があるか?というと違います。インドアジムでフリークライミング能力が上がっても、このルートには行けない…。ここに必要な能力って、西湖の岩場でボロい支点の5.8をオンサイトする能力と支点構築力のほうで、インドアジムで5.11を登る能力ではないです。必要十分条件が揃うのが難しいのです。

■ クラッギング

クラッギングの場合は、誰かに連れて行ってもらって、テキトーにお茶を濁して、能力開発したり、自立したりは、しないで済ませる男性もいる。

前の会で、そうやってフリークライミング歴5年と言いながら、全部リードがAゼロだった男性がいました。全然フリーになっていなかった…。

■ マルチ=遠隔地でもない

マルチという一言で、全部アルパインの論理…落ちてはいけない…が適用される、という風にクライミングの業界内でも誤解が著しいですが…。

しかし、ほとんど下界のような山もあり、インスボンなどはその事例です。地下鉄から登る山です。

切り分けポイントは、救急車が横付けできるか?どうか?のほうです。

誤解の発端は、偶然、マルチピッチは、遠く離れた山にあることが多いからです。

本来は、山であっても、どこでも、フリーで登れる、つまり、エイドせず、道具に頼ることなく登れるほうがスタイル的に優れている、良いのです。

ただ、遠隔地の山のマルチでは、救急車が横付けできないため、落ちて死ぬは許されないので、不安があるようなら、エイドが基本です。墜落が許容できる環境にないということです。

ということで、フリーで登っていい環境、道路が近くて救急車が横付け可能というのは、許された、恵まれた環境ということなのです。

アルパインのクライマーが日和ると言えば、下界に近くなることです。

■ インスボンを登るには、修行が必要

というわけで、インスボンが人気なのですが、シーズン中は、頻繁にヘリ飛んでいます。

どうも、韓国の人は、日本の人より技術レベルは低いように思いました。1本で懸垂している初心者の様子とか、インスボンで見ましたが、危なっかしいものでした。

でも、比叡では、ローワーダウンすら怖くてできない若い男子をみたので、それだとショートの経験もなく、いきなり比叡のマルチに連れてきたという意味で、連れてきた人の常識を疑う感じでした。

それでも、20代の若い男子だったとしても、クライミングは徐々に教育して行かないといきなりは無理って話だということだと思います。

さて、インスボン的マルチピッチと、 乾徳山では、全然意味が違います。

      インスボン vs 乾徳山

岩の脆さ   脆くない vs 脆い

登攀のタイプ スラブ vs リッジ

です。 スラブっていうのは、1枚岩ですから、のっぺりとした巨大ボルダー出現みたいな感じです。

スラブ登攀は、たいていの場合ランナウトです。傾斜が緩いのから、きついのへ、垂直へオーバーハングへ、と初心者は上達していくのがセオリーなので、最初は誰でもスラブになります。

≪クライマーの成長段階≫ 

 スラブ→フェイス→クラック→オーバーハング→さらにキツいオーバーハング(ボルダーなど)

 スラブ登攀の完成が、インスボンでしょう。比叡は、ランナウトであまりロープが意味がないことになっているのとボルトの老朽化で人気がない。=インスボン人気になる、と思います。町からの近さでも、インスボンの方が近くて、色々なレストランを利用できます。

 ≪スラブ登攀の上達の仕方≫

西湖の岩場 (入門)→ 春の戻り雪(熟達練習) → ガマスラブ(オンサイト)

インスボンの場合は、クラックもあるので、湯川程度のクラックの能力開発は必要だと思われます。

≪クラック登攀の上達の仕方≫

小川山レイバック(入門)→ カサブランカ・湯川(熟達練習)→ 台湾(オンサイト)

台湾は、クラックでも易しいので、無理なくオンサイトを貯めることができそうですが、私はまだ達成していません。2度目の台湾が必要な段階で、岸良に切り替えて、そのままでいます。

■ 入門→熟達練習→チャレンジ

この流れが、不適切になっているのが、現代のクライマーです。

入門=ジム 熟達練習=ジム

で、結局、スラブを練習する場がない、クラックを練習する場がない、で、入門と言われるアウトドアのマルチに行くので、練習なし本番と同じことになっています。

例えば、日向神でいくら登っても、クラックが登れるはずがないですよね?日向神は、フェイスの岩場なので。

それと同じことが起こっており、結局、インドアでのオーバーハングの登りのほうは、上達しても、それを外で使う場がありません。日本の岩場はハングしていない岩場が大半です。

■ ラオス

インドアジムで入門期と熟達練習を過ごした人には、ラオスがおススメです。

課題の成り立ちがジムと同じです。

低グレードでは、たくさんのホールドの選択肢があり、どれを使っても良いので、身長やリーチに関係なく、楽しく登れます。

だんだん高グレードになる=選択肢が限られてくる、傾斜が強くなる、という意味です。

ルートファインディングは、つまり易しくなり、上半身のパワーがいるということになります。

これは、そのまんま、人工壁の作りと同じなので、人工壁でクライミングを覚えた人は、

石灰岩クライミング

がおススメです。現代に足りていないのは、入門と練習の岩場のほうで、チャレンジ用の本番ルートはたくさんあります。


 

  

 

2022/10/28

ランナウト がそもそも分からない人もいるのかも…


 ランナウトの説明

たぶん、

ランナウト自体が分からない

人が多数なんじゃないですかね…。

というのは、

動くものに道標をつけることが、全く目印として意味をなさないことすら、分からない

様子だったのです。いくら、頭悪いって言っても、限界がある、と思ったら、もしかしたら間違いなのかもしれません。単に、ランナウトの意味が分からないってことなのかもしれない…

ビックリするくらい無知、無明っていう意味になってしまいますが…

ランナウトは、この赤の線のように、ロープがなってしまうことです。落ちたら、地面に激突する長さ、でロープが出ると、ロープをつけている意味がなくなります。

ちなみに、スラブでは傾斜が寝ているので、どの時点で落ちても、地面=岩肌についたままですので、 落下距離が長ければ長いほど、大根おろしの時間が長いってことです。

さらに、ちなみに、ロングフォールのほうが、落ちるクライマーにも支点にも、優しい場合もあり、特に、オーバーハングで、下に激突するもの…テラスなど…がない場合は、ロングフォールの方がいいこともあります。

ハングした場所で、ぱっつんビレイをすると、ストンと垂直に落ちず、壁にたたきつけられます。下のビレイヤーが体重が軽いと浮くので、もれなくすとんと落ちます。逆にビレイヤーが重たい場合は、上手なビレイ(奥村式)をやってくれないと、バッツンビレイで壁に激突です。


 

2022/10/26

【祝】仏教とのご縁

■ スマナサーラ長老

最近、ケネス・タナカの『アメリカ仏教』を読み、その後、テラワーダ仏教のスマナサーラ長老を知ることになって、仏教に目覚めました。

なんか、これこそが私が求めていたもの、って感じです。迷信や妄信を廃した、

 真の心の寄る辺、

です。ゆるぎない、内なる自分(自灯明)を作っていく活動です。

■ ”なんか違う…”の歴史

私は若い時サンフランシスコにいたので、SF禅センターも知っていたのですが、ちょっと違うな、という感じでした。禅は大乗仏教なのです。

しかも、海外の人で、禅、禅、と禅に惹かれて日本にやってくる人は、禅に、なにか非リアリスティックなファンタジーを持っていることが多く、日本の禅寺に案内しても、座禅?え?!暴力やん!みたいな感じです。夢打ち砕かれることになる(笑)。

我が家にもご宿泊いただいた最初のカウチサーフゲストの、チベット僧のターパさんは、原始仏教を教えているのですが、日本の仏教が知りたいということで、だいぶ高野山やら京都やら、修行寺を捜したのですが、日本では、出家僧、修行僧の文化がすっかり廃れてしまっており、宿坊といえば、修行をするところではなく、サービスをするところ…というので、私自身も分かっていたことでしたが、日本には真の仏教がすでにないことを確認するお手伝いをすることになりました…(汗)。

これって、以前米国のクライマーが日本に来て、日本には真のアウトドアアドベンチャーはない、って語ったのと似ているかもしれません。

しかし、SF的な世界観…卑近な例でいえば、ヒッピー文化…リベラル、というものが、私の生き方の方向性だなぁと思っていました。

■ 西洋人社会のラオス

ラオスに行って、”西洋人クライマー社会”は、”日本のクライマー社会”より、私にとって快適だった…。

海外のクライミング文化というのは、

 パートナー囲い込み (仏教的に言えば、執着)

というより、

 みんなで登ろうよ! (仏教的に言えば、慈悲)

みたいな感じでした。

人種差別もかなり、なくなっていますし…。日本人だけが身内主義で気持ち悪いですよ。

日本であるような、山岳会が岩場を独占する様子に居心地が悪い…みたいな感じは一切ありません。

■ 衣食住が満たされた後 どのように生きるか?

日本は戦後豊かになり、生きる、食べるという最低限のことは満たされました。

そこにはそんなに力を使わなくて良くなった。

で、そんな現代社会で、人はどう生きていけばいいのか?という問いに、みんながぶつかっています。

で、

 ヒマな時間はクライミングして、自然と親しんでいたらいいのでは?

というのが、私が出した答えでした。それは、結局、山とか

 クライミングが瞑想だったから

です。

SF的なもの…というくくりでは、私の中にあるものは、

 平和主義、多様性の歓迎、人類皆兄弟、非差別、非暴力、環境主義、リベラル、質素

というものです。

それで、長らく、ヨガ講師を仕事としており、それで、サンフランシスコ的価値観を生徒さんに伝えることもでき、とても満足していました。

在り方が生き方だったというか… 

クライミングは、冒険好きを示すちょっとしたスパイス程度の扱いです。

■ ヨセミテのボーイズは私の価値観に合わない

クライミングで有名なフィルムに、ヨセミテの初期のころのクライマー達、バレーボーイズの人たちを描いたものがありますが…あれ、私にはまったく合わないです。

リン・ヒルもちらっと出てきますけど、リン・ヒルに憧れたことはないですから・・・ 

ヨセミテは、確かにヒッピーカルチャーの一部門なんですけど、全然、価値観合わない。

 ならず者風

というのは、むしろ、カリフォルニアの

 ゴールドラッシュ時代の文化継承

なんではないですかね?あるいは、

  俺がすごいことを示したい! 

って文化もあわないですね。そんなの、誇示されても、ハイハイ、そうね、とお母さんみたいな気分です。

ま、たしかに、ヒッピー文化って、ドラッグ、セックス、反抗、放浪の世界観ではありますが…。

明らかに、平和主義ではなく、デスウィッシング、ですね。ドラッグやりすぎで死ぬ人達とむしろ近いというか。

■  ヒッピー文化

私が住んでいたミッション地区は、ヘイトアシュベリーには徒歩圏内だったので、まぁ普通にドラッグの売人がパンハンドラーとして、たっているような場所も生活圏でしたし、まぁ、そもそも、ミッションでの暮らし自体がヒッピー本拠地なので、私の暮らした家のお母さんもレズビアンでしたし、そのお母さんは地下でマリファナを吸っているので、洗濯物が臭くなってしまうのでしたが…私自身は、そんな環境でも、別に快適で自分が薬物に溺れるということもなく、ボランティア活動していました。

『ダーマ&グレッグ』という海外ドラマがありますが、帰国後、かなり気に入ってみていました。ヒッピーとヤッピーの結婚した話です。 夫にSFの文化を伝えるのに便利だったというか。

文化的多様性に寛容なワタシですが、一番ないなっていうのが、

  いきがり、

かなぁ…。

 俺ってかっけー!って奴です…。

なんせ、カッコ付けること自体がカッコ悪いというか… 師匠に、上手になったね!かっこいいよ!と声をかけられたら、途端に登れなくなりました(笑)

ロットプンクトというトップクライマーのドキュメンタリーがありますが、めちゃくちゃかっこ悪かった…。コーチに作られたエリートクライマーが、裏ではブチ切れているという話でした。

■ ヨガからアメリカの仏教徒へ

海外では、よくキリスト教の教会へ通っていました…。善意の人たちと出会える場だからです。しかも、子供のころに聖書を読んだりしているので、キリスト教のほうが仏教よりも詳しいくらいでした…(汗)

日本の葬式仏教には最初からなじめませんでした…お葬式でしかお世話にならない宗教って宗教って言えない…。心の支えっていうよりは、仕方ない出費ですよね。

かといって神社も信仰の対象にはなりえないし…そういうわけで、日本では、無神論者がはびこり、功利主義、つまり、自分さえよければ他者のことはどうでもいい、という世界がはびこってしまい、それがそのまま、クライミング界に現れている。

 俺の命だから俺の好きにしていい

 俺の得になることしかしない

 ドレイヤー制度 (自分の行きたいところには行ってもらいたいが、相手が行きたいところには行かない)

という文化です。登山の方では、環境が厳しいので、けっこう倫理観、価値観も叩き込まれます。

 山にイチかバチかはない

 山では一番弱い者に合わせる

徹底的に文化や倫理観がないのは、フリークライミングの方です。

■ 自己中心的な自己責任主義の一般社会の反映

俺さえよければ他の人はどうなってもいい、どんくさい奴が悪いんだ、という文化は、一般社会でも日本の方が顕著で、他の国でもそうなっているのは、あんまり見たことがありません。アメリカなどの西洋人社会は家族主義で、家族を大事にする人たちが多いですしね。

なので、フリークライミングの世界で、どういう風に仲間はあるべきなのか?パートナーシップはどうあるべきなのか?教えないことが、そのまま日本社会の悪い面をクライマー業界が反映する結果になったのだろうと思います。

それにしても、日本だけ、どうしてこうも、自分さえよければ、の世界になってしまったんでしょうね?

海外では逆に反省が進んで、助け合い加速していると思いますが。

■ 精神的拠り所を教えないフリークライミング

少林寺拳法などでは、子供たちに、道、やっていいことと悪いことを教えるようですが、クライミングは、そこは全然教えません。

結果、終了点のカラビナを持って帰る人が多数なばかりか、

 「ねぇねぇ、山分けしようよ」

という世界になってしまっています。つまり、悪いことだと分かっていないです。そこまで、きちんと教えないと、現代のクライマーは分からないってことみたいですよ…。

精神医学の面では、ナルシスト(俺がカッコイイ!と元気が出る人たち)は、

 衝動に弱い

という研究結果が出ています。つまり、これをやったらダメだという理性のブレーキの効きが弱いのです。だから、持って帰りたい!と思ったら、持って帰ってしまいます。

たやすく理性のタガが外れる事例を2,3目撃しました。めんどくさい、とか、そういうのに弱いのです。 

その上、昔の技術をそのまま若い人が教えられてしまって、気の毒な有様です。

カットアンカーは、前時代的、の最大のものですが、支点ビレイ、二人が一人をビレイ、壁から遠いビレイ、90度に曲がったビレイ、バッツンビレイ、ダラリンビレイ、終了点直がけ、ATCなのにグリップビレイ、手作り終了点…

前時代的、と友人が表現してくれましたが、前時代ってこうだったのかー!って感じでした。

■ 仏教=完成した人生哲学

サンフランシスコ的な価値観の体現は、ヨガ講師の仕事で満たしてきたわけですが…

仕事でもクライミングでもそれが表現できなくなり、窒息しそうでしたが…

ここへきて、仏教と出会うことになりました。

素晴らしい!

テラワーダの教えは、上座仏教です。つまり、お釈迦様が言ったことを最もしっかりと現代に伝えている仏教です。

・死人にお経=お釈迦さまはそんなことは言っていない ナンセンス

・お布施で先祖が供養される =同上

・先祖のたたり = ただのインチキ商売

・般若心経 =後世の人が作ったもの

・年を取っているからと言って正しいとは限らない

と色々とバッサリ切り捨てていますが、私が子供のころから心の中で、バカみたい…と思っていた大人の行動をバッサリ切り捨てていたりして、爽快です。

教えの大事なことは、

 すべてのものは、移ろいゆく

 自分というものは実はない

 物事は思い通りにはいかない

です。 今ここ、をクライマーに当てはめると

親兄弟は生きているうちに大事にしましょう。

クライミングは体が登れるうちに登りましょう。

です。

■ 自利利他の成果

これは、仏教を知る前のことですが、私の自利利他の精神の昇華です。


 

2022/10/25

岩場の事故は破壊力が大きい=岩場で悪を行ってはならない仏教的説明

 

■ 俺が俺の命を粗末にして何が悪い

という言説が主流の日本の岩場。

でも、

賢・愚

で考えると、

それは本当に

愚かな考え

です。

このスマナサーラ長老の本にも、

なぜ悪を行ってはならないか

書いてありました。




■ 岩場を拓くには…長い長い交渉時間が必要

ひとつの岩場を拓くには、長い長い交渉時間が必要で、多くの人の多くの労力が投資されています。

その労力は、

岩場のある地元の経済に貢献してあげたい とか

海外で見た楽しいクライミング体験を日本のクライマー達にも経験させてあげたい とか

俺さえよければ、他の人はどうでもいい、という思想とは、およそ近くない場所にあります。

ところが、一つでも、事故が起きてしまうと?

長い長い時間をかけて開いた努力は、パーになるんですよね。

そこから、また長い時間をかけて落ちた信頼を取り戻さないといけないんですよ。

だから、岩場で事故を安易に起こすような心構え… は辞めてほしいんですね。

つまり、

 ええかっこしい 

のために、事故るということです。

ひとつの事故の陰には、300のヒヤリハットがあります。

瞑想としてのクライミング

 ■ 歩く瞑想=山

私の登山は、瞑想としてスタートしたのです。

町を歩いていても、ガヤガヤとした、ざわついた気しか入ってきませんが、山で歩いていれば、気温の差、空気のおいしさ、湿度、風、空気の匂い、土のにおい、雨の匂い、など、色々な情報をクリアに受け取りつつ歩くことができます。

たぶん、私にとっては、歩荷の重さも大事だったみたいで、あんまりリュックが軽いとちょっと不満というか…。脊柱のラインに、ある程度の負荷がないと、なんだか簡単すぎて、気が外側にそれてしまい、内側に集中できない、と感じていました。

山との対話といいますが、結局は、たわいないもの、です。

長々とした退屈な道が続けば、面白くもない宮仕えを粛々とこなしている自分を重ね、自らを励まし、ちょっと困難な箇所が出てくれば、甘く見ていい加減なことをしないようにする、というその程度の事です。

が、そこには、どう考えても、登っている自分を見ている、”別の自分”がおり、それこそが、真我(アートマン)だと思っていました。

そのため、ソロが好きでした。というか、ソロでないと、瞑想にならないですよね。

■ クライミング瞑想

クライミングをスタートしたころは、クライミングで瞑想に入ることができませんでした。

なんせ、あまりにも普段使わない上半身の体力を使うので、ショート1本でも疲れてしまって。例えば、西湖の岩場は、アルパインから岩場に入った人向けの易しい岩場ですが、そんなところでの5.8でも、1本登ればぐったりでした。緊張でオールアウトしてしまうのです。

今思えば、5.8なんで、そんなに登攀に細心の注意力はイラナイはずですが、当時は、上半身の筋力も、指の力も、ましては、微妙なバランスもついておらず、ツイストとかフリと言われる側体の登りも身についていないので、全部、正体。だから、くたびれて当然だったんですね。しかも、日本の岩場の5.8はランナウトが基本ですし。

クライミングのリズムとして、沢みたいに、ほとんど歩くの中で、ちょっとクライミング、くらいがいいなーと思っていました。

だから、当時は、私は背伸びをさせられていたのだろうと思います。登ることは、本当の私の願いではなく、岩はパートナーがいないと登れないので、自分の予定をやむを得ず、変更させられるということでした。

なぜか、登山をする中で、クライミング力を身に着ける、ということが義務になっていました。

まぁ、仕方ありませんね、山岳総合センターに行ったとき、クライミングを知らないのは、私だけっぽかったですし(笑)。

私は雪の山でステップアップしたかっただけなのですが、いきなり雪上確保でボラート作るとかが講習だったので、”確保?なにそれ、おいしいんですか?”状態でした(笑)。

まぁ、そんな確保のデビューなので、当時は今ほどフリークライミングの理解がなく、ランナウトなんてして当然でした。雪上確保で、3mおきにランニングなんて取りたくても取れませんよねぇ(笑)

■  登攀が主体でも平気に

今では、ふと気が付いたら、ほとんど登攀、ずっとクライミング、でない山は退屈だと感じるようになりました…

いつ、変わったんだろう…

登攀が飛躍的に上達したのは、ラオスにおいて、です。

何かがラオスでは、決定的に日本の登攀と違いました。岩に書かれている歌では、ボルトの適切配置ですね。文章に例えると、句読点が正しい、みたいな感じですね。

私の日本での足かせは、ボルトが適切には配置されていないこと、だったんだということが分かりました。

一気読み、というか、句読点なしの文章みたいな感じです。日本のフリークライミングって。

■ かすかな兆候

 一度、小川山の屋根岩1峰のクライミングで、手繰り落ちしたことがあるのですが、あれなど、リーチが短いことが起こした事故ですね…。

手繰り落ちしてはいけない、ということを知らないクライマーはいない訳なのですから。したくてする奴はいないです。

しかし、この時は、自分がリーチが短い運命を背負ったクライマーということには無自覚でした。

あれをやってから、クリッピング体制には十分以上の注意を払うようになりました。

確実に体制を作ってからじゃないと、ロープを手繰らない、ということです。

この方法だと、手繰りおちのリスクは減りますが、フリークライミングが想定する以上の安全マージンです(笑)。

■ ラオス

そのマージンが要らないのが、ラオスです。

ラオスは2度行きました。 一回目は、不完全燃焼だったので、二度目は確実に行きたい!ここで成長できる!という確信がありました。ので、誰か日本の人がいるっていう”噂”程度の情報を大阪のクライミングジムで聞いただけで、あ、それなら、と行きました。今ではその方お友達です(笑)。

私は海外でヒッピー暮らしをした経験もあり、英語は学生時代からなので、日常英語には問題がないので、海外出張が多い仕事だったこともあり、パッと飛行機に乗っていきました。

師匠の青木さんは、タイの国内線が自分で航空券を取れない、ということで一緒には来ないそうでした(笑)。そんなことのために不自由ですね。ちょっとポイントがあるだけなので、教えてあげると言ったのですが、代理で取ってくれないと嫌だということだった。やってみれば大したことないです。青木さんで、海外の手配ができない年配の人は3回目でした。

どうも、私の周りにまとわりついてきた年配の人たちには、私にこうした手配をお願いできるという期待があったみたいです。その点は新保さん偉いですね。全部自分でやっていますから。ちなみに一回目も私は現地集合ですから。日本の空港で待ち合わせて連れて行ってもらうなんてことはしていません。念のため。

ラオスで最も気に入ったのは、文化です。ジャンジャン好きなのに登れる。一日、5~6本登るということです。しかもグレーディングに嘘がないというか…あれもこれも登れるんですよ!私は5C、つまり、5.9を登り溜めしたかったんですが…

ギュリッヒのグレードピラミッド理論に添って自分のクライミング経験値を貯めていたからです。

日本では、十分な数の5.9がそもそも岩場に存在しないので、経験値を貯めることができませんね…。5.9があったとしても、ボロ支点なので、リスクが取れません。

例えば日向神にも、5.8~5.9程度の岩場がありますが、なんとオールアンカー。岩場があっても死蔵って意味です。ボロイだけでなく、ランナウトも深刻で、落ちるな!って課題しかないとすると…上達できない、って意味ですね。それでみんなRPクライマーに運命づけられるそうです。

というので、ラオスでは、いきなり上達しました。帰ってきたら、アイスの難しい3Dクライミングがスイスイになっていました。アイスクライミングでは、もともとリーチは問題にならないので、怖い!という肩の力が抜けただけで上達。これで韓国アイスでめちゃ人気者に。トップロープしかしていないのに(笑)。

一方、クラックのほうは、ラオスの3Dでは上達できなかったので、そこを補いたいと思って台湾に行きました。BMCトラッドフェスという選択肢も提示されましたが、カムを覚えるだけに、はるばるイギリスまで行きます?ちょっと遠すぎでは?と感じられました。

■ 切り替え

というので足踏みしていましたが、九州では適切なクライミング指導が得られそうになかったので、趣向を変えて、”地域行政に岩場が地域資源であることを伝える”という活動に切り替えていました。

というのは、私は九州での最終職歴は、三井物産新事業開発室、だったからです。九州は、古郷でもあるし、おりしも、地域おこしが盛んになっている時世でした。

しかし、岩場を地域の資源として活用するには、日本のクライミング界が未熟すぎるようです。事故を防ごうという意思自体がない人たちの集まり。

これは、世界的に見ると残念なことです。なぜなら、中国などのクライミング後発国でも、すっかりクライミングの町として知られている町はいっぱいあるからです。

外国人も日本でクライミングしたがっており、特に九州では、何人も外国の人と登りましたが、やはり、彼らの視点から見ても、支点は危険でボロく、ランナウトは著しいようです。

例えば、日向神の愛のエリアにある初夢5.9は、新人が触る一番目の課題っぽいですが、米国軍人の、若い男性でも、下部のランナウトに耐えきれず、3ピン目で敗退していました。その人、ヨセミテでクライミングしてきたと言っていましたけど…。あれってホントなのかな?

彼、別の10cで私が核心部で苦労してるのを見て、やりたがったので、触らせてあげたのですが、そのムーブに成功すると、次のピンまではリードになるので、それを指摘したら、登るのを意図的にやめたんですよね。なんだ、ダダの対抗意識だったんだ、って思ったので、まだ登りが自分の中にある人ではないかもしれませんね。

■ マインドフルな生活

という感じで、気が付いたら、私の集中力は、長時間のクライミングに耐えられるようにいつの間にかなっていました…

というか、長時間でないと満足しないようになってしまいました(><)。

山梨時代はヨガの講師をしていたので、ヨガが瞑想の一形態であることを考えると、瞑想にかけていた時間というのは、非常に多かったということになります。

つまり、だいぶマインドフルな暮らし方をしていたってことです。

当時はマインドフルな生き方こそ、私がしたかった生き方でした。それは、完成をみた、といってもいいのかもしれません。

■ ラオスを日本に持ってきたい

最近、スマナサーラ長老のテラワーダ仏教の教えが気に入り、毎日聞いています。ここ数日は瞑想を行っています。

ラオスの生活の良かった点は、質素な文化です。登る以外の贅沢は一切ない。

しかし、クライマーに他に何が必要でしょうか。

子どもも老人も、みなで助け合って楽しく登っていたらいいだけしょう。世界はすでに豊かなのだから。余計な贅沢をしようとするから、奪い合いになる。質素な食とつましい寝床で満足していれば、クライミングして遊んで暮らせるわけです。

だれですか、インターコンチネンタルから岩場に出勤したい人は…。そんな贅沢をせず、普通にテントや雑魚寝で済ませていれば、いいのです。

クライミング界が伝統としてきた質素という価値は、日本では失われ、

クライミングジムのホールドは一個数万円…

どんどん買って、どんどん廃棄されています。まさにフードロスと同じです。

岩場のボルト一本1600円が出せないと言っているのに… こんなバカバカしい矛盾はないですね。

■ 瞑想力

瞑想は、どうもクライミング力と同じように、集中力です。

私は、元々ある体力で取れる集中力は取り切ってしまったので、クライミングでは集中力を上げ続けるには、体力を底上げしないといけない局面に来ていました。

しかし、あのパートナーとあの環境で、登攀が底上げされてしまうと、死に近づいていくのは必須でした… 無意識にブレーキがかかり、私はトレーニングしたいという気持を失いました。死に近づくために登りたい人なんていません。

今やっているヴィパッサナー瞑想も、3分×3から長くして行きます。これは、やり始めてみると、あれ?これはいつか来た道…という感じです。

瞑想による効果が出てくるのは、翌日。

クライミングをもはやしないという方にも、ぜひお勧めです。




2022/10/24

40年前のカットアンカー1点に二人で仲良くぶら下がるということ

 

■ 40年前のカットアンカー1点に仲良く二人でぶら下がることのリスクが分からない

 と指摘を受けたので掲載。

■ ファクト

・適切に新品で設置されたカットアンカーの強度は、5~15kN

・普通は、ビレイステーションには、ボルトは2点。1点だと冗長性がない。

・40年前のボルト

・もともと100円くらい

・ステンレス、鉄、の異種金属の組み合わせに、さらにアルミのハンガー=ガルバニックコロージョン

・現代、UIAAが決めているボルトの強度は 25kN

・カム一個 赤キャメで 14KN。

・ちなみにカムでビレイステーションを作るときは、3点が普通。

■ カムの強度を知らない人が多数

九州ではクラックのクライミングをする人がすごく少ないので、カムの強度を知らず、盲目にカムよりボルトの方が強いという信仰がある。

腐っていないカットアンカーでも、5~15kNの強度しかないですよ。

つまり、新品でもショックロード厳禁ってことです。テンションにしてください。

 ■ 友人談

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部活でもよくあるけど、地方は古いやり方を古い指導者から教え込まれるよ
全国に行くと通用しない

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■ その他の記事

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/blog-post_21.html

クライマーの4タイプ

■ 面白い人間観察

このような動画を発見しました。

【4タイプまとめ】人間関係を見極めるツール..「人生を楽にする」「性格とは何か」「他人を操る手法」3コンテンツまとめ 【岡田斗司夫/切り抜き】

阪大でも、講演されたそうなので、それなりの基準は満たしているかと思いつつ…

思考の遊びを行います。以下が使用する概念です。


 ■ 横軸を、感情⇔理性、縦軸を登攀力に取ります

するとこんな図になります。

■ クライマーの分類
 

       登攀うまい
  現代初心者 | 自立者
感情ーーーーーーーーーーーーー>理性
   ペテラン | ベテラン
       登攀下手
 

現代初心者に理性が追加されると →自立者
ペテランに登攀力が追加されると →現代初心者と同じ
ベテランに登攀力が追加されると →自立者
自立者が登攀力を失うと → ベテラン

1)反目の回転 右回りは反目し合う
 

ベテランはペテランを見下す
ペテランは現代初心者を見下す
現代初心者は自立者を見下す
自立者は、ベテランを見下す
と、こういう関係になっているようです。
 

2)尊敬の回転 左回り

ベテランは自立者を尊敬ましい
自立者は初心者を好ましく思う
初心者はペテランをそうと気づかず尊敬する
ベテランはベテランが羨ましい

■ ダークサイド墜落

1)初心者が、理性的技術力を身につけないままだと?

 → ダークサイドに落ちて、”ペテラン化”する。

つまり、現代に50代~60代のペテラン登山者が大勢いるのは

 教育の不在の結果、

ですね。もう、結果が出ている時代なのです。登山教育が存在しなくなって何年たつのでしょう?

必要なのは理性であって登攀力は別にいいです。ほっとけば、そこは勝手に上がるので。

2)経年も説明できる 人が年を取ると?

初心者 → 自立者 → ベテラン と遷移する。

3)ベテランに高いフリークライミング能力があれば?

自立者。 現代は、標高5000~6000mに5.12ノーマルの登攀力を持っていく時代。

4)ペテランが、理性的判断力を備えると?

ベテランと言っても良い状況になる。

5)対角線は、愛憎

一般に、ベテランは、「最近のクライマーはポロポロ落ちるから嫌い」と言う。ペテランは、ボルトがカットアンカーの時に落ちると危険だということがそもそも分からないから、何が問題なのか分からないので、現代初心者とは仲良しである。

一般に自立したクライマーは、ペテランがあまり好きでないようである。大体、苦言を行っていることが多い。 

■ 教育の不在

教育の不在の問題を放置して、

 登攀力だけあげてきた九州のクライミング

肝心の理性的判断力が身につくプロセス…を教育というが…が、まったく用意されていない。

つまるところ、勝手に上がってこい!の、小乗仏教みたいなことになっているので、現代の初心者のみならず、40年前からの初心者(今はペテラン化)は、多数が上がってこれない…

ということが、登山界に起きていることなのではないかと思います。

九州に限らず、初級のクライミング技術講習(都岳連の岩講習みたいなの)は、全然足りていないようです。

教育がない限り、10年以上登って、ヨセミテにも連れて行ってもらい、国内の一流クライマーと登っても、やはり、ロープはスタックするわ、懸垂でジャムるわ、参考計画書もなしで敗退ロープなしで、1つのボルトにみんなでぶら下がるクライミング、しかできないみたいデス…この身で体験して分かりました。

俺らはそんなこと教わらなかった、と言って、盗むのがクライマー、なんて弱者にきついことを言い続け、

このまま教育不在が続けば、ジムで鍛えたクライマーも、10年後には

 りっぱにペテラン

になりますね。 歴史がすでに証明しているようです。

2022/10/23

カリムノスみたいなクライミング


 ■ミキヤツさんのサイト

http://mikiyatsu.jp/page058.html

ここにカリノモス島のクライミングが書かれていますが… まぁこれが日本の岩場にかけている、というのが私の言いたいことです。

■ クライマー人口の9割は、初心者

クライミングジムが全国で500件を超えたおかげで、岩場に来る人=ジム上がりクライマー。

全国中で、互いに名前も顔も割れて、クライマーの友達で知らない人がいない状態っていうのは、古き良き時代の話になっている。

そして、古くからいる人だって、老い。つまり、昔ほど登れない。

結局、9割は、10プラクライマーです。

昔から登っている人=アルパインを昔はやっていたが、老いて、山のリスクは取れなくなったので、老後の活動でより安全なフリークライミングをやろうという人たち=5.13なんか登らない、ので、ほとんどが初級クライマーです。

若い人も初級クライマー 年を取った人も初級クライマー。クライマー人口の9割が、登っている時間の長さは別にして、現代では初級クラスになってしまったアンダー5・11せいぜい11クラスまでのクライマーです。

5.12から上のルートなんてほとんど登れる人がいない、って意味です。コンペに出ている人の世界です。コンペに出ている=練習量がフルタイム。フルタイムでそれだけやれば、能力を開発されない方がおかしいでしょう…

というので、一般の市民クライマーというのは、現代では、その辺のレベルに落ち着いているわけです。

そこで、昔の栄誉を競った時代のへのツッパリで、ランナウトをすることで、かっこいい俺を気取ってしまっても、気取り損でしょう…

よくベテランが懸垂で落ちていますよね… 屋根岩2峰もそんな事故あったようですが、懸垂下降って失敗が許されないと分かっているのに、すっぽ抜けている。大体のクライマーの反応は、ええかっこしい、したんじゃないの?と同情のかけらもないです(笑)。

 だぶん、それは正しいです。

ええかっこしい…こそがクライマーを罠に陥れる穴です。

ーーーーーーーーーーーーーー

カリムノス島は楽しく、快適に登るために拓かれた岩場です。

 高いレベルで登ることができなくても、「クライミングは楽しい」と教えてくれる場であり、そんな状況だからこそ、自分のレベルを押し上げることに繋がります

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 これは本当です。グレードを追っかける受験勉強みたいなクライミングをしている人にはわからない世界です。

楽しいクライミングをしないで、日本人は、過労死をやっているサラリーマンと何が違うのでしょう? いつまで昭和を引きづる気でしょう?


岩場の事故が減らない因果の道理

■ 原因1 アルパイン、フリー、スポーツクライミングの混同

アルパイン=落ちたら死  

フリー=9割落ちてる

スポーツ=100%落ちるまで登る

こういうルールの差があるから、同じクライマーでも 登れるグレードはそれぞれのスタイルで違う

ーーー例ーーー  自称5.12の男性

アルパイン 10c(昔の5.9)

フリー 課題を選んで5.12

スポーツ 課題を選んで5.13

ーーーーーーー

この方針の混同で、落ちてはいけない作りの岩場(ゲレンデ、ショート)で、スポーツクライミングの落ちるクライミングをやってしまうために事故になる。

現代の日本の岩場はロシアンルーレット状態になっている。

■ 原因2 互いに反目

フリークライマーはアルパインクライマーを嫌らう。

アルパインクライマーはフリークライマーを嫌らう。

そういえば、山梨にいた時もそういう構造があったなぁと思いだし中です。

フリークライマーから見たアルパインクライマーは、人である以上事故は仕方がない、などとと言って、

 見れば分かるような不手際(例:支点を1点で使う、悪いビレイ)を正そうとせず、岩場に安直な事故を持ち込む人たち

のこと。

アルパインクライマーから見たフリークライマーは、

しょっちゅう落ちて、”落ちてはいけない”というアルパインの掟を破って事故る人。

しかし、フリークライミングって落ちていいクライミングのハズですから、この場合はフリーのクライマーに理がありそうです。

どっちも相手の事故を減らしてやろうという意思は働かず、相手を責める方向にしか、意思が働いていない。

■ 原因3 教育の消失

アルパインクライミングは、登山の上級スタイルですが、その上級スタイルに進む時点で、都岳連がやっているような岩場のレスキュー講習を受けていないといけないですが、山岳会の中にレスキューを伝えられる人が、大体いないか、いても40年前の知識なので、みなきちんとは、伝達されていない。

そのアルパインクライミングが嵩じて、フリークライミングになる人が、現代では1割で、1割ですら、その調子。

ココでの問題は、ダラリンビレイ、支点ビレイ、ぱっつんビレイ、二人が一人をビレイ、など、太古の時代(流して制動確保)の技術から進化していないことです。

■ 原因4 ボルト配置(ランナウト)のことが分からない

残りの9割は、全く教育を受けていないジム上がりのクライマー問題。

すると当然、インドア壁の方針を持ち込む。

ロープをジグザグに使って登ったり。シングルしか使い方を知らないから。落ちるまで登る、スポーツクライミングの延長で、当然のように…つまりそれ以外のクライミングがあると知らず、外岩に来る。と、ジム登りです。スラブで、スタティックに取る、リード登りをしないで、ダイナミックに取るみたいなことをこの人たちは平気でやるので、ボルトの配置がインドアとは違うことを事前に教えてやらないと危険です。教えないで、トップロープさせてあげるのは良くない方法です。

最初が肝心で、最初の一回目で自覚できるように教えないといけないが、これがなされていない。教育法が不味いってことです。

■ 原因5 壁によってクライミングの方法を変えることが分からない

インドアの壁は、被っているだけの壁なので、スラブ、フェイス、オーバーハング、で登り方を変える必要性があるというのが分からない、ということです。それぞれリスクのとり方が違う。

インドアクライマーの人は、外の岩はランナウトしていることがあることが分からない。インドアの壁はどこで落ちてもいいようにできているからです。

安全になるように企画された壁と自然壁の差を、最初に詳しく教えるべきです。外の岩は落ちてはいけない場所があります。

■ 原因6 俺様の主張が一番正しいと全員が思っている事

一つのスタイルをやっている人はそれだけ使いで、アイスもやって、山もやって、マルチにも行って、フリーもやるというオールラウンドクライマーが少ない。

支点を打つということがないので、中間支点の安全性は、身長で違うということもわからない。 

結局、各スタイルのクライマーが自分の視野のクライミングだけを正しいと思っているわけなので、

群盲象を評す

という状態なので、結局、内部でいがみ合っている。

■ 原因7 地権者や地元の視点がゼロ

その上、地権者や岩場のある自治体関係者にどうクライマーが映るのか?など、他者の視点、クライマー以外の外に世界に向けた視野がないので、団結もしない。

昨日始めた人も、40年の人も、地元の人から見たら同じ”クライマー”。  事故ったら、誰が事故っても、クライマーの事故、なんですよ。

地権者が、開拓クライマーが、自らが所有もしていない岩に、著作権を主張しているというのを聞いたら、どう思いますかね?

普通は、変な奴と思いますよね。 それこそ、軒先貸して母屋取られる、ですね。  

そんなことを地元の人に勧めていたら、盗人の手伝い、みたいなことになりませんかね?

■ 原因8 死に近い=かっこいいと誤解している

最大の原因がこれです。 ○○会で一番死に近い男、と言われたら、悦に入ってしまう。

 それ誉め言葉じゃないですよ(笑)?


むしろ、自己肯定感が低いことの表れ。

かっこいい人は、わざと死のうとしたりしなくても、かっこいいわけなので。

自分の命をいい加減に扱うどころか、人の命もいいかげんに扱うことになり、結果的に、反社になってしまっています。

ADHDなどの人は、衝動が抑えらないという面があり、その場合、性格上の欠点です。

本人には自覚がないが、意図して起こした結果です。因果の通り通りになっている。

■ ブッダの教え

この心は、悪をもたらす悪因悪果の心です。

努力して岩場を開拓したとしましょう。

すると、この悪の心によって事故が起こされ、地域の人に多大な迷惑をかけることが、この因になっている心、登りたい意図、を見ただけで分かる。

今、日本で岩場を開拓して、バンバン登れることが起こってしまうと、事故はどんどん増大するだけです。だって事故を起こしたいと思って登っているのですから…。

皆伐すると雨が降った後に土砂崩れが起きると分かっていて行う皆伐と同じことです。

悪いことが起きることは分かり切っているのに、やっているってことです。

それは悪の道です。


例:皆伐したら土砂崩れになると人吉の水害で結果が出ているのに、やるんですよね…それでそのあとの尻ぬぐいが、植林ですが、植林しても鹿が食べるし、崩れるし、結局、原因である皆伐を辞めようとしないかぎり、徒労です。

岩場の開拓も同じで、原因である無愧の心を改めないことには、いくらボルトをきれいにしたって一緒です。

インドアから外に行った途端にボロボロ落ちてしまって事故になる。

アウトドアクライミングの本に、もっと詳しく、ランナウトについて記載すべきです。 

みんな理解できるようになる前に落ちています。

後ろに走ってビレイするなんて教えるビレイ講習会はないでしょう?


 

2022/10/22

CouchSurfドットコムのススメ

■ カウチサーフ

こちらのブログに詳しく書いてありますが、世界中を無料で宿泊できる仕組みがあります。

登録に費用は掛かります。でも、これを使えば、往復交通費と食費だけで、旅行できるということですよね。

https://www.kurakurakurarin.com/entry/2018/12/12/115714

私は福岡で、

・チベット僧のターパさん

・オーストラリア人女性

・ロシア人男性

・台湾から、フードロスの活動家のドイツ人男性

・サンマテオの牧師、マイケル牧師

・自転車で糸島一周した韓国人

など、多数のゲストを宿泊受け入れしていました。ちょうど仕事も観光ガイドだったので。

他にも、外国人とのつながりでは、

・スイス人医師

・フィリピン系米国人軍人

などとクライミングに行っています。私が思うには、九州は、交通が不便なので、外国人にとっては、国内の人のアシストがありがたい場所ではないか?と思います。

都会は英語表記があって、別に誰かの手助けがなくても、好きに行動出来てしまいますし、外国人同士のほうが食事や話の内容など気があうということがあるかもしれませんが、田舎では、そうもいきませんよね。

海外に登攀に行きたいが英語力が不安というなら、カウチサーフからスタートしてみることをお勧めします。



2022/10/21

パートナーは縁

■縁

縁さえ来たら、人はいともたやすく悪を行ってしまう…

悪人・善人がいるのではなく、人というものは、全員が、悪縁が来たら、悪を行ってしまうのだ、と言われています。

その縁とは、相方、パートナーの事、です。

最初の師匠、鈴木さんや岩田さん、青木さんなど、師匠クラスと登っている間は、自己確保の登攀など、出会う前から知ってはいましたが、全く使う出番がないスキルで、つまり、自らを助ける必要はなく、ただ普通にセカンドで楽しく登れば良かったんだが…

いわゆる”クライマー男子”と登り始めたら(男子って言っても30代、40代ですが)、もう、”あって良かったロープワーク技術!”という感じだった…。

天はみずから助けるものを助く、というキリスト教の教えが本当なんだな…、と思わせられることになった。

この場合の縁とは、

 パートナー

ということである。

そのパートナー選びにどうしても欠かせないのが、相手が登る原因、理由、である。

 自己顕示欲=実力以上のところに行きたがる心

だと、危険であるのは、当然の帰結だ。

実力以上のところに生きたがる心=グレード主義=悪縁=死に限りなく近いクライミング。

つまり、私は山梨時代に、縁がなかったから、悪を犯さずに済んでいただけで、私が特別善人である、ということではない、ということです。

(ジムで5.11が登れるから、北岳バットレス四尾根に行きたいという人はいましたが、その人を指して、あいつは危ない、一緒に行かなくて良かったですね~と言った人が、今度は、自分が敗退ロープなし、山行計画書なしの、白亜スラブなので、ミイラ取りがミイラというか、同じ穴のムジナというか…)

■ 縁=その人の中の意図 知り合っている時間の長さ、ではない

がどのようなものであるか?については、知り合っている時間の長さ(=情)に流されやすいのが、とかく人というものである。 こちらの教訓を読むべし。 

Intention (意図)

が大事だと仏教でもしつこいくらいに言われている。

グレード主義の人は、特に気を付けて避けたほうが良い。


2022/10/20

クライマーの死を死観瞑想する

■ ブッダの教え


自分に対する悪をなすなかれ
他者に対する悪をなすなかれ
 

なぜクライマーは自己破滅的な選択を取ってしまうのか…?

というのが、山を始めた時からの疑問だった。クライミングに至っては、さらにその問いは強くなりました。死につながる選択をいとも簡単にクライマーはしてしまう。

ヒロイズム、承認欲求が答えなんだが…、

自己破滅なら、当人だけのことだが、他者を破滅させる選択肢となると、人ごとではない。

わざと迷惑をかけることに対しても、クライマーは、中2並みの自己抑制力しか持ち合わせない。 

■ 大・小

大きくは、栗城さんの事例にあるように、現代は、嘘の上塗りが、何億というお金を使ってしまうまで可能…

そのお金で何が出来たか?どれだけの飢えた命が救えたか?を考えると…その業の大きさに恐れおののいてしまう… 今生活に困っているクライマーがいたとしたら、そう思わないだろうか?

浮かれていたのは、本人だけなのではない、その煩悩の火に油を注いだ人がいるわけだ。

小さくは、敗退ロープなし!とかで出かけてしまうマルチだ。(私は身につけさせてもらった技術で難を逃れたが…)

■ 意思(業)の結果

岩場の事故はなくならないというセリフは、なくならないのではなく、

 無くす気がない

という意味なのだろう…と思える。集合の意思が、事故を無くしたがっていない。

私は岩場の事故死をした人たちをインタビューする死観という瞑想をしたい。

生きていた頃、どのようなクライミングの喜びを味わい、そして、何を残して死んでいったのか?

別に反省でなくてもいい。まるでろうそくが吹き消されるかのように、軽く、いともなげに死んでいく人々… 

クライマーという人たちの命への扱いよう、そのあまりにも軽い軽さ…それをきれいに書き取れたらいい。

それがなされないから、死のありようを誰も知らず、

登山ならレスキューしている人くらいしか知らず、

命のはかなさ、尊さも全く感じられない、

ということなのだろう。

それ以前に岩場を開拓してどうなる?結局は、地元自治体の迷惑施設となるだけのことだ。 




2022/10/19

故意に自分の命を害す登り方をしない、故意に人の命を害す登り方をしない

■ お釈迦様風にまとめると…

故意に自分の命を害す登り方をしない

故意に他人の命を害す登り方をしない

 

絶対に間違えて行けない選択とは、間違えたら人が死んでしまう選択です。

 例: 

・敗退用ロープなしで、ルートに行くこと、

・セルフレスキューを学ばずセカンドであってもマルチに行くこと

■ 外岩パートナー募集サイトでの議論の行方

ほとんどの意見が、ゲレンデのマルチで落ちてかかとを骨折したヤツのどこが問題なのか?分からないという意見だった。

思うに日本人はお子様なんだろうな…

いつまでも、昔は良かったな、という過去の古き良き時代にしがみつきたいという… 

今は今、昔は昔、ですよ。

現代では、クライマーはジム出身。未組織登山者です。教育なしには、ちゃんと育ちません。 

してよいことと悪いことの判別が、本人はつかないのです。

例え、山梨で10年登っても、です。その証拠が白亜スラブです。

わざと危ないように登るのが、かっこいいと思っているんですから…。そこは価値観を教えないと治りません。

冬壁でかかとやったら、もう登れないです。なので、訓練中は、最小の怪我でも避けるように指導されます。アイスアックスをマイナス25度で素手で掴んだら、手の皮、持って行かれます。若い人はドライの真似して遊んだりしますが、そうやってじゃれているときに、ドライの時のように加えて、口の皮、持っていかれた人、見ました。

最初に教わる環境がシビアだと、些細なことにも反省するようになります。厳しい基準が自分の中の基準になる。そういう人にとっては、フリークライミングのゲレンデは、何が危険なの?って感じです。

しかし、今回分かったことは、つまり、みんなのリスク管理が甘々なのには、

 自分に堪えない

から。

バカは死なないと治らない、という文字通りのことが起こっています。

くまちゃんは私に大怪我させてバカを治しました。

みなさんは、人を殺す前にバカ治してください。

 

フリークライミングの世界は、どいつもこいつも、リスク認知が甘く、地域住民の迷惑どころか、自分の命の大事さすら、顧みない。

そんな奴らのために、自分の時間をささげて、岩場を開拓したうえ、ヒヤリハット・危険を指摘しても、指摘した人の方が責められるなんて、仲間じゃありません。

そんな損な役目を自分で好き好んでやるようなバカでは私はありません。

誰がどーみても、ババ抜きのババですよ、それ。

■ その他の考察記事

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/blog-post_16.html

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/vs.html


2022/10/18

試登=トップロープの事ですよ

■開拓者はオンサイトしていないんですよ?

さて、フリークライミングの世界であるが、少しであるが、私が学習したことをほかのクライマーのための書いておこう。

第一に、フリークライミングの開拓クライマーは、誰もその課題をオンサイトはしていない。そんな時代はとっくに過ぎたということだ。

フリークライミングでは、当然オンサイトが最高のスタイルなんだが、開拓においては、それは、めちゃくちゃ建前になっている。誰も、建前だと、声を大きく言わないから、私を含む、鈍い人たちが気が付かないだけなんだが…。それとも、喧嘩にならないように黙っているのかね?

ボルダーでもオンサイトはしていない。初登はしても、オンサイトはしない。っていうか、開拓していたら、オンサイトはできない。

■ 試登

なんせ、

   試登、

という都合の良い言葉があるのである。試登は、トップロープの事である。

つまり、 試登 なんかしちゃったら、オンサイトする機会がなくなるではないか!というのは、アルパインのクライマーのいうことであり、そんな野暮なことは、フリークライミングのクライマーは言わない。

(オンサイトしようと思ってグランドアップで取り付いても、登れなかったらエイドになってしまう、エイドになれば、残りはRPしかない)

最終的にフリーで登るために、最初はラッペルする=ロープにぶら下がって登ってみる、のが当然の流れになっているんである。

そして、記録から、ラッペルで試登したかどうか?は、慎重に省かれているのである。

この秘密を暴いたのが、アレックス・オノルド君の『Free solo』という映画で、彼の映画では、何回も試登という名のトライを重ねて、ムーブを自動化したことが分かるようになっている。いきなりフリーソロで取りつくわけがないですよね?

■ レッドポイント?

試登とレッドポイントは何が違うんでしょう? 同じですね。

試登では、何度も何度も登ってフリー化=レッドポイントしているハズで、レッドポイント以上にスタイルを向上させたい!と思ったら、もう2度目のオンサイトっていうのは、言葉の定義上はないのだから、フリーソロしかない。

というわけで、技術力向上し、スタイル向上を目指すとしたら、最終的にはフリーソロへ到達せざるを得ない。

■ 大昔のアルパインクライマーとフリーソロイストは同じ心境なのかも?

大昔のアルパインクライマーは、ロープをつけていたとしても、そのロープが三撚り麻ロープとかで、大変頼りなく、ほとんど保険にはならないようなものだったので、気持ちの上では、フリーソロと変わらない訳だから、結局のところ、

   どっちのクライマーもおなじ心境を目指している、ということになる。

この辺は映画『アイガー北壁』を見れば分かる。基本、命がけです。

■ フリークライミングの建前

フリークライミングは、それじゃ危ないからというので、建前上は、ロープに守られているわけですが、この建前から、命がけに戻したい、という本音への移行が、スタイル向上みたいになっています。

『ドーン・ウォール』のトニー・コードウェルは、フリー化(=レッドポイント)した後、その後はどうするんでしょうか?

というか、ドーンウォールをオンサイトするクライマーが出るのでしょうか?

というか、ドーンウォールをフリーソロするクライマーが出るのでしょうか?

いくらスポーツクライミングで鍛えたクライマーでも、試登ゼロで、挑戦させられることになったら気の毒ですよね…

■ トライ数が多いほうが下手

そんな気の毒さが一切ないのが、一般クライマー。

 落ちても落ちても登る、ということに美学がある

ので、何回落ちてRPしたか?の比較競争にしたらいいのでは?

 例:

 10回でRPした人 > 100回でRPした人

現状だと、逆さになっていて、100回やった人のほうがエライ、みたいになっていますが、本質的には、10回で登れる人の方が上手なはずですよね?色眼鏡で見ないとすると。

 本来 10回でRPした人 > 100回でRPした人

 現状 10回でRPした人 < 100回でRPした人 (下手なほうが評価されることになっている)  

すると、トニーのドーンウォール第2登なら、トニーより少ないトライ数で登れたらスタイル面で向上した=OKってことなのでは?

まぁ、2番目の人は、ほとんど報道されないので、気の毒ではありますが…。

第○○登の挑戦に携わっている人が、ごく少数なので、スタイルの向上、っていうことが一般クライマーには、知らされないのかもしれませんが。

■ 小川山レイバック

私は自分のフリークライミングの歴史を振り返っても、小川山レイバックを例にとると、努力型クライミングはしていません。


1)2014年6月30日 TR
2)2015年10月12・13日 カムエイドトライ  1年4か月後
3)2015年10月28日 TR 再登     
4)2016年 9月7日 ピンクポイント
5)2018年 7月10日 RP   4年後

2014年がスタートなので、足掛け4年。

登った回数は、トータル4回。5回目でリード。トライ数たった5回ですよ(笑)? 

練習3回しかしないでリードしろって、そっちのほうが危険ですよねぇ… 

たった五回って、ヘッドスタンドをマスターするくらいだって、もっと練習、要りますけど(笑)!

一日で5回練習すれば、登れちゃったのか?そうは思いませんが、私はこの課題では、一回もカムにぶら下がっていない。カムの知識が十分溜まり、カムのプレースメントが確実になるまで、落ちながら登る、なんてできないからです。

■ 落ちながら登れるためには、支点(カムプレースメント)のマスターが必要

そこをボルトルート専門の人は端折ってやってるわけです。

私には、ボルトルートでのクライミングは、支点の安全管理が、自分の管理下にないので、あまり技術が付いた、という実感がないためです。

私にとって技術とは? =自分の安全を自分の判断力で管理できる、ってこと。

でも、フリークライミングの場合は、とくにボルトルートの場合は、そこは重視されません。難しいのに、道具に頼らず登れるか?登れないか?が勝負どころなのです。

その価値観で切り分けた場合、支点を自前で設置する能力、ってのは、一般クライマーの場合、けっこうどうでもいいことなのです。(上級クライマーの場合は、支点構築能力は前提のようです)

支点があるところを登るのが、そもそもボルトルートだし、中間支点がないとしても、ラッペルで試登する(つまりTR)って話なので。どこにも命は掛からない(笑)。

最初から命は賭けず、努力の量、勝負ってのがフリークライミングなのではないか?と思うですが、その辺は色々聞いてみましたが、誰も教えてくれないので、分かりません。 

故・吉田和正さんなら、200回トライしろよ!と思っていたと思いますけどね。

■ なんでそのグレードで危険を感じる人をスタイルでイジメるんですかね? お前ら、いじめっ子の集団かい?

これは、ラオスで私が5.8にとりついているところです。

なんと梯子。

これ梯子使わなかったら、グレード上がるんですかね(笑)? 

スタイル向上させたかったら、次は、梯子使わず登ったらいいですね。

梯子使わなかったら、1ピン目、私、届かないですよね?

私だけでなくみんなも届かないかも?

それだけで、5.8ではなくなり(笑)、核心の1ピン目掛ける前だけのために、10がつき、他の部分はぜんぶ5.8程度の登攀だったりして(笑)。

しかも、

手が届いて、ピンかけれる人と、手が届かないで掛けれない人が、同じグレードって変ですよね?

なんせ、届かない人=リスクが大きい

ですよね?

リスクが大きい=より難しい

ですよね?

ん?なんか私、間違ってます?

フリークライミングでは、リスクが大きいことは、誰も評価しない、んでしたっけ?

命がけを楽しむクライミングではなく、努力の量を楽しむクライミングなんでしたっけ?

■ ラオスは現実主義

ま、ラオスでは、そんな細かいことにこだわらないで、現実的に対処することにしたようです(笑)。

なにせ、下の方がフリークライミングではリスクが大きいですよね?地面に近い=落ちたら怪我です。3mでも落ちたら、高衝撃事故です。

それで、5.8を登るような人でも道具を使うのはけしからん!とか、意地を通して、案の定、事故って、誰がなんの得をするのでしょう? 

クライマーのみんなが迷惑ってことだけは、確実ですが。

そもそも、フリークライミングって、危険の量の勝負事ではなく、努力の量の勝負事、だったのに… 危険の量の勝負を無理強いしている。

フリークライミングでは、道具を使っちゃいけなんだ!と言って梯子なしにして、事故多発して、誰の得になるんだ? 誰を?何を?守ろうとしているんですかね?

結局、守られているのは、誰なんですかね?

■ これは吉田さんですよ

アップ用ボルダー。

梯子使ってる(笑)。最初に印付けて登るんですよ。ここがホールドって分かるように。当然、後で消すんですよ。みんなそれやっていないけど。

印を付けたら消す、当然ですよね?うんちしたら拭く、並みの事でしょう。

フリークライミングの開拓の人は、道具に頼るのに、躊躇ないですよ。

なんせ、ノーロープはないレベルの困難度 のにチャレンジするって話なんですから。それは5.8辺りからです。

なんせ5が付く時点でロープが必要っていうのが、業界が、むかーしに下した判断なのですから。

だから、みんな5.8から安全にトップロープでスタートして、RPを重ね、安全に、どんどんスタイル向上させていけばいいっていう話みたいですよ?

そこで、5.9以下はクライマーじゃねえ!とか金玉の小さい事、言っているから、意地を張って、5.9くらいは、オンサイトしなくちゃなんねえ!といきなり取り付く人や、後輩に俺もこうしたんだから、同じにしろ、と無理強いする人が出て、事故が増えるんじゃないの?

そこをアルパインクライマー出身の人がアルパインの道徳観を持ち込んで、道具も使わず、オンサイトすることだけが価値だ!とフリークライミングの困難度で、こだわっていたら、そりゃ能力ないのに、丸腰で難しいのに取り組むわけですから、事故は増えまんがな…。

今エラソーにしているやつだって、名張でどこリードできるの?5.8一本だけって言ってましたよ? みんなそこからスタートなんですよ。だったら安全にスタートできた方がいいでしょう。

その上、トップロープ否定主義では、一生11から上は登れないかもしれないです。

落ちても落ちても練習できるって言う環境が、可能にしたのが5.13とか、の高グレードって意味なので。フリークライミングの教科書にもそう書いてあるし、なんせ知り合いの13クライマーは9割落ちているって言っていましたよ?

そういう人がたまにヌンチャクかけてくれますけど、当然よどみなくオンサイトで登ってしまいますが、おっしゃ5.9オンサイトしたぜ!と喜んでいません(笑)。登れて当然なんでしょう… 

■ ボルダーの開拓 建前と本音

建前

本音。小山田さん、すいません。

でも、こうして開拓しているってことなんですよ。

吉田さんも、フツーにぶら下がっていましたよ?

スタイル向上、

ということなんですよ、リスクはとらずに

スタイル向上。

5.9っていうグレードだって、背の低い人には、5.9ではなくなります。 ホールドに届かないんだから、当然でしょ。


 ■ 結論

だから、結局、ボルトルートのフリークライミングの岩場で、死亡事故があるっていうのは、不可避の事故ではない。避けられた事故です。

登っているクライマーの責任であるはずがないんですよ。なんせ、ビレイされている訳なんだから。ロープに守られているのが、フリークライミングなんだから。それで、落ちてグランドフォールしたらクライマーの責任ではなくて、ビレイヤーの責任です。

ランナウトで落ちてグランドフォールしたら、ボルトの配置の責任です。つまり、開拓者の責任です。

なんせフリーはロープに守られるクライミングってそもそもの定義ですよ?教科書にそう書いてある。50mに3ピンでもちゃんと守られている。グレードとマッチしているハズです。5.14だから、50mに3ピンで、5.9で50mに3ピンだったら、もはや5.9ではないですよねえ。

その証拠に、5.14で50m3ピンを登るクライマー何度も落ちて、RPですよね? トニーがドーンウォールで核心部、挑戦中に落ちて死ぬってないでしょう。同じことです。

ところが、5.9で50m3ピンみたいな課題になると、落ちたら死ぬことになっている。関西の斜陽がいい事例でしょう。

5.14と同じつくりにするべきでしょう。

蜂に襲われたのくらいでしょう、フリーの岩場で人的ミスでないのは。 著作権を主張するなら、義務も履修すべきです。

■ アルパインの論理をフリーに持ち込んで得するのは誰か?

一方、アルパインでは死亡事故はつきものです。ロープがあったって、足元の岩が崩れて落ちて文句が言えないのが、アルパインクライミングです。

私はアイスのクライマーですが、リードしているときにアイスを叩き壊したら、自己責任ですよ。だから、そうならないように叩かないで登りますよ?ウィル様のアイスクライミング動画を最近見ましたが、アイスの神様ウィル様も、ちゃんとテスティングして、つまり、アックスバチ効きになってから登っていましたよ? つまり、一歩一歩が落ちる可能性をかぎりなくゼロまで高めてから登っているってわけです。アイスではロープはあってもなくても結局フリーソロと同じです。ロープにはぶら下がらない約束なんで。私は、テンションだってもらったことないですよ。

その反対のフリーでは、ばんばんロープにぶら下がる約束って言ってもいいくらいですよ… そこから、スタート。だんだん、フリー化、していくもの、です。それがレッドポイントになる。

だから、フリークライミングの岩場での事故は、起こるはずがない事故を起こしているってこと。

人的ミスって意味です。

人的ミスなら防げるって意味です。 

事故は起きるものです、って、単に責任取りたくないって話なんじゃないですかね?

 

山vs登攀

■ 山vs登攀


私には登攀(クライミング)は、まぁ、手段に過ぎないな~と思う、今日この頃。

初めて行ったジョーゴ沢から硫黄岳を詰める山行では、ビーコンまで持たされて行ったのに、核心部の大滝では、登攀が簡単だと感じて、ロープを出さず、フリーソロで超えちゃって、後で師匠に

そんな山は教えていない! 

と、めっちゃ叱られたんだけど…。

それから順調にステップアップして、フリークライミングの世界へ来たが、ビックリ仰天の何でもあり!の世界である。

事例: 本気チョーク、ハングドッグ2時間、片手ビレイ、支点ビレイ、二人を一人がビレイ、ダラリンビレイ、ぱっつんビレイ、ロープスタック、アプローチもテキトー、地元の迷惑?何のこと… 落ちたら死ぬボルト配置は著作権、その著作権の根拠になる所有権はどこから来たのか?俺関係ねー、地元の迷惑?俺の知ったこっちゃねー、みたいなことになっており、

 フリークライミングの美学

がどこにあるのか?は、全然、語られない… まぁ行動を見て判断してねってことなのかもしれないが… それじゃ、にぶい人が分からなくたって当然である。偏差値74だった私だってわからないんだから。

フリークライミングは、実際のところ、手と足だけでロープに頼らず登るって意味なので、やってはいけないことだらけのクライミングなのではあるが、フリークライミング界の悲劇は、

 そんなクライミングは、フリーで登れたとは言わないんだぜ! 

と叱ってくれる人がいないことだろう…

 瑞牆でセカンド確保中のわたくし

2022/10/17

モラルハザード中の世界

今日の仏教説話は、地獄の三寸箸と天国の三寸箸の話でした。で、天国の箸を使っている人に、俺の当然の権利だと言ってお返しをしない人が出てきたら、それが、モラルハザード。

それが、九州に来て、私に起きたことです。

それまで、自分の周りでは、良い環境で登っていました…

事例。これは、6年前の記録です。 https://allnevery.blogspot.com/2016/10/blog-post_17.html

土日は小川山&瑞牆でした。

瑞牆では、初めてのクラックオンサイト!カムの設置も初めてなのでドキドキでした。頂上への階段5.8オンサイト。となりのプリンプリン5.9はTRノーテン。

気をよくして2Pのマルチの片葉足1P目5.7をリードしたら、カムが足りなくなり、大ランナウトして初心者であることを痛感しましたが…とりあえずオンサイトできたのが、うれしい!

土曜の小川山もオンサイト1本。クライミングは楽しいな~!という結果になりました。

あとは10Aのカメ岩クラックはフェイス部分出だし核心で落ちました。上は快適。

きちんとした反省だな~と自分でも思う。

登攀力だけがついても突破力ができるだけで、後は全然、なら、アルパインでは、行けるところの幅は全然広がらないし、フリーなら安全は高まらない。

したがって、ボルダーをやるしか選択肢がなくなる。

アルパインルートへ行く技量 (いわゆる総合力)

= 基礎となる登攀力 + 体力 + 時間通りに登るためのロープ裁き +  アルパインのリスク感性 + セルフレスキューに必要な基礎知識 + 遭難時の予備力

フリークライミングへ行く技量

= 基礎となる登攀力 + 基本的なロープワーク知識 

外ボルダーへ行く技量

= 突破力

 



2022/10/15

東洋インストール中 お金と登攀力はいる時、作ればいい

■【哲学】金を稼ぐよりも大切な話をします。これさえ知っていれば幸せに生きることができます。11:05~結論です。【山田玲司 // 切り抜き】 

■お金についての思い込み

前にお金について、思い込みがあると言われたんだけど…(お金をいやしいものとして忌み嫌っていると言われた)

お金がないと生きていけないという思い込みがあるのは、一般世間のほうで、私は、必要以上に欲しい人が、良く理解できないだけなんだけどなぁ…。

クライミングにおいては、通貨、お金=登攀力でしょう。

あればあったで、なければないで、欲しくなるのがお金と登攀力。

■ いるなら作ればいい

山岳総合センターのリーダー講習に、出たい!と思ったときは、行くのにお金が要るってことだったので、お金作りました…。(山小屋でバイト)

お金と登攀力は、いる時作ればいい、っていうのではダメなんですかね?

あればあったで、失う恐怖に縛られるのがお金だという風に、仏教では教えていますが…。
今のところ、したいことがそんなに多額のお金を要するもの、はないんだよなぁ… 

■ お金がないことに守られている

むしろ金で解決しない方がいい結果を生むことが多い、物事っていうのはある。

例えば、勉強…。学力は金で買う時代だ、と言われて久しいが、カネで買える学力と、実力は違って、実力は金で買えない…。金で買って塾通いをしていると、いつまでたっても真の実力はつかない。

登攀力も同じで、カネで解決=ジムに行く。福岡なんて、都会から30分で、無料の岩場が自然の中にはいっぱいあるのに、人はジムに行きたいものなのだ…。流行っているから、という理由で。

カネで買える何かいいもの…で、最近の身の回りの件で思いつくのは、


・横山ジャンボさんと佐藤ユースケさんが催行するユタのクライミングツアー 18万円 飛行機代別
・自然農野菜の個人宅配を摂る(どこかいい個人宅配知っていたら教えてください)


・仏教の瞑想クラスに出席するのに大分まで行く(募金せいだから無料と同じ)
 

・MTBのレイドに参加する
 

・ログハウス作りに参加する
 

あと、なんかあったっけ?って感じで、特に普段以上にお金を使わないと、できないようなことの希望というか、望みがないんだよぁ… 有り余るカネがないから、スケールの小さい望みしかない、と言われたら、ぐうの音も出ないが…。

何千万もかけて、7大陸最高峰制覇!とか、最高峰を踏むことが、もはや初登でもなんでもなくなり、お金の戦い=つまりスポンサー力の戦いとなり、その山をこなすのに、アルパインクライミングの技術すら要らず、時期さえ選べば誰でも登れる…と、分かっている人にはバレちゃっている時代に、お金をかけて、そんなのやって何も知らない人からスゴイスゴイと言われたって、何になるんだ?とか思ってしまう…人は多いだろうと思う。

■ 時は流れ、昔すごかったことはすごくはなくなる…

昔はヒマラヤは山やにとって大変な夢だったんだが、今では、一般の人だってトレッキングルートを歩く時代なので、ただヒマラヤって言うだけで意味を持つ人は少ない… 私の周りには一杯いるよ、ヒマラヤのトレッキング行ってきた人。

ので、同じ行くなら、私だったら、チベット僧のターパさんがやったみたいに、リトリートにでも行かないと、わざわざ行く意味が見いだせないな、と思ってしまう…。すでに賞味期限が切れた自慢話のネタ集めしても仕方ないって気持ちだ。

今の人は、海外には慣れていて、昔の人みたいな外国の山への憧れは、もはやないから、なんだが…。(オーストラリアの山とか、山やになる前にすでに登っています)

同じお金ならアメリカのシエラ山脈歩きましょう、みたいなのが好みだったりするかもしれない… 理由は?と言えば、若いころカリフォルニアに住んでいたので、思い出をかみしめてもいいかなぁ…みたいな気持ち。それは、人生で良い時間になるだろうという見込みがある。

でも、天から降ってわいたような登攀に出かけても仕方ないよなぁ。縁が感じられない。

そう思って、ジャック・ケルアックの、TheDarmaBumを読んでみたが、”だるまフーテン”と訳されているものを見た(笑)。なんか、寅さんかよ…(笑)。ムードでないなぁ…。

日本では、Bumをフーテンと訳すと、あまり良い印象を持つ語感はない。英語でBumは自由人という響きなんだがなぁ… と幻滅…。

話としてはカリフォルニアの若者が仏道を求めてさまよう話です。


気分転換…自分の認知を変える必要があるのだが、一番手っ取り早いのは、

忘れる、

なんじゃないかと…。

クライミングを忘れる。カネ稼ぎを忘れる。もっと他に楽しい事、目標になることを見つけて。そして、それをマネタイズする。

 

2022/10/14

フリークライミングらしいフリークライミングの岩場って

■ 適切な岩場の、”適切”の中身

1)5.9なり、5.11なり、そのグレードを登るクライマーのために、適切にボルトが配置されている。

2)岩場としての全体的なグランドデザインがある。

3)課題同士が2m以内に接しているなど、近すぎない。無理をして、課題数稼ぎをしていない。

4)登攀自体が楽しめる内容である。

5)リスクを上げることでの興奮だけを求めるというような本末転倒が起こっていない。

6)わざと事故を誘発するような作りになっていない。

7)やむを得ず、危険を甘受する場合は、R、Xなどの記号付与をフリークライミングの慣行に従って行い、クライマーに危険を明示的に知らせる。

8)必要もないところにボルトを打っていない 

9)現代的強度を満たすボルトが使用してある(25kN)

■ 美しい

一言で言えば、美しいってことですかね…?

日本の町並みは美しくないことが多いでしょう、特に戦後、五月雨式開発で作られた町は…。パリの町が美しいのは、グランドデザインがあるから…。


 


ダイナミック瞑想&ブッダの瞑想(マインドフルネス)

■ 衝撃のOSHO ダイナミックメディテーション
 
友達が教えてくれた。 
 
東京のイスコン教会でキルタンではなくて、適当に踊る会…名前忘れました…があるときがあるのですが、あれを初めて見たときの衝撃に近い。
 
誰でもフラストレーションを心に貯めている…それを発散する場が、健全だとスポーツでの闘争心、不健全だとアル中みたいな感じかなぁ…
 
スポーツで競争することでは、心のエネルギーを解放できない人向けにいいのかもしれません。なんせ、”競争”だからなぁ…スポーツは。容易に自己顕示欲の世界に陥ります。
 
昨日は、スマナサーラ長老のマインドフルネス動画を見て、
 
20年バレエをやった=20年マインドフルネス瞑想
 
って意味だと思いました。
 
■ マインドフルネス = 実況中継する
 
今まで聞いた瞑想アドバイスの中でベストアドバイス。
 
子どもの世話をしているときは、いつも何をしているか?実況中継しています。気持ちも実況中継。それで、これは嬉しいという気持なのだ、と子供にラベリングしています。痛いとか怖いとかも、子供は教えないと、自分で表現できるようにならない。
 
このブログも心境の実況中継ですが、実況中継にかなり似ているのが、バレエのレッスン。かかとから出す、など様式が指定されているので、実況中継力はかなり高まります。
 
また、英語を身に着ける場合のシャドーイングは、発話の実況中継です。英語を身に着けたい方は、英語で自動化を起こす、と考えたらよいと思います。クライミングは自動化勝負のスポーツで、私はアイスクライミングでは自動化すでにしています。
 
マインドフルネスは、バレエと同じで自動化を避ける。バレエでパの組み合わせが、毎回異なるのは、自動化を避けるためです。自動化=癖、ですので。
 
心の自動化=認知の過ち、ですね。
 
もし相方が白亜スラブでやったことは、私は”自己PRしたい!”ということだと認知したのですが、そうでなかったら、正確には何なのでしょう?  ジムで5.11登れるから北岳バットレス四尾根と同じことが具現したとしか思えないのですが。まぁ、身を守るだけのクライミング技術があって良かったなと思っています。
 
相方の、心の自動化=認知の誤りは、女は男の意思の言いなりにしてよい、という観念かもしれませんね。あるいは、母親への復習を代理を立ててやったとか。
 
コントロールを受けやすい傷の根源がどこかにあるはずで、それを探求中です。

2022/10/13

山とお金 お金があっても買えない価値

■ 栗城劇場

栗城劇場は、多額のお金をかけた”ビッグな夢を語る俺かっけー”登山劇場であった。欲望という煩悩の果てと仏教者には見えるだろう。

■ 私も、お金を稼ぎたかった時代もあった…

んだよなぁ… その昔。15年ほど前だが。その頃は、社会人ビジネススクールに自腹で参加したりしていた… それでMVPを貰ったりもした。

 んだが、別にお金のニーズが下がったというか…。

■ 山ヤに必要な能力は、カネで解決できない

山ヤに必要な能力って金で解決できない問題ばかりが、解決課題だったりするんだよなぁ…

例えば、体力。どんなに金を積んでも、トレーニング以外、体力問題を解決することは不可能。

クライミング技術…たしかにロープとか、クライミングシューズとか、高いんだが、それは一時的なこと。結局、ノットを勉強するだとか、ロープを素早くまとめるだとか、凍らないように登るたび手入れする、とか、全部、実践しないと身につかない。

実践のことを”コソ連”って言うんだが…。こそ連は大事だが、結局、本番に行かないとコソ連だけをしても、身にはつかない。

読図…山で失敗しながら学習するしかない。家で磁北線を書くとか当然です…という感じで、結局、あんまりお金の威力(金さえあれば何も努力しなくて良い)を発揮できないのが山なんだよなぁ…。

■エベレスト一山 700万円

そう言う風に言うと、700万円あれば、誰だってエベレストに登れる!と主張する人がいて、たしかにそれはそうなんだが…。

700万円さえあれば、だれでも登れる山に登って、自己肯定感だの、自信がつく…人って、結局700万円で自己肯定感を買うって意味。

山としては、歩くだけで、全然魅力がないというか…、おもしろさに欠けるというか… なんで面白くないことに700万円も払わなきゃならんのか?となる。

青ちゃんはデナリですら退屈だとおもったらしくて、BCで寝ていたそうだ…(笑)。

ただ歩くだけで到着する山って、クライミングをスタートしてしまった人には、価値が感じられなくなるらしいんだよなぁ… 

だよなぁ…と聞いて思った。

初心者のころ、あんなに憧れた前穂北尾根、一体なんで、あんなに憧れたのか?山の本を読みすぎたとしか、今となっては思えない…。

フリークライミングのレベルに来たら、6時間も歩いたのに、クライミングちょっぴりだなぁ…とか思ってしまう。(堕落ともいえるが)

 かといって今、フリークライミングのルートに行きたいか?というと、そうでもなく、瑞牆のマルチに登りたい、というのは、私の中の夢には全く入らない…。誰かほかの人の夢だなぁと思う。

世界中の岩場を登りまくりたいというのもなく、世界一周したい!とかって、なるほどザワールド世代の幻想なんじゃないの?それ、ホントに自分の夢なの?って思う。つまり、洗脳なんじゃないの?って感じだ。

ラオスには、おし!という感じで行ったが、自分の実力を伸ばす岩場だと確信があり、それがたまたまラオスだったから。しかも、ラオスに行ったら、登攀ではなく、世界観が気に入ったということで、作り出したいのはクライミングの世界ではなく、ラオス的世界のほう。(質素、テレビなし、Wifiなし、平等、ビールはドネーション、ということです)

台湾の岩場も、現在の実力とマッチしているので、誰か一緒に行ける人がいたら、行きたいが、行けなくても、まあ、いいかな~な感じ…。スコーミッシュはどうも楽しいらしい。

というので、特に何も困っていない。充足している、ともいえるんだが…、充足していることは感謝すべきことで、その逆ではない…。

 8年前の北穂池…初級者でアルパインで道がない山をしたい人にお勧め

クライミングは、私は、命を懸ける対象とは思えないし、大枚をはたく対象ともなぁ…まぁ30歳若かったら違うかもしれず、それでも遅いスタートではあるが、夢を追いたい!とか思うのかもしれないが、38歳のスタートなんで、最初から夢の賞味期限は切れているスタートなのである(笑)。当然でしょう。

そんな私が、ラオスや韓国、おまけに台湾までクライミングで行けるわけですから…

みなさん、これは、ある意味、お買い得って意味ですよ?なんでそう思わないのかなぁ…

私だったらチャンス!と見て飛びついちゃいますね。

さてと私は、せっせと仏教勉強することにします。なんせ、アメリカ式仏教、私のドストライクゾーンっぽいです。

 


2022/10/12

栗城劇場は、俺ってかっけーのなれの果て、です。自分の実力を客観視しましょう

■自業苦とは?

ある老子にお侍が言いました。「老子よ、地獄とはあるのですか?」

老子 「お前は侍の癖にそんなこともわからんのか」

侍 「…。(悔しい…)そこを何とか教えてくださいませんか?」

老子 「武士のくせに情けないのう… 武士は武士でも、かつお節か」

侍 「なにお~!もう許せん!斬ってやる!」

老子 「まだ分からんのか?その心が地獄じゃ!」

■ クライマーバージョン

クライマーAがいいました。「おれ、5.12登れる。お前、今何登れるの?」

クライマーB 「5.9をやっているところよ」

クライマーA 「け、そんなのしか登れないの?」 

ある時、クライマーCが、クライマーAに言いました…

クライマーC 「え、お前、まだ5.12やってんの」

クライマーA 「…。(悔しい~)」(この人がやってるのは、承認欲求地獄)

■ 栗城劇場という自業苦

昨日は、栗城さんの解説動画を見て、そういう話だったのか、と納得した。

栗城さんは、
 

 現代の、無知な、未組織登山者

代表という感じで、一般にきちんとしたクライマーのネットワークには、つながっていない人たちが支持層だ。ぜんぜん本格的にやっている人たちからは評価を受けていない。

ので、私も、思考を与える価値すらないと、まったくスルーしていた。この種の人に、おなじく南谷真鈴さんなどがいる…。余談だが、残念なのは、最近では、登山教育の不在が積年の果てであり、山岳会連盟の会長などの要職に就いているですら、きちんとした登山者の姿を捉えられない人が多い。つまり、南谷さんと加藤保男を切り分けられないということ)

さて栗城劇場だが…

 実力を伴わない、”俺ってかっけー!”を山でやり続けた結果がどうなるか?

を衆人にみせてくれた劇場、ということだろうなぁ…。

男性のクライマーは、結局、山が好きというよりは、

”山にかけてる俺ってかっけー!”

を、やりたがっている人が多い。

私の知っている人では、ガイドをしている人ですらそうで、体力やトレーニングというコツコツした努力なしに


  俺だってカネさえあれば佐藤ユースケ

と思っている人が多いってことだ。初心者ではなく、ガイドをするようなレベルの知識の人ですら、そうなのだ。

■ コツコツした努力がないという傍証 

ベテランが、もはやコツコツした努力をしないのはいい。すでに落穂ひろいの山に入っている時期だからだ。

しかし、登れました自慢をするのに、その基盤となる努力をしないのは、片手落ちだ。私ですら、一番登っていたころは、歩荷トレしている。

適性な歩荷量の研究

■虚言癖

虚言癖というか、自分を大きく宣伝し勝ちなのも、栗城さんだけでなく、多くのクライマーに直結する共通の性質だ。

大体のクライマーはみな、「俺、5.12が登れる」という。

実際、大体の男性クライマーの平均的な落ち着き先はそこだ。あまり努力を要せず、必要な時間さえ費やせば、落ち着く先が12だということだ。女性なら、11が落ち着き先だろう。なにしろ、41歳スタートの私が、11登れる段階に2年前で来ていたからだ。男性12、女性11でプラトーに入り、そこから上は努力がいる。

5.12登れるという男性クライマーに、そうか、ということで、例えば、OBGの5.9なところへ連れだって行ったとする。すると、フリーでは登れず、スカイフック出して、2時間半もかかって登る…。確かにフリークライミングの岩場ではなく、アルパインっぽい、つまり、汚くボルトも少ないんだが…だとしても10c。え~、12登れるんじゃなかったの?となる。現代クライマーの5.12は、そういう程度の話なんだな…、と推して図るべし。

あるいは、カムとロープが噛んでロープが流れないとか、長ヌンの使い方を知らないでロープが流れない上、落ちても、全くビレイヤーに衝撃が伝わらない、とか。グレードで実力は判定できないと言うが、余りにも基本的なこと…そのままだと登れなくなる…というようなことすら知らない。それって教えること、教わることというより、普通に経験していれば分かるようなことだと思うんだが…知らないものは知らないのだから、教えるしかない。

私が九州で出会ったクライマーは、みんなそんな人達ばかりだった。

こういう人たちは、まだ”まし”で、有段者なのに、「終了点にはロープ直がけが九州ルールなんですよ」とかです。

こうした現象が起こるのは、実力と知識がマッチしていないというよりも、そもそも何がステキなクライミングなのか?クライミングの価値観を教わり損ねているのではないか?と思う。ゲームのルールを、勘違いしているってことだ。だから、グロバッツのニンジャを登るのに、赤チョークになってしまい、それじゃニンジャを登った意味ないね、となる。

■ 私の自業苦 

私の自業苦は、弟を早くに無くしていることだ。24歳で弟は死んだ。死ぬ前8年ほど会っていない。

山岳総合センターの仲間が、涸沢岳西尾根で墜落死した。親しくしていた山屋が、劔で落石により圧死した。

釘をさしておくが、私はクライミングメッカの山梨時代ですら、クライミング寄りの活動はしていない。出来るところをできるように登る、という身の丈の山を積み上げて、結実したのがラオスであり、台湾だ。

私が不必要に、亡くなった弟を彼らに重ねて親切にしてしまうので、ある種の人たちが、抜け道発見!とばかりに私を利用しようとしてしまう訳なんだが、私がしたいのは、引退後のグレードを追いかけないフリークライミングです。

なにしろ、私はアルパインクライミングは、自分の力で追える限りのルートを、すでに追ったのち充足してから、九州に来たので、九州でやりたいのは、

実力を誇示する山 ではなく、

引退後の、のんびりクライム、であり、

グレードを追いかける山はやる気がありません。

■ 無知もいいところ、自分の力が客観視できない

例えば、こんなボルダラー版栗城さんに会いました。

例1:

今、3級しか登れないのに、2段をノーマットで登るとか言って、クラッシュパッド買わない奴…。2段をノーマットで登るには、4段とか5段をノーマットで登れる実力がいるんだが?そして、その実力は、落ちて落ちて落ちまくる、を繰り返さないと、つかないことは、日を見るより明らかですよね?

例2:

根子岳を登りたいって言うアルパインクライミングの、お上りさんクライマーは許すことにした。ジャンダルムを登りたい!という登山”客”レベルの人が、初歩のクライミング入門すると、大体は、皆が通る道であることは分かった…。私だって明神主稜とか行ってるし、その前は北穂池だの、前穂北尾根だの行っているので、その人の通った道を通っていないわけではない。ただし、私は、そこを登るのに十分と思われるトレーニングを積み、講習を受けたのちに行ったわけだが

無雪期のアルパインルート(リッジ、岩稜)をロープをつけて行きたい人は、都岳連の岩講習を受けていくべきと思います。

しかし、俺が白亜スラブ楽勝で登れるという自己PRのために、敗退のロープを想定せず、マルチに行くというのは…。そんな恥ずかしい山をやったことはなかったのに、なぜそのようなことに手を貸してしまったのだろう?と思うと、自分が恥ずかしくなる。

それだけパートナーの欠乏が深刻だったということにしたいが、それだけで済ませられる失態ではない。気が付かずに栗城劇場を応援する羽目になっていたのだ…。

自分を殺すだけであれば、自分の命であるので、勝手にすれば?だが、それに巻き込まれるっていう話であれば、かなり業が深い。栗城劇場で死んだスタッフたちと同類ということだ。

というので…栗木劇場は、現代のアルパインを夢見てフリークライミング入門したクライマーたちに、

 俺ってかっけーだけのクライミングの慣れの果て

を戒めるために、その業がどのような苦を結ぶのか?を具体的に見せているもの、でした。

すべてのクライマーは、栗城劇場を他山の石としましょう。

それは、自分を善意で応援してくれる人を殺しかねない山 です。

■ そもそもの因

すべてのクライミング分野で、スタイル(つまり、クライミングの道徳、倫理、あり方)ということです…の教育が欠如しています。

ので、よっぽど独学できる頭の良い人しか、まともなクライミングができないことに陥っています。

事例:

・アルパインクライミングでの教育欠如の結果 = ラッセル泥棒を恥ずかしいと分からない

入門コースである阿弥陀北稜に行くには、どのような訓練が必要なのか?理解できない。読図、山の概念図の把握、コンパスウォークの習得、雪崩危険の回避術、その山固有の天候リスクの回避術…生活技術、確実なアイゼンウォーク、多少のラッセル

・フリークライミングでの教育欠如の結果 = 閉じている終了点を使いこなせない

懸垂で降りて登るシークリフの岩場での登り返しができない、ロープの始末が分からない、スタイルの差による困難度が分からない、正しいビレイが分からない

・ボルダリングによる教育の欠如 = ランディング練習が先に必要と分からない、マントル練習が必要と分からない、降りることのほうが登るより高リスクだと分からない

結局、一般登山の、登山客の知識のまま、行く場所をどんどん高度にしている、という問題があります。

ガイド登山がそれを後押ししています。

行く前に、山岳総合センターなり、○○クライミングガイドの講習なりを受けないといけないのに、間違った相互助け合い、で、無知をカバーしあっているので、無知な人は、ずっと無知なまま、置かれてしまうということです。

知識を自ら求めない人には永遠に与えられない、ということです。

■ 動画"栗城史多"とは一体なんだったのか?悲劇の登山人生を世界一詳しく解説【ゆっくり解説】

2022/10/10

独標ニアイコール根子岳

九州の人がわからずやっぽいので、掲載

〇×がついていても危険なのに、ついていないのをうろ覚えの年配の人に連れて行ってもらって自分はセカンドでリスクをとらずに行こうというのですから…。

 

ーーーー以下 FBより引用ーーーーーーーーーーーー

< 本当に危険なんです!! >
今日は独標まで登山道整備とマーキングをしに行ってきました。
独標が渋滞しているときに、ルート以外の場所を歩いてしまう人がいるのですが、ルートから外れると不安定な岩が落す可能性があり、凄く危険です。
つい先日、ルートから外れて歩いた人が大きな岩を落し、もう少しで下を歩いていた女性を直撃するところでした。
岩を崩してしまった付近が大変危険な状態になってしまったため、落石事故を防ぐため、不安定な岩は除去し、通らないように×印をつけました。
また、独標の東端にある大きな岩は、一昨年の群発地震の影響で、いつ崩れ落ちてもおかしくない状態になっています。
立入禁止の看板を設置し、ロープを張ってあるのですが、その中に入って休む人が後を絶ちません。
中には落ちそうな岩の上に乗って写真を撮り、自慢げにSNSにアップしている人までいる始末です。
今日は恐る恐る岩に近付き、ペンキで岩に直接危険を知らせる注意書きをしてきました。
あの巨大な岩が崩れ落ちたら、その近くにいる人まで巻き込む可能性もあります。
本当に危険なんです!!
( 粟 澤 )

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2022/10/09

NINJYA 5.14Aの記録から トポへ反映したらよいラベリング情報を抽出

 https://www.karrimor.jp/ambassador/k-1.html

より、NINJYAを事例に、トポで課題の価値を伝えるときに、何を伝えると良いのか?を考察。

前提: 課題には、ほかよりも意味がある良い課題、と ふつーの課題がある。味噌くそで保存活動するのは、ナンセンス。 

■ 抽出

1)1年間を費やして自分のフリークライミングの限界にチャレンジ

→ 一つのルートを登るだけに、一年間かかる (長時間の法則) 

2)一般フリークライミングの楽しみ方 との差 (こだわり強度の法則)

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これまで1つのルートの為にトレーニングをしたり、何日も通ったりなどはしてきませんでした。簡単なルートでも純粋にクライミングを楽しみたかったし、同じルートをずっとやるよりも色々なルートを沢山登ってみたかったから

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Ninjyaが特殊であるという意味

3)あるルート → 特定のルートへの愛着 (愛着の量=感動の量の法則)

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あるルートに出会い、限界に挑戦することの素晴らしさや登れたときの感動の大きさ

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4)最初に失敗する → 楽でない (簡単な壁ではない法則)

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最初のトライをしました。結果は惨敗。分かってはいたことですが、圧倒的に実力が足りていませんでした。

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5)実力が足りない → 楽でない (自覚の法則)

引用箇所 同上

6)諦めてしまうところを通う → 執着心(不屈の法則)

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いつもならこれで辞めてしまうところですが、どうしてもこのルートを登りたかったので、それからも休みの日は毎回このルートに通いました。

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7)「コスモス」は手段  (ほかのルートは手段の法則) 

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暑くてトライも出来なくなったので、トレーニングとして、夏の間はマルチピッチクライミングをしていました。この写真はお隣の瑞牆山というところにある「コスモス」というルートです。

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8)ほかの活動は手段の法則

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筋力を落とさない為にボルダリング

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9)ちょっと前進 → 自己観察と自己向上の法則

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夏のトレーニングのお陰かちょっとずつ前進し、あと少しで登れそうな惜しいトライを何回もしていました。

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10)このグレードを登るのにかけた日数は → (トライ量の法則)

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今回は、この14というグレードを登るのに費やした日数は12日間、

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■ まとめ

1)長期トライの法則   ★

2)一般フリークライミングの楽しみ方との差(ルートの特殊度) ★

3)特定のルートへの愛着度  ★

4)簡単な取り組み課題ではない法則 ★

5)自分の現在の実力の自覚の法則 

6)不屈の法則 

7)ほかのルートは手段として努力する法則 ★

8)ほかの活動を手段として努力する法則 

9)自己観察による自己向上の実感の法則

10)トライ量によるスタイル向上の自己計測の法則 ★

★がついているものは、開拓者がトポを工夫することで、取り組むクライマーにスタイルへの認知をもたらせそうだと予想できるポイントだ。

■  トポへの反映方法 7法

1)長期トライの法則   

「この課題はじっくり通ってもらいたい課題だ」「〇〇氏が〇日かかった」「季節が夏だった」「夏から秋になってしまった」等

2)一般フリークライミングの課題と楽しみ方との差(ルートの特殊度) 

「○○を登ろうとする人の入門に丁度よい」「中級者の実力試しに丁度よい」「熟達者にこそ味わってみてもらいたい好ルートだ」「雨の日に良い」「これが登れるようになれば一人前」等

いきなりジャック豆に行かず、小川山レイバック、カサブランカの後みたいな。

3)特定のルートへの愛着・思い入れ度  

「開拓中に○○を落としたという思い出のルート」「このルートのために〇〇した」「○○のために何度も登った思い入れのあるルート」「一目ぼれしたルート」等

4)簡単な取り組み課題ではない法則 

「開拓に○○日もかかった難ルート」「コケがひどく○○日」「指皮がなくなり血まみれになって登ったルート」等

5)ほかのルートは手段として努力する法則 ルートの関係性 

「このルートは〇〇へのステップアップに良い」「このルートを登る前にプロテクションを確実にしてほしい」「この課題には正確な立込み技術が必要だ」「○○が終わっていない人には、このルートはまだ早い」「○○が楽勝で登れたら、これを登ってみてもらいたい」等

6)ほかの活動を手段として努力する法則 

「器械体操出身には簡単に感じられる可能性がある」「体幹を鍛えてからトライして欲しい」「指力が非常に必要になる」「特殊なバランス感覚が必要」等

7)トライ量によるスタイル向上の自己計測の法則 

「開拓には〇〇日を要した」「初登には試登を含め、〇〇日を要した」「初登はピンクポイントでリハーサルされ、のちレッドポイントされた」「合計100トライでやっと登れた〇〇な課題」「あまりの難しさに○○が根を上げた」等

■ 感想

これはNinjyaを例にとってみたのですが、ステファン・グロバッツの初登時の記録と比べると、当時のグロバッツと自己の差がより鮮明になって、

 クライミング史に残る偉大な課題を登った

という感動がよりひとしおなのかもしれません。 

■ 余禄

      非常に用心深く登っている事例 これができる前に怠惰でカムを飛ばす人が多い ただの怠惰なのに、勇気があるという正のフィードバックを受けてしまう。ボロが出たときに死に直結することがある。怪我や死亡につながる悪い因果を積み上げてはいけない。



クライマーに必要なのはスタイル情報

 ■統合失調症とクライミング

https://7korobi8oki.jp/current/case-study/schizophrenia.html より以下引用。

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こうした「周囲の人すべてが自分に敵意を持っている」「頭のなかに第三者がいて、自分を批判・批評する」という状態は、統合失調症スペクトラム障害のおもな症状である「幻覚・妄想」に当てはまります。

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つまり、自分の中に神がいる、という人は、統合失調症スペクトラムの症状が重くなっているのかもしれません。

統合失調症というのは、多かれ少なかれ、万人に当てはまります。ので、正常かそうでないかで白黒がはっきり分かれるものではないですが、あきらかに病的な場合は、第三者的には大体分かるような気がします。

栄養学的に欠損が起きると、誰でもメンタルやられます。分かりやすいのが鬱。希死念慮。

一方、例えばYoutuberでスピ系の人とかいますが、あきらかに希望や願望を語っているものも結構多いです。ライオンズゲートが開く、なども、証明ができないようなことは、詐欺の話法と重なることが多いです。たとえ、重なったとして、詐欺だとしても、聞いた人にとって薬効があれば、それでよしというので、信仰と同じタイプのものです。詐欺だとしてもプラシボで効果があるのが人なのです。

 ■ 理性の声との切り分け

人間には原始脳と大脳皮質(理性脳)があります。つまり、人と動物を分ける部分。

原始脳の欲求 → 寝たい、食べたい、欲しい、抱きたい、認められたい 

理性脳 → 今寝ると夜寝れなくなる、これ以上食べると太る、これを買うとあれが買えなくなる、この人は恋人ではない、人に認められるより自分で自分を認められる方が大事だ

など、理性の脳を働かせることが、

 人間固有の能力

です。 この人間固有の能力を生きることが、人間として生きる、ことです。

■ クライミング

クライマーは、肉体を動かす活動なので、より原始脳に近いため、混乱を起こす人もいるのかもしれません

原始脳 → 登りたい、 もっと登りたい、上手く登りたい、登れたら褒められたい

理性脳 → 登るには何が必要か?、上手になるには何をしたらよいか?、他のクライマーに役立つにはどうしたらよいか?

です。

”褒められたい”が、分かりやすいかもしれないので、因数分解・・・・

褒められたい→皆の注目を集めたい→役立つことをすると注目が集められる→皆に役立つことは何か?

です。

褒められたい→皆の注目を集めたい→チッピング→注目される(満足)

というので、今は、負のフィードバックになっています…。 

■ 間違ったラベリング …記録偏重

登山界では、もはや初登争いの時代はとっくに過ぎ去り、登る価値がある山では初登ということの価値がある山はなくなり(一般に落穂ひろいと言われる)、次の時代、困難という価値を追い求める時代も、もはや一部のスーパーエリートだけが参加するゲームとなってしまい、

 次の価値観

をなかなか提示できないでいる、というのが、アルパインクライミングやフリークライミングの登山界です。

フリークライミング協会の奥村さんによると、

 スタイルにこだわる

ことで、まだまだ一杯、挑戦を広げて行ける余地はある、ということですが、そもそもスタイルの情報が日本語で提供されているのが非常に少ない…ので、そのスタイルの情報こそがチャレンジを求めるクライマーに必要な情報であるかもしれません。

例えば、グリーンポイント、なんて、何を意味しているのか分かりませんよね。

参考サイト: https://www.redbull.com/jp-ja/different-types-of-climbing-guide

              ピンクポイントでの初登

2022/10/08

なぜチッピングがなくならないのか? ラベリング

 ■ 注目を集めたいこころ=愛着障害

ここ2週間ほど、発達障害の勉強をしています。こちらのセミナーを受講。

https://kohaken.net/

それで分かったのですが… 長年、問題になっているクライマーの問題行動…

例としては

 1)チッピング (初登者への冒涜)

 2)ランナウトしているボルト配置を正すことができない (後続者への殺人行為)

 3)終了点のカラビナを持って帰る (窃盗)

 4)敗退を想定しない粋がりでルートに行く (自己破滅)

 5)パートナーがほかの人と登ると怒る、連れてくると怒る (不安障害)

 8)登攀禁止の岩場で登る (衝動性を抑えられない)

 9)どんちゃん騒ぎ (多動性・衝動性を抑えられない)

 10) ランナウト自慢 (自己破滅)

 11)ゴミポイ捨て (衝動性を抑えられない)

など…、反社会的(禁止になってクライミング活動ができなくなるリスクを冒す)だったり、自己破滅的(自分を殺してしまう、あるいは相手を殺してしまう)だったりする事例ですが…

どんなにお目付け役?のJFAが口やかましく、注意喚起しても治らない(汗)…

それは、愛着に問題を抱える人がそういう行動に出ているのだろう…ということが分かりました。そもそも、クライミングには、ビレイヤーが必要なので、ビレイヤーに対する強い愛着(信頼関係)が必要だからです。

そこが確立していないと、イヤイヤ期の子どもと同じ現象を起こしてしまいます。

つまり、俺を見て!行動です。 

愛着が不全なので、自分は愛されていないのではないか?と不安になり、その不安から、

 自分に何とか注目を集めよう!

としてしまうのです。

■ 負のフィードックとなるべきところを正のフィードバックにしてしまっている業界

 このような一文があるとします、

「愛着に問題がある子供は、大人の注目を集めるために、悪さをします。」

これは分かりやすいですね?

「〇〇に問題があるクライマーは、みんなの注目を集めるために、チッピングをします」

○○に入るものは、やはり、愛着、でしょう…。

ですから、チッピングを辞めさせたかったら、基本的に、

 報道しない

という行動を選択するべきなのです。注目を集める、のが目的なので、注目が集まったら、チッピングは、正のフィードバックを受けてしまいます。

■ ラベリングで、善悪を教える

最近のロクスノは、岩雪と違って、熱量のある記事がとても少ないです。熱量というのは、

クライミングの倫理感

という意味です。努力の量、ではありません。

これは、オンサイトが良いスタイルだ、というラベリング が、余りされていないということです。

赤チョークにしても、ロクスノで赤チョークの存在自体が語られたのは、いつ?くらいな話と思いますし、ステファン・グロバッツ、なんて名前を聞いたことがあるクライマー自体が稀有なくらいで、初登情報を知らないなんて、相手を責めることができるような状況にないかもしれません。なぜなら、一般クライマーが見聞きする範囲に、常識、として知れるような情報の置かれ方をしていないからです。

JFAのサイトを見る人は非常に少ないので、クライマーの道徳観の見張り番は、ロクスノ一本と思いますが、ロクスノがあまりクライミングの文化、倫理を伝える媒介者としては成功していません。

伝えるポイントが、スポーツ寄り(安全は前提でしかない上での努力)で、リスクを見極める情報やリスクと成果をバランスの掛けるための情報(スタイル)には、感心を払っていないからです。

うまく、ラベリングを行うには、 

 赤チョークを使わず、丁寧にフリーにこだわって登っている手記を開示して、

 「これが、クライミング倫理的に正しい、かっこいいクライミングですよ」

と提示しなくてはなりません。これがラベリングです。

なぜ赤チョークを使わないのか?その理由を丁寧に語るということです。

 

それがラベリングという手法です。https://psycho-psycho.com/labeling-theory/





愛媛県松野町がボルダラーを地域おこし協力隊に募集

 https://www.climbing-net.com/news/matsunocho_20220913/

リードのほうこそ、ただ登れるだけでは地域おこしはできないので、誰かきちんとした技術がある人を募集したほうがいいですね。

九州で可能性があるのは、福岡八女、長崎大村、大分中津、宮崎延岡、熊本五木村、です。

その自治体に住んでいる一部の人に、岩場という観光資源について認知が起これば、成功、ということにしています。(AIDMAの法則のA)


 

パートナー作り@クライミング

 ■ バレエでは、パドドゥに当たるパートナー制度

昨日、バレエで、パドドゥを組む際の注意事項を網羅した動画が流れてきて、

 パートナーを組む際の注意事項がクライミング界には欠如している

ということに気が付きました。

体重差くらいしか言われていない。英語では、Partnering です。

■ クライミングでのパートナリング

1)クライマーはビレイヤーがいい加減だと、登れる場所も登れない。(しっかりした愛着関係、信頼関係が築けていることが大事)

2)クライマーはクライミング中は、ビレイヤーのビレイを確認することができない。第三者が確認することが必要

3)クライマーは無理強いされると、登れる場所も登れない。

4) 大きい人と小さい人が組む場合、小さい人が危険にさらされる

5)大きい人と小さい人が組める最大値は、小さい人の1.5倍の体重まで。

6)リーチ=安全

7)ビレイヤーはビレイ位置が不安定な場合、セルフビレイをとる

8)ビレイヤーは足場がない場所では、ハンギングビレイとなる。

9)クライマーは、ビレイヤーと積極的にコミュニケーションするべし

10)クライミングは、クライマーとビレイヤーが相互協力で作り上げるもの。

11)ハングドッグ中にロープが緩んで下がってくるとクライマーはとても不安になる

12)核心部に入ったのにロープがたるんでいると、クライマーはとても不安になる

■ 信頼関係の作り方

1)ビレイ中にビレイヤーを見たら、必ずこっちを見ている

2)クライミング中にピンチがきたら、必ずレスキューしようとする



2022/10/06

日本の優秀なクライマーをAMEGA公認インストラクターに

■ 台湾よりクライミングが遅れている日本

これは台湾のThe Bivyのケリーからの投稿です。

アークテリクスが講習費を出してくれたみたいですね。

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Gratitude
I took my SPI course and assessment in Boulder, CO in 2017 - it is the first instructor training I have ever taken.
Taking the AMGA Single Pitch Instructor (SPI) program is my first step towards learning and training to become a climbing instructor and guide. It is when I began to realize the distinction of being a recreational climber vs. a responsible service provider to my clients.
In the fall of 2019, I took the Rock Guide Course (RGC), clueless about how the world would be swept by COVID-19 for the next 2.5 years. My life has been a roller-coaster ride ever since then. It’s been extremely challenging to keep up with training, preparation and motivation when all of a sudden one’s livelihood is at stake. I felt I was left with nothing. 


This summer, I got some great news. Under the AMGA’s Affinity Programs to support the underrepresented community in the guiding industry, I received a scholarship from Arc'teryx and American Mountain Guides Association to take the Women’s SPI Assessment this fall. Passing the two-day assessment will renew my SPI certification (which expired last month). More importantly, it is a great opportunity to keep my skills in check as a climbing instructor.
I am incredibly pleased to have also received a scholarship from the First Ascent Charitable Foundation to take my Advanced Rock Guide Course (ARGC) next year. The journey has been a long and bumpy ride and I am grateful beyond words for all the opportunities and support that have been extended to me.

Now back in Vegas full of gratitude, let’s keep the work going 


Thank you so much Arc'teryx, First Ascent Charitable Foundation and American Mountain Guides Association.
Photo: Jennie Tsai
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■ アルパインとフリーとスポーツ、外ボルダーを区別するべし


大日岳の事故報告を読んで、

 事故を起こした側の責任追及をしない

という業界全体の姿勢が、現在では、

 フリークライミングまで拡大解釈され無責任体質 

につながっていることが分かった。

アルパインクライミングには、外的危険というのがある。自然界がもたらす不可抗力の危険ってことだ。例えば、雪崩。雪崩学が進み、弱層の存在も知られ、私程度の人だって、弱層テストしてから山に入る。

フリークライミングが行われている場所は、山、とは言えない。ほとんど下界に近く、外的リスクは、ほとんど存在しないに近いようなものしかない。大抵は、乗用車が横付けできる場所だ。

そんなフリークライミングで、外的リスクの巨大なアルパインクライミングの倫理観を持ち込んだら…そりゃ、無責任になるよな~。

しかも、アルパインクライミングにおいて講習会の主催者責任を問わなかったのは、

 教育システムを守るため。

フリークライミングでは、教育システム、現在ゼロ…。ジム上がりのクライマーは基本的に無組織だ。山岳会に入っていない。アルパインのルートに行くとき、例えば白亜スラブのようなものだが…ですら、山行計画書をどこかに提出するということがない。

■日本にはきちんとしたクライミングインストラクター制度がない

AMEGAのクライミングインストラクター制度みたいなものは、日本にはなく、今はあちこちの、クライマーが勝手に自分たちで、グループを作り、〇〇インストラクター協会とか名乗っている。別にいいんだが、言ったもん勝ち、という状況であるのはその通りだ。

その資格に必要な要件も、手前味噌、で、実際、クライミングを教えるのに、5.12は要らないし、現代では5.12はクライミング技術を知っているかどうか?の指標には全くならない。

5.10しか登れないが、山岳総合センターで初歩を教わり山岳会に所属していた私の方が、5.12登れる人よりほとんどの場合、詳しい。

私の個人的な意見では、日本のクライミング界は、誰か適当な英語がきちんと話せる優秀なクライマーを一人AMEGAに派遣して、ちゃんとした本場のフリークライミングインストラクターに養成し、日本にきちんとしたフリークライミングを導入するべきだ。

現状、アルパインクライミングで、ぱっとした業績が残せなかった人がエイドルートを開拓した岩場のルートをフリー化するという、世界的に見てもフリークライミングの倫理観…エイドの否定…から見て、情けない、岩場の開拓システムになっていることが多い。

ちゃんとしたグランドアップで開拓している人とそうでない人(課題)が、ごちゃ混ぜになっている。

ちゃっかり便乗して、グランドアップの開拓を尊重する開拓者への栄誉に、エイドルートの人が便乗している。ラッペルで作った課題は初登者だってオンサイトしていない。

エイドルートのフリー転用&ラッペルの開拓の結果、とんでもない間違った配置のボルトが放置されている。

その結果、ランナウトしたボルトで登って怪我させられているのが、新人クライマー達というわけだ。

誰も懇切丁寧に解説してくれなかったが、これがフリークライミング業界の暗黙知、であると思える。

■根底には男の嫉妬がある

クライミングジムが発達した時代に育つ現代っ子が、いくら羨ましいからって、わざとランナウトした課題に登らせ、わざと殺す、そんなひどいことしなくてもいいだろう。いくら何でもそれはやり過ぎだ。殺人に近い。

おじさん達は自分たちがヒーローとして担ぎ上げられるように、フリークライミングの世界を組み立て、その結果の栄誉…開拓者は何も問われず栄誉にあずかれる…にあずかりたくて、ちゃっかりしすぎているのである。

開拓者には開拓スタイルを問いましょう。

若い人はこれは間違っている、と間違っていることは指摘しなくてはならない。

2022/10/05

フラクタルな深い傷

■ 深く傷いたということに気が付いた

最近ナイアシン療法で思考が正常化して、上手く摂取できた日は、夢も見ずに、スパッと目が覚める。そういう朝は、自分自身の事も深く、内省できるようだ。

九州のクライミングでは、一言で言えば、かなり深く傷ついたということだ。

白亜スラブの登攀では、相方の荒木さんにとって、粋がる、ということが、パートナーや自分の命よりも大事だ、ということが分かった。

岸良クラックでは、私の怪我より、自分の宴会のほうが大事だということが分かった。

九州全般の岩場では、リボルトが進まず、今登っている人の命より、昔開拓した人の名誉のほうが大事にされている。

すべてフラクタル。人の命、とても軽い。エゴ、とても重い。

■ なぜ、そんなに深く傷ついたのか?

荒木さんには自分の身を危険に挺して、何度もきわどいビレイをしてやった。摩利支天では、自分のスクリューを貸してやり、クランポンの先に突き刺されるリスクがありながらも、下手くそそうだったので、真下でビレイ。普通アイスでは、真下になんて立ってやる奴いない。師匠の青木さんですら、私をビレイするとき真下に立たない。

クレイジージャムでは新品のロープを貸してやった。ひょんぐっているウォータークラックでは濡れながらビレイ。そのお返しが、(命)<(俺のかっこつけ)、だった。

こんな愚かしい活動に付き合っていたら、早晩、死んでしまう。で、一抜けた。

■ 過去の傷

母は、子供を育てるためのお金を、パチンコに使う金にしてしまった… 

(子供の将来) < (パチンコ)、ということであった。

当然、私は子供として深く傷ついた。母にとってあまりにも、子供の将来が軽すぎて、どうでもいいこと、なのだと思ったからだった。

最近はこの観点…お金の価値の大小と愛情の大小を比較する観点…からは、脱しつつあり、子供vs自分の欲の対決で、子供が軽かったからというよりは、母の場合、あまりに子供を自分の所有物と考えていたからだ、と修正している。

一方で、クライミングで私に起こったことが、母の件とあまりに似ていたので、心理的反応としては同じになった。

 裏切り → 長い鬱状態


相手の生命や存在を軽んじる、というのは、普遍的にどこでも起こっていることなんだが、

まさか
 

 自分が積極的に愛した相手
 

から、


 (無私の愛)を(エゴ)


で返されるとは… これは深く傷ついて当然ですね。


 自分を許します。