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2023/02/22

曲がった松を曲がった松と見る

 ■ 正見


私の場合は、

 弟=年下の男性、

 父親=自分の父親くらいの男性

が、どうもまっすぐ見れない。どちらのことも、”気の毒だ、かわいそうだ”、と思っているからです。

例: 年を取ったのに未だに大学生の遠征で運転担当。最近の若い人は指導者がいなくて気の毒。

気の毒だ、可愛そうだ、という気持ちに事実の裏づけがない…。

私がその若い人の年齢だったとき、自分はもっと大人だったし、しっかり予習復習しており、自分ができることを相手ができない、ということを前提にしている…(姉と弟の関係)。

つまり、弟役になった人から見れば、サボっていても咎められない、ということになります。

そこで、ちゃっかり楽をしたいという気持ちが起きてしまいますね、人間は弱いから。

 亡くなった弟への無念…もっと早期に弟と関係回復しておけば良かったな…というのは、父への苦悩…お父さん、どうして、私達三人を愛してくれなかったの?という思いよりは、軽症のようです。

今、栄養学的に脳内セロトニンやら、オキシトシンやら、アドレナリンやらが満たされた状態で、冷静に考えると…どうも、私は、九州の山岳会の零落ぶり、を零落と正しく捉えることができず、”そんなはずはない”と、偶然悪いサイコロの目が出ただけ、と思いたいがために、それに反証するように、だめ事例ばかりが出たみたいです。

 

山岳会Aに入会希望者で行く。レスキュー講習 → ダメ内容だった

山岳会Bに入会希望者で行く。→ 槍行きたい初心者系。話にならない系。

山岳会Cに入会する → ちびに向かってエイドで鍛えてやる。スキル内容古い。

山岳会Dに出会う → 5.12登れるという人が10cで唸り、支点ビレイされている

師匠Aに出会う → ホッとして一緒に登り始める。肉離れで離別。

先輩Aと登る → お返しビレイがない

私の危機管理スイッチが押されるような、ネガティブな出来事が起こるたびに、

レスキューの講師を招いてきちんとした講習会をしたらいいのに…

きちんと山の価値観を教えたらいいのに…

現代のクライミング技術にアップデートしたらいいのに…

年齢にはトップクライマーも勝てない…

男性クライマーは想像力にかけるので明示的に教えないとわからないらしい…

と対策が、イメージできました。

対策がイメージできたということは、このような失敗事例に陥らない思考回路が持てるということですので、これらは、私に、現在の山岳スポーツを学びたいと思っている一般市民クライマーが置かれた状況について伝えるために起きた出来事かもしれません。

事例としては、だいぶたまりました。

本来のあるべきクライミングのあり方につながる、

  クライミングの指導者向けの指導教本

ということに興味があります。指導者が指導できないことが問題の根源とわかったからです。

不思議と、女性に関しては正見できるみたいです。母と妹に関しては、複雑なコンプレックスはないみたいです。女の園のバレエ界や、ヨガ界で鍛えられたからかな?

 

2022/10/12

栗城劇場は、俺ってかっけーのなれの果て、です。自分の実力を客観視しましょう

■自業苦とは?

ある老子にお侍が言いました。「老子よ、地獄とはあるのですか?」

老子 「お前は侍の癖にそんなこともわからんのか」

侍 「…。(悔しい…)そこを何とか教えてくださいませんか?」

老子 「武士のくせに情けないのう… 武士は武士でも、かつお節か」

侍 「なにお~!もう許せん!斬ってやる!」

老子 「まだ分からんのか?その心が地獄じゃ!」

■ クライマーバージョン

クライマーAがいいました。「おれ、5.12登れる。お前、今何登れるの?」

クライマーB 「5.9をやっているところよ」

クライマーA 「け、そんなのしか登れないの?」 

ある時、クライマーCが、クライマーAに言いました…

クライマーC 「え、お前、まだ5.12やってんの」

クライマーA 「…。(悔しい~)」(この人がやってるのは、承認欲求地獄)

■ 栗城劇場という自業苦

昨日は、栗城さんの解説動画を見て、そういう話だったのか、と納得した。

栗城さんは、
 

 現代の、無知な、未組織登山者

代表という感じで、一般にきちんとしたクライマーのネットワークには、つながっていない人たちが支持層だ。ぜんぜん本格的にやっている人たちからは評価を受けていない。

ので、私も、思考を与える価値すらないと、まったくスルーしていた。この種の人に、おなじく南谷真鈴さんなどがいる…。余談だが、残念なのは、最近では、登山教育の不在が積年の果てであり、山岳会連盟の会長などの要職に就いているですら、きちんとした登山者の姿を捉えられない人が多い。つまり、南谷さんと加藤保男を切り分けられないということ)

さて栗城劇場だが…

 実力を伴わない、”俺ってかっけー!”を山でやり続けた結果がどうなるか?

を衆人にみせてくれた劇場、ということだろうなぁ…。

男性のクライマーは、結局、山が好きというよりは、

”山にかけてる俺ってかっけー!”

を、やりたがっている人が多い。

私の知っている人では、ガイドをしている人ですらそうで、体力やトレーニングというコツコツした努力なしに


  俺だってカネさえあれば佐藤ユースケ

と思っている人が多いってことだ。初心者ではなく、ガイドをするようなレベルの知識の人ですら、そうなのだ。

■ コツコツした努力がないという傍証 

ベテランが、もはやコツコツした努力をしないのはいい。すでに落穂ひろいの山に入っている時期だからだ。

しかし、登れました自慢をするのに、その基盤となる努力をしないのは、片手落ちだ。私ですら、一番登っていたころは、歩荷トレしている。

適性な歩荷量の研究

■虚言癖

虚言癖というか、自分を大きく宣伝し勝ちなのも、栗城さんだけでなく、多くのクライマーに直結する共通の性質だ。

大体のクライマーはみな、「俺、5.12が登れる」という。

実際、大体の男性クライマーの平均的な落ち着き先はそこだ。あまり努力を要せず、必要な時間さえ費やせば、落ち着く先が12だということだ。女性なら、11が落ち着き先だろう。なにしろ、41歳スタートの私が、11登れる段階に2年前で来ていたからだ。男性12、女性11でプラトーに入り、そこから上は努力がいる。

5.12登れるという男性クライマーに、そうか、ということで、例えば、OBGの5.9なところへ連れだって行ったとする。すると、フリーでは登れず、スカイフック出して、2時間半もかかって登る…。確かにフリークライミングの岩場ではなく、アルパインっぽい、つまり、汚くボルトも少ないんだが…だとしても10c。え~、12登れるんじゃなかったの?となる。現代クライマーの5.12は、そういう程度の話なんだな…、と推して図るべし。

あるいは、カムとロープが噛んでロープが流れないとか、長ヌンの使い方を知らないでロープが流れない上、落ちても、全くビレイヤーに衝撃が伝わらない、とか。グレードで実力は判定できないと言うが、余りにも基本的なこと…そのままだと登れなくなる…というようなことすら知らない。それって教えること、教わることというより、普通に経験していれば分かるようなことだと思うんだが…知らないものは知らないのだから、教えるしかない。

私が九州で出会ったクライマーは、みんなそんな人達ばかりだった。

こういう人たちは、まだ”まし”で、有段者なのに、「終了点にはロープ直がけが九州ルールなんですよ」とかです。

こうした現象が起こるのは、実力と知識がマッチしていないというよりも、そもそも何がステキなクライミングなのか?クライミングの価値観を教わり損ねているのではないか?と思う。ゲームのルールを、勘違いしているってことだ。だから、グロバッツのニンジャを登るのに、赤チョークになってしまい、それじゃニンジャを登った意味ないね、となる。

■ 私の自業苦 

私の自業苦は、弟を早くに無くしていることだ。24歳で弟は死んだ。死ぬ前8年ほど会っていない。

山岳総合センターの仲間が、涸沢岳西尾根で墜落死した。親しくしていた山屋が、劔で落石により圧死した。

釘をさしておくが、私はクライミングメッカの山梨時代ですら、クライミング寄りの活動はしていない。出来るところをできるように登る、という身の丈の山を積み上げて、結実したのがラオスであり、台湾だ。

私が不必要に、亡くなった弟を彼らに重ねて親切にしてしまうので、ある種の人たちが、抜け道発見!とばかりに私を利用しようとしてしまう訳なんだが、私がしたいのは、引退後のグレードを追いかけないフリークライミングです。

なにしろ、私はアルパインクライミングは、自分の力で追える限りのルートを、すでに追ったのち充足してから、九州に来たので、九州でやりたいのは、

実力を誇示する山 ではなく、

引退後の、のんびりクライム、であり、

グレードを追いかける山はやる気がありません。

■ 無知もいいところ、自分の力が客観視できない

例えば、こんなボルダラー版栗城さんに会いました。

例1:

今、3級しか登れないのに、2段をノーマットで登るとか言って、クラッシュパッド買わない奴…。2段をノーマットで登るには、4段とか5段をノーマットで登れる実力がいるんだが?そして、その実力は、落ちて落ちて落ちまくる、を繰り返さないと、つかないことは、日を見るより明らかですよね?

例2:

根子岳を登りたいって言うアルパインクライミングの、お上りさんクライマーは許すことにした。ジャンダルムを登りたい!という登山”客”レベルの人が、初歩のクライミング入門すると、大体は、皆が通る道であることは分かった…。私だって明神主稜とか行ってるし、その前は北穂池だの、前穂北尾根だの行っているので、その人の通った道を通っていないわけではない。ただし、私は、そこを登るのに十分と思われるトレーニングを積み、講習を受けたのちに行ったわけだが

無雪期のアルパインルート(リッジ、岩稜)をロープをつけて行きたい人は、都岳連の岩講習を受けていくべきと思います。

しかし、俺が白亜スラブ楽勝で登れるという自己PRのために、敗退のロープを想定せず、マルチに行くというのは…。そんな恥ずかしい山をやったことはなかったのに、なぜそのようなことに手を貸してしまったのだろう?と思うと、自分が恥ずかしくなる。

それだけパートナーの欠乏が深刻だったということにしたいが、それだけで済ませられる失態ではない。気が付かずに栗城劇場を応援する羽目になっていたのだ…。

自分を殺すだけであれば、自分の命であるので、勝手にすれば?だが、それに巻き込まれるっていう話であれば、かなり業が深い。栗城劇場で死んだスタッフたちと同類ということだ。

というので…栗木劇場は、現代のアルパインを夢見てフリークライミング入門したクライマーたちに、

 俺ってかっけーだけのクライミングの慣れの果て

を戒めるために、その業がどのような苦を結ぶのか?を具体的に見せているもの、でした。

すべてのクライマーは、栗城劇場を他山の石としましょう。

それは、自分を善意で応援してくれる人を殺しかねない山 です。

■ そもそもの因

すべてのクライミング分野で、スタイル(つまり、クライミングの道徳、倫理、あり方)ということです…の教育が欠如しています。

ので、よっぽど独学できる頭の良い人しか、まともなクライミングができないことに陥っています。

事例:

・アルパインクライミングでの教育欠如の結果 = ラッセル泥棒を恥ずかしいと分からない

入門コースである阿弥陀北稜に行くには、どのような訓練が必要なのか?理解できない。読図、山の概念図の把握、コンパスウォークの習得、雪崩危険の回避術、その山固有の天候リスクの回避術…生活技術、確実なアイゼンウォーク、多少のラッセル

・フリークライミングでの教育欠如の結果 = 閉じている終了点を使いこなせない

懸垂で降りて登るシークリフの岩場での登り返しができない、ロープの始末が分からない、スタイルの差による困難度が分からない、正しいビレイが分からない

・ボルダリングによる教育の欠如 = ランディング練習が先に必要と分からない、マントル練習が必要と分からない、降りることのほうが登るより高リスクだと分からない

結局、一般登山の、登山客の知識のまま、行く場所をどんどん高度にしている、という問題があります。

ガイド登山がそれを後押ししています。

行く前に、山岳総合センターなり、○○クライミングガイドの講習なりを受けないといけないのに、間違った相互助け合い、で、無知をカバーしあっているので、無知な人は、ずっと無知なまま、置かれてしまうということです。

知識を自ら求めない人には永遠に与えられない、ということです。

■ 動画"栗城史多"とは一体なんだったのか?悲劇の登山人生を世界一詳しく解説【ゆっくり解説】

2022/06/23

『俺ら外岩さ行ぐだ 』 《 岩行蔵・いわいくぞう》

■面白い替え歌

 こんな面白い話を東さんがアップしていました。高齢クライマーの本音が聴ける?

若い人はグレード依存、高齢者は天井界に居すぎて、仏法聞けない(=利他お留守)… 

自己責任を標語にするとそうなるよなぁ…起こっていることは、因果の結果なのだなぁとまた新たに目撃情報が増えた。

ーーーーーーーーーーー 以下引用

『俺ら外岩さ行ぐだ 』
《 岩行蔵・いわいくぞう》
ハァ ビジョンも無え ポリシーも無え
ホールドもそんなにいかして無え
傾斜も無え 強い奴も無え
いいジム探してぐーるぐる
バッグ持って 会社出て
2時間くらいのトレーニング
磨耗して チョーク載って
年一回だけのルート替え
俺ら こんなジム嫌だ
俺らこんなジム嫌だ
外岩さ行くだ
外岩さ行ったなら
いいルート選んで
魂のクライミングをやるだ
アソレ アヨイショ
ハァ ハリボテ無え ボリューム無え
ホールドシェイプがいかして無え
発想も無え プランも無え
ラインもまったく一直線
初心者と初級者が
ホールド握って上がらない
マナーが無え 配慮が無え
常連同士の大騒ぎ
俺らこんなジム嫌だ
俺らこんなジム嫌だ
外岩さ行くだ
外岩さ行ったなら
空と大地の間で
最高のクライミングやるだ
アソレ
そうしましょ そうしましょ
そうしましょったら そうしましょ
ハァ