■ 深く傷いたということに気が付いた
最近ナイアシン療法で思考が正常化して、上手く摂取できた日は、夢も見ずに、スパッと目が覚める。そういう朝は、自分自身の事も深く、内省できるようだ。
九州のクライミングでは、一言で言えば、かなり深く傷ついたということだ。
白亜スラブの登攀では、相方の荒木さんにとって、粋がる、ということが、パートナーや自分の命よりも大事だ、ということが分かった。
岸良クラックでは、私の怪我より、自分の宴会のほうが大事だということが分かった。
九州全般の岩場では、リボルトが進まず、今登っている人の命より、昔開拓した人の名誉のほうが大事にされている。
すべてフラクタル。人の命、とても軽い。エゴ、とても重い。
■ なぜ、そんなに深く傷ついたのか?
荒木さんには自分の身を危険に挺して、何度もきわどいビレイをしてやった。摩利支天では、自分のスクリューを貸してやり、クランポンの先に突き刺されるリスクがありながらも、下手くそそうだったので、真下でビレイ。普通アイスでは、真下になんて立ってやる奴いない。師匠の青木さんですら、私をビレイするとき真下に立たない。
クレイジージャムでは新品のロープを貸してやった。ひょんぐっているウォータークラックでは濡れながらビレイ。そのお返しが、(命)<(俺のかっこつけ)、だった。
こんな愚かしい活動に付き合っていたら、早晩、死んでしまう。で、一抜けた。
■ 過去の傷
母は、子供を育てるためのお金を、パチンコに使う金にしてしまった…
(子供の将来) < (パチンコ)、ということであった。
当然、私は子供として深く傷ついた。母にとってあまりにも、子供の将来が軽すぎて、どうでもいいこと、なのだと思ったからだった。
最近はこの観点…お金の価値の大小と愛情の大小を比較する観点…からは、脱しつつあり、子供vs自分の欲の対決で、子供が軽かったからというよりは、母の場合、あまりに子供を自分の所有物と考えていたからだ、と修正している。
一方で、クライミングで私に起こったことが、母の件とあまりに似ていたので、心理的反応としては同じになった。
裏切り → 長い鬱状態
相手の生命や存在を軽んじる、というのは、普遍的にどこでも起こっていることなんだが、
まさか
自分が積極的に愛した相手
から、
(無私の愛)を(エゴ)
で返されるとは… これは深く傷ついて当然ですね。
自分を許します。