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2023/04/26

アメリカのアクセス問題

ロッククライミングは、自然の岩肌を登るスポーツであり、自然環境と密接に関わるものです。しかし、アメリカではロッククライミングのアクセス問題が深刻化しています。

アメリカには、国立公園、国有林、州立公園など、多くの自然保護地域があります。これらの地域には、美しい景色や自然の宝庫があり、ロッククライマーにとっても貴重なクライミング場所が点在しています。しかし、これらの地域でのロッククライミングには、様々な規制や制限があります。

一つの問題は、クライミングが生態系に与える影響です。例えば、クライマーが岩にチョークやマーキングをすると、岩に傷がついたり、植物や動物の生息地を破壊してしまいます。そのため、多くの自然保護地域では、クライミングを禁止する場所やルールが設けられています。

また、クライミングに必要な装備や技術は高度なものであり、初心者にとっては難しいものです。そのため、多くの自然保護地域では、クライミングが許可される場所やルートが限られていることがあります。
そして、クライミングが禁止されている場所でも、規制に違反してクライミングを行う人がいることも問題です。

■ 登攀禁止

アメリカには、ロッククライミングが禁止された場所がいくつかあります。以下に、代表的な例をいくつか挙げます。

  1. Yosemite National Parkの一部地域:Yosemite Valleyの一部地域では、クライマーたちによる過剰な人口密度と環境への悪影響が問題となっていたため、1980年代にクライミングが禁止されました。ただし、2010年代に入ってから、一部のルートのみ許可されるようになった場合もあります。

  2. Arches National Park:Arches National Parkの自然石橋は、クライマーたちによる岩の侵食が問題となっており、クライミングが禁止されています。

  3. Joshua Tree National Park:一部の地域では、クライマーたちによるハーケンの設置による岩の侵食や、アウトドア活動の増加による環境への影響が問題となっているため、一部のルートでクライミングが禁止されることがあります。

  4. Devils Tower National Monument:この場所は、先住民族にとって聖地であるため、クライミングが禁止されています。

これらの場所では、クライミングが禁止されることで、環境保護や文化保護が図られることがあります。クライマーたちは、各地域のルールや規制に注意し、環境や文化に配慮した行動を心がける必要があります。

 ■ ボルトの交換タイミングについて

 アメリカのロッククライミングにおいて、古いボルトを新しいボルトに交換するタイミングについては、地域や管理団体によって異なる方針があります。

例えば、エルドラド・キャニオンのような人気のあるクライミングエリアでは、地元のクライミング団体がボルトの交換を定期的に行っています。ボルトの交換サイクルは5年〜10年程度とされており、特に頻繁に使用されるルートではより短いサイクルが設けられていることがあります。また、危険度の高いルートや、古いボルトが損傷している場合は、より早い交換が必要とされています。

一方、ヨセミテ国立公園のような自然保護地域では、ボルトの交換は管理団体によって厳密に制限されています。この地域では、ボルトの交換は事前に許可を得た専門家のみが行うことができます。また、古いボルトを取り外す際には、周辺の環境に与える影響を最小限に抑えるよう配慮が必要とされています。

ユタ州のように、特定の地域ではボルトの種類に関する規制が設けられていることもあります。この地域では、チタン製のボルトがステンレス鋼よりも長持ちするため、ボルトの交換サイクルが10年以上に設定されている場合があります。

以上のように、アメリカの各岩場ごとに、ボルトの交換タイミングや交換方法に関する方針や決定事項が異なることがあります。クライマーたちは、各地域でのルールや規制を確認し、適切なボルトやアンカーを使用することで、クライミングの安全性を確保する必要があります。

■ ボルト欠損における死亡事例

アメリカのロッククライミングにおいて、ボルトの欠損によってクライマーが死亡した事例は複数あります。以下に代表的なものをいくつか紹介します。

    2016年、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園のエル・キャピタンで、クライマーのロブ・ミラー氏がボルトが欠損したことで転落死した事例がありました。この事故は、ボルトが古くなっていたことが原因とされています。

    2013年、カリフォルニア州タホ湖地域のドンナー・サミットで、クライマーのジェフ・アンドリュース氏が、ボルトが欠損していたことが原因で転落死しました。この事故は、ボルトの老朽化が原因だったとされています。

    2005年、コロラド州ボルダーのエルダード・クレイグス・キャニオンで、クライマーのジョン・メローン氏が、ボルトの欠損が原因で転落死しました。この事故も、ボルトの老朽化が原因だったとされています。

これらの事例からも、ボルトの欠損がクライマーにとって致命的なリスクを生むことがわかります。ボルトの定期的な点検と交換が、クライマーの安全にとって重要であることが再認識されます。

■ チョークのこと


 ■ イギリスの事例

イギリスでは、BMC(British Mountaineering Council)という組織が、ロッククライミングのアクセスと保全に関するキャンペーンや政策提言を行っている。

例えば、政治家や利害関係者に対して、屋外レクリエーションの健康や経済への価値を認識させ、自然や緑地を保護するよう働きかけている¹。
 

- BMCはまた、BMC Access & Conservation Trust(ACT)という慈善団体を通じて、崖や山々を保護するためのプロジェクトに資金を提供している。

ACTは、登攀者に対してルールやマナーを守り、地域住民や土地所有者との良好な関係を築くよう教育や啓発活動を行っている²。
 

- イギリスの一部のロッククライミングエリアでは、駐車場の不足や騒音、ゴミの放置などが問題となり、地元の農家や自然保護団体から苦情が出されている。BMCは、登攀者に対して、指定された駐車場やアクセスルートを利用し、ドライストーンウォール(乾石積み壁)を乗り越えないよう注意喚起している³。
 

以上がイギリスにおけるロッククライミングのアクセス問題の現状に関する情報の要約です。
 

ソース:
(1) Campaigns and policy work. https://www.thebmc.co.uk/current-access-and-conservation....
(2) BMC Access & Conservation Trust - British Mountaineering .... https://www.thebmc.co.uk/bmc-access-conservation-trust.
(3) ACCESS NEWS: issues at Malham, Kilnsey - British .... https://www.thebmc.co.uk/malham-kilnsey-access-issues.


2022/10/25

岩場の事故は破壊力が大きい=岩場で悪を行ってはならない仏教的説明

 

■ 俺が俺の命を粗末にして何が悪い

という言説が主流の日本の岩場。

でも、

賢・愚

で考えると、

それは本当に

愚かな考え

です。

このスマナサーラ長老の本にも、

なぜ悪を行ってはならないか

書いてありました。




■ 岩場を拓くには…長い長い交渉時間が必要

ひとつの岩場を拓くには、長い長い交渉時間が必要で、多くの人の多くの労力が投資されています。

その労力は、

岩場のある地元の経済に貢献してあげたい とか

海外で見た楽しいクライミング体験を日本のクライマー達にも経験させてあげたい とか

俺さえよければ、他の人はどうでもいい、という思想とは、およそ近くない場所にあります。

ところが、一つでも、事故が起きてしまうと?

長い長い時間をかけて開いた努力は、パーになるんですよね。

そこから、また長い時間をかけて落ちた信頼を取り戻さないといけないんですよ。

だから、岩場で事故を安易に起こすような心構え… は辞めてほしいんですね。

つまり、

 ええかっこしい 

のために、事故るということです。

ひとつの事故の陰には、300のヒヤリハットがあります。

2022/10/20

クライマーの死を死観瞑想する

■ ブッダの教え


自分に対する悪をなすなかれ
他者に対する悪をなすなかれ
 

なぜクライマーは自己破滅的な選択を取ってしまうのか…?

というのが、山を始めた時からの疑問だった。クライミングに至っては、さらにその問いは強くなりました。死につながる選択をいとも簡単にクライマーはしてしまう。

ヒロイズム、承認欲求が答えなんだが…、

自己破滅なら、当人だけのことだが、他者を破滅させる選択肢となると、人ごとではない。

わざと迷惑をかけることに対しても、クライマーは、中2並みの自己抑制力しか持ち合わせない。 

■ 大・小

大きくは、栗城さんの事例にあるように、現代は、嘘の上塗りが、何億というお金を使ってしまうまで可能…

そのお金で何が出来たか?どれだけの飢えた命が救えたか?を考えると…その業の大きさに恐れおののいてしまう… 今生活に困っているクライマーがいたとしたら、そう思わないだろうか?

浮かれていたのは、本人だけなのではない、その煩悩の火に油を注いだ人がいるわけだ。

小さくは、敗退ロープなし!とかで出かけてしまうマルチだ。(私は身につけさせてもらった技術で難を逃れたが…)

■ 意思(業)の結果

岩場の事故はなくならないというセリフは、なくならないのではなく、

 無くす気がない

という意味なのだろう…と思える。集合の意思が、事故を無くしたがっていない。

私は岩場の事故死をした人たちをインタビューする死観という瞑想をしたい。

生きていた頃、どのようなクライミングの喜びを味わい、そして、何を残して死んでいったのか?

別に反省でなくてもいい。まるでろうそくが吹き消されるかのように、軽く、いともなげに死んでいく人々… 

クライマーという人たちの命への扱いよう、そのあまりにも軽い軽さ…それをきれいに書き取れたらいい。

それがなされないから、死のありようを誰も知らず、

登山ならレスキューしている人くらいしか知らず、

命のはかなさ、尊さも全く感じられない、

ということなのだろう。

それ以前に岩場を開拓してどうなる?結局は、地元自治体の迷惑施設となるだけのことだ。 




2022/08/15

那智の滝のようにではなく、天岩戸のように

■ 天野和明さんのプロモ動画

那智の滝の、冒涜的な行為とは、好対照だと今頃気が付いたので、掲載。

同じ、登る、という行為でも

 不許可で登る → 冒涜

 許可で登る → 動画

という結果になる。日本のスピに詳しい人に聞いたら、那智の滝のように、ご神体とされているものに、適切なご挨拶なく登ると、先祖の霊格まで下げてしまうのだそうです。

となると、ご神体であるボルダーに登る、なども同じことになりますから、ボルダリングでも注連縄を張ってあるものに登るようなのは、遠慮したほうがよろしいでしょう。

人々が畏敬の念を感じているものに、一般的には侮辱と思われている行為…登攀…をするのは、やっぱりまずいでしょうね、その誤解を先に取らない限り。

霊的な意味というより、人として、社会的なマナーに欠ける、というものです。

一方天野さんの事例は、神職から、以来を受けていくということですから、社会の役に自分のクライミング能力が役立つというコンテキスト… すごく良い流れですね。

■ JMSCA

アクセス問題についての適切なアドバイスを誰に求めるか?ということになると、現在は、一番知見が溜まっているのは、

JFA

ではないでしょうかね。しかし、国立公園内とか、あるいは境内というようなこと、世界遺産だとかいうことになると、

地方自治体

に直接クライマー本人が問い合わせるということになると思いますが、そうなると、

 そのクライマーが誰なのか?

が、地方自治体の人に分からないということになります。例えば、米澤先生だと、大学教授という社会的に認知された地位がありました。

一方クライマー達になると、世界で登るための倹約した生活をしているせいで、みすぼらしい身なり…と一般社会では思われてしまうかもしれませんね?

そういう、”この人は怪しい人ではありませんよ、世界的著名なクライマーですよ”

というバックアップや代理での、許可を得る活動などをJMSCAがクライマーに対してサポートできるようになったら良いのかもしれません。

反目ではなく、協調ができるような、連帯ができるような精神性の高さを持ちたいものですね。

 

2022/08/10

フリーのアクセス問題とアルパインのアクセス問題

■ 菊地さんのお言葉
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
既にお耳にされている方もいるかと思いますが、この度、一般社団法人・アルパインクライミング推進協議会(Alpine Climbing Promotion Council / ACPC)というものを立ち上げました。

今まで法的にグレーだった岩場の整備や廃れてしまったルートの復活などをしっかりした環境で行なえるようにすることを目指した団体です。
 

設立は4月だったのですがいろいろ体制を整えるのに時間がかかり、この度、ようやく一般会員を募集する運びとなりました。ただし申し訳ありませんが、今の時点で還元できるものは何もなく、法的問題をクリアするのに時間を要することから活動の進展もなかなか目に見えてこないことが予想されます。それらを踏まえたうえで、ご賛同ご協力いただける方、ぜひ会員としてこの活動に参加してください。
 

時間はかかりますが、皆さまのご協力が、今のアルパインクライミングをより良い方向に進めていけると確信しております。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

■ アルパインvsフリー 

今まで日本の岩場の整備は、

 日本フリークライミング協会(JFA)

が全国をカバーする団体としては、やっていたわけですが、まぁ手が回りませんわな…。

ほとんど、

  一般クライマーが起こした迷惑行為の受付窓口、

みたいになってしまっていることが想像できる状態で、なんかトバッチリ。

■ 既得権なのか?罰ゲームなのか?

結局、開拓クライマーは、勝手に開拓を個人でやる。やったもん勝ち状態でした。

開拓クライマーとして有名になると、その人がやるのが当然っぽい気分がしてくる=既得権獲得。

ちゃんと岩場の使用許可を取っていれば、それもいいですよね。なにしろ、自然界を、誰かが独占したり、私物利用するのは、やっぱり変です。空気はみんなのものでしょう。

まぁ、開拓は大変なんで、既得権益というよりも、罰ゲーム的かもしれません。

無償の行為だし、作った後のルートは、ほかの人に登ってね、という好意でもあるので、ボルト代も高いんだから、ちょとは感謝してくれよ、と思っても仕方ないですね。

私は米澤さんとは少ししか登っていませんが、米澤さんは確実に許可を取った岩場しか開拓しないクライマーでした。大学の先生だし、社会的に失うものがある人、です。米澤さんと知り合ったのは、私が開拓してくれる人にボルトを提供したいと思ったためです。

■ 正統派とやんちゃ派?

どうも、昔からの由緒正しいアルパインクライマーというのは、高学歴エリートな方がた、なので、法的整備などはしっかりと踏まえてからやる、というきちんとした人たちだったのではないか?と思います。

そこら辺の伝統が、やんちゃを持ち味にする人たちに、時代が移っていくと…たぶん、大学山岳部の活躍の時代ではなく、社会人山岳部活躍の時代ということだと思うのですが…、てんでバラバラ、いい加減になったのでは? 土合駅で宴会さわぎするような文化体系の人たちは、反社というか、法?そんなもの、みたいな感性のような気がします…。そこらへんは想像です。

山にしても、命の扱いにしても、プライド中心でいい加減だし、流行語の”無敵の人”ではありませんが、社会的にも失うものがないというか…やったもん勝ち精神というか… 

山小屋とかで会う、さわやかな好青年というより、派遣労働村で会う、抑圧されたうっぷんがある人が、それを岩場で晴らす?みたいな??

まぁ、そんなのは、勝手な想像ですが。

■ 国立公園は国立公園のくくりで

アルパインのルートって、基本的に高山=〇〇アルプスみたいなところにあるので、国立公園内のれっきとした山岳アクティビティの一つです。

しかし、そんなルートを例えば、九州で言えば日向神と一緒くたにしたら、違うなーとなるでしょう…。

日向神は、ダムのそばの完全に下界のゲレンデ。町から離れてはいますが、山岳じゃないです。でも、日向神程度でも、自然公園くらいには指定されているかもしれません。九州の小川山って感じかなぁ。

福岡クライマーがゲレンデ使いしている岩場といえば、四阿屋ですが、四阿屋の岩場はもっと下界… こんな岩場で、あれを打ったらイケナイ、これを打ったらイケナイと、色々がたがた言われたら、もうほんと、外岩文化自体が無くなりそうですが…。 日和田の岩場って感じかなぁ。

まとめると

 1)国立公園内で一般登山者と山岳環境を共有しつつ登るアルパインルート 

 2)自然公園内等で、純粋にフリークライマーしか来ないCrag 小川山レベル

 3)同じく自然公園内等で、使い倒し系入門用岩場  下界の岩場

国立公園内のルートの整備などに、ローカルクライマーの会とか要らない。これらはもともと山なのですから。ローカルクライマーの会が必要なのは、2)とか3)とかです。

例えば、前穂北尾根にローカルクライマーが仮にいたとして、俺たちのルートだから、好きに整備させてもらうよ、って変でしょう…。岩場は国民全体のもの。

一方、小川山とか、ある程度、地権者も複雑で、地元への調整とか、経済的見返りとか必要そうですし…。やたらめったら、教育を受けていない適当なクライマーが、ボルト乱打したら嫌そうです。多少のランナウトがあるとしても、日本のヨセミテ的性格は維持したほうがいいような岩場ですし…。初登者の尊重もフリークライミングの文化の中で大事そうです。

逆に、小川山みたいな歴史ある岩場ではなく、最初からエイドで登られていたような、フェイス主体の日向神が、小川山で許容するような、フリーのランナウトを許容する必要は全くない…。ランナウトとかで地域の人に迷惑をかける方が、ちょっとな…みたいな立地です。市民クライマー憩いの場的存在です。

四阿屋なら、ボルト1本2本を打ち足すとか引くとかに、いちいち許可がどうこうって…。そもそもそんな価値がある岩場じゃないっていうか。そもそも、採石場後だし…。

山梨なら兜とか西湖の岩場がそうかもしれません。開拓クライマーにだって練習台は必要なので、好きにしてね、みたいな場です。アイゼンで登ったらダメとか、もういいじゃん、みたいな気がする場ですね。そもそも岩場に人工ホールドついているし(笑)。

と、岩場の個性って言うのがあるのですが、

 アクセス問題、

と言えば、まぁ全般です。

■ 前例を学ぶ

アメリカでは、全米アクセス問題を扱う専門団体がいます。

日本にはいない…。とても残念。

山での意味ある死…例えばマークアンドレの『アルピニスト』見ましたが、あれは、登山史のページを1ページ推し進めた死で、意味があったと思うのですが…

それと、栗城さんだっけ?単なる、勘違いクライマーの死が混同されてしまっています…。

こんなの日本だけでは…?エライ恥ずかしいことです。

私が思うには、アルパインクライミング教育が廃れてしまったことで、山登りの進化系としてのクライミング活動ではなく、単純にクライミングムーブを楽しむフリークライミングに移行したため、山に必要な体力やリスク認知力への知見が失われ、グレードだけを見て、”俺、ジムの壁で5.11登れるから、北岳バットレスには、もういける”とか勘違いしてしまうわけですが…。

■ 区別、が大事なのでは?

たぶん、フリークライミングはフリークライミングという分野で進化すべし、なのです。

別分野として、です。

フリーの進化という意味では、日本では、進化が止まっているようで、瑞牆の専用トポも出たことだし、専用トポの中に何を書いていくか?みたいなことからも、徐々に海外の各岩場のように、”終了点の管理化”は、避けられないと思います。

なにしろ、

 現代のフリークライミングって、ボルトルートを前提にした遊びに進化

してしまっているので、きちんと、TRADか?スポートか?の切り分けが、されていることが大事なように思います。

Tradの岩場なら無料でもいいけど、終了点や支点の整備されている岩場を無料にしたら、それは開拓クライマーの行為へのただ乗り=フリーライドです。

■ 海外より遅れているそうです…

日本のアルパインクライミングって、なんとモンゴルより遅れている、のだそうです。

とても残念です。

 




2021/07/22

余罪が出てこないか、心配です


■ 五輪終コン

五輪が終コンっていうのは、すでに地位を確立したプロクライマーがオリンピックなどでないと表明していることで分かるのですが…

五輪憲章に書いてあることを主催者側がここまで軽視、無視していることが露骨にあらわになった五輪もホント、すごいな…

五輪ってホントにお金儲けだけの活動だったんだな、って改めて言うまでもないことが、ここまで明らかになると、すっかり覚めますね…分かっていたことですが、確認した、みたいな…。

最近、こどもたちにクライミングを教える機会があるので、子供時代の自分がどういう風に物事を理解したか…ということを考える機会があります。だいたい12歳くらいになれば、大人と同じことが理解できると言われていますが、それ以下の子どもは発達の差が大きく、どういってあげると分かるかなぁと思っているからです。その思い出しついでに、自分の過酷だった子供時代を思い出すこともあり、今、まさにそのような目に会っている子供がいたら、助けないとなぁ…と思ったので、子供の権利オンブスマン活動、という講演会に最近出かけてきました。

…結論から言えば、とても残念な会でした。やろうとしていることは、素晴らしいのですが、活動が自己目的化し、そして、子供のための活動というより、大人のための活動になっていました…(><)。

自殺に追い詰められるほど子供が追い詰められている
救わねばならない
組織を立ち上げないといけない
定期的な活動をしないといけない
活動費が必要
活動場所が必要
お金がないから活動ができない

と問題のすげ替えが起こっていました…。若い男性が中心になって活動しているようでしたが、周囲の年配者たちがほとんどその男性の応援者で、子供たちが困った時に、多くの大人に窓口があるほうが有利である、というようなことは、まったく気も付かないようでした。

結果、こどもオンブスマン活動では、大人が”補助金で”食うために、”いじめられて自殺に追い込まれそうになっている困っている子供”が必要になっていました。

五輪憲章を理解していない主催者側がお金儲けのために、スポコンお涙頂戴アスリートが必要、みたいな構図とフラクタルですね。

五輪は運と長い間続いた活動なので、活動している人たちからすると、本音が五輪憲章にないことは、公然の秘密、みたいになってしまい、それでやってきたのでしょうが…、今回はそうしたことを外部にも、究極に証明してしまったような??

五輪ドタバタ喜劇…森さんの失言から始まり、障碍者への犯罪行為の開き直り…

はぁ…です。もう日本は、これ以上ないまでに、恥部というか本音というか、さらけ出し過ぎです…。

■ アクセス問題 = 不実な過去

私が不安なのは、

岩場のリボルトやアクセス問題の解消というようなことも、正面から取り組み始めたら、このようなことになるのではないでしょうか…

ということです。

不実な過去が清算…されたら、ありあまる余罪が出てきたりして、目も覆うような状況なんじゃないか?と、不安になってきた…。

最近、『我々はいかに…』を再読してみましたが…これを読んだら、行政のアクセス問題担当者は、クライマーに岩場の使用許可を出すことを、さらに躊躇するのではないだろうか?という内容でした…。

まずは、命の大事さを、という基礎教育から必要なのがクライマー業界なのかもしれません。

ロープワーク技術が大事なのは、それが、クライマー本人の命を守るから、です。

決して、事故を起こして他者に迷惑をかけるのが良くない、からではないですよ。

基本的な命の尊厳、ということを教えないと、他人の目を伺い、人が見ていなければ、人道に外れるようなことでもしてしまって良いというメッセージを子供に与えてしまいます。

2021/07/21

露悪(サイコパス)が社会的に許されない件について

■ いじめそのものより露悪が悪い

今回は、小山田圭吾さんの過去の愚かな過ちはともかく、それを露悪的(自慢げで悪いことをしても開き直っていること)に語ったことが、結局、長年、過去の過ちについて、罪悪感すらない、という人間性、つまりサイコパスであること、が露呈して、オリンピックへの関与が取りやめになったほか、彼の社会的生命は、これで断たれたも同然ですが、それが

 国民のうちから出た批判…つまり自浄作用によるもの

で…良かったのではないでしょうか? 

これを文化などと評して受け入れるようになってしまっては、日本社会は、かなりお粗末です…。他国の民度を笑っている場合ではありません。

■ 過去だからと言って、チャラにならない

現在52歳とこのことで、イジメていたのは中学生だとすると、すでに40年近く前。露悪的行為で雑誌のインタビューに答えていたのは、30年近く前、

…だそうですが、それでも、ほとんど犯罪と言える、その行為とその悪質さについての自覚の無さ…は、社会的に許されず、成功は剥奪されました。

それは日本社会が、善悪の判断を失っていないということで良いことのように思います。

■ 他山の石

同じことでクライマー達も、いかに昔の事だったにせよ、例えば、那智の滝を登ってそれを宣伝に使った過去とか、谷川岳行くのにキセル当然したとか、小川山のレタスを盗んだ、とか、反省というか、反省しているのなら、恥ずかしそうにしたほうがいいですよね…。露悪ではなく…。

まぁ、こういう事件に限らず、露悪的な趣味で、

 岩場を汚したり、

 わざとランナウトして、相手を恐怖に陥れそれを見て楽しんだり、

 挑発したり

 ロープを軽視して命を軽んじるようなことをしたり、

そして、それらを統合して、それを武勇伝としたりする精神

は、今後はクライマー業界内から自発的に自浄作用として、きれいにしていった方がいい…

そうすることが賢い選択となるだろう、と言うことが分かったのが、この小山田圭吾事件です。

■ うるさ方

クライミング業界では、現在、ボルトが危ないよ、とか声を上げているクライマーは、私と井上D助さんくらいで、一般クライマーのほうは、ゆでガエル状態です。

新しくクライマー業界へ入ってきた現代新人クライマー達への教育的要素がある資料もないので、リスクに気がつくことがそもそもできない。海外で登れば気がつきますが、それ以外に気がつく方法がない…ので、多くの人は、何をそんなに…大げさな、という状態です。

…が、日本の岩場はまじ世界的に見てもヤバいレベル感ですよ。分からないのは、無知だからの一点です。

バブル崩壊も、私の大学の先生は、”今に恐慌が来る”と予言していたんですよね…経済学的指標で普通に予見できた未来だったのでした…バブル崩壊。どうもリーマンショックも同じで、予見していた人は予見していました…。同じようなことだと思うんですよね。

色々な事実を精査してみれば、あちゃー!という状態にあることが分かるけれど、誰もこのボルト何年に打たれたもの?と問うてみないから、無知という状態で心の平穏があるだけです。

小山田圭吾さんも40年近くもの間、誰からもとがめられていなかった。今の岩場と同じですね。

それは、誰も彼がそんなひどいインタビューを世に出したことを気にも止めていなかったからです。

本人は、世間を舐めていたんでしょう…許されると確信していない限り、堂々と障碍者を笑って見せる、などという言ことは起こらないはずなので。

つまり、アンダーグランドだから大丈夫と思っているクライマー業界と同じ構図です。見つからなきゃ悪いことをしても大丈夫って心理ですね。

クライマーも小山田圭吾さんの事例を他山の石として、これまでの

 現実逃避&露悪趣味&見つからなきゃ大丈夫主義

について、改めて行ってもらいたいものです。

これを行政の人が読んだら、余計岩場の使用許可は、降りなくなるであろうと思われる名著


2021/07/13

向き合い力… 社会に対する恐怖を乗り越える

■低い社会性=向き合い力の低さ?

 向き合い力がない…

というのが、

 クライマーあるある

の弱点なんじゃないかなぁ…。公共のマナーが悪いとか、それ以前に。

■素人クライマーじゃなくても分かりにくいですよ

私と先輩の荒木さんは、クライミングの本場山梨から来ているクライマーで、素人クライマーでも、初心者クライマーでもない。

そんなクライマーが転地してきて、登っても、”この支点、何製なのかなぁ?”と思っても、一体どこの誰に問い合わせしたらいいのか、にわかには判別できなかったしなぁ… 

やっぱり日本百岩場に載っている岩場を順繰りにたどるしかなかったよなぁ。要するにローカルクライマーの顔が見えないってこと。窓口がない。

別にこれは九州の岩場に限った話ではないが。

というので、結局、アクセス問題ということを考えると、

 クライマー側が未組織であること

で、責任から、逃げに逃げまくり、かれこれ40年、みたいな状況なわけだ。

アクセス問題に真っ向から向き合った、向き合い力があった人って

井上D助さん

一択なんですかね??? 私はホームベースの岩場としては、あとは昇仙峡しか知らないが…。 昇仙峡は、名だたるクライマーが登っていた。佐藤祐介さんが今では有名かな。ガイド講習会を募集しているくらいだ。

そんな有名クライマーが使っている岩場でも、

  既成事実を積み上げて、なんとなく、事後承認を得る

という方法論しか誰もやっていない。

例えば、ガイドの三上浩文さん、佐藤祐介さん、故人だが吉田和正さんなど、何十年も登っていたり、世界に名をとどろかせたピオレドール受賞者であっても、自ら矢面に立つということをしていない… 社会的な地位があってもやっていない。自分の役目ではないことになっている。

地元の山岳会は見て見ぬふりをしている。(富士山は御坂山岳会の管轄だが、甲府の山岳会、特に老舗の白鳳会など、おひざ元の昇仙峡のことはやっていない)

山梨ですらそう…というより、山梨近辺のほうが問題は複雑だ。

九州は、米澤さんが関わってきた岩場である限りは、開拓前にきちんと許可関係が取られている…そんな丁寧に作り上げてきた、許可付きの岩場…なのにね…。ボルトが悪いとか、知識がアップデートされていない程度のことで、知識を得たら一瞬で解消されるような問題なのに、誰もが向き合って来なかった結果が日向神みたいな感じだ。

結局のところ、誰もが、アクセス問題に向き合うという、めんどくさい役をほかの誰かに押し付け合っているのである。

つまり、アクセス問題に携わる=ババ抜きのババ。

アクセス問題にきちんと向き合う人にこそ、クライマーとしての栄誉を与えるべきだ。

2021/07/09

仏教説話に学ぶクライミングの在り方 ABC理論のクライミングへの応用

 


■ABC理論のクライミングへの応用

事実: クライマーは、歴史的に社会性が低く、公共マナーも低い人が多かった。

現象: その低い基準が、やんちゃクライマーとして有名になることで、クライマー社会だけでなく、一般社会で許されて当然だ!という逆の権利意識になって行ってしまう。

ビリーフ: 岩場を汚したり、どんちゃん騒ぎしたり、雄たけび上げたり、…が、クライマーなんだから許されてしかるべきだ、という信念が出来上がる

社会: 「はぁ?」(当然ですが、一般社会には通じません…笑)

アクセス問題勃発

結果: 岩場から追い出される

現象: こういうマナーの悪さは、クライマー自身を生きづらくしている

考察:自分たちのために直した方がいいと思います。

2020/08/14

八面山で最も感動したこと…アクセス問題の本質

■八面山で最も感動したこと

神護寺に行ったのは、護摩焚きを見たくなったからでした。私も外国人のニッキーの付き添いがなければ、護摩焚きを見ようとは思わなかったかもしれません。

というのは、日本人にとって、宗教的行事とは、
ーーーーーーーーーーーー
宗教が形骸化して、ただの集金組織に貶められている姿を再確認する機会
ーーーーーーーーーーーー
に過ぎないからです。つまり、朝の校長先生のお話と同じです。ツマラナイだけでなく、時間の無駄、です。

そういうものであろうと想像がついたとしても、外国人の人にとっては、新鮮な体験であるので、一回は連れて行ってあげようかなと思ったのがニッキーちゃんとの護摩焚きでした。八面であるのは、私の都合です。

ところが私が見たのは、

ーーーーーーー
本当に生活根付いた日本の宗教
ーーーーーーー

でした。一般に法事と言えば、着飾った人が来ますが、来ている人はみんな普段着。隣に座ったおじさんが、念仏?の書かれた本をそっと、ここを今読んでるよ、と指さしてくれました…そう、なんと聞くだけではなく、ちゃんとお坊様と一緒に、参拝者は、お経を唱えていたのです…。

真言宗のお経は、普通の人にも分かるように優しく書いてありますが、それでもお経の経典は漢字だけで、読むの大変… そのおじさんの習熟具合が、もう何年もそうした生活をされていることを表していました。

そして、女性のお坊様。昨今の人手不足?そういうものを表しているのかもしれません。一人で何役もされていて大変そうでした。

なにしろ、隣にいた信仰深いそのおじさんに私は感動したのです…。その姿は、宗教というものが、

いかにそのおじさんにとって心の支えになっているか?

を如実に物語るものでした。

ヨガで私は、ほぼ毎晩オンラインで、バクティヨガの集まりに出ていますが、いつも思うのは、このような方を見たグル(ヨガの場合の僧)は、”こういう人こそ、すでに救われている人だと思うだろう”、ということです。

私もヨガの先生をしていたので、生徒さんの中で、ヨガをすること自体で救われている方がいる、ということが分かります。

人はパンによってのみに生きるにあらず、です。

というので、八面山における宗教が、形骸化したものではなく、今の生活に根差した、ローカルの人々と人々の心にとって大切なものである、ということが分かったのです。

■ 岩場だけ訪れても分からない

それは、なんとなしに石舞台を訪れても分からないようです… 連れて行った同行者が発した言葉が、「草ぼうぼうで荒れているな」だったからです。

石舞台には、”登らないでくれ”という意思表示のために、銀色の金属製のしめ縄が張り巡らされていますが、日本100岩場に記載があるため、登る人が後を絶たないようで、新しいチョーク跡がありました…。

石舞台だけを訪れていては、そこが人々が大事にしている宗教的場所とは気が付かないのです。

神護寺の護摩焚きに参加したのは、私もほんの奇遇です… 

地域の行事に参加しよう、という意思があったとしても、

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この地域の人たちを深く知りたい(課題解決したい)
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という気持ちがなければ、通り一遍の行事参加になって、”ああ、楽しかった”で終わってしまう可能性が濃厚です。

先日、井上さんが八面に来てくださいましたが、たぶん、同じ護摩焚きに参加されても、私が気が付いたことには気が付くことができないだろうと思います…というのは、もともとが、宗教心、帰依とはどういうことか?そういうものとはつながっていない人だからです。私がヨガの先生だからこそ分かったことというか…心の問題を扱う人だから分かることです。

クライマーの世界は、登れたか登れなかったかの合理主義の世界、自分さえよければそれでいい、登れたらそれでいい、の世界ですが、実社会はそうではありません。

今のクライマー界の傲慢な在り方をこのまま続けていけば、じきに登れる岩場はなくなって行ってしまうでしょう…
 
石舞台が草ぼうぼうだというのは、地元の方たちはすでに高齢化して、手入れができなくなっているにすぎません…。

そうした弱みに付け込んで、誰も使っていないから登っちゃっていいか? 

ダメです…。

自分の家の庭、自分たちが草ぼうぼうにしているからって、誰かほかの人が、植えに来たら嫌ですよね?

タバコのポイ捨てを今する人がいなくなったように、ほんの20年前までは、ポイ捨てをする人のほうが普通でした…でも、今はそういう時代ではないんですよ…。

自分の家にポイ捨てされたらいやでしょう?

そういえば、庵に泊まった時、トイレのドアに ”座って用を足せ”、と書いてありました…。男性が男性トイレを掃除するようになれば、”座れ!”と書くようになるわけです…。

今まで家で、そう書いていなかったのは、なぜだろう?と想像する能力がクライマー諸君には必要です。

(答:お母さん(妻)が、我慢して掃除してくれていたんですよ)

相手の身に立って、モノを考えるということに、遅すぎることはありません。

今から正しましょう… クライミングにおけるアクセス問題の本質的活動はそこです。