■縁
縁さえ来たら、人はいともたやすく悪を行ってしまう…
悪人・善人がいるのではなく、人というものは、全員が、悪縁が来たら、悪を行ってしまうのだ、と言われています。
その縁とは、相方、パートナーの事、です。
最初の師匠、鈴木さんや岩田さん、青木さんなど、師匠クラスと登っている間は、自己確保の登攀など、出会う前から知ってはいましたが、全く使う出番がないスキルで、つまり、自らを助ける必要はなく、ただ普通にセカンドで楽しく登れば良かったんだが…
いわゆる”クライマー男子”と登り始めたら(男子って言っても30代、40代ですが)、もう、”あって良かったロープワーク技術!”という感じだった…。
天はみずから助けるものを助く、というキリスト教の教えが本当なんだな…、と思わせられることになった。
この場合の縁とは、
パートナー
ということである。
そのパートナー選びにどうしても欠かせないのが、相手が登る原因、理由、である。
自己顕示欲=実力以上のところに行きたがる心
だと、危険であるのは、当然の帰結だ。
実力以上のところに生きたがる心=グレード主義=悪縁=死に限りなく近いクライミング。
つまり、私は山梨時代に、縁がなかったから、悪を犯さずに済んでいただけで、私が特別善人である、ということではない、ということです。
(ジムで5.11が登れるから、北岳バットレス四尾根に行きたいという人はいましたが、その人を指して、あいつは危ない、一緒に行かなくて良かったですね~と言った人が、今度は、自分が敗退ロープなし、山行計画書なしの、白亜スラブなので、ミイラ取りがミイラというか、同じ穴のムジナというか…)
■ 縁=その人の中の意図 知り合っている時間の長さ、ではない
縁
がどのようなものであるか?については、知り合っている時間の長さ(=情)に流されやすいのが、とかく人というものである。 こちらの教訓を読むべし。
Intention (意図)
が大事だと仏教でもしつこいくらいに言われている。
グレード主義の人は、特に気を付けて避けたほうが良い。