■ 山vs登攀
私には登攀(クライミング)は、まぁ、手段に過ぎないな~と思う、今日この頃。
初めて行ったジョーゴ沢から硫黄岳を詰める山行では、ビーコンまで持たされて行ったのに、核心部の大滝では、登攀が簡単だと感じて、ロープを出さず、フリーソロで超えちゃって、後で師匠に
そんな山は教えていない!
と、めっちゃ叱られたんだけど…。
それから順調にステップアップして、フリークライミングの世界へ来たが、ビックリ仰天の何でもあり!の世界である。
事例: 本気チョーク、ハングドッグ2時間、片手ビレイ、支点ビレイ、二人を一人がビレイ、ダラリンビレイ、ぱっつんビレイ、ロープスタック、アプローチもテキトー、地元の迷惑?何のこと… 落ちたら死ぬボルト配置は著作権、その著作権の根拠になる所有権はどこから来たのか?俺関係ねー、地元の迷惑?俺の知ったこっちゃねー、みたいなことになっており、
フリークライミングの美学
がどこにあるのか?は、全然、語られない… まぁ行動を見て判断してねってことなのかもしれないが… それじゃ、にぶい人が分からなくたって当然である。偏差値74だった私だってわからないんだから。
フリークライミングは、実際のところ、手と足だけでロープに頼らず登るって意味なので、やってはいけないことだらけのクライミングなのではあるが、フリークライミング界の悲劇は、
そんなクライミングは、フリーで登れたとは言わないんだぜ!
と叱ってくれる人がいないことだろう…
瑞牆でセカンド確保中のわたくし