■ スマナサーラ長老
最近、ケネス・タナカの『アメリカ仏教』を読み、その後、テラワーダ仏教のスマナサーラ長老を知ることになって、仏教に目覚めました。
なんか、これこそが私が求めていたもの、って感じです。迷信や妄信を廃した、
真の心の寄る辺、
です。ゆるぎない、内なる自分(自灯明)を作っていく活動です。
■ ”なんか違う…”の歴史
私は若い時サンフランシスコにいたので、SF禅センターも知っていたのですが、ちょっと違うな、という感じでした。禅は大乗仏教なのです。
しかも、海外の人で、禅、禅、と禅に惹かれて日本にやってくる人は、禅に、なにか非リアリスティックなファンタジーを持っていることが多く、日本の禅寺に案内しても、座禅?え?!暴力やん!みたいな感じです。夢打ち砕かれることになる(笑)。
我が家にもご宿泊いただいた最初のカウチサーフゲストの、チベット僧のターパさんは、原始仏教を教えているのですが、日本の仏教が知りたいということで、だいぶ高野山やら京都やら、修行寺を捜したのですが、日本では、出家僧、修行僧の文化がすっかり廃れてしまっており、宿坊といえば、修行をするところではなく、サービスをするところ…というので、私自身も分かっていたことでしたが、日本には真の仏教がすでにないことを確認するお手伝いをすることになりました…(汗)。これって、以前米国のクライマーが日本に来て、日本には真のアウトドアアドベンチャーはない、って語ったのと似ているかもしれません。
しかし、SF的な世界観…卑近な例でいえば、ヒッピー文化…リベラル、というものが、私の生き方の方向性だなぁと思っていました。
■ 西洋人社会のラオス
ラオスに行って、”西洋人クライマー社会”は、”日本のクライマー社会”より、私にとって快適だった…。
海外のクライミング文化というのは、
パートナー囲い込み (仏教的に言えば、執着)
というより、
みんなで登ろうよ! (仏教的に言えば、慈悲)
みたいな感じでした。
人種差別もかなり、なくなっていますし…。日本人だけが身内主義で気持ち悪いですよ。
日本であるような、山岳会が岩場を独占する様子に居心地が悪い…みたいな感じは一切ありません。
■ 衣食住が満たされた後 どのように生きるか?
日本は戦後豊かになり、生きる、食べるという最低限のことは満たされました。
そこにはそんなに力を使わなくて良くなった。
で、そんな現代社会で、人はどう生きていけばいいのか?という問いに、みんながぶつかっています。
で、
ヒマな時間はクライミングして、自然と親しんでいたらいいのでは?
というのが、私が出した答えでした。それは、結局、山とか
クライミングが瞑想だったから
です。
SF的なもの…というくくりでは、私の中にあるものは、
平和主義、多様性の歓迎、人類皆兄弟、非差別、非暴力、環境主義、リベラル、質素
というものです。
それで、長らく、ヨガ講師を仕事としており、それで、サンフランシスコ的価値観を生徒さんに伝えることもでき、とても満足していました。
在り方が生き方だったというか…
クライミングは、冒険好きを示すちょっとしたスパイス程度の扱いです。
■ ヨセミテのボーイズは私の価値観に合わない
クライミングで有名なフィルムに、ヨセミテの初期のころのクライマー達、バレーボーイズの人たちを描いたものがありますが…あれ、私にはまったく合わないです。
リン・ヒルもちらっと出てきますけど、リン・ヒルに憧れたことはないですから・・・
ヨセミテは、確かにヒッピーカルチャーの一部門なんですけど、全然、価値観合わない。
ならず者風
というのは、むしろ、カリフォルニアの
ゴールドラッシュ時代の文化継承
なんではないですかね?あるいは、
俺がすごいことを示したい!
って文化もあわないですね。そんなの、誇示されても、ハイハイ、そうね、とお母さんみたいな気分です。
ま、たしかに、ヒッピー文化って、ドラッグ、セックス、反抗、放浪の世界観ではありますが…。
明らかに、平和主義ではなく、デスウィッシング、ですね。ドラッグやりすぎで死ぬ人達とむしろ近いというか。
■ ヒッピー文化
私が住んでいたミッション地区は、ヘイトアシュベリーには徒歩圏内だったので、まぁ普通にドラッグの売人がパンハンドラーとして、たっているような場所も生活圏でしたし、まぁ、そもそも、ミッションでの暮らし自体がヒッピー本拠地なので、私の暮らした家のお母さんもレズビアンでしたし、そのお母さんは地下でマリファナを吸っているので、洗濯物が臭くなってしまうのでしたが…私自身は、そんな環境でも、別に快適で自分が薬物に溺れるということもなく、ボランティア活動していました。
『ダーマ&グレッグ』という海外ドラマがありますが、帰国後、かなり気に入ってみていました。ヒッピーとヤッピーの結婚した話です。 夫にSFの文化を伝えるのに便利だったというか。
文化的多様性に寛容なワタシですが、一番ないなっていうのが、
いきがり、
かなぁ…。
俺ってかっけー!って奴です…。
なんせ、カッコ付けること自体がカッコ悪いというか… 師匠に、上手になったね!かっこいいよ!と声をかけられたら、途端に登れなくなりました(笑)
ロットプンクトというトップクライマーのドキュメンタリーがありますが、めちゃくちゃかっこ悪かった…。コーチに作られたエリートクライマーが、裏ではブチ切れているという話でした。
■ ヨガからアメリカの仏教徒へ
海外では、よくキリスト教の教会へ通っていました…。善意の人たちと出会える場だからです。しかも、子供のころに聖書を読んだりしているので、キリスト教のほうが仏教よりも詳しいくらいでした…(汗)
日本の葬式仏教には最初からなじめませんでした…お葬式でしかお世話にならない宗教って宗教って言えない…。心の支えっていうよりは、仕方ない出費ですよね。
かといって神社も信仰の対象にはなりえないし…そういうわけで、日本では、無神論者がはびこり、功利主義、つまり、自分さえよければ他者のことはどうでもいい、という世界がはびこってしまい、それがそのまま、クライミング界に現れている。
俺の命だから俺の好きにしていい
俺の得になることしかしない
ドレイヤー制度 (自分の行きたいところには行ってもらいたいが、相手が行きたいところには行かない)
という文化です。登山の方では、環境が厳しいので、けっこう倫理観、価値観も叩き込まれます。
山にイチかバチかはない
山では一番弱い者に合わせる
徹底的に文化や倫理観がないのは、フリークライミングの方です。
■ 自己中心的な自己責任主義の一般社会の反映
俺さえよければ他の人はどうなってもいい、どんくさい奴が悪いんだ、という文化は、一般社会でも日本の方が顕著で、他の国でもそうなっているのは、あんまり見たことがありません。アメリカなどの西洋人社会は家族主義で、家族を大事にする人たちが多いですしね。
なので、フリークライミングの世界で、どういう風に仲間はあるべきなのか?パートナーシップはどうあるべきなのか?教えないことが、そのまま日本社会の悪い面をクライマー業界が反映する結果になったのだろうと思います。
それにしても、日本だけ、どうしてこうも、自分さえよければ、の世界になってしまったんでしょうね?
海外では逆に反省が進んで、助け合い加速していると思いますが。
■ 精神的拠り所を教えないフリークライミング
少林寺拳法などでは、子供たちに、道、やっていいことと悪いことを教えるようですが、クライミングは、そこは全然教えません。
結果、終了点のカラビナを持って帰る人が多数なばかりか、
「ねぇねぇ、山分けしようよ」
という世界になってしまっています。つまり、悪いことだと分かっていないです。そこまで、きちんと教えないと、現代のクライマーは分からないってことみたいですよ…。
精神医学の面では、ナルシスト(俺がカッコイイ!と元気が出る人たち)は、
衝動に弱い
という研究結果が出ています。つまり、これをやったらダメだという理性のブレーキの効きが弱いのです。だから、持って帰りたい!と思ったら、持って帰ってしまいます。
たやすく理性のタガが外れる事例を2,3目撃しました。めんどくさい、とか、そういうのに弱いのです。
その上、昔の技術をそのまま若い人が教えられてしまって、気の毒な有様です。
カットアンカーは、前時代的、の最大のものですが、支点ビレイ、二人が一人をビレイ、壁から遠いビレイ、90度に曲がったビレイ、バッツンビレイ、ダラリンビレイ、終了点直がけ、ATCなのにグリップビレイ、手作り終了点…
前時代的、と友人が表現してくれましたが、前時代ってこうだったのかー!って感じでした。
■ 仏教=完成した人生哲学
サンフランシスコ的な価値観の体現は、ヨガ講師の仕事で満たしてきたわけですが…
仕事でもクライミングでもそれが表現できなくなり、窒息しそうでしたが…
ここへきて、仏教と出会うことになりました。
素晴らしい!
テラワーダの教えは、上座仏教です。つまり、お釈迦様が言ったことを最もしっかりと現代に伝えている仏教です。
・死人にお経=お釈迦さまはそんなことは言っていない ナンセンス
・お布施で先祖が供養される =同上
・先祖のたたり = ただのインチキ商売
・般若心経 =後世の人が作ったもの
・年を取っているからと言って正しいとは限らない
と色々とバッサリ切り捨てていますが、私が子供のころから心の中で、バカみたい…と思っていた大人の行動をバッサリ切り捨てていたりして、爽快です。
教えの大事なことは、
すべてのものは、移ろいゆく
自分というものは実はない
物事は思い通りにはいかない
です。 今ここ、をクライマーに当てはめると
親兄弟は生きているうちに大事にしましょう。
クライミングは体が登れるうちに登りましょう。
です。
■ 自利利他の成果
これは、仏教を知る前のことですが、私の自利利他の精神の昇華です。