2022/10/15

東洋インストール中 お金と登攀力はいる時、作ればいい

■【哲学】金を稼ぐよりも大切な話をします。これさえ知っていれば幸せに生きることができます。11:05~結論です。【山田玲司 // 切り抜き】 

■お金についての思い込み

前にお金について、思い込みがあると言われたんだけど…(お金をいやしいものとして忌み嫌っていると言われた)

お金がないと生きていけないという思い込みがあるのは、一般世間のほうで、私は、必要以上に欲しい人が、良く理解できないだけなんだけどなぁ…。

クライミングにおいては、通貨、お金=登攀力でしょう。

あればあったで、なければないで、欲しくなるのがお金と登攀力。

■ いるなら作ればいい

山岳総合センターのリーダー講習に、出たい!と思ったときは、行くのにお金が要るってことだったので、お金作りました…。(山小屋でバイト)

お金と登攀力は、いる時作ればいい、っていうのではダメなんですかね?

あればあったで、失う恐怖に縛られるのがお金だという風に、仏教では教えていますが…。
今のところ、したいことがそんなに多額のお金を要するもの、はないんだよなぁ… 

■ お金がないことに守られている

むしろ金で解決しない方がいい結果を生むことが多い、物事っていうのはある。

例えば、勉強…。学力は金で買う時代だ、と言われて久しいが、カネで買える学力と、実力は違って、実力は金で買えない…。金で買って塾通いをしていると、いつまでたっても真の実力はつかない。

登攀力も同じで、カネで解決=ジムに行く。福岡なんて、都会から30分で、無料の岩場が自然の中にはいっぱいあるのに、人はジムに行きたいものなのだ…。流行っているから、という理由で。

カネで買える何かいいもの…で、最近の身の回りの件で思いつくのは、


・横山ジャンボさんと佐藤ユースケさんが催行するユタのクライミングツアー 18万円 飛行機代別
・自然農野菜の個人宅配を摂る(どこかいい個人宅配知っていたら教えてください)


・仏教の瞑想クラスに出席するのに大分まで行く(募金せいだから無料と同じ)
 

・MTBのレイドに参加する
 

・ログハウス作りに参加する
 

あと、なんかあったっけ?って感じで、特に普段以上にお金を使わないと、できないようなことの希望というか、望みがないんだよぁ… 有り余るカネがないから、スケールの小さい望みしかない、と言われたら、ぐうの音も出ないが…。

何千万もかけて、7大陸最高峰制覇!とか、最高峰を踏むことが、もはや初登でもなんでもなくなり、お金の戦い=つまりスポンサー力の戦いとなり、その山をこなすのに、アルパインクライミングの技術すら要らず、時期さえ選べば誰でも登れる…と、分かっている人にはバレちゃっている時代に、お金をかけて、そんなのやって何も知らない人からスゴイスゴイと言われたって、何になるんだ?とか思ってしまう…人は多いだろうと思う。

■ 時は流れ、昔すごかったことはすごくはなくなる…

昔はヒマラヤは山やにとって大変な夢だったんだが、今では、一般の人だってトレッキングルートを歩く時代なので、ただヒマラヤって言うだけで意味を持つ人は少ない… 私の周りには一杯いるよ、ヒマラヤのトレッキング行ってきた人。

ので、同じ行くなら、私だったら、チベット僧のターパさんがやったみたいに、リトリートにでも行かないと、わざわざ行く意味が見いだせないな、と思ってしまう…。すでに賞味期限が切れた自慢話のネタ集めしても仕方ないって気持ちだ。

今の人は、海外には慣れていて、昔の人みたいな外国の山への憧れは、もはやないから、なんだが…。(オーストラリアの山とか、山やになる前にすでに登っています)

同じお金ならアメリカのシエラ山脈歩きましょう、みたいなのが好みだったりするかもしれない… 理由は?と言えば、若いころカリフォルニアに住んでいたので、思い出をかみしめてもいいかなぁ…みたいな気持ち。それは、人生で良い時間になるだろうという見込みがある。

でも、天から降ってわいたような登攀に出かけても仕方ないよなぁ。縁が感じられない。

そう思って、ジャック・ケルアックの、TheDarmaBumを読んでみたが、”だるまフーテン”と訳されているものを見た(笑)。なんか、寅さんかよ…(笑)。ムードでないなぁ…。

日本では、Bumをフーテンと訳すと、あまり良い印象を持つ語感はない。英語でBumは自由人という響きなんだがなぁ… と幻滅…。

話としてはカリフォルニアの若者が仏道を求めてさまよう話です。


気分転換…自分の認知を変える必要があるのだが、一番手っ取り早いのは、

忘れる、

なんじゃないかと…。

クライミングを忘れる。カネ稼ぎを忘れる。もっと他に楽しい事、目標になることを見つけて。そして、それをマネタイズする。