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2022/10/19

故意に自分の命を害す登り方をしない、故意に人の命を害す登り方をしない

■ お釈迦様風にまとめると…

故意に自分の命を害す登り方をしない

故意に他人の命を害す登り方をしない

 

絶対に間違えて行けない選択とは、間違えたら人が死んでしまう選択です。

 例: 

・敗退用ロープなしで、ルートに行くこと、

・セルフレスキューを学ばずセカンドであってもマルチに行くこと

■ 外岩パートナー募集サイトでの議論の行方

ほとんどの意見が、ゲレンデのマルチで落ちてかかとを骨折したヤツのどこが問題なのか?分からないという意見だった。

思うに日本人はお子様なんだろうな…

いつまでも、昔は良かったな、という過去の古き良き時代にしがみつきたいという… 

今は今、昔は昔、ですよ。

現代では、クライマーはジム出身。未組織登山者です。教育なしには、ちゃんと育ちません。 

してよいことと悪いことの判別が、本人はつかないのです。

例え、山梨で10年登っても、です。その証拠が白亜スラブです。

わざと危ないように登るのが、かっこいいと思っているんですから…。そこは価値観を教えないと治りません。

冬壁でかかとやったら、もう登れないです。なので、訓練中は、最小の怪我でも避けるように指導されます。アイスアックスをマイナス25度で素手で掴んだら、手の皮、持って行かれます。若い人はドライの真似して遊んだりしますが、そうやってじゃれているときに、ドライの時のように加えて、口の皮、持っていかれた人、見ました。

最初に教わる環境がシビアだと、些細なことにも反省するようになります。厳しい基準が自分の中の基準になる。そういう人にとっては、フリークライミングのゲレンデは、何が危険なの?って感じです。

しかし、今回分かったことは、つまり、みんなのリスク管理が甘々なのには、

 自分に堪えない

から。

バカは死なないと治らない、という文字通りのことが起こっています。

くまちゃんは私に大怪我させてバカを治しました。

みなさんは、人を殺す前にバカ治してください。

 

フリークライミングの世界は、どいつもこいつも、リスク認知が甘く、地域住民の迷惑どころか、自分の命の大事さすら、顧みない。

そんな奴らのために、自分の時間をささげて、岩場を開拓したうえ、ヒヤリハット・危険を指摘しても、指摘した人の方が責められるなんて、仲間じゃありません。

そんな損な役目を自分で好き好んでやるようなバカでは私はありません。

誰がどーみても、ババ抜きのババですよ、それ。

■ その他の考察記事

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/blog-post_16.html

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/vs.html


2022/10/14

フリークライミングらしいフリークライミングの岩場って

■ 適切な岩場の、”適切”の中身

1)5.9なり、5.11なり、そのグレードを登るクライマーのために、適切にボルトが配置されている。

2)岩場としての全体的なグランドデザインがある。

3)課題同士が2m以内に接しているなど、近すぎない。無理をして、課題数稼ぎをしていない。

4)登攀自体が楽しめる内容である。

5)リスクを上げることでの興奮だけを求めるというような本末転倒が起こっていない。

6)わざと事故を誘発するような作りになっていない。

7)やむを得ず、危険を甘受する場合は、R、Xなどの記号付与をフリークライミングの慣行に従って行い、クライマーに危険を明示的に知らせる。

8)必要もないところにボルトを打っていない 

9)現代的強度を満たすボルトが使用してある(25kN)

■ 美しい

一言で言えば、美しいってことですかね…?

日本の町並みは美しくないことが多いでしょう、特に戦後、五月雨式開発で作られた町は…。パリの町が美しいのは、グランドデザインがあるから…。


 


2020/03/25

フリークライミングの教育機関がないことについて

■ 放任主義

今JFAの井上さんと議論中。井上さんは、日本の”フリー”(本来、自由な)クライミングなので、そうした教育機関は要らないという発想。 

そうか、野放し、だったのは、”自由”を重んじたためだったのですね。

その、放任主義の結果が、現在、如実に表れている真っ最中、ということだったのでした。

子どもの教育と同じで、子ども=新人は、まっさらなので、きちんと、「こうやって遊ぶんだよ」と教えないと、分かるようにならない…。特に危険なことは、危険を避けて遊べるようになるまで、大人がついていないといけないと育児書に書いてありました。

吉川栄一さん…沢登りの方ですが、本に書いていましたが、「”山やとしてのあり方” から教えないと、人はちゃんとした”山や”にならない」という理論を展開されている方でした。

■ なぜ岩場に木っ端がつくことになったか? 説明責任をも放任したため

私も同意見で、その観点から見ると、おそらくフリークライミングは、放任主義のついでに説明責任も放棄してしまったようで、その結果

・岩場に木っ端くっつけてしまう
・本気チョークの特集に5ページで、30数年ぶりのデイドリ初登にたった1ページ

チョーク=エイドですので、エイドに力点を置き、初登よりエイドのほうがページ数上は価値ある扱い、みたいなこと…価値観…

が出てきてしまう結末になってしまい、

原因 )岩との対話を語らない
結果) 岩を顧みない

という、原因と結果の法則にしたがった現実(=ロクスノ紙面のレベル低下に端的にみられるクライマー全体のレベル低下)が出現した、ということになってしまっているようです。

岩との対話、置いてきぼり。登山の世界で、山との対話が置いてきぼり、なのと同じです。

■ 小うるさいお母さん状態

若い人は、技術は向上しているので、ちゃんと技術的には登っている人はいます。

しかし、残念ながら、そう言う人たちは、JFAをむしろ避けるように登っています(笑)。

どれを登れ、これを登れと指示されなくても、自分で登れる人たちなので、ジムにも行かないし、山岳会にも、もちろん行かない、自分とパートナーだけで登ります。そういう人たちにとって、

JFAのおおざっぱなイメージが、「アブナイ、アブナイと、やたら、小うるさいお母さん」というイメージになっている…。

それに対する、一般的なクライマーの反応は、

「そんなことは分かっているよ」
「危ないから面白いんだよ」

でしょう。

私も正直、そのイメージを植え付けられていました。

■ いわゆる”自己責任”の具体的因数分解

私自身はFreefan、登れない時期から読み込んで、特に終了点の写真などは見ていましたし、ちゃんと後輩には、ペツルのカタログとセットでFreeFunを渡していますが、その私ですら、

 M8 と M10  のサイズ感の違い

は全く分からず、ここ数か月で身に着けたようなものです。これは私だけでなく、登攀歴50年の師匠も同じでした。RCCやオールアンカーではなく、普通にハンガーがついていれば、おそらく強度は大丈夫だろう、と思ってしまいます。

事実は全くそうではありません。

しかも、そのことを山岳会に属していても、先輩たちは後輩に、論理的に伝える能力がありません。

論理的に、というのは、現代で世界的に必要とされるボルト強度は、25kNであり、M8ボルトが出している強度は、施工が良くて15kNしかなく、施工が悪いと5kNしか出ていないということです。

また、この数値から内容を理解するには、人体は12~13kNで壊れる、人体が許容できるインパクトフォースの最大が12kNだ、という知識が必要です。

 12kN
 25kN

ちなみに、カムで14kNくらいですが、これは、落ちたときにカムが壊れるより先に、人体が壊れるでしょうと言う意味だと思っています。

カットアンカーとグージョンの違いも知る必要があるかもしれません。カットアンカーの場合、新しければ、15kN出ていると想定すれば、落ちれるボルトであると言えるかもしれませんが、古ければ、ガルバニックコロージョンの危険があります。

1985~90年の開拓ブーム期に打たれたボルトは、現代では更新期を迎えていますが、そのことも、トポには書いてありません。

■ 自己責任という言葉の意味は、私は無知です、自分で調べてください、という意味です

というわけで、『自己責任』、という言葉は、

実は発している人の無責任さ

を表現した言葉です。自己責任を歌いつつ、その責任が取れるような、情報発信をしなければ、クライミングは

乗るか?そるか?

の活動になってしまいます。

ので、こういう実情を知って、よく分かっており、説明責任を果たしてくれる人たち(もしくは、岩場、あるいはトポ)と登るべきでしょう。

■ フリークライミングを教える人がいない国内

若い人には、大変気の毒な事象ですが、構造が分かった。

まぁ、私が分かったとして、何が変わるわけでもありませんが、

フリークライミング

としてクライミングを教える人がいないと、まぁどんどん、フリーをする人はいなくなり、ボルダラー人口でなんとか間を持たせる、って感じになるでしょう、って言うか、今そうなっています。

国内事情は今、非常に悪いので、海外が良いと思います。