2022/10/25

瞑想としてのクライミング

 ■ 歩く瞑想=山

私の登山は、瞑想としてスタートしたのです。

町を歩いていても、ガヤガヤとした、ざわついた気しか入ってきませんが、山で歩いていれば、気温の差、空気のおいしさ、湿度、風、空気の匂い、土のにおい、雨の匂い、など、色々な情報をクリアに受け取りつつ歩くことができます。

たぶん、私にとっては、歩荷の重さも大事だったみたいで、あんまりリュックが軽いとちょっと不満というか…。脊柱のラインに、ある程度の負荷がないと、なんだか簡単すぎて、気が外側にそれてしまい、内側に集中できない、と感じていました。

山との対話といいますが、結局は、たわいないもの、です。

長々とした退屈な道が続けば、面白くもない宮仕えを粛々とこなしている自分を重ね、自らを励まし、ちょっと困難な箇所が出てくれば、甘く見ていい加減なことをしないようにする、というその程度の事です。

が、そこには、どう考えても、登っている自分を見ている、”別の自分”がおり、それこそが、真我(アートマン)だと思っていました。

そのため、ソロが好きでした。というか、ソロでないと、瞑想にならないですよね。

■ クライミング瞑想

クライミングをスタートしたころは、クライミングで瞑想に入ることができませんでした。

なんせ、あまりにも普段使わない上半身の体力を使うので、ショート1本でも疲れてしまって。例えば、西湖の岩場は、アルパインから岩場に入った人向けの易しい岩場ですが、そんなところでの5.8でも、1本登ればぐったりでした。緊張でオールアウトしてしまうのです。

今思えば、5.8なんで、そんなに登攀に細心の注意力はイラナイはずですが、当時は、上半身の筋力も、指の力も、ましては、微妙なバランスもついておらず、ツイストとかフリと言われる側体の登りも身についていないので、全部、正体。だから、くたびれて当然だったんですね。しかも、日本の岩場の5.8はランナウトが基本ですし。

クライミングのリズムとして、沢みたいに、ほとんど歩くの中で、ちょっとクライミング、くらいがいいなーと思っていました。

だから、当時は、私は背伸びをさせられていたのだろうと思います。登ることは、本当の私の願いではなく、岩はパートナーがいないと登れないので、自分の予定をやむを得ず、変更させられるということでした。

なぜか、登山をする中で、クライミング力を身に着ける、ということが義務になっていました。

まぁ、仕方ありませんね、山岳総合センターに行ったとき、クライミングを知らないのは、私だけっぽかったですし(笑)。

私は雪の山でステップアップしたかっただけなのですが、いきなり雪上確保でボラート作るとかが講習だったので、”確保?なにそれ、おいしいんですか?”状態でした(笑)。

まぁ、そんな確保のデビューなので、当時は今ほどフリークライミングの理解がなく、ランナウトなんてして当然でした。雪上確保で、3mおきにランニングなんて取りたくても取れませんよねぇ(笑)

■  登攀が主体でも平気に

今では、ふと気が付いたら、ほとんど登攀、ずっとクライミング、でない山は退屈だと感じるようになりました…

いつ、変わったんだろう…

登攀が飛躍的に上達したのは、ラオスにおいて、です。

何かがラオスでは、決定的に日本の登攀と違いました。岩に書かれている歌では、ボルトの適切配置ですね。文章に例えると、句読点が正しい、みたいな感じですね。

私の日本での足かせは、ボルトが適切には配置されていないこと、だったんだということが分かりました。

一気読み、というか、句読点なしの文章みたいな感じです。日本のフリークライミングって。

■ かすかな兆候

 一度、小川山の屋根岩1峰のクライミングで、手繰り落ちしたことがあるのですが、あれなど、リーチが短いことが起こした事故ですね…。

手繰り落ちしてはいけない、ということを知らないクライマーはいない訳なのですから。したくてする奴はいないです。

しかし、この時は、自分がリーチが短い運命を背負ったクライマーということには無自覚でした。

あれをやってから、クリッピング体制には十分以上の注意を払うようになりました。

確実に体制を作ってからじゃないと、ロープを手繰らない、ということです。

この方法だと、手繰りおちのリスクは減りますが、フリークライミングが想定する以上の安全マージンです(笑)。

■ ラオス

そのマージンが要らないのが、ラオスです。

ラオスは2度行きました。 一回目は、不完全燃焼だったので、二度目は確実に行きたい!ここで成長できる!という確信がありました。ので、誰か日本の人がいるっていう”噂”程度の情報を大阪のクライミングジムで聞いただけで、あ、それなら、と行きました。今ではその方お友達です(笑)。

私は海外でヒッピー暮らしをした経験もあり、英語は学生時代からなので、日常英語には問題がないので、海外出張が多い仕事だったこともあり、パッと飛行機に乗っていきました。

師匠の青木さんは、タイの国内線が自分で航空券を取れない、ということで一緒には来ないそうでした(笑)。そんなことのために不自由ですね。ちょっとポイントがあるだけなので、教えてあげると言ったのですが、代理で取ってくれないと嫌だということだった。やってみれば大したことないです。青木さんで、海外の手配ができない年配の人は3回目でした。

どうも、私の周りにまとわりついてきた年配の人たちには、私にこうした手配をお願いできるという期待があったみたいです。その点は新保さん偉いですね。全部自分でやっていますから。ちなみに一回目も私は現地集合ですから。日本の空港で待ち合わせて連れて行ってもらうなんてことはしていません。念のため。

ラオスで最も気に入ったのは、文化です。ジャンジャン好きなのに登れる。一日、5~6本登るということです。しかもグレーディングに嘘がないというか…あれもこれも登れるんですよ!私は5C、つまり、5.9を登り溜めしたかったんですが…

ギュリッヒのグレードピラミッド理論に添って自分のクライミング経験値を貯めていたからです。

日本では、十分な数の5.9がそもそも岩場に存在しないので、経験値を貯めることができませんね…。5.9があったとしても、ボロ支点なので、リスクが取れません。

例えば日向神にも、5.8~5.9程度の岩場がありますが、なんとオールアンカー。岩場があっても死蔵って意味です。ボロイだけでなく、ランナウトも深刻で、落ちるな!って課題しかないとすると…上達できない、って意味ですね。それでみんなRPクライマーに運命づけられるそうです。

というので、ラオスでは、いきなり上達しました。帰ってきたら、アイスの難しい3Dクライミングがスイスイになっていました。アイスクライミングでは、もともとリーチは問題にならないので、怖い!という肩の力が抜けただけで上達。これで韓国アイスでめちゃ人気者に。トップロープしかしていないのに(笑)。

一方、クラックのほうは、ラオスの3Dでは上達できなかったので、そこを補いたいと思って台湾に行きました。BMCトラッドフェスという選択肢も提示されましたが、カムを覚えるだけに、はるばるイギリスまで行きます?ちょっと遠すぎでは?と感じられました。

■ 切り替え

というので足踏みしていましたが、九州では適切なクライミング指導が得られそうになかったので、趣向を変えて、”地域行政に岩場が地域資源であることを伝える”という活動に切り替えていました。

というのは、私は九州での最終職歴は、三井物産新事業開発室、だったからです。九州は、古郷でもあるし、おりしも、地域おこしが盛んになっている時世でした。

しかし、岩場を地域の資源として活用するには、日本のクライミング界が未熟すぎるようです。事故を防ごうという意思自体がない人たちの集まり。

これは、世界的に見ると残念なことです。なぜなら、中国などのクライミング後発国でも、すっかりクライミングの町として知られている町はいっぱいあるからです。

外国人も日本でクライミングしたがっており、特に九州では、何人も外国の人と登りましたが、やはり、彼らの視点から見ても、支点は危険でボロく、ランナウトは著しいようです。

例えば、日向神の愛のエリアにある初夢5.9は、新人が触る一番目の課題っぽいですが、米国軍人の、若い男性でも、下部のランナウトに耐えきれず、3ピン目で敗退していました。その人、ヨセミテでクライミングしてきたと言っていましたけど…。あれってホントなのかな?

彼、別の10cで私が核心部で苦労してるのを見て、やりたがったので、触らせてあげたのですが、そのムーブに成功すると、次のピンまではリードになるので、それを指摘したら、登るのを意図的にやめたんですよね。なんだ、ダダの対抗意識だったんだ、って思ったので、まだ登りが自分の中にある人ではないかもしれませんね。

■ マインドフルな生活

という感じで、気が付いたら、私の集中力は、長時間のクライミングに耐えられるようにいつの間にかなっていました…

というか、長時間でないと満足しないようになってしまいました(><)。

山梨時代はヨガの講師をしていたので、ヨガが瞑想の一形態であることを考えると、瞑想にかけていた時間というのは、非常に多かったということになります。

つまり、だいぶマインドフルな暮らし方をしていたってことです。

当時はマインドフルな生き方こそ、私がしたかった生き方でした。それは、完成をみた、といってもいいのかもしれません。

■ ラオスを日本に持ってきたい

最近、スマナサーラ長老のテラワーダ仏教の教えが気に入り、毎日聞いています。ここ数日は瞑想を行っています。

ラオスの生活の良かった点は、質素な文化です。登る以外の贅沢は一切ない。

しかし、クライマーに他に何が必要でしょうか。

子どもも老人も、みなで助け合って楽しく登っていたらいいだけしょう。世界はすでに豊かなのだから。余計な贅沢をしようとするから、奪い合いになる。質素な食とつましい寝床で満足していれば、クライミングして遊んで暮らせるわけです。

だれですか、インターコンチネンタルから岩場に出勤したい人は…。そんな贅沢をせず、普通にテントや雑魚寝で済ませていれば、いいのです。

クライミング界が伝統としてきた質素という価値は、日本では失われ、

クライミングジムのホールドは一個数万円…

どんどん買って、どんどん廃棄されています。まさにフードロスと同じです。

岩場のボルト一本1600円が出せないと言っているのに… こんなバカバカしい矛盾はないですね。

■ 瞑想力

瞑想は、どうもクライミング力と同じように、集中力です。

私は、元々ある体力で取れる集中力は取り切ってしまったので、クライミングでは集中力を上げ続けるには、体力を底上げしないといけない局面に来ていました。

しかし、あのパートナーとあの環境で、登攀が底上げされてしまうと、死に近づいていくのは必須でした… 無意識にブレーキがかかり、私はトレーニングしたいという気持を失いました。死に近づくために登りたい人なんていません。

今やっているヴィパッサナー瞑想も、3分×3から長くして行きます。これは、やり始めてみると、あれ?これはいつか来た道…という感じです。

瞑想による効果が出てくるのは、翌日。

クライミングをもはやしないという方にも、ぜひお勧めです。