2020/03/16

ロクスノの知性低下の点

杉野さんの話題を共有したいと思って、ネット検索していたら、以下のような記事を見つけた。私は、この人がいう若いクライマー側に属していると思うが…年齢的には若くないが、クライミング歴は短い…ロクスノを読む気になれない…

のは、値段と内容のバランスが取れていないからだ、というのは、やはり理解というか、共感できる。

『岳人』なら、図書館でバックナンバーが拾える。『クライマーの食卓』という連載記事があるらしいと聞き、1984年あたりのモノを10冊ほど借りてきたが…目当ての連載なかったものの、将来、有望な若手クライマーとして、平山ユージさんが裕二というカタカナになる前、名声を確立する前にインタビューされていて初々しいし、遠藤由香さんも取材を受けていた。(遠藤晴行さんと離婚後だとは知らなかった)

言いたかったのはゴシップじゃない…(笑)。

当時の『岳人』の文章のレベルの高さ、だ。内容も多岐にわたっており、楽しい。

若い人の活字離れというが、彼らの知的レベルはかなり下がっていると思う… 客観的に見ても、昔は大学というのは、ある程度、選別された人しか行けないところだっただろう。今では9割が大学生で、誰でも行くものだ。

大学山岳部だけでない。一般クライマーも、ジムで登る人が多い。つまり、日曜にボーリングに行く感覚というわけなのだ。そういう人たちが9割という世界で、第一特集がチョーク…。 

こういう事態を見ると、”人は教えたようなものになる…”という言葉を思い出す。沢やの教育方法で、正反対の教育方針を取る似たような名前の会、”わらじの会”と”わらじの仲間”が、丁寧に教える、教えない、で揉めていた…その時に見た言葉だ。

クライミングにおいて、存在感が5%くらいしかないチョークを拡大視し、逆にデイドリームのような30数年ぶりの快挙を1ページで終わらせるなら、”人は教えたようなものになる”というルールが実現するのなら、どうなるんだろうか?

チョークにやたらうるさく、やたら詳しく、そして、歴史的なトライの意味が分からないクライマーを量産するに違いない。

ここで思い起こすのは、”起きていることはすべて正しい”、というどこかのベストセラー本のセリフだ。

そんな現実が出現しているが、せめてものブレーキとして、杉野さんのGoldBut Oldが出版の運びになることを切に願う。

あのクラスの文章が書ける人はそういないですよ。

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杉野さんの昔の連載、モンベルがまとめないかな?



なにかにつけて「昔のものは良かった」というのは、新しいものの良さを受容する精神の感受性が衰えている証拠であり、つまり精神が年老いている証拠のようで嫌だと思っていたが、でも実際に年老いてくると、そう言いたくなることが多くなるのも事実だ。




『ROCK & SNOW』という雑誌を、以前は楽しみにして、新刊が出れば購読していたのだが、ここ3年くらいはまったく買わなくなってしまった。もちろん、中には興味深い記事もあるのだが、いかんせん、値段と内容のバランスがとれていないと感じる。




若いクライマーが書いた中学生の作文のようなレベルの文章をそのまま?載せていたり、20年前(「岩と雪」時代)と同じ執筆者が、何度目かわからない焼き直し記事を書いていたり、Webサイトで載っていてタダで読める内容をほとんどそのままコピペして載せていたり、あげくの果てには第一特集が「ホールド」??

あきれるのを通り越して笑ってしまう。(ホールドについての記事があることは悪くないし、以前もあったが、第一特集でやる内容だとは思えない。ネタ切れ感があまり強い)




文章のレベルについてだが、クライマーが書く原稿のレベルが低いこと自体は仕方のない場合もあるだろう。クライマーは、クライミングのプロであるが、文章のプロではない。文章力は、クライマーとしての評価と何の関係もない。クライマーはクライミングで語ればいいのだ。




しかし、だからといって、中学生の作文のような顔文字入の原稿をそのまま載せておけばいいというものでもあるまい。中学生が書いてるならそれでいいだろうが、20歳を超えた成人が書いているのだから、読んでる方が恥ずかしくなる(専門誌の記事として)。

本人が原稿を書けないなら、インタビューをしてライターがまとめればいいし、あるいは編集者が原稿に手を入れ、代筆なりをすればいい。それが雑誌編集部の仕事だろう。

もちろんそんなことは言われるまでもなく、編集部もわかっているだろうが、出来上がった記事を見る限り、編集者がなすべき仕事をしていないとか思えない。Webサイトの内容をそのままコピペで載せることについては、なにをかいわんや、である(その記事内容の正否自体は別の話しとしても)。




一方、自分が買っていた、50号くらいまでの『ロクスノ』を(そしてさらに遡って『岩と雪』などを)読むと、昔のクライマーは全体的に知的なレベルが高かったのだろうか、と感じる。これはバイアスがかかった見方だろうか? ちょっとしたコラムでも、それぞれ面白いのだ。それに較べて今の『ロクスノ』を見れば、これは世の中全体の知的なレベルの低下が、ここにも反映しているのか? と感じてしまう。




また、「グレード」や「ボルト撤去」「アクセス問題」などのように、クライマー間で意見が分かれる問題について、随時座談会や誌面での議論をしているのも、熱くてよい。もちろん、意見の違いはあり、それは埋められないままであったりもするのだけど、理想のクライミング、クライミング界を目指そうという熱気は、感じられる。そのような議論の場を提供することは、重要な専門誌の役割のはず。

いまの編集部に、クライミングそのものについて、クライミングの目指すべき姿について、深く考えようという姿勢は、あるのか。




以前の記事の中でも、杉野保氏の連載はピカいちだった。

杉野氏は言うまでもなく一流のクライマーだが、どこで身につけたのか、文章力も一流だ。一流のクライマーでなければわからないし、書けない内容が、一流の文章で表現されているのだから、これはもう、しびれる。

杉野氏の連載「OLD BUT GOLD」「Dig It」を、古書肆の店先に埋もれさせたままにしておくのは、あまりに惜しい。まとめて単行本にして出版することは、出版社の義務ではないか。

山と渓谷社がやらないなら、モンベルがやればいい。




そして、昔の『ロクスノ』なんて当然読んだことがない若いクライマーにも、ぜひ読んでもらいたい。読めばわかる。こういうものこそ、クライミングの記事だ、と。ーーーーーーーーーーー 引用終わり
https://seeyou44.exblog.jp/21640311/?fbclid=IwAR0D1IKsLi3EAa8UjGaFqG8_N2bG9Pui-PREh2qKxpyvdY3yjEtdcMjno_U
より引用