2026/06/03

無意識に達成したがらない人々

「本音はうまくなったら困るのではないか」という仮説は、人間の心理の矛盾を突いています。


慣れ親しんだ「コンフォートゾーン」の維持

クライミングの例(ヨセミテを目指しながら5.12のハングドッグに終始する)は、「やりたいこと(あるいは、やっていて楽しいこと)」と「必要なこと」のすり替えが起きています。


ヨセミテのビッグウォールや長いマルチピッチで真に求められるのは、以下のような地味で、時に退屈な自動化トレーニングです。


* 1ピッチごとの迅速なロープマネジメント

* システムの無駄を省いたロープワーク

* トラブル時のセルフレスキューの手順化


しかし、これらは「純粋なフリークライミングの楽しさ(一手一手を解決する快感)」とは異なり、緻密な手順の暗記と反復練習という、脳のエネルギーを激しく使う作業です。一方、目の前の5.12に挑むことは、肉体的にはハードでも、思考の枠組みとしては「慣れ親しんだフリークライミングの延長線(コンフォートゾーン)」に留まることができます。


「ヨセミテに行きたい」という大目標は掲げつつも、実際の行動は「自分の得意な、あるいは好きなスタイルの練習」に終始する方が精神的に楽(認知的な負荷が低い)なのです。

うまくなったら困る」の心理的防衛

「本音はうまくなったら困るのではないか」という指摘は、心理学におけるセルフ・ハンディキャッピング(自己防御)の観点からも非常に理にかなっています。

もし、合理的で的確なトレーニングを完璧に積み重ねてしまったら、どうなるでしょうか。

言い訳ができなくなる:

「ロープワークもレスキューも完璧、ピッチ数もこなした」となれば、いざヨセミテに挑戦した際、失敗したときの言い訳(「準備が足りなかった」「技術がなかった」)が使えなくなります。自分の本当の実力と正面から向き合わざるを得ません。

アイデンティティの喪失:

「夢に向かって熱心に練習している自分」という現在のポジションが心地よく、目標を本当に達成してそのプロセスが終わってしまうこと、あるいは実力不足を突きつけられて夢が破れることを、無意識に恐れている可能性があります。

これらは往々にして地味で、ドラマチックな「頑張り」を感じにくい性質を持っています。そのため、多くの人は無意識のうちに、合理的ではないものの「頑張っているドラマ」を演出できる選択肢を選んでしまうのかもしれません。

「高難度への挑戦」という隠れみの(クライミングの例)

「5.12という難しいグレードに挑んでいる」という大義名分を掲げることで、「実はマルチピッチに必要なロープワークやレスキュー、迅速な判断力がまるでない」という実態を隠すことができます。「難しいことをやっているのだから、できなくて当然だ」という言い訳が成立するからです。

これらはすべて、「現在の未熟な自分」を直視して傷つくことから自己を守るための心理的防衛(セルフ・ハンディキャッピング)です。