2020/03/30

山の神さまの導き…良心

■山の神さまの導き

これまで私は山の神さまの導きで、ここまで来ました。

正直、なんで山?と自分でも思っていました…だって、私、英語科ですよ?全然、体育会系でない…。小さい時から、絵本を読んでいたような子で、全然アウトドア系ではなく、むしろ、青白い子どもでした。

雪の山をやっていたころは、山が私を呼んでいる!と思っていましたし、山口輝久さんの『北八つ彷徨』を読んではいいなぁと思っていましたが、クライミングをしないといけなくなってからは、どちらかというと、白い頂きを見ては、今日みたいな日は縦走だよなぁ…と思いつつ、寒ーい谷間でアックスを振る、みたいなことも良くありました…。

クライミングは、向いていないから、辞めたいなぁ… 絶対、場にそぐわっていないよなぁ…と思っていたのですが…、その度に、奇跡のようなステキな出来事が起きて、また山に戻ることになりました。

うーん…、今回も大阪に行ったときに、私のクライミング上の謎が次々と解ける出来事が…。

クライミングジムのヒグラシに行ったときは、驚きました。私の想像していたクライミングの世界についての見解と、ジムのオーナーさんが思っていたことは大体同じだった…。ジムのグレードのほうが外のボルダーより辛い理由も分かりました…。

また、烏帽子での出来事も、やはり、必要な出来事でした…。とにかく大事なことは、

 良心に従うこと

というか、

 良心以外に従わないこと

です。 

良心に従っていれば、クライミングにせよ、山にせよ、おそらく安全に行うことができます。

もちろん、風に飛ばされてしまった故・杉野さんのように、外的リスクをゼロにすることはできませんが、それは町にいても同じです。コロナがなくても、人は100%死にます。

■ 幸せ

幸せについては、求めたものを得られるのが幸せなのではなく、すでに持っているものを幸いだと感じられることが幸せなのだ、と思います。

福岡に来て、甲府時代以上に近所に岩場があります(笑)。会ったこともなかったJFAの井上さんともお会いする機会があり、ボルトに関する知識は甲府時代の比較ではありません。先日は山の先輩にロクスノ送っていただき、ええ~!とびっくりするやら、勉強になるやら。

海外登攀の経験値も増え、なんだか…ありがたいことだなぁと思っています。

フリーを始めた時、やっとあるグレードが登れるようになった途端に、もう次のグレードへ追い立てられるので、こりゃ、きりがないわい、と思いました。このような世界は、”もっともっと”の世界であり、私が求める”充足の世界”とは違う、と思いました。しかし、今現在、とりあえず、私は、もっともっとではなくて、充足の世界にも、すでにたどり着いているようです。もし、私が自分の心に従うとすれば、です。

これも怪我があったからこそ、で、怪我をしなかったならば、心理的暗示…上を目指さねばクライマーじゃない…にかかったまま、グレードを追いかけさせられ、なんだか話が違うなぁ、嫌だなぁ、と思いながら、つまり、”葛藤”を抱きながら、進まなくてはならなかったと思います。

私の持つべきパートナーは、私が自分の心に従って登ることを許容できる人です。

だから怪我をしたことは、私の意思を周囲の人に理解してもらう後押しであり、マイナスではありません。怪我がなければ、嫌々ながら、高いグレードを求めて登らざるをえなかったでしょう。

ここまで来たのは、私じゃなくて、山の神様が背中を押してきたので、押されるがままに歩いた結果だっただなー

私の割り切れ具合が分かるでしょうか…(笑)。なんかエライすっきりしました☆