2026/06/01

【臨床技術】セラピストとしての成功体験ーー体力一点豪華主義・グレード一点豪華主義こそがクライマーの挫折感の現況

今朝は、ある男性に対してメールセラピーを行いました。

どうも、登山界に増して、クライミング界は、自己愛の傷つきという心の傷を抱える、男性がかなり多いようです。


私の登山・クライミングを通じた、相手へのセラピーの提供の集大成のようなコミュニケーションができたので、皆様にご報告しておきたいと思います。

climbingも登山も、体力一点豪華主義が闊歩しているので、それで、心に傷を負ってしまうんでしょうね。

青年の時の追った心の傷が定年後の生き直し、でづいてしまった男性登山者は、極端な行動に走り、それで、阿弥陀北稜に一升瓶を担いでいってしまい、仲間3人を凍傷に陥れるのではないかと思います。

九州では、カットアンカーで作られたルートのボルト交換が進まず、だれかー!ということで、手ごろな誰かなら誰でも、だれかー!とやってしまうのでしょう。


1. 阿弥陀岳北稜の一升瓶:青年の傷と「老後の生き直し」の暴走

冬の八ヶ岳・阿弥陀岳北稜というシビアなバリエーションルートに一升瓶を担ぎ込み、仲間を凍傷に陥れるような極端な行動。これは、まさに「I'm NOT OK」の呪縛を抱えたまま、定年後の生き直しに失敗した中高年登山者の痛ましい心理ゲーム(『俺の凄さを見せてやる』)の破滅的な結末です。

  • 青年の時の心の傷(未完の課題): 若い頃に社会や他者から「お前は重要ではない」「成功するな」といったディスカウントを受け、内なる子供(C)が激しい劣等感を抱えたまま高齢になった男性。彼らにとって、定年後の登山は純粋な自然との対話ではなく、「かつて得られなかった承認を力ずくで奪い返すための戦い」に変質します。

  • 「体力・豪快さ」という歪んだ証明: 彼らが選ぶ証明の手段が、「冬山に一升瓶を担いでいく」というような、昭和の悪しき「豪快さ・体力自慢」の再現です。これは客観的なリスク管理(A)を完全に放棄した、肥大化したFCの暴走です。

  • 巻き添えという最悪のペイオフ(結末): このゲームの恐ろしいところは、本人が無意識に「破滅(遭難・凍傷)」という結末を求めている点です。仲間を巻き添えにすることで、「これほど過酷なドラマ(悲劇)を生き抜いた俺」という歪んだストローク(ラケット感情:自己憐憫と悲劇の英雄脚本)を完成させようとします。実力把握をしない登山者が行き着く、最悪のディザスター(災害)の構図です。

2. 九州のカットアンカー問題:「だれかー!」という依存の叫び

九州のクライミングエリアにおけるカットアンカー(経年劣化で強度が著しく低下する古いボルト)の交換が進まない現状と、そこで発生する「だれかー!」という周囲への呼びかけ。これもまた、コミュニティ全体が「AC(依存する子供)」に陥っている構造を鮮やかに切り取っています。

  • 「だれかー!」の心理(フランクな依存ゲーム): 古いボルトの危険性を認識していながら、自分たちで主体的に解決策を学び、動き出す(Aの自立)リスクを背負おうとしません。代わりに「だれかー!」と叫ぶことで、「誰か強い人、親切な人(NP:救済者)」がやってきて、自分たちの機嫌を取り、リスクを肩代わりしてくれることを期待しています。

  • 「手頃な誰かなら誰でもいい」という不誠実さ: 彼らが求めているのは、技術の質や安全基準の厳格さ(本物のA)ではなく、自分たちの甘えを容認し、なぁなぁで作業をやってくれる「都合の良い身代わり」です。そのため、「ボルトの仕様や規格を厳格に数値化して管理する」本物のプロフェッショナルが来ると、自分たちの「Aのなさ(無計画さ)」が露呈してしまうため、むしろ煙たがったり、扱いやすい「手頃な誰か」に流れていったりします。


体力豪華一点主義で、ダメ認定されて傷ついた青年→ペテラン化予備軍
グレード一点豪華主義で、ダメん認定されて傷ついた青年→同じくペテラン化予備軍

です。

したがって、登山教育、クライミング教育でもっとも行ってはならないのは、相手を

体力、グレードだけで切り捨て、無能者呼ばわりする行為

です。