20歳でアメリカに行って驚いたことは、ダメって言われたこと以外は、何でもして良いことだ。
日本は逆で、”して良い事”の幅が非常に狭く、それ以外は、みんな”出来損ない”扱いを受ける。そのため、学校を終わったころにはひどく自尊心を損ない、言われたことしかしないMYルールになっている人もいる。言われた事以外をやると、どうせ、ダメだとの烙印を押される世界が日本だからだ。
結果、日本で生まれ育った人の8~9割が、”〇〇を△△にしなさい”と事細かく詳細に言われないと、何もできない人に育っている。
特に今の時代は、知的なレベル低下も激しく、少数の何も言われなくてもできる人と、かみ砕いてやって、やらせてみて、励ましてやって、やっとこさできる人、つまりコーチの付き添いが必要な人…との二極化が激しい。
…という状況の中で、
やってダメなことだけは伝えて、後は好きにしていいよ
って教育をするとどうなるか? たぶん、今のフリークライミングの世界みたいになるわけなんであろう。
やってダメなこと=危険なボルトで落ちながら登る
それ以外は好きにしていいよ!
となった結果が、ボルダラーブーム、全国ボルダリングジムブームなのであり、リードクライミングのほうはお留守、という状態なのであろう…
要するに、フリークライミングのかっこよさややルールが伝わっていない。
だから、やるとなった場合も、しっちゃか、めっちゃか、ということだ。事例としては、無節操なボルト配置や岩場に木っ端とか人工ホールドとかいうことだ。
■ 教育機関がない
フリークライミングの価値観を私はきちんと誰からも教わったことがない。
アルパインの価値観なら、色々と肌感覚で教わったよなーと思うが、フリークライミングについては、北山真さんの本で読んだくらい(で、記憶によると、「日本では上手にならないと面白くならない」と書いてあった…笑)
結局、自己責任と言われる割に、じゃあと、その通りすると、あーだこーだ、言われるし、アクセス問題やボルトの問題以前に、岩場に行くと、主みたいなオジサンがいて、なんだかんだ色々と言われて、自分の好きに登れない。
結果、楽しくない、ということなのだと思う(笑)。
岩場どころか、人工壁にいてすら、誰に何も迷惑をかけている訳でもないのに、あーだこーだ言われて、登り方を指示され、楽しく登れない、という現実がある。
自由に登る=粘着性の良いチョークにこだわる
という結果になったりして、それは方向性が違うと言われても、
自由、って言ったじゃーん!
となるだろうなぁ~
自由なクライミングなのに自由じゃないじゃーんって言うわけだが、自由(フリー)の反対がエイド(人工)ということが、アブミとかユマールとか見たことも聞いたこともない現代のクライマーに分かるはずがないよな~と、彼らの立場に立てば思う…。
それはエイドクライミングだし、エイドクライミングはアルパインの世界では最初に出てくるけれど、フリークライミングの世界ではビッグウォールをやるようにならないとでてこないものである。
《アルパインの順番》
縦走→沢→冬山→懸垂下降→エイド→マルチ岩稜登攀→フリー
《フリークライミングの順番》
人工壁→外岩スポーツルートショート→ スポーツルートマルチ →ショート高グレード→ビッグウォール(エイド)
と学ぶ順番が全く違うから、アルパインを教えるところは当然だが、インドアのスポーツクライミングなんて教えない。
ので、やはり大事なことは本当のフリークライマーやフリークライミングをやっている人たちが、杉野保さんのOBGみたいな良質な記事を書き続けて、若い人たちにフリークライミングの何たるか?を見せてあげることなんじゃないですかね…???
それをサボっているから、アルパインの人たちが、普通に俺らのクライミングで何が問題なんだ?と思っているだけのように見えます。
こういうおじさんがたちが、めんどくさいので、若い人はボルダーに逃げていく、ってだけの話のような??