さて、杉野保さんの事故死のショック一色だった、先週が終わり、名文と言われるOldButGoldも、連載をいくつか読んだ。
そして、クライミングの記事の質とは何なのか?と言うことについて理解が深まった…。
クライマーのみんなが読みたいのは、どういうことなのか?私にも理解ができた。
本来、書いておかないといけなかった記録を書いておく。先月のことになってしまったが。クライミングについて書くのは、なんとなく気が重いものだ。
先月の記事
https://allnevery.blogspot.com/search/label/%E5%A4%A7%E5%A0%82%E6%B5%B7%E5%B2%B8
■ 大堂海岸
一般に、易しい課題から難しい課題へステップアップするのが、クライミングでも当然のプロセスとされるが、難易度的に何が自分にとって適切なグレードなのか?ということを、日本ではクライマー本人に判断させない伝統がある。
クライミングの面白さは、そのバランスが取れていることによるわけで、難しすぎるものを強いても楽しくない。易しすぎても楽しくない。
怪我などをすると、クライマーは登れるグレードが下がるものだが、その下がり具合も本人しか分からない。本人しか分からないことが分からない師匠を持つと、クライマーは不本意な思いをする羽目になる。つまり、不満が増える。
これは日本だけに独特な現象で、自分が登るところは自分で決めて良い欧米の文化には、存在しないリスクだ。
私は、吉田講習は1度しか受けていない。あとはビレイヤーで登っているだけで、湯川の易しいグレードをオンサイトする、という段階で、九州に引っ越しになってしまった。
つまり、易しいクラックのオンサイト経験を貯める段階に来て、その機会が得られなくなって、すでに3年が立とうとしている。その間、1年も足の怪我で思うようなクライミングはできる状態にない。足踏み中だ。
この3年というのは、夫の転勤のために住む場所が変わり、クライミングを続けていく環境づくりに非常に大きな困難を見出している時代だ。
環境が整わない。それは、主に私の側だけの原因とも言えないようだ。九州は外岩環境は悪い。
大堂海岸は、易しいクラックがたくさん用意されている岩場ではないだろうか?ということで、2017年くらいから、師匠の青ちゃんに「大堂海岸はどうですか」と聞いてはいたが、大阪から遠いということで、実現していなかった。
ので、2年越しということで、大堂海岸の話が来たときは、ちょっとうれしかった。イメージは易しいクラック登り放題!というものだったからで、実際は、そのイメージとは、かなりかけ離れた登攀になった。
大堂海岸に行くには、大分からフェリーに乗る。運転はパートナーと交代だ。私は早めに出て、卑弥呼の湯でひと風呂浴びて鳥栖駅に向かった。鳥栖は、駐車料金200円/泊で停めれるからだ。
私の個人的な意見では、私の車で行けば、誰も駐車料金を払う必要がない。もしくは、相方の家に私の車を止め、彼の車で行ってもいい。燃費的にそっちがいいというのなら。
しかし、そうできないのは、年配のご両親が、女性と二人で行くなんて…という保守的な考えだから、だそうだ。そういう余計な考えがない私からすると、彼と行くための出費として、800円の駐車費用が余分にかかる。こんな感じで、年配の人の古い考え方のために若い人の支出が増えるという事態は社会の縮図ではないだろうか?
行きで運転を半分交代したら、ナビがナビせず、降りる出口を逃してしまい、フェリーの乗船時刻の2分くらい前に波止場についた。かなりスレスレだった。なぜか、このパートナーとは、ピンチを仲良く乗り越える仲だ。他の人との間で、あんまり遭遇しないようなピンチを味わうことが多い。一瞬、緊迫した空気が漂った。
フェリーは夜行で寝て過ごす。山小屋雑魚寝に慣れている、山や上がりのクライマーなら、特に問題がないどころか、毛布が100円で貸し出しされているので、むしろ上等なほう。相方は、豪勢なシュラフ類を車から出してきていて、驚いた。私は、あんまり豪華な装備を持つタイプじゃない…。シュラフもモンベルだし。相方のシュラフは宿泊を共にしないので見たことがなかったのだった。若者らしく豪華な装備だった。若いということは見た目に支払う額が大きいということだ。
朝は5:30に下船。暗くて何も見えないが、乗船が一番乗りだった分、下船の駐車位置も先頭だった。降りて2時間半くらいで、岩場につく予定で、通りがかりのファミレスで、朝ごはんとコーヒーを仕込む。二人ともコーヒーがないと、しゃんとしないタイプ。
岩場に行く前に、案内をしてくれるN村さんがいるキャンプ場へ行く。
10時前にはついたが、非常に快適なキャンプ場のようで、ちょっとうらやましかった。夏は、海水浴客でにぎわうのらしい。
今回、雨で、メンバーが2名、脱落したが、関西からのメンバーを誘った折、「私のテントに寝ていいよ」と言っていたくらいで、すっかりテント泊のつもりだった。今回は、お宿、旅籠郷に泊まるのは、気を使ってもらったんだな~って感じ。
アルパインのクライマーは男女混合で気にしない人が多いが、フリーのクライマーはテントが、車で横付けできるところでしか泊まらないせいか、豪華な個テントの人が多い。
■ 初日
さて、初日の話だ。キャンプ場では、どこかで見たことがある方…。
ああ~、S沼さんとバタちゃんだった。しばし、昔話に花を咲かせる。
数年前、小川山に呼び出しをくらった。同じく、なぜか呼ばれたらしいS野さんたちと不思議な感覚で参加した。神奈川のほうの山岳会の合同クライミングだった。
私とS野さんは、部外者なので、なぜ呼ばれたのかよく分からないまま、登ったのだった。
その時、同じく、なぜ呼ばれたのかなぁ…という感じで参加していたお二人が、S沼さんとバタちゃんだった。部外者同士。
豪華な枝肉が出るバーベキュー大会で、S沼さんがたまたま隣にいたため、吉田さんと師匠の青ちゃんを引き合わせたのに、なんだか上手くいかなかった話をしたんだよなぁ…。
その時、聞いた話では、ばたちゃんたちは、テント泊でも玄米だそうで、興味を引かれた。今回も、キャンプ場での片付け中に、ちらっと見ると、小さな圧力鍋があった。
テント泊でバムをしながら、日本の岩場を旅出来たら、楽しいだろうなぁ。
■ 白いエリア?
私はてっきり、初日は当然ながら、モンキーに決まりだと思っていたら、エリアはトポにない柏島方面のエリアだそうだった。
エリア名は、分からない。白いエリア?最近、ワイドの人たちの間で話題に上がっていた。
ここは民家の間を通り抜けていく。絶対に案内がいないと到達が不可能そうだった。
アプローチは懸垂で、支点は巨大な岩を支点にする。N村さんがフィックスにしてくれたが、ロープが岩角にこすれるということで、相方はローププロテクターを持ってきてくれていた。
私はそういうこととは知らなかったので、登り返し用のギアが、グリグリしか入れていなかった。このFixを設置したところは、ユマールが一つほしいところだ。
相方は、10bでアップ後、ワイドの壁の11Aをしたが、そこへは私はビレイポイントにたどり着くまでに身長上の核心があり、到達することもできない。160あるバタちゃんですら、腹ばいになって、やっとこさのクライムダウンで、落ちたら、海水ドボンのプチボルダー。沢ならお助け紐の場所だ。
ので、私はこの日は完全に傍観で登っていない。自分のクライミングはしていない日だった。
最初にNさんが易しい岩峰の5.10Aをセカンドで登らせてくれているが、私の怪我した足で5.10Aのリードはない。相方とは、分けられて、相方はなぜか、他人のためにリードさせられていた。
例の11Aはモスキートと言う名前の課題だが、相方は登りたそうにしていたし、私がセカンドで登っても、回収が大変なので、セカンドで登りたそうにしている人のためもあり、相方には、ぜひ登っておいで、と送り出した。
しかし、セカンドの人のほうの顔が輝いていたのが不思議だった。ここ登りたかったのかなあ。相方は、なんとかオンサイト。ルーフのところで、今はクライミングガイドとなったS沼さんが「うまい!」と声をあげていた。あとで相方に伝える。
この日は相方は3本、このモスキートのオンサイトが嬉しそうだった。
私は、ザックを置いたところにランチを取りに行くだけにも、自分のスキルを上回るところを登らなくてはならず、しかも、S沼ガイドに迷惑扱いを受けたので、そんな扱いを受けるなら、ここには来ないで、モンキーの偵察でもしていたかったわ、と思ったくらいな登攀日だった。まぁ、相方とどこのエリアに行く予定なのか、相談しなかったのが一番悪い。
お宿に行くと、さっそくお風呂を勧められたが、ぬるい湯しか出なかったので、からすの行水。相方も同様で、すぐ出てきて宿の人にお湯の出し方を確かめていた。
お食事は、噂通り、魚尽くしでおいしかった。ビールで乾杯して、お刺身類を食べている間に、お腹いっぱいになり、ご飯は食べないで終わってしまった。サツマイモに地元の柑橘を入れたポテトサラダが斬新。汁もアラを使ってくれていた。ここはクライマーの口コミで広がった宿のようで、ご主人のほうも、クライマー歓迎のようだった。
■ 二日目
二日目は雨の予報だった。午前中にモンキーに行った。車で、林道の奥まで入ってみたが、非常に荒れており、大丈夫そうなところまで引き返してきて駐車。トポにある下降点を見つけるまで、展望台、というのは立派なものを想像していたら、たいした展望もなく、あまりに質素なものだったので驚いた。倒木やらが道をふさいでおり、とても車では無理だが、クライマーの踏み痕らしきものは続いていた。
下降点から降りると、モンキーはエリアまでいくのに、フィックスが出ていた。持ち手用にノットが結んであるせいで、グリグリ確保での下降ができない。
ラオスでも、アプローチにグリグリ下降が必要な場所があったが、ノットなど作っていないので、楽に降りれてよかったなぁ。この難度だと、私はザックを背負ってだと、握力が重さに負ける可能性があるので、ザックを先におろし、自己確保を架け替えながら、なので、ノットのせいで余計に時間がかかった。
登攀は、5.8のぐいの実クラックにロープをあげてくれ、ありがたかった。彼は降りてくるときに「5.8と思って舐めている自分」とか、言いながら降りてきた。思ったより、渋かったのだろう。日本の地方の岩場は、地方コンプレックスのため、どこもグレードが辛い。
大堂海岸は、フィンガーが得意な開拓者だそうでフィンガーが辛めだそうだ。
ぐいの実は、疑似リードしたら、どう?と言ってもらえてうれしかった。とりあえずアップで登ったら、後は、リードしたかったからだ。昨日のお礼かね?
ロープの表皮が剥けている箇所がある、と相方がやたら気にしていたのが印象的だった。表皮は確認してはみたが、まぁ大丈夫そうだった。師匠の青ちゃんがレスキューの講習をしてくれたんだが、そのときにロープのコイリングの話もやったはずだが、いなかったっけ?カーン・マントル。
ぐいの実は、左肩を押し付けて、体重が分散でき、とりあえずノーテンで抜けれてうれしかった。それなりに長さがある。
フォローで上がってもらい、「カム、どうだった?」と聞いたら、「赤がイマイチだった」とのお返事。あーあ。残念賞。リードのお許しが出るかな。
雨も降ってきたので、他のエリアの偵察へ。四国の道という遊歩道まで戻る。この道をスタートしてすぐにエリアへ下降できるが…どうも巨大ボルダー。ザックを背負っていたら、エリア到達までが一苦労そうだ。とりあえず、雨でもフリクションはいいのだが。
偵察なので、空荷だが、私はそれでも、岩の間にはまり込んだら、登り返せない可能性があると思い、飛び石で飛んでいく相方を手前で待つことにした。岩の間に入ってしまったら、どこにいるか見つけてもらうのも困難化してしまう。相方も、行ってはみたものの、帰りは違う道になってしまったみたいで、傘を紛失していた。
こういう大岩の飛び石…で去年は普段より重たい2セットのカムが入ったザックを背負ってジャンプしたために、飛距離がでず、着地が傾斜面になってしまって肉離れしたので、今回は、かなり私は慎重だ。
最果てのエリアまでも行ってみたいと、四国の道の奥まで、結構歩いてはみたが、下降点が明瞭でない感じだったので、飽きてしまい、時間を持て余す。四国の道は、ボルダーが一杯で、コケだらけではあるが、ボルダー天国にしようと思えば、出来そうだった。
とりあえず、冷えたので、道の駅まで戻り、休憩所で、さんまの姿すしなどを頂く。どうしようかということで、昔のゼロ戦だかを見に行く観光案もあったが、町の遊びかぁ…と食指をそそられない。余った時間が2,3時間で、行っても車の往復で終わりそうなのだ。結局、アプローチの確認で林道の反対側に行ったり、何も見えない別の展望所で、位置関係を確かめたりする。今回はアプローチ偵察ってことだ。
そうだ、明日行くエリアを相談!ということで、S沼ガイドたちに、テントに遊びに行ってもいいですか?とテキストを打つ…と、どうも、こちらに向かっているそうだった。ので、一旦、宿に戻ってから、道の駅にとんぼ返りすることにする。ひとしきり、ベータを貰う。テント泊の人は、道の駅で大抵のものは調達できるうえ、閉店間際は安いらしかった。
我々は、ホテルのお風呂へ。昨日の反省を生かして、500円余分に払うことになっても、お風呂を充実させることにしたわけだった。
宿に戻り、食事をしたら、前日と違い、マスターは早めにお開きにして欲しそうにしていたので、とっとと部屋に戻り、山時間で早々に布団へ。
■ 3日目
私は明け方、怖い夢で目覚めた。リードを強要された、首から下がない男たちが出てきて、後悔しているらしい。「怖い夢を見た」と相方に言ったら、「2度寝すると夢をみるものだしね」という返事で、「大丈夫?」とか「怖くないよ」とか、言われるよりも、なんだか妙に納得感があった。そうか、悪いのは、2度寝のほうか、みたいな。
相方は別にリードを強要はしない。私が全く登れない時代から、知ってくれている先輩だし、私の顔色がさっと変わると、リードを申し出てくれる優しいところがある。
私はまだ、自分が登るべきところが確実に見いだせるわけではない。特に情報量が少ない日本の岩場は。海外のトポは充実しており、登るルートを選びやすくなっている。
以前、アイスの相沢大滝でのことがあった。
これは、私がいきなりすぎるリードを求められて窮していた事件だが、その時救ってくれたというか、キミには無理、と客観的な指摘をしてくれた先輩だ。私もそう思っていたのだが、師匠は、私に登れと思っており、その説得が難しかった。私のほうが経験が浅い訳で、経験値から語られるとそれは反論しがたい。しかし、経験値というものが、いかに偏っており、主観でしかないか、学習中だ。
師匠は、いつもピンクポイントでリードさせたがった。易しくてもいいからマスターで自分で登るべしとすでに教わっていた私の登攀方針と相いれなかった。普通に、誰もが通るように、TR→疑似リード→リードと進むのが、私の希望だった。
ピンクのリードって何がいいのろう。師匠とはクラックのリードもピンクで登らせようとし、喧嘩になった。カムだって、スクリューだって、入れる位置がクライマーごとに違う。そのことは経験では分からないことらしい。
誰かのプロテクションを追いかけたら、岩やアイスとの対話ではなく、プロテクション設置者との対話になるんじゃないの。
■ うねり
3日目はハーバーエリアへ行こうとしてみたが、波が高すぎ、到達できなかった。すごいうねりだった。大自然のパワーって感じだ。大堂海岸は太平洋に面している。外洋に面しているということは、この海の対岸は日本じゃない。
ハーバーエリア偵察で、ラッペル用のボルトを見たので、後学のために写真を撮っておく。近くの木にバックアップのスリングがかかっており、3点でもあるし、みたところボルトは健在そうだ。しかし、相方は見向きもしないで行ってしまった。たしかに降りれるけど、そのあとの帰りが…。これは、あとで自己責任論でひと悶着あった。自己責任というのは、日本の岩場ではかなり扱いが難しい単語だ。
結局、再度モンキーに行き、私は自分登りたい5.7と5.8があるところにザックを置いてきた。3日目は、互いに賢くなり、これはギアの軽量化が必要そうだ、ということで、余分なカムは車において、各自2セット全体で4セットもカムを持っている、なんてことはない。私は小さいザックに詰め替え、ロープバッグは別で持った。
大体、今まで、アプローチ数分、下界とほぼ同じ、の小川山のノリが抜けず、”ゲレンデなんだから、軽量化はいらない”というノリを貫いてきたのだった。シークリフは、軽量化がいる。
相方は、アップの後、私はそのロープでTRでスーパークラック5.9を登らせてもらった。結構すんなり登ったねという相方の感想だった。
スーパークラックは、ハンドバチ効きだが、下部のスタートがプロテクションが悪く、緊張しないといけない。相方は岡山ルート5.10cを一本。核心でテンションが入った。レイバックに入ることは下からでも分かった。レイバックに入ると、プロテクションが取れないので、ビレイも気を遣う。レイバック以外でも登れるのだろうか?
しかし、波が高く、相方のザックがいちど波を受けてしまった。かなり岩場の基部に近いところに置いたのに。外洋のうねりはすごい、ということか。
S沼ガイドたちは遅い朝だったようで、岩場に取り付き始め、アップだろうか?長ーい5.9をやっていた。もしかして、一番弱い私を配慮して、ここはお勧めだよーということだったのかもしれない。そんなことを考えつつ、はるか上にいるクライマーをパシャリと写真に収める。
さて、私の番だ… 易しい課題は、5.7のワイドっぽいお祭りクラックと、5.8のシンクラック系のおまかせクラックが並んでいる。時間の都合上、1本しか登れないのだが…どっちに行くか、で悩む。
前回、竜頭泉で、これは行けると思った5.8のワイドで、敗退しているしなぁ…。ワイドって、5.8でも、5.13クライマーが落ちる系なのだ。登り方が全く違う。お祭りクラックのワイドは、そういうタイプのワイドには見えなかったし、5.7のワイドは、龍洞の岩場では楽勝だったんだが…。タイプが違うように見えた。
結局、5.8のシンハンドか、フィンガーのように見える、おまかせクラックにした。手が小さいのが強みなら、その強みが生かせるかもしれないからだ。
カムのサイズを見極める…。小さい系をいくつか。立てるところで、一ピン目を入れておく。
菊池講習では、技術が確立するまで、カムは50cmおきに入れろ、ということだった。カムのプレースメント技術は、それなりに習得に時間がかかる技術だ。なので、下手なカムも、数打ちゃ当たる的な作戦を、初心者の間は取らざるを得ない。
行こうとすると、相方が3番は?という。実は3番は入りそうなところがあるのは分かっていたが、そこはイラナイ、と判断していたところだった。小さい番手のカムが上に決まるからだ。しかし、スモールカムより、3番のほうが信頼性は高い。いらなくても、追加することにするか。せっかく、指摘してくれたし。
とりつくと、やはり思った通り、シンハンドのところで悪戦苦闘だ。というか、足ジャムが問題で、うまくジャムが使えていない。結局、テンションが入ってしまう。相方のスモールカムの00番は偉大だなと思う。まぁ、効いていないと抜けて落ちているわけで、まぁ、できて当然のことができた、というだけなんだが。妙に達成感がある。
私がクライミングを始めた当初から定番の恐怖ストーリーは、カムが3つ抜けて落ちてグランドしたってハナシだ。
だから、相方がリードしているときは、絶対にカムが抜けませんように、って祈っている。
これを教えてくれた人は、ガイドだが、いかに自分が怖いクライミングをしていたかという話をしてくれようとしたと思うんだが、たぶん、今、私が取り付いている課題には、もう登れないんじゃないだろうか、と思う。クライミングシューズ自体を持っていないかもしれない…。
さて、レイバックになったり、ジャムになったり、悪戦苦闘しながら、3、4回は落ちて、なんとか核心を抜け、核心が抜けたら、あとはフェイス登りでも大丈夫で、岩の尖塔に掛けてある古スリングへ。ビナが3枚あって一枚は開かなかった。とりあえず、スリングは、ひっぱてみたが大丈夫そうであったので、ビナでローワーダウンした。終了点がダメそうなら、懸垂で降りることになる。
降りると、S沼ガイドが、特別講習してくれた。クラックには必ず正対すること、あとは足だ。ワンステップ噛ませるとムーブが作りやすい。ラオスに行って以来、3Dのクライミングは上達したんだが、足ジャムが悪くなっており、改善はされていない。足ジャムがなぁ…
完全にフェイスが使えないクラックでないと、足ジャムは上達しないのだ。私は5.10cの笠間ピンキー、ジャムを使わず登ってしまったからなぁ。あれは2撃で落とせたんだったが…。はるか過去の話のように思える。
帰りは、またちょっと焦って帰る羽目になった。フェリーの時間だ。相方が登りが遅い私のためにロープを持ってくれてた。悪いなぁ。登りは、別に足は悪くないんだが、同年代だと女性のほうが遅い。歩きの無いフリーばっかりしていると、歩きが弱くなるが、別に弱くはなっていないらしいと最近、別の女性と山に登りに行って分かった。これで普通なのだ。
予想より出発時間が押して、港への到着予定が10分前だ。またしても飛ばす羽目になる。相方は運転慣れしており、車好きらしく、所有車種数で行くと、7台目なのだという。それは、よっぽど車好きなのだろう。つまり、運転は安心人材ってわけだ。
私は女性なので、まぁ男性よりは運転は慎重だが、一般の人の、女性は運転下手という思想に便乗している。運転は嫌いではないが、プレッシャーの中で運転するのは嫌いだ。
港へ着くと、今回はゆとりをもって乗船でき、2度目なので乗船チームワークも良かった。夕暮れ時で、美しい夕暮れの中、フェリーは進んだ。
夜中の九州道を飛ばし、私は鳥栖から、さらに1時間の道のりを三瀬越えで帰った。
全体に、柏島の海がきれいで気分が盛り上がった。
登攀のほうは、ぼちぼちだ。
この足、早く治らないだろうか…。
まだ、脱臼した右ひざは、完全に伸ばすことができない。
半年経過したが、痛みは増してきているようにも感じられ、思い切った動作を行うことはできない。
着地なんて、もってのほかだ。
そういう事情を分かってくれて先輩は、大堂海岸を誘ってくれたわけで、ありがたいなと思っている。
いい時に友達でいることは易しいが、悪い時に友達でいることは難しい。
男性は圧倒的に体力差があるので、私と行っても、アプローチが核心化してしまう。
そのあたりも、一緒に行ってみないと、そういうもんだ、ということが、一般には男性クライマーには女性と登った経験値が少なすぎて、分かりづらいのだ。
今は、会で登る時代が終わり、個人の時代だ。
会で登っていた昔と違い、普段、男性としか組まないクライマーは、気が付くチャンスがない。
ので、今回は雨で、ちょうどよかったと言えば、良かったのかもしれない。