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宇宙全体の中で、あなたがやるようなやり方というのは、他の誰も真似することは出来ません。
あなたが表現しているようなやり方は、今まで誰もやったことがありません。
今もいません。これからもいません。
ですからあなたは、いわば多面体の水晶の一面みたいなものです。
自分で意識していなくても、あなたの生き方から周りの人はすでに学んでいます。
宇宙というのは、全然意味のないことはしないのです。
偶然もありません。
あなたが生きているということ自体もそこに理由があります。
そして、あなたが人と交流する時、相手から学ぶのと同時にその相手にも学ばせているのです。
バシャール
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■ 9時間前の佐藤さんの投稿
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佐藤 裕介
9時間前 ·
こちらも随分と告知が遅くなってしまったROCK & SNOW 095。ここで昨年行った瑞牆開拓、ルート紹介と現人神(5.12b)のオンサイトなどについて書きました。
なんだかクサイ紹介文ですがロクスノの物をコピペしました↓
瑞牆 復活と再生 十一面岩マルチピッチ開拓の日々
初級から最上級まで、無数のマルチピッチルートがそろう瑞牆山。2021年、そこに新たに5本のルートが加わり、さらに2本がフルレストアされた。開拓再整備を主導したのは佐藤裕介。3年前、パタゴニアでの事故で瀕死の重傷を負い、どん底を味わった彼の再生の地となったのが、ここ瑞牆山であった。
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https://www.yamakei.co.jp/products/2821906340.html
■ 弟たち…
元彼のデイビッドがアメリカから持ってきたマッキントッシュSE30をついに処分しました。リネットジャパンから、処分報告が送られてきた…。まるで、”私のサンフランシスコ”が、終わったような、そんな寂しさが…。
日本から出たい出たいと思って大きくなり、15歳で留学先を見つけてきたのに却下され、やっとめぐってきた機会を掴んだのが、カリフォルニアでの就労でした…あの時代が一番楽しかった…最も幸せな日々でした。二日働く以外は、ずっと、教会でホームレスに炊き出しのボランティアをしたり、エイズ基金のための古着屋でボランティアしたり、アンティークショップを訪ね歩いたりし、町の中のカフェで英語を勉強していると、どれどれとおじさんが助けてくれたり、自分のクラスに混ぜてあげるという大学生とか、隣のおねえさんが友達になってくれたりとか…、そうして英語を学びました…。自分で考えて、そうするのが生の英語を学ぶことになると思って、わざとやっていました。
サンフランシスコでは、6回引っ越したんだよなー。懐かしい土地、サンフランシスコ…まさしく、青春の町。ゲイの家はひどかったなー。レズビアンの母子家庭に部屋を得たときは、恋人のデイビッドと二人で行ったので、嫌じゃない?と聞くと、ヘテロの人たちの在り方を娘に見せたいのだ、という話でした…。気に入っているカフェは、ガンショップの隣で、レズビアンがやっているカフェだった。デイビッドが私を心配して、小銃を持たせてくれたこともありました。私がさらわれそうになったからです…。私は体、小さいのでさらうの簡単です。
コロナ時代になり、日本にいても、LGBTの人たちをどう社会に含めるか?というような話がどんどん流れてきます。
だとしても、日本がアメリカに追いつくのは30年では足りないよう… なので、やはり、自分だけの幸福、を考えていたら、あの時点でアメリカに残っていたら良かったな…とか、思わないでもないです。ま、思ったところで、仕方がないんですけどね…
大学が2年残っていて育英奨学金を返済しないといけないという現実があったとしても、私が思想的に全く合わないと分かっている日本という国を選ぶことは、逃避という選択肢だったのか?
でも、どんなにあほな奴でも、弟のほうが可愛いですよねぇ?そんな気持ちです。どんなにしょーもない奴だと思っても、家族だし、みたいな(笑)。
それが私が持っている日本の男性、日本の因習に縛られた社会、日本の登れる方が上とか思ってるアホクライマーに対する気持ちです…
九州の人からは、「え”ー、君がクライミングパートナーにして、怖がってきた人って山梨時代の先輩じゃん、俺らかんけーねー」という声が聞こえてきそうですが…
そして、それは全くその通りなのですが…
彼は、山梨では、元から持っているイケイケな資質…男の子は、過信しがち…と子育て本でも言われてる過信という資質…を上記の佐藤さんのような人たちの在り方を見ていることで、予防されていたのでした…。”やらかしそうだから、気を付けてやってくださいね”というのが、彼と組む場合に言われることでした。
そう…やらかしそうな人は、みんなで見張っているのが、山梨のクライミングでした…おもいやり、というわけです。命を守るために、見張っている。
実際彼にも、ショートでカムでロープスタックさせたりしていると指摘してやっていましたが、返事は、「えー、なんだよ」ということで、事の大きさが分からない様子でした…だから、インスボンまで連れて行って、私の師匠と無理やり組ませたのです…。彼は何年もヨセミテにトライしており、その様子を語らないところを見ると、全然、登れていないのでは?と思えたからです。何しろ、普通の5ピッチ程度のマルチでも、卒なくは登れていないのに、”登れた”と合格点を出してしまう…過信してしまうような子なのです… でも、どう考えても、そのまま指摘して聞き入れるか?というと?聞き入れないので、
在り方で示す
しかありません。それでインスボンは私が怪我をして、歩くのも、やっとな状態でしたが無理をして連れて行きました… たぶん、それでも師匠のロープさばきから、彼が得るべきものを得たか、は疑問ですが…。
こうした思いやりの連鎖…がない…のが、九州でした…。
なんというか、みんな、自分が登れる奴であることを証明するので一生懸命?
誰も相手の命を守る義務があると思っていない…。それどころか、こんなのすら登れねーのか…とか、落ちろよ!とか…
…なのに、結び替え一つとっても出来る人いないし、ビレイは超懐古調で危険だし、ボルトは40年前だし… 簡単なところではセルフは要らない、とか言っているし…。
ひえ~!そんな”あり方”で登っていたら、事故が起きるのは必然です… まるで事故を起こすためにやっているかのようです…(汗)。
それでも、怖くない、というのが、かっこいいと考えられているようで、その文化的土台が、もともと九州生まれの彼の資質とマッチしてしまったので、せっかく山梨で作ったブレーキが外れてしまった…
さらに言えば、彼の元々持っているクライミングカーストが有効化されてしまい、俺の者は俺の物、君の者は俺の物…で、私の新品のロープで、自分のオンサイト課題を登るし。
俺が登りたいところは俺は登る、君が登りたいところは君が登る、ということで、私の課題のビレイは誰もしてくれなかったのでしたし、君が見つけたクライマーは俺の者、で、パートナーも同じことでした…
というか、私は、ただのもっといいクライミングパートナーが見つかるまでのつなぎ、として使われていただけだったのです。私はビレイが確実なので、山梨時代から、困った時しか来ない人でした…。
そういう風に利用されたな…という悲しい思いがありますが、私は早くに弟を亡くしており、年下の男は全部、弟にしか見えない… ション便垂れの…泣き虫の…
アメリカから帰ってきたときと同じ気持ちで、それでも、やはり、日本の人のために、何ができるか?と考えてしまうのです。たとえ、利用された、にしても。
■ 高みへのステップ
登山研究所の 高みへのステップ が37年ぶりに改訂されたそうですが、福岡の岳連のサイトを見ても、その旨リンクが張られている様子はありません。そもそも、やる気の減退から、存在しない感じな福岡県の山岳組織。
リンクはこちらです。
UIAAの『登山総合技術』はこちらです。
https://www.yamareco.com/modules/diary/1884-detail-221761
九州では、年配の人は、もう、教えられる年齢を通り越して、引退や隠居というレベルです。
高みへのステップは、37年ぶりということですから、そうしたベテランたちがサボってきたというよりは、国そのものも、サボってきた…若者を見捨ててきた…ということで、
集団サボタージュ、
ってことです。日本では、赤信号はみんなで渡れば怖くない、ということになっていることの証明です。
なので、みんなに合わせることは、時に間違いを平然と犯すということになります。
それは、クライミングにおいては、死を、時に意味します。
みんなが出来ていないから、自分もできなくてもいい、というのは、特にクライミングでは、全く、当てはまりませんから、各個人で、自分で勉強しましょう。
私自身は、そうやって、やってきました。