■ ボルダラー事例
しばらく前に、3級しか登れないボルダラー君が2段をノーマットで登るとか言うんで、2段をノーマットで登れる実力というのは、マットアリなら4段、5段が登れるという意味だと知らないんではないかと思った…
日之影ボルダーと言えば、小山田さんが開拓の話をアップしてくれている。ので、そういうのを見ていたら、マットこうやって敷くんだな~とか、色々周辺の情報が拾えるものだと思うんだが…
そういうのを、「えー、どうせ取り巻きやら何やらがうようよいるんでしょ」とか言うのである。
…。
そんなの見たことないぞ?
つまり、ジェラシーで狂いそうになるから、見ないという意味なのだろう…。
なので上級クライマーが成果を発表すればするほど、正しい知識から一般クライマーは遠のいて行ってしまい、グレードだけを求めるようになってしまう。
突き詰めると、誰が一番強いか競争を、誰だって勝てないよ~なレベルの相手にすら、してしまって、それを自分の力では、手放すことができないでいる…惑業苦にハマっている…のが、並みの男性クライマー君なのだろう、と想像ができる。
だって小山田さんですよ?対抗するほうがアホらしいのでは…?
トップクライマーの投稿を見ないのはいいけど、
含まれる役立つ情報、まで捨てている
ので、
ノーマットで登る、ということの解釈が、てんでさかさま
になってしまっているのである。3級しか登れない俺が2段をノーマットで登ったら、みんなが愛してくれるだろう、と思ってしまうってこと…。
なんでこうなるか?というと?? 羨ましい心、を捨てれないからだろう…。
■ 繋ぐ壁
知り合いのクライマーに、「繋ぐ壁、良かったよ!」と言ったら、見る前から、世界クラスクライマーの自慢話だろうと予見して
ーーーーーーーーー
いや、ジャンボ&倉上の屋久島話を聞くといたたまれなくなりそうなので、情報シャットダウンしてます
ーーーーーーーーー
とのこと…
またもや、男子のガラスのハートを感じた瞬間でした…
繋ぐ壁って、5.3の壁のことなんですよね(笑)
彼は屋久島でローカルの人に、ばかにされた経験から、見返そうと頑張っていますが…別にもういいんじゃないかと思うんですが…。
なんせ、私の知る限り、彼のほうが世界でトップクラスの人たちと登っており、すでに実力自体も上なんで…。
しょうもないエゴのぶつかり合いにそこまでこだわらなくてもいいと思ったりしました…
俺のほうがスゴイというドラミング活動に、こだわって勝たなくても…もうとっくに勝っている。
私自身は、グレードを上げるために登れ、というのにどうしてもなじめず、九州では全然クライミングやる気になれない。それどころか、シラケ切っています。
あのヒドイ 白亜スラブ以来…自分のために岸良クラックは行きましたが、私の登攀を手伝ってくれる相方は誰もおらず、なんだ都合の良い女扱いされていただけだったんだ、と目が覚めた瞬間でした。
■ 年齢も性別も問わずできるのが、クライミングの良さですよ?
世界のトップに立った人たちが感じる、
クライミングっていいな♪
っていうのは、私がラオスに行ってクライミングっていいな♪と思ったのと同じ部分ってことです。
誰も
”トップクライマーにならなきゃ、お前を愛さない!”
とは言っていないのに、一人で勝手に俺だって!と思っているのが、男子なのです…
男子って言っても、50代と30代後半の人ですが、前のパートナーは40代だし、その前は師匠なので60代、その前も50代の人ですから、男性はいつまでたっても、尊敬されるために登っていて、自分のため、つまり楽しいから登っている訳じゃないみたいなんですよね。
なんだかなぁ…。
■ 尊敬されるために登れるヤツになろうとしているのに…
だから私のように、5.9しか登れないのに愛されるクライマーが出てくると…?
ずるーい、ということになるのであろう…
と、想像…女性でも競争心が強い人はそう感じるようです。何度も納得した珍事件でした。
クライマーとして尊敬できるか?とか、そんな基準で自分を計っていると、どんどん弱い自分を許せなくなります。登山もそうでしたが、クライミングは遊びなんですよ? 人生を良くするためにやっているのがクライミング。
自尊心を掛けるから、変なことになります。日本で起こっている毒は、グレード偏重、とそれに紐づいた、ピラミッド式尊敬システム、です。
人は人であるだけで、すべからく存在を肯定されるべき存在です。
ヌンチャクで作る担架