2022/04/17

苦を明らかに見る…日本のクライミング教育に欠けていること

■ 被害者排除の世の中

今日のおかもん仏教説話では、被害者救済されない…と苦しんでいる人が気の毒でした…。

現代社会が、「やったもん勝ち」みたいな世相になっているので、被害者排除というか、納得できない勝者が続々と生まれていたりするので、その陰に、なんだか理不尽な思いを抱きながら、え”ーと思っている多数の人がいます。

例えば、クライミングでも、私には、たった4級程度のナメ滝登攀でしかない雌鉾岳の大滝アイスが4ページ(だったっけ?)で、歴史に残る二口渓谷のアイスピラー‥‥どう小さく見積もっても6級…の記録が、なぜ同じロクスノに2行なのか? はぁ~??って感じでしたが…。

この矛盾を突き詰める…苦の原因を突き止めると…?

 ロクスノ編集部の登攀の記録を見極める能力が、過去最大級に低下している

としか思えないのですが…。

きちんとした記録が評価されておらず、ただなんとなくかっこよさげに聞こえているものを取り上げたとしか思えない…。

つまるところ、無明…、普通の言葉で言えば、無知、ということにしか思えないです。

■ 無知こそが敵だが、ちゃっかり組がそのままなのは、いただけないねぇ…

まぁ、そういうわけで、その被害者…上記の事例では、二口渓谷の記録的な登攀をした方…ということになりますが…、には、私は同情的です。

同じようなことで、会社でのいじめとか、色々理不尽な目に合って救済がない…という世界がよくこの世では起こります。

■ 過去の試練

私の場合は、親がしっかりしておらず、大学に行くのが大変だった…という試練が最初にありました…全額自腹で大学出ましたけど…救済も別になかったですが… なんとなく、この試練では、試練が逆に私を良くしたような気がしました…人生万事塞翁が馬と思えた。

一方、最近経験していること…”相棒のエゴを満足させる道具に利用されているのでは?”という気持になる出来事…例えば、白亜スラブとか、大堂海岸での出来事…私のロープで自分のオンサイト課題をオンサイトするとか…は、微妙に、人生万事塞翁が馬、つまり、自分にも得るものがあった…と、そのように思えることがなく、気が付かず、うっかり悪の手先になってしまったような…そんな苦々しい思いが、私を苦しめています。

つまり、最初に 

 ”「敗退なしで!」と元気よく言われたときに気づけよ!自分”、

みたいな後悔とか、

 ”ロープを気軽に相棒に貸すもんじゃない!自分”

とか、自分の脇が甘かった…お人よし過ぎだぞ、自分!とか…それは、なぜ起こるのだろうか?原因究明が出来ていないと、次々とこのまま起こり続けるのではないだろうか?という

 自己疑念

です。 自分が信じられなくなるというのは、なかなか手ごわい敵です。

人に利用されたのでは?という思いが消えないのは、なかなか苦しいものです。

■ 命の耐えられない軽さ…

苦しめるようなちゃっかりした人は、ちゃっかりしているだけに、そのことをラッキー、得した~とくらいしか考えていないと想像されるのも、なかなか苦しいです。

それは、突き詰めると、

 相手にとっては、ワタクシのこの命、軽ーいってこと

ですから…。 いくら男性の精神的成熟が遅く来るという、現実的な事情を考えて納得しようとしても、
  
  自分の命は一個しかない

ので、あーいいよ、いいよ!とはなかなか言えませんね。

日本のクライマー業界では、あーいいよいいよ!お前のポカで死んでも…っていうのは、アリなようですが(横山さんの事例から)…私のは、ポカではなく、ただのエゴですからね…

二人ともダブルロープ60を持っていたんで…。ちゃんと企画段階で突き詰めていたら、避けれた非常事態なのでした…

というか、企画段階でロープを相談するというステップを知らない人だった…つまり、私の方がカバーしてあげないといけなかったという事例と念じていますが…。

ほんと、用心に用心を重ねているつもりでも、躓いた、という、

かなり強固な用心…別名、不信感とも言う

を作る経験になっています。

なんせ、5.11がインドアジムで登れるから、北岳バットレス四尾根にいきなりマルチ1本も行っていない段階で挑戦すると言ってきた以前の相方を、「あれ行かなくて良かったですね」とか、言ってくれた人なので、油断してしまいました…

このようなスキ、が私の欠点だというのが、分かったのが良かったのかよくなかったのか?
かなり考えるのに時間を擁しました…

他に、相手が余りクライミングの安全について理解していないことがうかがえる事例がたくさん、私の経験の中にもたらされていたのにもかかわらず、私はどんなエゴに負けたのでしょうか?

色々な岩場を訪ねたいというエゴ? あるいは、弟をどうしても重ねてしまうという過去の傷?

言葉の端々にすでに表現されていた、そのシグナルから、読み取るべきことを読み取れずに過ごしたのではないか?と思うからです…

■ パートナー次第

クライミングは、パートナーシップ次第で、花咲きもし、枯れもします。

私のインスボンは、完全に青ちゃんからのプレゼントです。マルチで、ロープアップがされないとか、そんな変なことが起こらない完全安心人材でした…。もちろん、こちらも、そう言うことがあったとしても、対応できる力はつけてから、行きましたが…。

自分が恵まれたクライミング環境にいたことをつくづく感じる九州クライミングでの経験です…。(九州の人と登ったわけではないにもかかわらず)

ボルトが40年前の者であるのとは、別にして、根源的に日本のクライミング教育に欠けているのは、敗退を確実にしてからチャレンジをする思考回路を教えること、です。

 古いルートでは、5.9と書いてあっても、5.12Aであることが海外の雑誌にも書いてある

 日本の雑誌はこういうのを書いておくべきですね。