■不浄観
・不浄観は特に貪欲・色欲(性欲)の強いものにこそ推奨される瞑想
・逆に厭世観の強い者や瞋恚の強い人には推奨されない
・厭世観の強い者がこれを修すると自殺してしまう可能性がある
・瞋恚の強いものがこれを修めれば、その不浄なる対象に対して嫌悪・怒りを覚え、逆に瞋恚を強めるなど、逆効果となってしまう
不浄観(不浄=死体を眺める)という瞑想です。
肉体へ対する執着が強い人(=性欲が強い人)が行うべしとされているそうです。
つまり、ポルノ雑誌ではなく、死体雑誌を見よ、というのが、性欲に対するお釈迦様の回答。いや~、お釈迦様、現実主義者ですね。
■ 20××年に亡くなったクライマーたち…という死の見つめ方
The Climbing のサイトには、その年に亡くなったクライマーの写真を集め、実名公開しているサイトがあります。
なぜ日本のサイトでは作らないのかなぁ…
日本では、若い男性と高齢初心者の男性の死亡率が特に高いです。
若い男性クライマーが実力をはるかに超えるルートに行って死んでしまう理由は、3歳児の子どもが親元を離れて行ってしまうのと同じ、”無敵神話”によるものです。つまり、現実的にリスクをきちんと解析してやっているわけではない、です。
つまり、自分の能力への幻想や登りたい夢のほうに、思考が向きすぎており、
客観的に何ができればどこに行って良いのか?
という計算のほうが、お留守気味、というのが、全年齢層の男性に適応できる法則のようです。
なんせ、事例として10年クラックを登っていても、カムの配置が悪くてロープをスタックさせてしまう程度のクライミング習得度でも、とっても自信満タンにしてしまうのが、平均的と思えるクライマーの自信のあり方、なのです。グレード偏重主義の弊害ですね。
用心として、全般に 男性クライマー 自信過剰気味…
■ 他山の石…実例が足りていない
亡くなった人のリストやその原因の究明から、学ぶことができれば、他山の石、です。同じことを繰り返す愚は避けられるでしょう。
今後多くの人が亡くなっていくでしょう…アルパインの技術伝承がより困難になっていく、ということ以上に、その死を無駄にしないためにも、こうしたサイトの整備は、
同調
が、基本的な行動原理の日本人には、非常に有効でしょう。
同調が行動の基本原理だから、槍に65歳で初めて登山を始めた人が、「夢でした!」とか言って、渋滞を作ってしまうわけです。 渋滞=危険、という発想がない。
夢でした!と言えば、人としての掟的に誰も反論できないのが、高齢者にとっての”夢”。
しかし、その言葉自体が、同調したい、仲間がやっていることを自分もしたい、という程度の幼稚な欲求から発せられたものですから…。
そんな愚かな理由で、山で死なせるほうが、人としていかがなものか?です。
とは言っても、そのままストレートに言うと角が立ちますから、どのような経緯で山での死を迎えたのか?死者に語ってもらうのが、最も穏便な手段であると思います。
https://www.climbing.com/people/climbers-we-lost-2021/