■ 自分を愛す
おかもん先生に、親孝行への罪悪感を抱えている人は、自分を愛せない場合が往々にして多い、という指摘を受けたので、研究中。
正常な自己愛が必要というのは、私自身、中学を卒業して、高校に入学した時から知っていました…。私は高校高専に行きたかったのですよね…、その道であれば、私は自分がしたいこと=プログラミング、で18歳から働くことができると思ったからですが…。実は、最近、仏教説話を主催したのですが、その場で、高校高専で教えている起業家に出会い、私が14歳で思考したことは、正解だったのだと分かりました。14歳の私は大人の権力に負けて、先生が自慢になる、学校が自慢になるという理由で、熊本高校へ進まねばならず、不本意な道を選びました。結局、パナでエンジニアにはなりましたが、私が目指したようなシリコンバレー系の仕事ではなく、制御系…その後もメインフレーム…ずっとレガシーと付き合っているわけです。 クライミングでもなぜか似ており、レガシーとの接点が多いんですよね。
さて、
過去の栄光は大切にしなければいけません。
しかし、
過去の栄光によって、現在の現実を見る目が曇ることがあってもなりません。
過去に
偉大だ、とされた基準
は、当然ですが、現代にいたると
更新され
ます。記録が塗り替えられることは喜ばしい事です。たぶん、記録に出てくるヒマラヤやパタゴニアなどの海外のルートの表現が、
距離、累積標高、登攀のピッチグレード、気温などの天候条件…など
、端折られて書かれ、どこそこを登った、としか書かれていないせいだと思いますが、ヒマラヤの山の名がついていたら、内容が高尾山に登るようなものでも、誰でも、すごい!と騙せてしまいます。
逆も発生し、本当にすごい山をしている人たちも、「どうせ高尾山」と思われてしまうわけですね。
とくに、現代の登攀…のけた違いのスキル差、というのは、元々がストレートシャフトのアックスで登っていた人には、わからないかもしれません。
私が感じるM5とM6の差はめちゃ大きいです。WI5とWI6はすごい差です。いかんせん、WI4が楽勝なので、WI4とWI5くらいの差を鑑みると、同じペースで違いを感じてしまうかもしれないんですが…杞憂なのかな?
これはアイスでの話ですが、フリークライミングの基礎力で上がった登攀力を持つ人たちについても、同じ誤解があるような気がしないでもないのですが。
■ エゴの声
ほんの少しの選ばれた人しかトップクライマーになれなかった時代 → 誰もがトップクライマーになれた時代 → ほんの少しの… → …と時代は変遷しているのかもしれませんが、実際はどうなのでしょう…?
過去の栄光を引き継ぐ若者たちをサポートする、
バックアップするような視点で、エゴの声を捨て、
未来を育む方向へ、一致するような方向性
が日本の山岳上位団体には必要とされているような気がしてなりません。
そして、それを邪魔しているのは、この動画にあるようなエゴの声のような気がしてなりません。