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2023/08/31

【仏教】告解と自浄ごい

■告解と自浄ごい

今日の仏教説話。

チュッリパンダカが、掃除から、心のチリと垢を払うのが大事だと悟った話。

この話、何度聞いても、「あー、お兄さん可哀そう…」と思ってしまいますね…。

私は勉強がよくできて、100点取れる子どもでしたので、先生に「ほかの子にも教えてやって」と言われることが多かったのですが、教えても、みんなできないんですよね…。

特に、弟。弟の数学とか、こっちがキーっとなって、すぐギブアップでしたね…。そもそも、相手も教わる気がないし。

クライミングも同じでした…。

「カムでロープスタックしてるよ~」

「なんで、そんなこと言うんだよー!!!」と頓珍漢な答え=怒ってるけど、その怒り間違っていますけど?

なんでって…、そりゃ、登れなくなるからですよ… 

子どものころは、馬鹿につける薬はない、と思っていました(笑)。

大人になってからは、これは…と青くなることが多い…。

というのは、こういう知性の人がリーダーだと、それにぶら下がっているメンバーの人、全員が間違った考えを受け入れてしまうからです。リーダーの知性=メンバー全体の知性。

日本のリーダーをやっている人たちの知性が下がっていることは、政治家の様子を見れば明らかでしょう…。

そのために、庶民が割を食っていることは、各国比較でも明らかでしょう…。

まさに起きていることは、すべて正しいみたいな感じ。

クライミング界は世界の縮図。


バカに付ける薬=レスキューなのかもしれん・・・



2023/04/03

日本人男性の被害妄想と自己誇大妄想は根深い

■ 優生思想を物知り顔で説教してくる人

が今日は、毎朝聞いている仏教説話のコメント欄でおり、めちゃ驚いた。

お釈迦様は、皆が知っているように、子供を捨て、王族の出自を捨てて、家出して、出家したんだが…、

子供を育てるという男親としての義務を放棄して、したいことをするのがいいんだ、お釈迦様だってそうしたんだから、という


 自分に都合の良い話
 

に解釈されていた。その上、根拠に持ち出したのが公共性。お釈迦様の説法は、多くの人を後々救ったんだから、少数の人が犠牲になるのはOKだと。

それは、間違った思想だと歴史が証明していますよねぇ?

その思想によって人類は、大量殺戮を行ってきた。

さらに、追い打ちをかけるように、子、ラーフラの立場の人(捨てられた側)への共感が足りないと指摘すると、

近視眼


だと…。どこまで日本人の男性はエラソーなのか?と思いました。

これら3つの発言の背後には、自分のほうが間違っているのかも?という発想は、微塵たりともない。

後で救われるから、と言って、その時、受けた傷がチャラになるわけではない。体の外傷が治ったからって、怪我をした事実が消えることがないのと同様。

罪もチャラにはならない。アングリマーラが罪を償ったのと同じく、誰の罪も償いがつきものだ。 それがお釈迦様の教えであり、因果応報だ。

■ お前が、なぜ私よりこの事例について語る上で、上だという前提なのだ?

子捨てに関しては、体験者である、つまり、父親に捨てられた子供である、私の言葉のほうが真実を語っており、経験したことがない人が、俺のほうがあっている!と主張する根拠は希薄だ。

当事者の立場にたったことがない人、親のスネを好きなよ-にかじって生きてきただろう、甘ちゃん男に、近視眼呼ばわりされるような筋合いではない。

しかも、推測に過ぎないが、私のほうが仏教の仏典すら、勉強している時間は、その当人と比べて長いと思われる。別に比べようとも、仏典(ダンマパダ等)を読んでいると、自慢しようとも思わないが。

■ 俺が被害者という前提

そもそも、この話は、語る際にスキルが必要な話だ。

上記の俺様族のような誤解を、日本人男性はし易い。

というのは、日本人男性は世界的に見て、男性として以前に、人としての自立を男だからを免罪符に、免罪されているからだ。その証拠に、料理と家事ができる男の数が圧倒的に欧米と比べて少ない。

男としての責務ではないですからね。食べて身ぎれいにするってのは、人間としての基本スキルで、性別は関係ない。

■ 子供をもつことが被害だと思っているとは…(汗)

さらに、子供を育てるということが、男性としての自由を奪うものだ、俺は子供を持つことの被害者だ、という無意識の前提がある。

結婚についても同様。俺は妻に騙された、と思っている男性は多い。

いいですか?子供を作るか、作らないか?は、男性の意思決定でもあるんですよ。

セックスしないと子種は仕込まれません。そんなのは小学校で学ぶことです。

したかったのは、お前だろ?です。特に若い頃、女性でセックスしたがり、の人なんていません。

大体、大学では、女性はハメられてやられている事実が証明しているではないですか?

私はアメリカにいる頃は、妊娠だけは避けたいと思って、念のため、ピルを飲んでいました。男性もセックスだけして子供がほしくないんだったら、子種が無いような薬でも飲んだらいいんじゃないですか?

そういうものが普及しないのは、子供ができても男性は免罪され、責任を取らずに済むからです。

男性が責任を取らずに済むのは、産む性の母親は情が厚く、産ませる側の男性は、どうせ俺が捨てても子供は育つんだよね、とちゃっかり便乗しているからです。 

お釈迦様が犯した過ちはこれです。いくらお釈迦様が、後で偉くなったところで、親無しで育って子供の悲しみが、その事実だけで、プラマイゼロになることはありません。

仮にその経験が良い経験だったと言えるようになったとしても、それは子の努力の結果であって、お釈迦様が犯した罪の正当化にはなりません。

■ 最悪なのは、扶養者がいないまま命がスタートしてしまうこと

自己責任で行ったことを途中で責任放棄するような親に生まれてしまった子供は大変です。

趣味でしかない山登りで、アホみたいな事故で、コロッと死んで、身重の妻に子供を残す男性とか最低です。

解説者は、お釈迦様は、この子捨ての罪に関して、どのような反省をし、どのような償いを行ったのか?もっと詳しく解説してもらいたいものです。

■ そもそも、欲を捨てろという話ですよ?

そもそも、四門出遊は、子を捨てたことにポイントがあるのではなく、

 女性のあられもない姿に幻滅して、性欲を捨てた、

って話です。

 死に直面して、自分も死ぬのだと理解した

がその次です。 さらにいえば、病気の人を見て、

 自分も病気になって死ぬんだな

とか。すべて、根拠のない万能感を是正するもの です。

そういうポイントをきちんと習得せず、

お釈迦様だって子供捨てたんだぜ-、だったら俺も、ちょっとくらい間違ってもいいよねー、だって人間なんだからー 

というのでは、単なる我田引水で、お釈迦様の法話の悪用です。

それこそ、相手の立場に身をおくことで、生病老死を理解する、というこの法話の根本の肝心のところを捉えそこねているだけではなく、この説法の狙いとは、全く正反対の解釈をしています。

このような感想を引き出すような説法では、説法士、失格ですね。 

無責任男に自信を与えてどうするんですかね?


 

2022/08/08

セラピー的だったおかもん先生の訪問

■ 家族との関係

私は18歳で家を出たのですが、親元を巣立つときが来たことを、母をはじめとする、家族に理解されず、「家族を捨てた」と非難されました。長女だったので、初めてのことだったからです。また、取り立ての電話が学生寮にもかかってくるなどと、現実的にも家族から迷惑をこうむっていた、という事情があって、実家とは縁遠く、弟の急死の前、8年間ほど、弟には会っておらず、でした。
 
まさか、そんな早くに弟が亡くなるとは思っていなかったのです。死に顔の弟が、実家から出た後、最初に見たお顔でした。
 
つまり、実家との関係修復という課題解決を、プロクラスティネーション(後伸ばし)していたということです。
 
■ 後伸ばし
 
同じことで、恩師の村上講師が亡くなった時も、
 
何年も、「アルパインの危急時講習を開いたほうがいいのでは?」とずっと思っていた
 
のですが、開催の前に、村上さんは亡くなってしまった…。
 
(ただ、この件は、福岡は三福田ではないので、私が主催して差し上げることは、善ではなく、開催は無に帰すことが明白だろう、と今は分かる)
 
■ 年配者(母)への心配
 
最近は、米澤先生はじめ、母の年代の往年クライマーの衰退ぶりを目の当たりにすると…例えば、多少ぼけて、取り付きが見つけられないとか…などと、母の年齢が気になり始め、年配の人との接点でパニック気味… 祖母の時は80を越えてから対応したら遅すぎたからです。
 
ふいに
 
   このまま、母にも弟と同じことが起きるのだろうか?
 
と心配がもたげてしまうわけですね。
 
■ 女性との関係(妹)
 
女性との関係性では、妹(=私を親と勘違いしている人)との関係性のためか、相手ばかりが、一方的に話しまくるという、相談相手にされてしまうとか…もうね…。
 
(これは、相手の精神年齢の問題かもしれませんが。大体、女性はそのために苦手)
 
■ 投影
 
つまり、私は、父、弟、母、妹、と家族のメンバーの全員を、誰かに投影しているのではないか?と思います。
 
■ 罪滅ぼし
 
そして、必要のない罪滅ぼし…を必要のない相手に向けて行おうとしている!
 
そして、それに 便乗する、ちゃっかりした人がいる! 特にクライマー業界!
 
■ 成功ではなく過剰適応

私がこれまで、
 
 学校では、オール5の優等生
 進学では、親の金を使わず夜学で国立四大を卒業、
 米国では、働きながら自活生活して語学習得、
 社会人経験では、氷河期なのに、ロボット開発部から個人事業主へと自立
 登山では、普通の人は来ない雪の山へ
 あるいはクライミングでは、UIAAのアルパインサマーを出版する契機をつくる、
 
などで成し遂げてきたことは、
 
 成功と達成の歴史 ではなく
 
 過剰適応の歴史
 
かもしれません。
 
過剰適応して限界化し、それを周囲に理解されないため、”もっともっと”と望まれるということです。
 
 周囲に理解されない=アトピー、膝の怪我 

自分の行きたいところに、どこでもついて来てくれるビレイヤー=ドレイヤーになりたくて、
 
私は登っているわけではない。私が私の山を紡いでいたころは幸せでした…

俺に行きたいところには行くが、お前が行きたいところには行かない、となったら、全然幸せではない。
 
■ やむを得ない結末を受け入れる
 
おかもん先生とお話していると、自然と家族の話になり、先生の
 
 東大クラスの頭脳
 
で考えたとしても、家族と私の関係性の修復が、私だけの心的態度によるものではなく、ある意味、やむを得ない事情を抱えているのだと、全く利害関係のない先生の頭脳によっても解釈できたので、大変セラピューイックな機会になりました。
 
なんせ世の中に私自身より頭が良い人を見つけるのは、結構、難しいんです…なんせ、普通にしていても、中学までは、校内で1番か2番かみたいな成績しかとったことがなかった、ということは、500人に一人くらいの偏差値なわけですから… 熊本高校は、各中学のトップ1~2名しか来ない高校だし…大学は遊んで卒業できる大学ではなかったですし。

とはいえ、学力高い人は、心の発達のほうがおろそかな人が多いもの…おかもん先生ほどの人でないと、なかなか相談相手としては難しかったのです。

ほとんどの人が、わたしのほうが相談を受ける側になってしまう…
 
家族との関係に問題がある人は、自分をどこか嫌ってしまう心の傾向があるそうです。
 
さて、次はそこを調べてみなくては…
 

 

クライミングの意味…人間理解

■ クライミングの意味 

クライミングは総括すると、私にとって

   父がなぜ私たち兄弟3人を捨てたのか?

を理解する場となった。答えは、ただ単純に 少し先を考えていない、というだけだった。やったらやりっぱなし、かっこいいかどうかが行動原理で、リスク=安全管理や相手の生命より自分の短期的な欲求の解放が上、というのが、ごく単細胞なクライマーの行動原理なのだった…(汗)。 事実は、残酷だが、よく理解はできた。

従って、親子関係のラスボスの中では、父との関係を清算というか、消化する機会・時間、というのがクライミングの意味だ。

■ 自然農の意味

自然農は、クライミングに変わるステキな活動としてここ3年ほど取り組んだが、

 なぜ自然農の理念ではなく、川口由一という個人を崇拝することになるのか?

ということについて理解が進んだ。 

日本では儒教の影響が強く、キリスト教とは違う意味で、自己犠牲的な父母への報恩を義務化されている。

実際、自然な情として、女性には、他者をいたわりたいという本能が備わっており、それは20代の若い間に発現するが、その気持ちは、親となった時、子供の奴隷となって、子を中心とした生活を苦と捉えないために神が備えた能力、と思える。

その能力=母性に甘えようとする人は、男性女性を問わず、依存的な人、おかもん仏教説話で言うところの、我利我利亡者として、発現する。

つまり、

・精神的に自立が出来ていない人が子役となり、

・自分の身を顧みず、他者のニーズにこたえようという過剰適応を起こしている人が親役、

になり、共依存が出来上がるのだ。

この共依存の成り立ちが理解できたのが、自然農、だった。川口さんの代替え人物=指導者のいうことは丸のみ、という状況で、例えば、4時間炎天下で酷使されることも恍惚、とかそういう倒錯したことになってしまう。(健康に悪いと教えても、辞めない)

アルパインでも昭和の教え方の人たちは、そうだ。先輩の言うこと丸のみ。師匠の言うこと丸のみ。

共依存状態にある人は、この心的状態が快適すぎて、その依存から逃れることができない。

とくに依存する側。される側ではなく…。される側が共依存が終わるとき、去る側だ。

■ 縁の質の見極め

仏教では、人との縁は、コントロールできないもの、とされる。

分かりやすい事例は、子の巣立ち。子は親離れしても、親は子離れできないことが多い。

どんな関係でも、追いかけていく方が基本的には、メリットを享受している側だということが言えるだろうと思う。

クライミングでは、バディを組むので、その人間関係でどのような関係性か?というのが、クライミングライフの幸福の大部分を締める。

仮に、一度バディを組んだクライマーと縁に終わりがきた時、追いかけてくることがあれば、その関係は、相手にとってよりメリットが大きい関係だった、平たく言えば、50:50の関係ではなかったということが言えるだろう。

■ 縁は選ぶべし

縁というのは、選ぶべし、だと私は思う。選ぶ基準は自分が快適に感じたかどうか?ということによるべきだろう。認知行動療法によると。

今回は、おかもん先生の仏教説話講座を開くことができ、楽しかった。

 人生において大事なことは何だろうか?どのような過ごし方をするのが大事だろうか?

私は、無邪気に自然と戯れることが人間性の霊的な成長に強く関連があると思う。

なぜなら自然界の在り方というのは、無言の教えで、無言の教えというものは、前提から学ぶものであり、前提というのは、すなわち無意識のことであるからだ。

昨日、はバナナボートに乗って、非常に楽しかった。そういう無邪気な喜びを失ったことが、現代人が感情開放に疎くなり、自己破滅的手段に訴えることがある、ということにも、つながっているような気がする。

いうなれば、リストカットするくらいなら、バナナボートで絶叫しているほうがうんと健全だということだ。

クライミングも同じで、

・リストカットの試みに値するのが、大ランアウトであり、無謀なトライ(根子岳だの、ノーマットだの)であり、

・バナナボートで絶叫に相当するのが、きちんとしたクライミング

ってことだ。

ということで、クライミングに接することがなくても、同じ経験ができれば、私には

MTBでもバナナボートでも良い

ということの確認になった。

昨日は、一緒にバナナボートに乗ってくれた、ともこさん、先生、ありがとう! 


 


仏縁&回心

■ 仏縁&回心


色々と楽しい二日間だったおかもん先生の訪問。
 

仏教のライブを毎朝8時に聞いているが、聞き始めるきっかけは
 

 なぜクライマー男子は自己破滅的な快を得ようとするのか?
 

という私には理解できない問いに答えてもらうためだった。
 最近、心理学的に言うと、
 

  幼児的な無敵神話
 

のためであると回答が出たんだが、結局答えそのものより、仏縁のきっかけが、クライミング男子を理解しようとした、ということで


 仏縁によって私自身が救われる
 

ということのために、奴ら(自己破滅的クライマー)に会ったともいえる。

■ 回心


このコペルニクス的転回のことを仏教では

 回心 

というのではないかと思う。

ということで、

 クライミングでひどい目 → 仏縁 

を得た事例一人目。

同じようにクライミングで、何じゃこりゃモードの出来事に会うことが多い方に是非お勧め。 

 海水浴を楽しむ人でいっぱいの糸島深江


2022/06/24

罪悪感と弟

■ 自因自果…弟の死が手放せない

弟の死が手放せないというか…適切に悲しめないというか…、グリーフケアの勉強をしても、自分はどこにいるんだろう…?そんな感じでした。

それは、私が、彼の死ぬ前8年間会ってなかったということがあって、罪悪感があったのかもしれません…。つまり、クライミングで私に起こったことは、自因自果でした…。

 罪悪感から、私にパートナー候補で近づいてる若い男子には、特別に親切にしてしまうのです(若い男子だけでなく、年配の人も子供っぽい性格の人には)。しかし、ごく普通に言って、親切には、親切のお返しがあるのですが、それがないどころか、仇で返されるというか、命まで取られそうになるというか…。おかしいな~となっていました。

 

それは、神さまが繰り返し、

”この人たちは弟じゃないよ!”、とか ”罪悪感から好意を寄せても人は返礼してくれないよ”、

と教えてくれようとしていたのだと、今朝、仏教説話を聞いて、改めて気が付きました。 

弟への愛は、ただの執着になっていたということです。弟の安らかな死を祈念するほうが、弟に見えてしまう若い男性に親切にするより、正しい行為でした。

愛=執着とは私の事でした。
 

自因自果のことわり・・・どういう通りで、そうなってしまったのか…また一つ理解が増えました。

■ 理性的で正確だと思われる私がクライミングで殺されかけた理由(因)


・クライマー本人のビレイスキルがなかったこと 30%
・クライミング教育が不在であること 20%
・グレード偏重 20%
・死に一番近い男?俺?かっこいい~ 10%
・男性は自分を客観視できない 10%
・がつんと言われないと分からない愚かさ 10%


■そういうやつらから離れられなかった理由 (縁)


・弟への気持ち 60%
・無知を教えたい 30%
・休みが不定休で気の毒 10%
 

■そういうやつらが来た理由 (縁)


・男尊女卑に便乗して俺が優位に立てそう 60%
・ちゃっかり 30%
・パートナーに困っている 10%


 

2022/05/21

フリーのパートナー選択のコツ

 アルパインにおいても、クライミングの領域になると、仲間やパートナーの存在が不可欠になります。

アルパイン=仲間

フリー=パートナー

そこで、良い関係と悪い関係を切り分ける能力が必要になります。

■ 大事にする×執着するマトリックス

    大事にする
      ↑
執着する←    →執着しない
      ↓
    大事にしない
 
というマトリックスが組めます。
 
適用事例:
 
・私はクライミングを大事にはしていたが、執着はしていない(適した環境が得られない場合は登らない)。
 
・貸したものを返してと言っているのに、何カ月も返してくれない(大事にしていない)、いよいよ返すというとき、家に来るとか言ってきた(執着)。
 
1)大事にして執着する=普通の人間の愛
2)大事にしないで執着する=愛と混乱しがち。毒になる人なので断捨離しましょう。
3)大事にしないで執着しない=どうでもいい人レベル
4)大事にして執着しない=これがベスト
 
仏教では愛とは執着です。いわゆるキリスト教の愛のことを仏教では慈悲と言います。
 
慈悲=可哀そう、ではありませんね。人としてもつ、当然の思いやりの心が慈悲です。
 
一般的な多くの人は、執着と愛を混同しています。愛という言葉を使うとき、愛ではなく、執着を意味していることが多いということです。
 
クライミングを愛している、という言葉が良くクライマー間では使われますが、 実際意味していることは、執着、あるいは、辞められない止まらないの、煩悩だったりもします。
習慣化してしまった場合も、煩悩になることが多いです。
 
そうなると、年を取って登れなくなるとクライミングを楽しむどころか、苦悩することになります。
 
大事にして執着しない、というのは、親だったら、子供が巣立つときが来たら、自分がつらくとも手放してやる、ということです。
 


2021/11/23

命を粗末にするクライマー=愛に飢えているクライマー

■今日の仏教説話

家族などを亡くした人に、生きる意味を与えてあげる方法が、ビクトール・フランクル提唱のロゴセラピーとともに、紹介されていました。

 妻に先立たれた夫 → もし順番が逆だったらどうか?

 夫を不慮の死で亡くした妻 → 夫が若死にすると知っていても、結婚したか?

涸沢岳西尾根で、講習会仲間が亡くなった時、身重の妻を置いて、のことだったので、気の毒で目も当てられませんでした。残された妻がどんな苦労をするか、父親のいない家庭の子どもが、どんな苦労をするか?自分の経験から分かるからです。

その原因が、ただ、アイゼンをつけるのが面倒だった程度の些細なこと…。特に命知らず自慢ではなくても、山では、ちょっとしたことが、文字通りの、”命取り” ですね。

九州では、シリアスな山がないので、安全に対する意識が異様と言っていいレベルで低く、5.9程度のレベルしか登れないクライマーでも命知らず自慢のイケイケが普通なようで、謙虚さのレベル感、ゼロで、それに驚かされました。自然界への畏敬の念、もほとんどゼロです。

自分の命投げやり、なクライマーが基本多数で、

 自分の命など、どうなってもいい、

という、誰が見ても明らかに、ポーズ(気取り、言ってみるだけ、いきがり)の人が多いのです。でも、誰が見ても、その真意は、

「俺を愛してくれ」「俺を見てくれ」「だれか!」

という心の叫びです、むしろ…。

そういう自らの命に意味を見出せない人に、良き意味づけを与えること…について、フランクルやブッダだったらどういうのだろうか…?と今日は思いました。

「自分が死んだとき、悲しむ人のことを考えてごらん」

ではないのだろうか…。命への尊厳、超軽いレベルの人たちばかりに九州では会いますが、なんだかなぁ…。

■ 吉田和正さん

53歳で亡くなった故・吉田和正さん(クライミングを知らない人のために言うと、超・有名クライマー)は、クライミングによって、生きる意味と戦っていた典型的なクライマーと思うが、最後は、登りたいプロジェクト…彼の場合は限界へのチャレンジという意味です…もなくなり、母親が亡くなり、愛着を持っていた迷い猫が死に、生きる意味づけを消失して、この世を去って行ったように思います。

生きる意味が見いだせなくなると、神が、もういいよ、と天に招いてくれたような、そんなろうそくの炎を吹き消すような、亡くなり方でした。

もちろん、私は彼の人生の最後の、薄皮のところを知っているだけですが…

危険なクライミングをやっても、やっても、なかなか天が自分を召し上げてくれない…、と不服な人は、それはまだやり残している人生課題があるから、だということではないかと思います。逆から言えば。

人生の大きな課題は、自分の人生に意味を見出す、です。意味を生きるのが、人生。

余談ですが、吉田さんも、母親の死よりも、ペットロスに痛みを感じておられました。猫がなくなったことの方がダメージ大きかったよなぁ…。

愛着というのは、色々です。喪失の痛みを恐れて、そもそも、愛着を持つことを嫌がる人もいますが、それこそ、いくじなし、のすることですね。

クライマーは、クライミングではイケイケを気取っていても、実は人やもの、ペットなどとの愛着関係を築く勇気がないだけ=意気地なし、の人が多いので気を付けましょう。

モノ言わぬ岩を恋人にしたい、というのは、現実世界からの逃避行動であるようです。


2021/11/11

因と縁の解析

■ 因と縁が揃って因縁

仏教的には、因と縁が揃って因縁。


種があっても、太陽と水と土が揃わないと、芽は出ない。

この場合、種=因 である。

クライミングの因は、当然、”登りたい”という思い、だろう。

 では、縁は?

パートナー と ビレイスキル と、練習する環境

の3つ。

パートナーがいない場合は、なんとかゲットする必要がある。普通は、みんな、ここで、”超いい人”化する(笑)。一緒に登ってほしいという相手に対して限定だが(笑)。

ビレイスキルがない場合、何とか身につけざるを得ない。ので、それには、ビレイを教えますと、題売っている講習会に参加するしかない。

他の人のビレイをこっそり盗み見して覚えようとしても、たぶん、間違ったビレイを覚えてしまう。それくらいビレイはちゃんとしている人が少ない。自分の子どもを登らせるのにすら、バッツンビレイで壁に子供がたたきつけられてしまうようなビレイをしているんだが、親のほうはそれに気がつかないでいたりする。(教えても聞かない)。

ビレイヤーが自分より軽いと、この危険は少ないが、私より軽い男性クライマーなんてあったことがないので、大体は下手くそビレイを我慢して登っている。

ビレイの習得は、週2半年と言われている。週4ビレイすれば、3か月で行ける計算になる。週6ビレイすれば、2か月で行ける計算になる。一般の人は週1しかビレイする時間がないと、忘れてしまって全然上達しない。1年経っても、2年経っても下手で、そういう場合は3年くらいは見たほうがいいかもしれない。

練習する環境というのは、人工壁が一般的だ。外の岩に最初から言っても、外でリードで落ちる人をキャッチする経験は積めないので、ビレイのスキルは全然伸びない。

オールドクライマーが新人だった時代には、人工壁はない。いきなり外岩。アルパインと同じ論理で死んでも落ちるな、と教わるため、オールドクライマーは落ちないクライマーをビレイした経験しかなく、落ちるクライマーをキャッチした経験がないので、見ていると、だらりんビレイをしたり、座ってビレイをしたり、支点ビレイをしたりで、現代の教科書には、”けっしてやってはいけない”と但し書きで書いてあることを、当然の顔をしてやっている…。オールドクライマーが新人だったのは40年ほど前なので、その頃の教科書には、フリークライミングのことは書いていない。やっていることが、アルパインルートに行くためのゲレンデ練習から、”フリークライミング”という別のクライミングに変化したのに、そのことにオールドクライマーは気がつく機会がない…何しろ、自分はベテランだと自覚しているから、最近出た本など読む人は少ない。

ので、結局のところ、一番ビレイが下手くそなのが、オールドクライマーということになり、特にトップロープの時は馬鹿にしており、ロープがクライマーの懐でたるんでいても、そのままだったりする。ので、初心者時代に一番一緒に登らない方が良いクライマーが、オールドクライマーなのかもしれない…。

人工壁のクライミングは、”スポーツクライミング”というクライミングで、バンバン落ちるのが当然、というのがその意味するところだ。なので、ビレイを習得したい人はスポーツクライミングをちゃんと教えている人から教わらないといけない。

ビレイを習得し、逆クリップやら、なんやら、を習得してから、外の岩場に出る。大体が、こういうことになるが、外の岩場は外の岩場で別の習得項目があるから、外の岩場に出ることは、大きなステップアップだ。

まぁ、ボルダラーからやっている人は大丈夫だが、人工ホールドを握るわけでないので、ホールドを発見することからスタートだ。

一番ボルダラーがやってしまいがちな失敗は、オンサイトで登らない、すぐに”次のホールドどこ?”と下の人に聞くことだろう…。オンサイトというスタイルが、ボルダーにはない。全員いきなりビデオトポを見て、前に登った人とそっくりの登りをしようとするのがボルダーだ。

フリークライミングの世界でそれをやると、どうなるか? あーあ、と言われるのである。せっかくオンサイトだったのに…と言われる。自分より前に登った人の登りをチラ見しただけで、もうオンサイトではなく、フラッシュになってしまう。その辺を詳しく知りたい人は、漫画版の『孤高の人』を読んでください。

ので、外の岩場に行ったら、自分が登りたい課題を登っている先客がいたら、決してその登りを観察してはいけない。オンサイトを逃すことになるからだ。

スタイルの差だけでなく、価値観の差があるのが、クライミングの各種で、その価値観を無知なために犯すと、あちこちからブーイングを食らうことになる。

現代でもっともおススメできる、リードの岩場にデビューする人への教科書的な本は、北山真さんが書いた、『フリークライミング』という本である。この本を読んでから、外の岩場に行くべし。(こちらにリンクがある)

この本には、1行目に、”支点ビレイはしてはいけない”と書いてある。こんな超・常識的なことも、オールドクライマーは知らない。自分は支点ビレイをしているが何か?と思っている。こちらも、自信たっぷりでやっている人に何かを言うこともできない。

オールドクライマーの無知の被害を受けるのは、誰か? 山は最も弱いものを狙う、とよく言われる。

クライミングも、テンションなしで登れるなら、別にビレイヤーは誰でも良いわけで、フリーソロできるなら、ロープすらもイラナイ訳なのである。つまり、きちんとしたビレイを真摯に必要とする新人にこそ、きちんとした技術的裏付けのあるビレイが必要である。つまり、新人が喰われるのである。

ということから、オールドクライマーと最も組んではならないのが、新人だ。一方の新人の方はそんな事情とはつゆ知らず、落ちた人をキャッチした経験値がもっとも浅いオールドクライマーと組みたがり、命がけの墜落劇を演じてしまうのだが…。

私の後輩は、人工壁1ピン目で落ちていた…がたいの良い男性クライマーだったが。リードフォローの練習をしていた時は、セルフを取る前に自ら手を放して落ちていたが…。彼に関しては、人工壁に来る前に、一般的なボルジムでのクライミング経験が必要と思われた。一般的にジムで5級が登れるくらいでないと、人工壁でも取り付くのは危険だろう…

というので、いかに、因 に対して、縁を取りそろえるか?という話。

■ 師匠と登ったが師匠が教えてくれたことはない

今までパートナーには恵まれてきたが、師匠は二人とも岩場で会った人だ。一人目の師匠は、岩場のてっぺんで会った。いきなり、「流動分散を作ってみせなさい」と言われた。作れた。そうして、「ここに電話しなさい」と言われた。

次の人は、小川山レイバックで会った。その後その人が勤めているジムに遊びに行って仲良くなった。

その次の人は、こちらもその人が知らない岩場に案内してあげ、お礼にその人が知っていて私が知らない岩場に案内してもらった。

米澤先生は、いきなり油山川の岩場で会った。登りに行っていた。相方は一緒に登りたいとは思わなかったみたいだが、しばらくは二人や3人で登っていた。

という感じで、一緒に登った人は、岩場であった人で、岩場以外で会った人で、仲良く一緒に登るようになった人いたっけ?いないな。

岩場に自ら行くようような因があって、たまたまそこにその人がいたという縁がある、というわけだ。因と縁で言えば。

これがパートナーゲットの秘訣と言えば秘訣なのかもしれない。

2021/08/20

指導の仕方が分からないんだろうな…

 ■ 心がスッキリすることをする

最近、ある悩みがあって、そのことを先輩格のクライマー(指導者クラス)に相談したのですが、相談のあと、本当にすっきりしたというか…

私は山梨で本当に良い環境で登っていたんだな~って思いました。(山梨でも色々あったけどね!)

その方の対応の仕方が素晴らしいということですね。

まさに正しいことを行うと、”軽安” になるわけですね。


■ カットアンカーは時代遅れのボルトですよ…何度も言うようですが

なんとしても、カットアンカーを使い続けたい人でもいるんでしょうかね?

事情はよく分かりませんが、黒田誠さんの論文が出たあとでも、まだカットアンカーを使いたい人がいるのか?そのためなのか?理由はわかりませんが、もう一度同じことを言わないといけないのらしい…。

禁忌ってありますよ

■ クライミングは真剣勝負の活動ですよ?後輩を甘やかしていい世界じゃないですよ?

私は山梨アルパインクラブという会と御坂山岳会という二つの会に同時入会していました。

なぜなら、現代では、人工壁をすっ飛ばしてアルパインクライミングに進むということは、できないからです。(昔は人工壁がなかったのでいきなり外岩以外ありえない)御坂山岳会は、人工壁を定期的に練習介していないので、御坂にだけいても一生アルパインルートには登れない。

私は自分がスポーツクライミング志向ではないというのは、私も分かっていましたが、ビレイの習得を考えると人工壁を飛ばすことはできず…それで山梨アルパインクラブにも入会。

半年は毎週2回小瀬人工壁に通って、その期間はビレイだけを習得する時間として頑張りました。

小瀬では、人工壁のショートルートでも、リードフォローで登り、懸垂で降りて、マルチピッチのロープワークを相方と日々、練習していました。後輩にもそのように指導しました。

小瀬も自分で使うためには、使用者試験がありますが、合格条件が

 ・5.9が安全にリードできること

 ・ビレイが確実なこと

 ・結び替えができること

でしたし、外岩一回目に行くのは、本当に皆の憧れみたいな感じで、連れて行ってもらえる自分になるために、私に限らず、みなが努力していました。

なので、捨て縄をもっていないとか、そんな人はいなかったのです。捨て縄どころか、ケブラーコードを持っていることが自慢だったりもしました。

ビレイができない人、気後れしてクライマー同士の練習会に来れない人などは、気がついたらいなくなる感じでした。

ハイキングの会だと思って参加した人などは一日でいなくなっていました(笑)。もちろん、ハイキングもやっていましたが。

マルチに行くのはもっと大変で、私は宙づり登り返しの技術は、10歳以上年下の弟みたいな先輩から指導というか、分かっているかどうか?のチェックを受けました。私の場合は、すでに分かっている状態で先輩と確認作業をしたので、彼の話では、楽でいい、ってハナシでした。

つまり、みんなルートに行く前にそうやって技術面をすり合わせしているってことですね。

それをやるのが当然って感じでした。

それが世の中の普通みたいですよ? 

九州で一人でも多くのクライマーがセーフクライミングに進みますように…


2021/07/18

Trust But Check

 

■Trust But Check

うのみは良くないと言う師匠が、良い師匠。


このブログでも何度も言っていますが…

噂話や世間体

で目の前にいる人を判断するような人とは登らないに限ります。

人としての信頼性にもとります…

世界を敵に回しても、友でいてくれる人が真の友であり、時流に流されて都合の良い時だけ一緒に登りたがる人にいのちを預けて良いわけがありませんね。






2021/07/12

グレードで勝つより、命が大事

 


ゆずる=グレード競争で相手に勝たせる

大事なもの=命

ゆずれない人は、大事なもの=プライド

になっているカモですが…命より大事なプライドだったら、まぁそれも一つの選択として、アリ、ではないかと思います。