■ 家族との関係
私は18歳で家を出たのですが、親元を巣立つときが来たことを、母をはじめとする、家族に理解されず、「家族を捨てた」と非難されました。長女だったので、初めてのことだったからです。また、取り立ての電話が学生寮にもかかってくるなどと、現実的にも家族から迷惑をこうむっていた、という事情があって、実家とは縁遠く、弟の急死の前、8年間ほど、弟には会っておらず、でした。
まさか、そんな早くに弟が亡くなるとは思っていなかったのです。死に顔の弟が、実家から出た後、最初に見たお顔でした。
つまり、実家との関係修復という課題解決を、プロクラスティネーション(後伸ばし)していたということです。
■ 後伸ばし
同じことで、恩師の村上講師が亡くなった時も、
何年も、「アルパインの危急時講習を開いたほうがいいのでは?」とずっと思っていた
のですが、開催の前に、村上さんは亡くなってしまった…。
(ただ、この件は、福岡は三福田ではないので、私が主催して差し上げることは、善ではなく、開催は無に帰すことが明白だろう、と今は分かる)
■ 年配者(母)への心配
最近は、米澤先生はじめ、母の年代の往年クライマーの衰退ぶりを目の当たりにすると…例えば、多少ぼけて、取り付きが見つけられないとか…などと、母の年齢が気になり始め、年配の人との接点でパニック気味… 祖母の時は80を越えてから対応したら遅すぎたからです。
ふいに
このまま、母にも弟と同じことが起きるのだろうか?
と心配がもたげてしまうわけですね。
■ 女性との関係(妹)
女性との関係性では、妹(=私を親と勘違いしている人)との関係性のためか、相手ばかりが、一方的に話しまくるという、相談相手にされてしまうとか…もうね…。
(これは、相手の精神年齢の問題かもしれませんが。大体、女性はそのために苦手)
■ 投影
つまり、私は、父、弟、母、妹、と家族のメンバーの全員を、誰かに投影しているのではないか?と思います。
■ 罪滅ぼし
そして、必要のない罪滅ぼし…を必要のない相手に向けて行おうとしている!
そして、それに 便乗する、ちゃっかりした人がいる! 特にクライマー業界!
■ 成功ではなく過剰適応
私がこれまで、
学校では、オール5の優等生
進学では、親の金を使わず夜学で国立四大を卒業、
米国では、働きながら自活生活して語学習得、
社会人経験では、氷河期なのに、ロボット開発部から個人事業主へと自立
登山では、普通の人は来ない雪の山へ
あるいはクライミングでは、UIAAのアルパインサマーを出版する契機をつくる、
などで成し遂げてきたことは、
成功と達成の歴史 ではなく
過剰適応の歴史
かもしれません。
過剰適応して限界化し、それを周囲に理解されないため、”もっともっと”と望まれるということです。
周囲に理解されない=アトピー、膝の怪我
自分の行きたいところに、どこでもついて来てくれるビレイヤー=ドレイヤーになりたくて、
私は登っているわけではない。私が私の山を紡いでいたころは幸せでした…
俺に行きたいところには行くが、お前が行きたいところには行かない、となったら、全然幸せではない。
■ やむを得ない結末を受け入れる
おかもん先生とお話していると、自然と家族の話になり、先生の
東大クラスの頭脳
で考えたとしても、家族と私の関係性の修復が、私だけの心的態度によるものではなく、ある意味、やむを得ない事情を抱えているのだと、全く利害関係のない先生の頭脳によっても解釈できたので、大変セラピューイックな機会になりました。
なんせ世の中に私自身より頭が良い人を見つけるのは、結構、難しいんです…なんせ、普通にしていても、中学までは、校内で1番か2番かみたいな成績しかとったことがなかった、ということは、500人に一人くらいの偏差値なわけですから… 熊本高校は、各中学のトップ1~2名しか来ない高校だし…大学は遊んで卒業できる大学ではなかったですし。
とはいえ、学力高い人は、心の発達のほうがおろそかな人が多いもの…おかもん先生ほどの人でないと、なかなか相談相手としては難しかったのです。
ほとんどの人が、わたしのほうが相談を受ける側になってしまう…
家族との関係に問題がある人は、自分をどこか嫌ってしまう心の傾向があるそうです。
さて、次はそこを調べてみなくては…