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2024/06/14

【事故分析】「場合による」、「経験値」、「体力」、「自己責任」、が事故を減らす努力をしない言い訳になっている

 ■ 「場合による」、「経験値」、「体力」、「自己責任」という思考停止が蔓延する登山・クライミング業界

これらが厄介なのは、実際に事実だからです。

沢での確保は、”場合によります”。

しかし、場合によってはATCガイドを沢でも使ってよい、という事実が、

A)水流があり、途中停止すると、水圧で押されるチカラと引き上げるチカラが拮抗してしまい、水死の危険がある条件下を想定せず、

B)そのような条件下では、ATCガイドを使ってはならない、という知識を知らないで良い、

という2重のミスを正当化する理由にはなりません。

「場合による」と言われて、皆さん、「そうだな」とうかつに納得していませんか?

場合によるなら、事故防止を対策するなら、カリキュラムに、あるいはその特定の沢に行く条件に、その場合についての知識を追加しておかないといけません。それが真の対策です。

なのに、「今回は、その”場合によるという場合”を知らない人だったんだ、避けられない事故だ」と結論してしまうのは、変です。

そもそも、そのような条件であることは、ここ何十年も変わらない訳ですから、祝子川ゴルジュに行く人は、エイト環による確保に習熟してから行け、溺死に注意しろ、と条件付きの登山許可を与えるべきなのです。

■ 登山歴〇〇年だからとか、クライミング歴〇〇年だから

は要注意。

10年、20年歩いていても、一般ルート以外は歩いたことがない人は、たくさんいます。

経験と経歴の長さの妄信は危険です。

■ 「落ちなきゃ確保はいらない」

確保者の確保能力の欠如を擁護をするために、落ちなきゃ確保はイラナイ、と脅迫してくる自称ベテランもいます。

そういう人は、一人で行けばいいのではないでしょうか?

確保技術の軽視、が、クライミング界にははびこっています。確保は技術です。

■ 「体力」

同じく、落ちた人に責任を擦り付けるのが、”結局は体力理論”です。

体力さえあれば、10日間の雪洞泊だって耐えられる?体力さえあれば、8日何も食べないでも耐えられる?

山男の伝統は、伝説的な体力、驚異的な体力、超人的体力の自慢話です。

山の文学本では、人であることを超越しなきゃ、山に登ってはいけないというほどに誇張されています。

しかし、八甲田山の死の行軍でさえ、同じ日に行って帰ってきた人がちゃんといるんですよ?

基本的に、日本の山はみな小規模なので、きちんとした山の知識さえあれば、超人的体力が必要となる山なんてあるわけがないです。冷静になりましょう。

大体、20、30km歩けば、町にぶつかってしまうのが、日本の山々…里山なのですから…。

そういう場所で、遭難してしまうのは、体力が問題なのではなく、山の知識がないことや、間違った方法論で道を見つけようとしてしまうことにあります。

つまり、知識の欠落、です。経験ではありません。

■ 知識がない=自己責任論

私自身は相当に意識高い系登山者&クライマーだと思いますが、そのような人でも、抜け落ちる知識はあります。

たとえば、重たいザックを背負うときは一回膝の上に載せて、それから背負うのだそうです。そんなこと全く知りませんでした。

講師には、「そんなことも知らねえのか」とバカにされましたが、知っているとなぜ思うのか?そこが分かりませんでした。

なので、

「重たいザックを背負うときは、一度膝にのせてから背負うといいよ」

「へぇ、そうなんだー、教えてくれてありがとう」

という普通の会話(クロスしていない交流)ができず、

「重たいザックを背負うときは一度膝にのせてから背負うといいよ」

「へぇ、そうなんだー」

「そんなことも知らねえのか」(さげすみ)

「知らないから講習会に来ているんです!!」(健全な権利主張)

という交流(クロスした交流)になりました。

これは、知識を与えたい、というのが真の目的ではなく、相手のコントロールが真の目的である交流、コミュニケーションです。

これはナルシスト的な対応です。

https://youtu.be/d_tHEZmFu6I?si=FgMpWAAMrt15nWP2

だから、正しいことを教えても、受け取る側は、感謝して受け取れないです。

■ ナルシスト的対応

なぜか、登山界・クライミング界では、不必要に

 自分より、相手は下だと、まずはさげすむ

という心的習慣があると思います。

ある分野で、優れている人もいれば、ある分野で優れていない人もいるのは、当然のことです。

講師が、山で、山について、講習生に教えるのは普通のことです。

それを「お前らこんなことも知らねえのか?」と出し惜しみしているから、原因と結果の法則通りのことが起こり、遭難が絶えないのだと思います。



2023/08/14

【現代クライマーのレベル感】今の人はこんなレベル感なんですよ vs ベテランの期待の差

【後進に向けて伝えたいこと。86歳 登山界のレジェンド 雨宮 節氏の話を聞くⅢ】FINAL

ヒマラヤでは、無酸素&縦走しましょう☆

というレベル感ができるはずないよなーということが分かる、現代クライマーのレベル感。

原因をコミュニケーションのミスに帰結していますが、そもそも、登山計画書、作ったのかなぁ。チャラすぎて脱力系な人々…

雨宮さんの期待と、現代クライマーの現実…

この距離感、分かります???


■ あなたの登山計画書にダメ出ししますサービス

があれば、少しは未然に遭難が防げるんじゃないですかねぇ…

ヤマレコやヤマップの記録を見ただけで、自分にも行ける!って思う、同調路線の人は多いです。

大体、65歳以上の高齢者は、山岳会にいても、地図持ってこない、ので、地図を持たない人がいた時点で敗退にします、と宣言して会山行したことがあるくらいです。(御坂山岳会)

大体、山岳会は、会員が辞めるのが怖くて、地図を持ってこない会員に強く言えない。
プライドがあるなら、それなりの内容のことをしてほしいですね。

現代の山岳会は、プライドだけで、それに見合う中身はすっからかんです。

福岡の老舗の会(山の会)でも、二人のクライマーを一人がビレイするとか、そんなレベル感。

それもこれも、教え方が分からない、から。

それで、ヒマラヤが縦走できる人、育つと思います???

2023/08/01

【ガイド】日本の夏山登山におけるガイドツアーは問題が多い

これは私が大阪OL時代に通っていた社会人ビジネススクールの講師の投稿なんだが…

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1日目は畳平(2702m)までバスで移動し、そこから乗鞍岳(剣ヶ峰)(3026m) まで。2日目は千畳敷駅(2612m)までロープウェイで上がり、そこから中岳(2925m)と木曽駒ヶ岳(2956m)へ。

さほどきつくはなかったのですが、帰り道で転倒した参加者が腕の骨を骨折。また初日は通常の道でも歩行がややふらついている高齢者が参加し、途中でリタイアせざるを得なくなり、ガイドさんに怒りをぶつけていました。

個人的な学びとしては、頂(いただき)はそれを目指している時に最も美しく見えるということ。そして高齢者はどれだけ身体能力が下がっても旅を求めており、そこにカスタマイズ旅行の未充足ニーズが広がっているということ。
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山の素人が山岳遭難を起こして危険、というニュースが周知しているので、ガイドツアーを使う必要のない人までもが、ツアーを使った場合の感想だと思った(笑)。

■ 問題1: 中高年という年齢の括りがおかしい

自分が中高年という年齢の括りになってから、登り始めたからなんだが…38歳で山スタートしたが、その頃、私も大手ツアー会社の登山ツアーに参加して、下界の町も、まともに歩けない、リハビリが必要なレベルのおじいちゃんやおばあちゃんが、低山だから、というので、甲斐駒黒戸尾根にすら出てこないような、ものすごい急登の山道で、崩落痕になっているのを、全員でトラロープを引っ張って、登るので、びっくり仰天したことがあった。

それ以来、ツアーには参加するほうが危ない、と心得て、一度も参加していない。

こういうことになってしまうのは、中高年と言った場合に40代以上になっているから。

まともな人は、自分だって中高年だし、と考えてしまう。

普通に考えても、40歳と、60歳では全く身体の条件は違う。当然だが、60代は弱い。特に運動習慣がない人。しかし、統計上は40代以上で中高年。遭難者の大半は60代以上です。

山岳総合センターで、雪上訓練に出た。滑落停止の基本技術で、七倉沢の雪の急斜面を背中で滑りながら、体を翻して、ピッケルを指す、という訓練があるんだが…4人のメンバー内で一発でできたのは私だけで、講師に、ピッケルの向きが反対だよ、と言われたのを、雪面滑りながら、あ、ほんとだ、と治してピッケル指すという具合のゆとり。他の男性クライマーたちは、全然ダメで、何度やってもできる人が一人もいなかった。この講習では、雪道歩きがあるんだが、なぜか一番私が足が速く、男性は50代までしかいなかったのに、全員がバテバテ。講師について歩けたのは私だけだった。

つまり、運動習慣を失った人は、それくらい弱いってことです。まぁ、働くってことは命を燃やした、って意味なんだし、名誉の勲章と思ってください。しかし、このレベルの人は山岳総合センターの、いみじくも”リーダーコース”に出ているので、ガイドツアーに参加する側ではなく、ツアーガイドになる側です。それで、このありさまです。

大体、山では体力は、年齢順、です。

■ 山での安全の約半分くらいが体力で、残りが計画を立てるという知力です。

その心は?

例えば、午後から雷の予報があるとします。4時間で歩ける人が、8時に登山口を出ると、山頂には12時につくことができ、午後の落雷には合いません。セーフ。つまり、安全です。ところが、体力がなくて、6時間かけないと歩けない人が8時登山口だと、もうバリバリ雷です。全然、安全じゃない。これを理由に、一般の人は、体力=山だ、と言います。

実はそうじゃないのです。6時間かかる人は、6時に登山口に行くのです。朝、起きれない?夜登山口に行って、そこで車中泊をすれば、朝起きたら6時出発になります。だから、65歳以上の高齢な登山者たちは、みんな車中泊なんですよ。あれは安全対策なのです。

このように、登山の安全は、半分が体力、半分が知性です。

これが分かっていない人は、下界の時間を山に持ち込みます。なので、山の遭難の約半分はもう登山口で分かっている遭難です。

■ 問題点2 : ”みんなで一緒” は、もう”ない”

日本の登山で文化的に問題なのは、”みんな一緒”という、根拠の希薄な前提です。

なにしろ、標準コースタイム、というのは、日本国だけの前提です。

海外では、誰にもマッチしない標準コースタイムなどはなく、あるのは、

 距離と標高差の表記

です。日本でよく見る団体ツアーも、基本的にありません。気楽に参加できるツアーはありますが、登山靴でなくても、歩けるようなレベル感のやつです。私はオーストラリアで、夫と観光登山に行ったことがありますが、基本、ロマンティックな山小屋の雰囲気を味わうもの、でした。ヨセミテもそんな感じだった。

”平均”という言葉は、”みんなができる”、”多数派”、みたいなことを連想させ、”平均に合わせなくては…”という力学が作用します。

これで、参加者全員が無理することになる。これでは、構造的に遭難予備軍です。

平均ピッタリの人なんて、世の中には一人もいないんです。あるのは個別。人の指紋が一人一人違うようにです。葉っぱだって一枚一枚葉脈が違うでしょう。

そういうことを学びに行くのが、登山なのに、ツアーに参加し、みんなに合わせる、ということが大目標になったとたんに、大事なものが見落とされ… 他人のお尻を追いかける旅となってしまいます。

脚力が弱く、足が遅い人が、無理して周囲に合わせて歩いたら、どうなるでしょう?

そりゃ急ぎますね? 急いだらどうなるでしょう? そりゃ、注力散漫になりますね?

注意力散漫になったら、どうなるでしょう? そりゃ、コケやすくなりますね?

ということで、個人で行くより、ツアーで行くほうが、もともとの体力が低い人には危険、です。

しかも、ここには、日本的な「足を引っ張って、すみません」が入るんです。無理に合わせてケガをしたうえ、負い目を感じるという、踏んだり蹴ったりな羽目が待っています。

■ 問題点3 : ガイドレシオの無視

こうした問題があるにもかかわらず、日本の団体ツアーはなくなりません。

それは、定年退職した人の中に、できるだけ安く、でも、誰かと登りたい、というのがあるからです。ケガをしたときの保険が欲しいんですよね。

それは、やっぱり保険なので、若い男性が適していると思います。あるいは、うようよ人がいるときであれば、誰か親切な人が救援に走ってくれるので、混雑した山を選べば、一人でもOKです。混雑した山=孤独ではない、です。

保険を得るために、無理をするというマイナスを甘受していては、本末転倒です。

団体ツアーは非常に問題が多く、大規模な遭難事件は、大体、ツアーご一行様なので、ガイド協会では、ガイドレシオといって、ガイド対お客さんの比率(宝剣なら1:5です)をもうけていますが、基本無視されています。バスガイドくらいの扱いです。法律で規制したらいいのにね。一向に個人ガイドを雇う習慣が身につかない日本人。

私は登山ガイドは、積雪期ガイドステージ2という、自然ガイドよりも上の資格を取りましたが、ガイドにはなりたくないです。ババ引きのババだからです。

60代のお客さんの足では、4時間の行程も、6時間~7時間かかるのに、前述のように、6時登山口、出発、5時登山口、出発にするのが、難しすぎるからです。お客さんは基本的に無知で、みんなが4時間で歩けるところが、自分も歩ける、という前提でいます。ところが、大体、高齢者は歩けませんよね。

となると、本来到着しているべき山小屋に、定刻にたどり着けないことは、ほとんど、登山口にいる時点で明らかなわけです。

となると、まぁ、雷予報の山頂に突っ込むか、森林限界の手前あたりで、ビバークするかになってしまいます。たいていが、12時ころ、が判断の時間になるので、それでは、お客さんは納得しません。お客さんの持っている”町の時間感覚”をベースにした感性だと、”え?まだ明るいよ”となります。 でも、雷って、回避しようがないんですよ。純粋に運です。でも、その時点では、天候、崩れていません。お客さんは納得しません。

で、結局、行くことになるでしょう… で、雨が降ってくる。雷になる。これで、お客さんがこりて、レインウエアを着て、下りましょう、というガイドの言葉に従ってくれればいいですが、たいていはそうならないですよねぇ…。えー、ここまで来たのに?ってなるでしょう。

まぁ、悪くすれば、そこで遭難です。純粋に運です。つまり、ABY遭難というのは、こういうことです。あのバカやりやがったぜ、の略だそうです。もう登山口の時点で遭難しているんですよね。

お客さんは、自分の無知が原因だとは思っていない。運が悪かったのだと思っている。ガイド、何とかしてくれよ、と思っています。そのためのガイドだろ、って思っている。

そりゃガイドは救助を求めて走りますよ、でも、なんで雷に打たれるかもしれないリスクを背負って走る羽目になったかっていうと、お客さんの無知なんですよね。

それで、雷に打たれたら、ガイドは職業上の殉死ですが、バカみたいな死です。最初から、出発前に、こうなることは分かっていたわけなんで。

裁判所の判決は、このようなケースでも、ガイドの注意義務違反になります。

ので、結局、登山ガイドというのは、いちかばちかのばくちを打ちながらしか、仕事ができない。

事前に一時間くらいの講義を聞いてくれるお客さんならいいのかもしれませんが、そんなのレジャーなんだから、ヤダってなりますよね。

おすすめ書籍: 
間違いだらけの山登り 「知らなかった」ではすまされない62項目 Kindle版
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なにもかも、”標準コースタイム”がもたらす前提(無意識)に、”皆が同じ体力”という大きな誤謬が含まれるためです。

山の世界的団体、UIAAも、なんども、標準コースタイムを辞めよ、と日本に言ってきていますが、一向に改まらない。

なんせ、標準コースタイムに慣れすぎていて、標準コースタイムの何割で歩けるか?が、能力測定のモノサシになっているからです。

九州では、厳しい山がないので、自分が1時間で標高何メートルを登れるのか?という、標高を知る習慣すら失われています。本州で1700mと標識があれば、それは標高1700mのことですが、九州では、1.7㎞のことです。

そんな古い基準にしがみつかず、高齢者が安全に前夜泊で山に登れるように、登山口に広めの駐車場を整備したらどうですかね?七倉のように。まぁ、山岳地帯で駐車場確保は難しいのは分かりますが。

ちなみに、一般の人、普通の体力の人は、ツアーに参加するメリットは全くありません。

それより、登山の本を1、2冊読んで、常識、を仕入れてから、一人で行ってください。マイペースが一番安全なペースなのです。

一般に、山ヤと言われる登山のベテランや愛好家が、夏山の小屋に泊まっていることは、ほとんどありません。みな、人がいない山を選んで、テント泊、しています。山は不快なので行かず、大体、沢にいます。

ですので、ベテランと山で出会って教えを乞う、というのは、期待できません。夏山にはベテランは来ない。ここでいうベテランとは、一般縦走しかしない人ではなく、登山をオールラウンドに理解している人のことです。一般に、岩登り、沢登り、雪山とオールシーズン登っている人のことを指します。

そういう人が、山小屋のご主人である、という確率は、比較的高いです。

ので、一番いいのは、山小屋のご主人に、個人ガイドを紹介してもらうことです。最適なガイドとは、その山を足蹴しく年中通っている人のことです。 

八ヶ岳を登るのに、九州のガイドを雇って、一緒に八ヶ岳まで連れて行ってもらう、っていうのは、素人を連れて行くのと同じことです。山にはそれぞれ個性があり、危険回避の方法も異なるのです。

私もガイドができるというと、糸島の山に一緒に行ってもらいたい、と言う人が出て、困ります。私が分かるのは、八ヶ岳です。なんせ八ヶ岳には年中通いましたから。

そういう山の個別性を理解せず、ガイドなら、どこの山でも案内できるという発想が、どこで生まれるのか謎です。

普通の町を案内してもらうのでも、普通、詳しい人に教えてもらいますよね?パリに行くのに、東京のタウンガイド連れていきます?行かないでしょう?

というわけで、一番良いのは、自分の好きな山を見つけ、簡単で安全に登れる難易度のところから、一歩一歩、自分の足で自信を深めながら登ることです。

そうすれば、帰納法的に、山というものは、こういうものなのだな、と一般的な山のことが分かるようになります。失敗しても大きな傷にならない山を選べばいいのです。

このようなことを教えてくれる人がおらず、不安がっていると、私が連れて行きましょう、という人が出てきますが、避けましょう。

不安は、正しいことです。その不安に向き合い、つぶしていくプロセスで、人は成長します。

これこそ、山が教えてくれる、ビジネス界にも通用する、人生の教え、です。






2022/08/31

大人の発達障害の増加=現代初心者登山者の遭難増加 かもしれません

■ 大人も発達障害 

こちらにNHKの記事がありますが、成人の発達障害の事例も増えているようです。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4480/

師匠の青ちゃんは、確実に、「俺、ADHDだから」という自覚があったようですが…それでも、お勤めを立派に果たし、お孫さん数名の立派なおじいちゃん。

日本初のレスキュー隊の隊長を30代の若い時から務めて、山でADHDが問題になる、という様子だったことは、集合時間を間違えて、車で凍えていた時くらいでしたが… 先入観というのは、強くて、阿弥陀のバリエーションの初級のにさえ、警戒して行きたがらない…『八ヶ岳研究』くらい、上級者だから知っているハズというのは、こちらの先入観で、知らないようでした。

行ってみて、なんだ簡単じゃん、となって、途端に「もー帰ろーよー」となってしまい、勝っちゃんと私のリード練習には一切無関心なようでした(笑)。この行動、今思うと発達障害っぽい。

青ちゃんは、上級者でしたが、そうでなくて、一般登山(ロープが出ないレベルの山しかしない)人たちの間で、

  認知症&発達障害

の度合いが強いのではないか?と思います。

■ 自閉症? 文字通りにしか言葉を受け取れない

先生が教室に入って「暑いね」と言えば、何も言われなくても、窓を開ける、のは、私は日本文化の問題かな?と捉えていました。アメリカでは、先生の側が、「窓を開けてください」と指示するのが普通です。が、多文化カルチャーなので、日本人のように、相手の意図を察する、というのが、社会人の常識化されていないためです。

しかし…日本でも同じ現象が起きているので、これは、教育や文化の問題ではなく、

発達障害

としてとらえ、

栄養学的欠損

の問題としてとらえたほうがいいのかもしれません。

事例としては、

 落石注意

本当に立ち止まってラクを見てしまう人が多数。

「落石注意」→ 「速やかに通行せよ」

アクションベースの指示語に書き換えるべきかもしれません。 

 

■ 栄養施策の違い

実際のところ、米国では、法的に強制添加されている葉酸が日本の小麦には添加されておらず、ガンを含む、ほとんどの成人病が

質的栄養欠損

の結果であると指摘する医師もいます。実際、米国で下がっている認知症患者やがん患者の数は、日本国内では増加しています。 

 

 

■ 負の強化子

しかも、山小屋は、ジャンクフードを推進する負の強化子になってしまっているのです。