■ 伝統はどこに…
アルパインクライミング推進協議会 っていうのが、伝統のベルニナ山岳会の閲覧で、回ってきました。
です。とてもうれしく感じました。以下、各岳人から学んだことを太字にしました。
■ 会長の菊地さんとの思い出
菊地さんは、業界内ではガメラというあだ名で通っている方です。『俺たちの頂き』という漫画がありますが、その主人公のモデルになった人物と聞いています。
私の菊地さんとの出会いは、湯河原幕岩でのクラック講習を大阪のクライマーと一緒に受けたことです。
それ以前に菊地さんの『我々はいかに岩にかじりついてきたか』は読了していました。
菊地さんの講習でも、登ってまだ1mくらいで滑って、男性クライマーが落ちてしまい、その下地が、ちょうど、さらに下に落ちれるような形状だったので、菊地さんが身を挺して止めようとしたのが印象的な講習会だった…。
甲府で人工壁で登っているときに、”今度、菊地さんの講習会に行くんだ~”、と周囲の人に漏らしたら、「結び替えを知らない人が終了点で出来なくて、めちゃ怒られた。行くならしっかり復習してから行かないと、めちゃ怒る。怖い人だ」と聞かされたので、ビビって参加したら、めちゃいい人だった、 という経験になりました。
その頃、私は、蒼氷の先輩と登っていたのですが、約1年間、月1でクラックを登る程度では毎回リセットされて上手にはならなかったのですが…
…でも、カサブランカを3回しかトップロープせずに、4回目はリードってどうなのかね?…小川山レイバックはRPしたので、次はカサブランカですが…
私が思うようなスピードで上達しないので(笑)、しびれを切らした周囲の人が、吉田スクールを薦めてくれたので、吉田スクールへ。
昇仙峡は近所で、湯河原は遠く、菊地さんの講習を受けたのは一回止まりでした。吉田さんはすぐに亡くなられてしまったので、私は最後のビレイヤーの一人になってしまいました。デイドリームが取り組み課題でした。
ちなみに、当時一緒に登ってもらっていた蒼氷の先輩を甲府のツヨツヨクライマーに紹介したりとかしましたが、フリー主体の人とは、あんまり合わなかったみたいで、私以外に一緒に登るようになった甲府クライマーはいなかったです。
(下手くそなくせに一流の人と登ってずるいと妬まれると思うので、一応書いておきます。良い人を紹介しても、みんな嫌がって登らないんですよ)
菊地さん関連の記事 https://allnevery.blogspot.com/2017/10/blog-post_12.html
2015年の湯河原幕岩 https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post_9.html
■ ジャンボさん
ジャンボさんとのご縁は、太陽系の木星のごとく、遠いご縁でした…。
しばらく前にパタゴニア福岡で、”繋ぐ壁”という動画の発表会があり、その時、ごあいさつした程度です。
荒船のクラック付きアイスでご一緒した伊藤さんから、「ジャンボさんは、荷を担いでも全然スピードダウンしない、すごい」と聞かされていました。それを対面でお伝えし損ねたのが残念でした。
私は、甲府時代から、トップクライマーが話をする、このような会には、出来る限り参加するようにしています。
山に対する考え方など、貴重な話が聞けるからです。
ジャンボさんの話が聞けるラジオ https://allnevery.blogspot.com/2022/04/blog-post_4.html
https://anchor.fm/rainymonkeysradio/episodes/17-e1952o9
一方、現代クライマー、ジム育ちの人などは、トップクライマーの話を聞くのを実際のところ、むしろ積極的に避けている、ようです。
これは一例にすぎませんが、まだ3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいという50代の初心者日之影ボルダラーがいたのですが、2段がノーマットで登れるには5段ぐらいがマットありでは登れていないと無理だということが分からないようで、お金がないからマット買わないという話でしたし、開拓志向でしたので、彼に小山田大さんの投稿の継続閲覧を薦めたところ… (勧めた理由は、同じ日之影エリアの開拓情報が発信されるからですが)、
「どうせ取り巻きに囲まれて、ちやほやされている話でしょ」
という返事でした(汗)。 一例にすぎませんが、現代初心者のガラスのプライドを表現しているかもしれません。開拓者の苦労が報われないのもうなずけます。
別の人は、
「俺、へこむから出来るだけ、トップクライマーの情報は入れないようにしている」
とのことでした。正直です(笑)。俺も…と思っているってことで、ある意味スゴイです。
■ 現代アルパイン…俺だって出来る?わけないのにな…
私から見れば、現代のトップレベルのアルパインクライミング(スーパーアルパイン)は、8歳~18歳までのゴールデンエイジ期にクライミングをスタートしたクライマーが持つような登攀レベル(12がアップ、フリーソロできる)へ、完全に舞台を移している=マークアンドレ級…と思えるので、どんな年齢でも大人からスタートしたクライマーには、スーパーアルパインへの参加権はなしというか…、単純にカヤの外のように思えるのですが…。もちろん、垂直でなく、水平で記録を立てている田中カンヤさんみたいな人もいらっしゃいますが…。
■ 佐藤ユースケさん
佐藤さんは、甲府のクライマーなら、誰でも一度は見かけたことがある、超有名トップクライマーで、地元の誇る、アニキ分クライマーです。
私もまだ、一度も人工壁に登ったことがない時、ある山岳会の面接?で、会に入りたいかどうかを調べるのに、ピラニアで一緒に登りましょう、ということがありました。
ところが、私はハーネスを忘れて行ってしまったのです…。それで、「あ!ハーネス忘れた」となり…困っていると、「私、2つ持っているので、貸してあげましょう」という人がおり、その人がユースケさんだったのですが、5.7の壁をザックを担いで行ったり来たりしている人でした。その時は、この方が有名な佐藤さんとは露知らず。
お借りしたハーネスが、えらいくたびれたハーネスだった、という思い出があります。
その後、アイスキャンディフェスで奥さんとはしらずに、ドラム缶を囲んで世間話したり、別のジムで登っていたら、娘さんのさやかさんと同じくらいの登攀力で、ちょうどよく娘さんに佐藤さんが与えているアドバイスが私にも適用できたり…でした。
ジムに木の箱とプラスチックで出来たジャミング練習機を持ってきていて、すごいなーと思ったことがあります。あれ、中でジャムっている手がシースルーで見えるんですよね。
佐藤さん自身との接点はそうなくても、甲府にいたら、しょっちゅう名前を聞く方です。那智の滝の事もあり、愛されたり妬まれたり、良くも悪くも注目を浴びている、という印象でした。
知り合いで13登れる人が、佐藤さんに一度マルチに連れていかれたが低体温症になりかけて、懲りた、という話を聞いたことがあります。
映画の『ドーンウォール』では、トニーが、ボルダラー(ロープを使うクライミングを知らないクライマーという意味)のケビンをパートナーにして登るのですが、そんな簡単に行く話では、ないんですね。でも、どんな人にもチャンスを与えてくれている、優しさがある岳人と言えるかも? フリー志向とアルパイン志向では、だいぶ違いますしね。
他には、沢の師匠や会を探していて出かけた海外遡行同人の集会に、山梨県から参加というので、名前を書いたら、佐藤さんとNHKカメラマンと私の3人しか名前がなかった、という記憶があります。その時は佐藤さんは参加されていなかったですが。
■ 花谷さん
花谷さんは、甲府の山道具屋、エルクで、ピオレドール賞受賞の報告会があったので、当時仲良しだった南アルプスのレンジャーと一緒に、写真を撮ってもらった、という思い出があります。
当時の発表で、馬目さんがすっぽ抜け事故を起こした時のくだりで、私が、「末端は、むすばないんですか?」と聞いて、的確な質問だったようで、感心してもらった思い出があります。花谷さんは、「トップクライマーたちは、時間との戦いだから結ばないんですよ」という返事でした。
逆に言えば、トップクライマーでない限り、末端は結べ、という意味だと理解。当時、私は、山岳総合センターのリーダーコースを絶賛受講中で、山の師匠の鈴木さんと、”懸垂の末端は2本まとめて結ぶべきか、1本ずつバラバラがいいのか?”など、楽しい山議論の最中でした。(ちなみに末端は、バルキーで確保器を通過しないなら、何でもいいです。)
当時の甲府でも、ジム上がりクライマーたちが主体で、花谷さんのエクスペディションの話を聞かせても、技術的土台がないのでピンとは来ないんだろうな~という雰囲気でした。クライミングジムには行っても、山には行かない、という人が大多数だからです。ほとんどの聴衆クライマーはロープを所有していなかったのではないかと思います。
その後、まだ初心者でルートの数も稼げていないころ、関西から女性のクライマーが訪ねてきてくれたのですが、その方が、花谷さんのヒマラヤキャンプという若い岳人を育成する会に参加したので、私のR2をさし上げて応援した、という経緯があります。ヒマラヤへ挑戦する女性は一人だけだったと思います。
このトレーニング中のメンバーたちに厳冬期の甲斐駒で会ったんですが…。甲斐駒って、冬でもアプローチ確実で、黒戸尾根なら、登山口から山頂まで標高差2200m。これを8~9時間で往復できるのがヒマラヤ登竜門、ということでした。チームに参加した彼女の感想を聞くと、キツイ、ということだったので、さもありなん、と思いました。
当時40代の私の脚で、往復は11~13時間の間くらいです。標準コースタイムは、16~17時間で、私程度の人でも、年配の登山者をバンバンゴボウ抜きです。厳冬期に行く人は大体は、ピークハントではなく、黄連谷の人たちですので、ギアが重いんですかね?でも、ヒマラヤを目指す若者は全装で、8-9時間という話なのでは…?
花谷さんは、その後、七条小屋の小屋番になられたそうですが、あの快適な小屋、羨ましい限りですね。荷揚げもちょうどトレーニングにいいな、程度でしょうし…。前の小屋番さんが超厳しい、とか言われたこともありましたが、黒戸尾根はロープが張ってありますが、美しいロープワークを見て、端正な性格の山やさんなんだろう…と人柄がしのばれるのでした。
御坂の先輩は、テント泊したら、ツエルトの貼り方を講習されたと苦笑いしていました。テントはダメで、ツエルトで寝なさいって意味なのかな。でも、厳冬期だとツエルトとテントの差は大きいですよね。テントで日和るなってことなのかね。
■ 環境が良かった甲府
以上が、甲府時代に出会った方たちでした。やはり、甲府と九州を比較すると、出会える人材の質というか、そういうものが違います。
受け取れる山文化のメッセージ性も、はやり違うのではないでしょうか?
受け取り手の問題もありますが、環境、つまり、縁、ということもあると思います。
■ 九州に来てから
九州に来たのは、夫の転勤のためでしたが、すで5年目突入で、1年目はインスボンやラオス、韓国のアイスなどでごまかし、九州では、ほぼ登攀しませんでした。
パートナーが見つからず、というのもありましたが、そもそも登攀を紡いでいける環境にないというので、当初から別の活動…ヨガなど…を頑張るつもりでした。会は、全部行ってみましたがダメでした。
ところが、2年目から山梨アルパインクラブ時代の先輩の荒木さんが引っ越してきたので、クライミングライフ復活。
今、振り返ると、当時で10年以上登ってきた山梨クライマーの荒木さんでも、百岩場だけが頼りの状態だと、安全という意味でもスレスレです。夏の暑い時期に、暑いと分かっている岩場に行ったり、40年前のボルトで地元クライマーが避けている課題に取り付いてしまったり…、これどうみても5.9じゃない…、12登れる人がまさかの10b落ち、とか…、色々二人で、”勝手の分からない岩場”の洗礼を受けてきたなぁ…という感じです(笑)。いや~、生きていてよかった。彼とは兄弟分みたいな気持ちが最初からありました。私の愛で愛せるだけ深く愛したなぁという気持があります。
小川山なら、初心者はこれを登れ!みたいなアドバイスが、古い『岩と雪』には載っていたりし、それらは、けっこう現役(=人気課題でリボルトされている)だったりもしますが、九州の岩場では、古い雑誌のおススメは、現在の危険課題。安全な課題は、スポーツクライミングの選手クラスが登るような、高難度課題です。5.13以上ですね。
要するに、初心者向けの課題の、ボルトの取り換えが遅れている地域です。取り替える内容についての知識も遅れている様子でしたが、その点について普及団体?このような団体が出来て嬉しいかぎりです。
■ 権威性が必要
例えば、カットアンカーでのリボルトを現代でもしようと思うクライマーがいた場合、
私のような素人が、「それは、もはや30年前の常識ですよ」というのと
アルパインクライミング推進協議会、がいうのと
では、どちらが、「そうね」と聞き入れやすいでしょうか?
”阿弥陀北稜に一人で登れました、アイスコンペで5位でした”程度の、大ベテランが見たら、いわば毛も生えそろっていないような娘っ子(まぁ、もう50代ですが…笑)に言われても、みたいな気分になっても仕方が無かろうと思います。
とはいえ、そういう方々も、もう80代。当然と言えば当然ですが、そんな娘っ子が登れる程度のところも登れなくなってきます。人は老いには勝てない。
■ 現代初心者の増加
一方で、クライミングジムの普及による現代クライマーの人口増は、まったなしです。
”僕、人工壁で5.11登れるんで、北岳バットレス行きます”…みたいな発想の人が、そのうちの6割としても、どんどん増えています。
■ ”アルパイン”の定義のゆらぎ
九州でも、ちゃんとした山岳会に属している人ですら、”根子岳(脆い岩場で知られる)にのぼりたい!”とか言ってきます。
私から言わせると、無雪期の岩稜帯をアルパインと称するのは、たぶん少し違うという気がしますが…冬壁がアルパインクライミングの前提のように思うので…でも、夏山の南アルプスでの登攀のことも、みんなそう言っていますしね…。解釈の幅が広くなって、北アや南アみたいにアルプスと呼ばない山域…例えば根子岳…の山のルートもアルパイン…。
現実的には、フリークライミングしか知らない人から見たら、ゲレンデ以外の山として、山にあるマルチピッチのルート=全部アルパイン、みたいな感じに受け取られていそうです。
この受け取り方の問題は、
支点を作るルートを1度もやったことがない=残置が暗黙の前提
冬壁が分からないので、脆い岩という意味がわからない
となり、
岩が脆かったら、いくら登攀力があっても全く対策なしっていうことが、一向に理解できない、
ことなんですよね…。
例えば、山梨で若い男性にアルパイン入門ルートとして人気があるのは、阿弥陀南稜ですが、コンクリートされていない(寒さで岩が固まっていないって意味です)に行くのは、バカね、と常識が形成されており、11月などの微妙な時期に行く人は、まずいないです。
九州では、一年を通して、どの山もコンクリートされない…。唯一、岩稜=アルパインっぽい雰囲気が味わえる山=根子岳なのだそうで、事情を知らないで、ただ皆がそういうから、という憧れだけで行きたい病にかかる人が多いらしく、『九州の岳人たち』という本に、ずらーと死者の名前が書いてありました。
もともとは、まっとうともいえる、岩稜帯への憧れ=岩尾根をつなぐ登り…リッジ登攀…が、結果としては、単なるミーハーに転換されている、ということです。(九州なら日向神に初心者向きリッジルートがあります。)
九州の根子岳を登って一巻の終わりになるくらいなら、少しお金を出しても、北アで前穂北尾根とか、明神主稜とか、に登ったほうがいいと思いますが。 (どっちも私が行った山です)もちろん、バリエーションに行く前に、ノーマルルートでエスケープなどを確保しておくことは必要なのですが。
ミーハーというのは言葉がきついかもしれませんが、
= 脆い岩場へ対応する、技術的裏付け なしに行く(行きたがる)、
ということです。
■ 脆い岩
たぶん、脆い岩場へ対応する能力って、アルパインの能力の中でも、かなり上級レベルです。
避ける以外、ほとんど対応のしようがない、というのが正確なところ。となると、初心者には非常に向いていないです。
初心者というのは、ロープを使うより、ロープに使われ、登るだけで精いっぱいなのが、大体の初心者像ですから。 10年以上のキャリアがある、5.12はRPできるようなクライマーでも、ルートに出れば、登攀の負担もあるので、ロープを使いこなせるレベルにあるとは言えません。
■ リードする権利か連れて行ってもらう権利か
その上、たぶん、男性初心者というのは、ほとんど全員が、”初心者は、先輩にセカンドで連れて行ってもらうのが、当然の権利”、と思っていそう…です。
実際、ルート(マルチピッチの経験数)が、20、30と貯まるまでは、ルート内のリスク認知力がつかないので、リードは取れないと思うのですが…、それはリードさせてもらえない、リードする資格がない、という意味で、セカンドで連れて行ってもらえる権利、というのとは違います。
そこのところが、大誤解が起きている。その原因は、山岳会の新人欠乏で、(接待され過ぎた新人さん問題)が起きているからです。
接待され過ぎ=セカンドで連れて行ってもらえることが権利意識、になってしまいます。
権利意識にならないまでも、ちゃっかり、ということは起こり、それを期待している人は、他の人の努力の内容を見ずに、運の良さを妬みます。
私と組んでいた大学院生のO君も、運が良い子です。事情は、初めて私のセカンドで、アイスのルートに出たとき、彼に、僕、懸垂下降をしたことありません、と現場で言われてしまったのです。その後、だいぶ新人教育をしました…。というか、先輩の務め、としてしなくてはならなくなった。これは、私が有料でやってもらったことを無料で教える行為でした。が、セカンドで連れて行ってしまった手前、仕方がないです。
私もまさか、懸垂下降ができない人が、ルートに誘われたとき、”行きます”と言うとは、夢にも思っていなかったのです。彼とはアイスのフェスであったので、油断していたのでしたが、連れて行ってしまった手前、教えるべきことは先輩の義務として教えなくてはならなくなります。山で死なれるわけには行かないですから。
そういうカラクリで、先輩がやたら親切、ということの事情に、
山やの義務の伝統がある、
ことには、一般的新人さんは気が付かないです。 なので、一度そういう目に合うと、
おねだり(もしくは先輩の側のうっかりと新人の側のちゃっかりの合成)と暗記の山
が、はびこることになります。
連れて行っちゃった手前、技術伝授しなくてはならなくなりますが、先輩は一回教えたら義務終了。
ですが、技術って一回では身につかないので、技術が身につかないまま、山の名前が残るということです。
ちゃんとした岳人なら、そう言うことにならないように、先輩に連れて行ってもらった山には、時期を変えて自分が後輩を連れていく、なりして、自家薬籠中のものとし、自分の血肉となるまで回数を登るわけですが。
つまり、それは、次の、自分の山、の土台にするためです。師匠クラスの青木さんでも、荒船昇天へ私を連れて行ったのは、自分の復習のためでしかありませんでした。ホントは、私のための中山尾根の予定だったので。
が、一般登山レベルの山で自分の山を紡いで来なかった人の場合は、
ルートコレクションの一つ…行ったことがあるけど、連れてはいけない
になってしまうかもしれません。 そうなると、
行ったことがあるルート名を聞くと、ずらりとあるけど、後進には教えることができないクライマー揃い
になります。
例えば、前に御坂山岳会に来た50代の新人さんで、行ったことがあるルートを聞くとすごいのが、ずらり、とならなんでいるので、先輩一同、フリーは5年の経験がある、というので、この人は新人時代は終わった人だろう、とすっかり安心していたことがありましたが、実際、蓋を開けると、岩場で、中間支点を引っ張りながら登っていたり、沢ではロープ出さずに死者が出たような滝を登ろうとしたり、で、?でした。よくよく聞いてみると、年に一回を5年でトータル5回位の経験で、ぜんぶセカンド。なるほど、だから、北岳に皆で行ったときも、バスにバイルを置き忘れてしまうわけです…。
■ 履歴を聞くだけではダメで、リードで登った山を聞いてもだめで…
そんな感じで、ルートの名前で相手の実力を図ろう…ということ自体が、無効化しているのが現代のようです。
もちろん、トップクライマーの人たちが海外の山のルートをずらりと書くのが、ルート名で実力を誇示する伝統の始まりだと思うのですが…。
その習慣で、自動思考で、この程度の山に登ってきた人だから、この程度の山に登れる人だろう、と想像すると、期待は外れる、ということです。
私にしても、阿弥陀北稜にソロで行っていますと書いているわけで、同じことをやっているわけなのですが、これは内容を説明すると、阿弥陀北稜というのは、アルパインの入門コースで、その入門をソロでこなせる力があるなら、後輩一人くらい、そのレベルまでは年間のトータル指導ができるよ、という意味です。そこまでは教えられる。
逆に言えば、そこまできちんと教えられたら、後はクライマーたるものは、勝手に自分で成長していけるはずです。短く易しくても、阿弥陀北稜には、山のエッセンスは、みんな詰まっているので。
■ ”先輩”の意味の捉え方
山岳総合センターのリーダー講習の到達目標は、赤岳主稜でしたので、私はこれはクリアできていません。
が、当時参加していた御坂山岳会のメンバーでは、セカンドでも主稜はもはやできない、無理だそうでした(当時)。
ので、私は赤岳は一般ルートの地蔵尾根、文三郎尾根が一番難しいルート(ロープが出ないギリギリ、コンディションが良い場合)で、これは山岳会に入ってもいいよ、という入会許可がでるレベル、です。
厳冬期赤岳が一人でこなせない人は、山岳会には、そもそもどこにも入れないです。
ちなみに赤岳以前は、ジョーゴ沢から硫黄を詰めたりとか、大同心稜から横岳とかに行っています。これらも一般登山客は来ないルートです。アイスも入会前にスタートしています。
私の阿弥陀北稜は、つまり、年に一人くらいなら、後輩のトレーニング相手になれるという程度の意味です。私の後を北稜でついてきたら、八ヶ岳の縦走もすっ飛ばし、人工壁でのビレイ練習もすっ飛ばし、確保器の使い方を取説を読んで目を皿にして学ぶというプロセスをすっ飛ばし、岩場でのリード練習もしなくて良く、天候の勉強、生活技術の勉強もしなくていい、という意味ではないですが、大体の人は、大体、前者のイメージで、先輩を捉えている人が多いように思います。
■ なぜ先輩はガイド扱いになったのか?
どうして先輩=ガイド扱い、になったのか?というのは、九州に来て、山梨時代より理解が鮮明になりました…。
過剰な親切…、終了点はロープ直がけでいいよ~、というのが常態化
してしまったので、若い人から見ると、それの何が悪いのか、分からない、という状況に陥ってしまっているわけです。
だれか知らないが、岩場をよく分かっている人が、見えない妖精さんみたいな形で、いつのまにか、残置のカラビナを新品に交換してくれ、ボルトの強度を保証してくれ、キノコみたいに、岩場には自然とボルトが生えてくるもの… という感性に陥ってしまっているということです。
■ 岩の見極め力
その現状を思うと、このアルパインクライミング推進協議会は、
支点構築するのに適した岩を見極める方法、
から教えるのが、はるかな道のりの最短距離ではないか?と思ったりします。
山岳総合センターでは、例え、使う機会が著しく少ないにしても、ハーケン打ちから教えますから。下手したらハンマーとハーケンを持っていない人は、山に連れて行かないレベルです。
それは、日本のアルパインクライミングが残置前提になったら悲しいから、なのではないかと推測するのですが。
■ 過激な意見?
残置のボルトは全部抜け、というのは、過激な意見と目されているとは知っていますが、
そもそも論が分からなくなっている=そもそも山に残置はないですよね?
というのが、”グレード1点主義”病の原因なので、どんなに易しいところでも、そもそも支点が作れないと登れない、もしくは、フリーソロと同じだ、というのが、実体験としてリアルに分かることの方が大事なような気がします。
そうすれば、過去の偉大なクライミングの偉大さも、今よりもっと理解ができ、年配のクライマーに対する敬意も増えると思います。 (みなさんが欲しいのは、これですよね?)
九州では、代表的な沢、祝子川ですら、スポーツルート化して支点整備されてしまっているそうです。
沢で支点打ちしないのでしたら、一体どこで打つ練習するんでしょう…
こんな程度の山でもリスクはあるのに、これをリスクと数えると馬鹿にする文化になっているかも?