■ しばらく旅にでていました♪
今回の旅…は、那智の滝という切り口で見ると、私の本格的がつく登山の歴史…この10年をを振り返るような…そんな旅になった。
夫の仕事の都合で山梨転勤になり、時間ができたので、余暇に雪の山に行き始めた。すると、私自身にとって、全く危険がなく、ゆとりで登頂できるような山すら、”危険だ、危険だ”との大号令で非難された。そんなに言うなら…と言われたとおりにする=ツアーに参加する、と、結局、何も得るものなく、大枚を取られた。例えば、厳冬期のしらびそ小屋に行く程度で8000円とか。そんな山、朝飯前すぎてツマラナイ。どこが危険なのかもわからない。4歳児でも行けるよ?
とはいえ、ピッケルの使い方は知りたくなり、きちんと分かっている人ということで、三上ガイドを紹介され、教えを乞うことになったが…それで知ったのがアルパインクライミングの世界だった。
時は、2012年の7月… 那智の滝事件が起きた。
いたずら?(笑)した側の言い分は、ここで読める。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1460910422329/
私は大阪時代は、山登りというのは老人の趣味だと思っており、別に興味がなく、山梨に来て雪の山だけを登っていたので、当然だが、クライミングにも興味がなかった。そんな中で三上ガイドに会ったのだが、様々なご縁があって『八ヶ岳研究』は好きだった。『北八つ彷徨』とか、そういうのが好みなんです。つまり、まったくアルパイン派ではなく、逍遥派。
その状態で起きたのが那智の滝事件でした…。まぁ、正常な社会人の私の目からは、完全にアウトでした。
ただ、三上ガイドが、やたら佐藤祐介さんを羨ましがるのが、不愉快だった。なんで私に言ってくるんだ、って感じで。そんなに羨ましいなら、自分もやれば?みたいな。まるで、私が三上ガイドを佐藤祐介にしてやる義務があるかの如く、俺だって!と主張されて、当時ホント謎だった、です。
現在は、私はアイスもフリーもひと段落し、ミックスの入門ルート(M5)も登った経験があり、フリーでいいなら海外でも一人で行ってパートナーを見繕って登れるので、その深まった知識を持って、過去の三上ガイドの行動を判断すると?
三上ガイドが、”時期とチャンスさえそろえば、俺だって佐藤祐介になれた”という気持ちは、まったくの無知に基づくもの、に過ぎない。と分かるようになった。
だって三上ガイドは、5.9でもやっとか11程度の登攀力しか、もはやないと思うからだ。一昔前の山岳会のリーダークラスの標準的な登攀力は、5.12がRPできるレベル感で、それは、5.9がリード確実で、5.11までは、ほぼ落ちないというレベル感のことだが(=中山尾根がリードできる)、それは過去のトップクラス。
現代では、5.12がフリーソロ、つまり、一昔前の5.9並みということなのだ…。そのレベルを、標高5000、6000に持って行っているわけで、登山から離れて10年のギャップがあった人には、佐藤さんの偉業の内容が全然伝わっていなかったからこそ、
羨ましい
という気持が湧いたのだと分かる。俺だって、と思う気持ちは、スキルレベルのけた違いの違いが理解できないからこその、羨望であり、俺だって、の気持ちだ。三上ガイドは逆立ちしても、スーパー赤蜘蛛フリーソロはできないだろうし、パタゴニアや黒部の登攀だってそうだ。
きっと全国の山岳会で同じような現象が起きているのだろう…。つまり、昔のリーダーの基準で、リーダークラスと判断された人を、世界のトップクラスの人がやっている登攀に、「お前だって出来る」とけしかけてしまうようなことだ。というのは昔のリーダークラスの人が、もはや現代のトップレベルのレベルが理解不能だからだが…。
どうも昔の山岳会は全国で、似たり寄ったりの実力だったので、あいつらがやれば、うちらも…、みたいなのが普通だったらしいんですよね…。 その感覚が抜けないだけみたいですが、現代でそれをやると、未熟なレベルで、高度な場所に取り付いてしまい、理解力がある人からはバカに見える(例:ネット中継でエベレストで死んだ人…名前忘れた)
■ ”レべち”を理解されない苦悩
レべちというのは、”レベルが違いすぎる”という意味です。
那智の滝を登ってしまった佐藤さんらの苦悩は、日本の山岳社会が、レベチを理解しないという苦悩だと思います。
いくら、スポンサーを貰ってもスポンサーシップだけでは、遠征費用に足りないのではないかと思いますし…。
世界の一流クライミングをしている人たちも大変なんだなーって生活を見ていて思います。
そこで苦肉の策で出てきた那智の滝なのではないか?と思いますが…真相はどうなんでしょうね。
■ ボロ壁だった…
今回、那智の滝を生で見る機会が出来て、あの壁をクライミング的に、”ステキ!登りたい!って、一般クライマーにはないな~”と思いました。なんか、行縢のボロ壁みたいな感じだった。
一般的ではないちゃんと5.13が登れるフリークライマーにとっても、脆くて登攀価値なさそうだった。
まぁ、アルパインの人もフリーの基礎力が上がってしまって、たいていのボロ壁はこなせるレベルになってしまったってことなのでしょうか…。
どの程度が登攀価値がないボロ壁か?という判定も、昔と今では異なってしまったのでしょうか…。
現代のスキルアップした登攀力を持ってすると、相当なボロ壁まで登れてしまいます。
■ 行縢
行縢に行ったときも、この壁をステキ!登りたい!と思うのか、自分に問うてみましたが、私にはないな~と思ったので、マルボーさんとか、ちゃんと開拓してくれていて、ホントえらいよな~!と。しかも、売名行為はしていないし。ほんとうの実力があるってことかな。
行縢は、最近、開拓されて、一般クライマーが楽しめる5.11レベルのマルチができました。
一般クライマーでも、11のクラックが登れる現代…。昔は5.9とか、10代がそうだったのです。
■ 熊野古道
那智の滝より熊野古道を歩きたくなりました。
今回出会った外山さんは南裏健康さんの幼馴染でしたが、那智の滝に登ったことについては、はっきり反対していました。
私の感性からも明らかすぎるくらいに失礼な行為で、当時、アルパインクライマー業界は謎だな~と思ったのでしたが、フリークライマー業界では、クライマー側をサポートする意見が根強く、クライミングのためなら、社会規範や人の気持ちを踏みにじっても良い、と考える、極端なクライミング原理主義が根強いです。
その中で、健全な心の人に会えたのが良かった。外山さんはフリー全盛になってクライミングがつまらなくなり辞めたそうですが、山でクライミングをスタートした人からは良く聞く意見です。たぶん、私もかも、です。
日本のフリークライミングの世界観に魅力を感じたことは無いかもしれません。
ラオスのフリークライミングの世界は好きだったのですが、それは、あまり男の意地とか、プライドが関係ない世界だからかも。ラオスはとにかく楽しかったですね。クライミングしていれば、安上がりに楽しめるので、エコなスポーツだと思います。登山と比べても、自然界に与えるインパクト小さいし。
好きなのは、アウトドア活動、であって旅であり、クライミングではないかも。
■ フリークライミングの旅終了
アルパインをするにも、フリーに専念しろ、と言われ、そうか、とやってみたのですが…成果のほうですが、”散々”と言うグレーディングが正当なのではないでしょうか?
白亜スラブの記録を見ても、殺されかけてる…(汗)。
まぁ、たぶん、フリークライミング界でまっとうな人と繋がり損ねてしまっているのかもしれませんが。
気に入ったのはラオスのクライマーの世界観。つまり、ドイツのクライミング観。
日本国内のクライマー感性とは私は全く合わないです。もう目も当てられない。粋がりと男性性礼讃主義で、師匠の青木さんなどは、私のパートナーを見て、アイツ、ホモなのか?とか、私に聞いてくるほどでした。
そんな男性性PRでいっぱいいっぱいの人に付き合って終わった、私のフリークライミングの歴史…
ある意味、面白い旅だったなぁ…。
ある意味、戦後の日本は父親不在の家が増えて、世の中の男性は女性の愛し方を教わらなかったのかもしれません。 こちらが今回出会った旅で見た光景。女性として羨ましい限りでした。
■ マーク・アンドレ
最近、映画の”The Alpinist”というのを英語版で無料で見ました。偶然、私のネットに現れたので、神の思し召し…
いい映画だったんですよね。
私は、バカみたいな、犬死に反対しているのであって、山での死を全否定しているわけではありません…そこが九州の人には伝わらない。
九州の人というくくりが悪いかもしれませんが、私が見た限り福岡の歴史ある山の会の人でも過去にとどまっており、到底、自慢するレベルにないレベルで、イケイケをPRする場になっている…大阪の人もそんなところあります。階段10段飛べるほうが、5段しか飛べないより偉いみたいな…。子供っぽいところって意味です。
そこがどうしても九州人には分からないらしくて、本州や北海道の山などで遭難者を出しているのも、九州のツアーが目につきます。ある会では、北鎌尾根程度で死者を出していました。会山行で、ですよ?ロープを出すということを覚える前に死んでいる。
九州では明らかに入門者にロープを出すレベルのところで出さないです。(どの時点でロープを出すべきかは、クライミングをやっていない人とやっている人、山岳会レベルでは違います。私は初心者をガイドできますが、自分が歩くときは山岳会レベルでしかロープ出しません)
九州は暖かくて山のリスクがある山が皆無だから、リスク感性は身につかないということだなぁと思いますが、本人が気が付かない、見えないものをいくら、見えている人が言ってやっても、同じなんですよね…
つまり、三上ガイドが佐藤祐介さんを見て、”俺だって”と思ったのと同じ構図なんです。
■ 俺だって型ギリチョン
”俺だって”と思うと、ついギリチョンをやってしまいますよね…。
そういえば、三上ガイド、シュラフ忘れて北岳行っちゃったことがあったなぁ…。
あれは、花谷康弘ガイドが女性の登山者を連れてマンツーマンで北岳へガイドで登ったのが羨ましかったのでした…それで、”俺だってこの程度の山、個人ガイドできるぜ!”ということを示すために行ったら、なんとシュラフを忘れていくことになったのでした…
私の夫も、よく俺だって型アウトドアをやります。突然10㎞マラソンに出たり、元君ともたまには遊ばないと、と思って出たオリエンテーリングの大会で、夫婦の親睦がテーマなのに、勝つために一人で出たいと言ってきたり…と、それは、自分のレベルを客観視できず、俺だって、とプライドがもたげてしまうからです。
体力自慢やイケイケ自慢のプライドで、アウトドア活動しなくていいですよ…何しろ、楽しくてやるのが趣味なのですから。
私が行く沢や雪の山、あるいはクライミングが可能なのは、体力や登攀力の問題ではなく、単なる理解力の問題です。沢も理解力の問題だし、ビレイの上手下手は、知性の問題。海外にクライミングに行けるか行けないかも、能力の問題で、勇気の問題ではないです。
能力の問題は、スモールステップに分解すれば、対処可能です。
つまり、誰でも私がやっているようなことはできるということです。羨ましがるに値せずです。
■ 頑張る方向違い
つまり、頑張る方向違い、ということなんです。
山岳総合センターのリーダー講習では、春山の雪上訓練は、宿泊はビバークを兼ねていますが、男性たちの参加者は、GWの春山なのに、分厚い厳冬期用シュラフ… 贅沢な甘ちゃん仕様。ちゃんとツエルトだけで過ごした人は私だけでした…
男性が頑張らないといけないのは、どちらかというとそっちです。自然界への対応力を上げる方。歩荷力なんて、何もしないでも、女性より上、です。
まぁ、フリーの世界は、担がなくていいから楽できて、それで難しい課題に力を振り向けることが可能なわけですが… 17kgしか担いでいないワタシより歩けない男性と組まないといけないとなると、ただでもアウトドアでは弱者の私に負担が来ることになり、死へまっしぐらかもしれません…
アルパインをやっていたクライマーの間では、ボチボチやるフリーは老後の愉しみ、みたいな感じです。