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2023/01/31

NGワード → 修正ワード

Wrong  → Correct

 (○○選手(または俺)はできるのに)お前はなんでできないんだ → どうすればできるようになるか、一緒に考えよう

 〇〇は△△と違って、飲み込みが早いな → できなかったら、○○にコツを聞いてみるのもいいよ

この試合は、○○が活躍したおかげで勝てた → この勝利は、チーム全員が頑張った結果だ

 筋肉がついてがっしりしてきたな → 引き締まったアスリート体形になってきたな

練習頑張ろう と選手にボディタッチする → ハイタッチ

必要以上に至近距離 → パーソナルエリアに配慮

みんなサボりそうだから見張ってるよ → 今日は自主練タイムね

必ずこの練習メニューをこなしなさい → それぞれ自分に必要な練習内容を考えてみよう

それくらい自分で解決しなさい→ どうすればいいか一緒に考えよう

言われた通り黙ってやりなさい → 疑問に思うことがあったら聞くよ

私の指導は絶対に間違っていない → 必要だと思う練習法はあるかな?

試合に勝つには、必ずこうしなければいけない → 試合に勝てるよう、一緒に対策を練ろう

辛いならさっさと帰りなさい → 応急措置でダメなら、医者に診てもらおう

最初から練習に参加すべきじゃなかった → つらいのによく頑張ったな。もう休んでもいいぞ

試合前なんだから、甘えるな → 負荷の低い練習に変えてみようか

どんなウエアを着ても一緒ね → 新しいウエア似合ってるよ

ファッションなんか気にせず競技に集中しなさい → 好きなものを身に着けると気分があがるね

キャラクター柄の水筒なんて子供っぽい → このキャラクター人気があるよね

お化粧する時間があるならもっと練習しなさい → 個性的なファッションは自己表現

先輩だからと必要以上に敬意を払う → 競技とプライベートを切り離して考える

ライバルから遠征先でのサポートを必要以上に受ける → 相手の戦略をかわして上手に付き合う

対戦相手を意識して口も利かない → 自分軸を確立する

中身のない誉め言葉 → 中身のない誉め言葉はアスリートには響かない

休憩中だからって気を緩めないで → しっかり休んだら切り替えて

休憩中だからってくだらない話しない! → 私も混ぜてくれない?

常に競技のことを考えなさい → たまには、競技から離れてリラックスすることも大事

なんで言葉で理解できないんだ!→ 手本の動きを見せるよ

なんど説明したらわかるんだ → 言葉では説明が難しいから録画した映像を観よう

いくら注意してもなおらないな → 悪いフォームを録画するから、後で一緒に確認しよう

先輩のやることは絶対。間違っていない → 間違いに気がついたら、先輩でも指摘しよう

先輩の言うことには従うべき → 先輩の良いところはたくさん吸収しよう

年下の癖に偉そうにするな → 年上だからって偉いということはないよ

ほんとうはもっと褒めてほしい → 練習でときどき手を抜いていることに気付いているよ

いつでも大声で話すのを辞めてほしい → 大声でないと、いつまでも無駄話を辞めない

たまには自主練習の時間もほしい → みんなのことが心配なんだ

つらいことはさっさと忘れろ → 無理に忘れなくていいよ

試合中まで引きずるんじゃない → 試合が終わったら、また一緒に悩もう

悩みがあるなら言いなさい → 吐き出すことで楽になるよ

過去は忘れて、今と未来だけをみよう → 今があるのは過去の積み重ねがあるからだよ

過去のミスはもう忘れていいよ → 伸び悩みは過去のミスが原因かもしれないね

いつまでもうじうじ悩んでいるんじゃない → 相談に来たのは前向きになっている証拠だよ

チームのために痛みを我慢させる → 体調が悪い時は無理をさせない

習得スピードの遅さを叱る → 女子アスリートの集中力や継続性を褒める

褒める時も叱るときも個別に呼び出す → 皆で共有する

チーム内の不穏な空気に鈍感 → 異変を素早く察知する

原因から解決法まで先に提示する → 物事に対して考える癖をつけさせる

チームが強いのは自分がいるから → 自分だけの力で勝てない

後輩は先輩をサポートして当然 → 支えてくれる人に感謝する

自分だけが活躍すればいい → チームのために何ができるのか?を考える

声を出して、もっとチーム内でアピールして → 自分の役割を考えてみて

勝ったんだからもっと喜びなさい → 努力が実ったね、お疲れ様

今日は各自が自主練しよう → 今日は三グループに分けて自主練しよう

欠点の○○はチームの足を引っ張っているぞ → 欠点の○○を治せば、もっといい選手になれる

みんな一緒に練習したのに、なぜおまえだけができないんだ?→ 人それぞれのペースがあるから、地道に頑張ろう

このくらいのことは簡単にできるはずだぞ → 練習をもっと積めばいつか必ずできるようになる

今日のメニューはこれ → この練習はきついよな、でも、試合で役立つよ

体力に余裕があるならもう五周!→ 練習が終わったら、みんなでストレッチしてクールダウンしよう

練習が終わったら、さっさと片付けなさい→ コンディションが良いなら、もう少し別なメニューをやってみようか

○○と仲良くしなさい →  チーム内で悩んでいる人がいるみたいだよ

プレイが良ければ、人間関係なんてどうでもいい → チームを強くするには人間関係も大切だよ

割り切って考えなさい → 無理してわりきろうとしなくてもいいよ

いつも通りやればいいんだ → この練習にはどんなテーマがあるか考えてみよう

試合に勝つためにはこれだけやればいいんだ → 勝利に近道はない 地道に頑張ろう

何も考えず、メニューをこなしなさい → 試合をイメージしながら練習に取り組んでみよう

メニューはこっちで考えるから考えなくていい → 何か疑問に思っていることはある?

今の時期はこれをやっておけばいいんだ→ 今フィジカルを強化すると、夏場でも体力が落ちないよ

キャプテンの言うとおりにして → もっと他に良い方法があるか話し合おう

キャプテンでもないのに、練習内容に口を出さないで → チームにとって良い情報があるなら、遠慮なくて提供してね

競技に人間関係を持ち込まないで → 同じ目標に向かってみんなで良いチームにしよう

○○と△はペアを組ませない → 一緒に片付けしてくれるかな?

○○は浮いてるけどいいか → ○○はチームのことを真剣に考えてくれてる大事なメンバーだ

レギュラー以外は自主練 →  一緒に行動させる

君の実力ではレギュラーに慣れない → レギュラーはすぐそこ。課題をクリアにしよう

うちのレギュラーは不動のメンバーだ → ときどき入れ替える

■ 太字のところは自分用

自分を譲りすぎる

割り切りすぎる

回避的すぎる

が分かりました。言葉がけはホント重要ですね!

注意点としては、

趣味のクライミング

競技ではない

ってことです。同じ心理テクは使えますが、

趣味のテニス

も、

競技ではない。

大人のバレエ 

コンクール関係ない。

プロになるのと、同じプロセスは一般の人も経るのですが、同じ結果を求める必要はない、ってことです。当然ですが、分からなくなる人が多いので要注意ですね~ 

 

 

 

2022/09/12

当方、バーンアウト中です

そうか、私はバーンアウトしていたんだなぁと自覚

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

■バーンアウトとは?

1)「意欲を持って取り組んでいた仕事に対して、急にやる気が出なくなった。」 

2)「これまでがんばれていたことががんばれなくなって、どうでもいいとなげやりになってきた。」 

3)「目標を達成して、さあこれからという時なのに、気力がない。」など。
です。
 

この心が燃え尽きたように意欲を失った状態を、バーンアウト・シンドローム(燃え尽き症候群)と言います。 

■ バーンアウトの特徴 

1)情緒的消耗 

感 情緒的消耗感とは、感情的なエネルギーが枯渇している状態です。身体も疲れているのですが、特に心の面で力を出し尽くした消耗感が特徴的です。 意欲が高かった人や責任感のある人ほど燃え尽きてしまいやすい。 

2)脱人格化 

人に対して気遣いをする余裕がない、人に興味が持てなくなる、人の気持ちに共感しづらくなる、コミュニケーションがおっくうになるといったことです。 

3)達成感の低下 

バーンアウトする前は意欲的に取り組み、それなりの成果や達成感があった人が、やる気を失い、がんばれなくなったとしたら、パフォーマンスの質の低下は避けられない。
前のような結果は出せなくなるでしょう。 

達成感 低下
やりがい 低下、
自分自身の能力への疑い 浮上
 

■ 心的エネルギーを取り戻すために何をしたらいいのか? 

1)心を休める時間をつくる 睡眠や休養 = 物理的なお休み
ぬり絵、写経、編み物、プラモデル、運動=心を休める時間=自分を苦しめる考えと距離を取れる時間 

2)価値観を見直す バーンアウトは「これまでの延長ではどうにもならない」という地点に立つことで 「自分にとって何が大切か?」を自分に問うきっかけでもあります。
=より自分らしい生き方を手に入れるチャンス 考え方・感じ方の調整
=「こうでなければならない」という完璧主義をゆるめる
  自分や他人への期待を手放す
   優先順位をつけて取捨選択、
  できない自分を受け入れる

■ 自分は何が好きで、何が喜びで、何が楽しいのか?
調べ方 その1)

仕事が忙しくてあきらめていたことや、これまで自分に我慢させていたことにチャレンジしてみ
その2)「プチ体験をしてみよう」くらいからがいい
その3) 楽しさや喜びを心に取り戻す
=心に活力 = 意欲
 

以上メマガより抜粋引用… 成形当方。


■ そもそも 山が好き

雪山が好きで、クライミングはそのついででしかなかったんだよなー

国際交流が好きで、クライミングは、そのついで。
雪が好きなんであって、山ならどこでもいいわけでもないし…どこか寒いところに行くべきだなぁ… アイス登りたいな~。

 ベースキャンプの帰りの奥多摩林道でバーストしたタイヤ(笑)今ではすっかり自分でスペアタイヤに変えれる女になりました…


2022/08/06

おかもん仏教の日

■おかもん仏教の日

今日は大阪からおかもん先生をお招きしている日。仏教説話のイベントを、ウミカエルでしてもらうことにしたんだよな。

https://amzn.to/3Qpm05a

ウミカエルの会場費は4000円。宿泊費は1500円。スイカ割したいのでスイカ代。2000円。これくらいが寄進の予定。一方、先生はこのために前後泊するそうで、交通費と宿泊が余分にかかる。

これまで、アルパインクライミングの危急時講習を開催しようと思って、何年もやっていなかった。村上先生は講師料はイラナイと言ってくれたのに。

理由は、せっかく先生が善意で教えようと来てくれても、

 誰も感謝しないんじゃないか?

 来ないんじゃないか?という疑いが濃厚

だったからだ。価値が分からない人が多数だろうと。

なにしろ、あの

 フリークライミングインストラクター協会の、”奥村”さんのビレイ講習

にすら、たった1000円程度の講習費であっても、私が誘った人は誰も来ない。

基本的に自分を強いと自分を自覚しているクライマーは来ない。

ビレイも通り一遍で出来ていると自覚がある人は来ない。

でも、そういうのは、慢、なのではないかと思う。

何年も毎日クライミングブログを大量に書いている私でも、まだ学ぶことがあるのに。

一生クライミングは学びだ、と私は思う。

…しかし、クライマー業界は慢業界だ。というので、私のクライマー業界に持っている信頼は著しく低い。


なんとか寄進する勇気…一方的に、奪われて終わりになるのではないか?という恐怖を乗り越えることができるようになったのは、やっとこさ、仏教説話の会において、ということだ。

宗教が絡んだ会だから、まずまず、変な人はいない。

不寛容の世紀末的な様相は、日本においては、クライマー業界にこそ、高まっていると思う。

男性クライマーが、どうだ!俺!と生涯アピールし続けなくてはないのは、そうしなければ社会からつまはじきにされてしまうからなのだ…。


 

 

2022/07/28

苦痛系思考vs報酬系思考

■ 苦痛系思考vs報酬系思考

そもそも、苦痛系思考vs報酬系思考が何か?はこちら。 

https://www.neet47.com/archives/128?fbclid=IwAR33mN5LvMi3IsXducESBuvbafAYrV1Dy6hzs6eDLNjPgj_GP2YyE65x2xk

さて、荒木さんと登っていたのは、2年ほどですが、いや~後になればなるほど、クライミングに行くことが苦痛系思考になっていましたね…。というのは、私がきちんと山の記録をつけるタイプで、行ったときは、”楽しかった~”と思っていても、よくよく考えると、”おや?”ってことに気が付くからです。

白亜スラブも、記録を見ると、苦痛を感じている風情はない。が、これはヤバいと後で理解するようになっている。かなり時差があります。 福岡山の会と行った比叡も同じで、直後はリード出来て良かった~程度ですが、後で送られてきた写真を見て、”げげー”。

さて、報酬系と苦痛系はこのような違いです。


例:
自分の山に登っていた頃… 報酬系
 予習時間 数日~1カ月と多大
 その前の気分 わくわく 何が起きるのかなぁ~♪
 実行中  まさに人生を生きている!
 その後  ああ~楽しかったなぁ~
 

フリーになってから…苦痛系
 予習時間  予習しようがないんだよ…トポ古いし、誰に相談したものか分からないし
 その前の気分 これも未来の楽しい山のためだ、我慢我慢
 実行中  ガンバ!って言われてももう頑張ってる…
 その後  うーん、何筋が弱いから登れないのかなぁ?
 

これを41歳だから、トータル8年(うち3年は怪我で休養しているが…)と、山そのものをやってるより、長い時間やったわけで、マジ私はよく頑張ったと思う…。

自分に頑張りの成果は還元されず、UIAAの

”アルパインサマー日本語版出版”

に結実したわけだが…。 

とりあえず、精神レベル”喜び”が具現して良かったです。

その後、福岡に来たら、プライドとか、嫉妬などのようなネガティブエネルギーにさらされたような気がします… これは…ヤバいという主に

危機感

危機感=恐怖=心配=心理レベル 100

その後、何度か指摘して、改まる気配ないので、絶望=心理レベル 50 かも。

このネガティブ感情も、結実して、私の右ひざの脱臼になっていますが… これは、実は神の救いで、これ以上、付き合ってやらんでもええよ、のサイン。

■ 子どものころから報酬系で生きてきました…

私は勉強も、報酬系でしかしたことがないという珍しい人種で… やりたい!楽しい!と思った努力しかできないんですよね…。

やりたい!ということをやっている場合、楽しいので、全然努力という感じがないし…

フリーは体質に合わないのは、みんなが

ド根性系

だからかも…。フリーって、やっても、やっても、やっても、十分ってことがないですよねぇ?

指も壊れるし、人生も壊れるし… 姿勢も壊れているし…

脳内エンドルフィンでないので、私には無理。たぶん、アルパインでのんびり危険を避けるくらいの登攀力はもうあるので、これ以上は要らないかな。

これ以上あっても、行ける山の守備範囲は広がりませんし。 

       今日の一枚   このサザエ なかなか奥深いです


2022/04/17

年配者に間違いを指摘してはいけないというメンタルブロックを外す

 ■ 経験豊富なクライマーが安全なクライマーであるとは限らない

というのが、私がこちらで経験したことの総括、です。

 事例1)リードクライマーを支点ビレイしていた、”経験豊富なクライマー”

 事例2)座ってリードクライマーをビレイした、”経験豊富なクライマー”

 事例3)2名を一人でビレイした、”経験豊富なクライマー”

 事例4)2mも壁から離れたビレイをした、”経験豊富なクライマー”

 事例5)いまだにカットアンカーでボルトを打っている、”経験豊富なクライマー”

その”経験豊富なクライマー”に、盲目的に従ってしまった結果が…若い人の行為に現れていました。

 事例1)支点ビレイをされていても危険だと分からない…怒ることができない

 事例2)終了点はロープを直接かけてくることが、非常識だと知らない

 事例3)ATCなのにグリップビレイをして正しいと思ってしまう

 事例4)ボルトラダーの単なるうち替え

 事例5)40年前の価値観で自慢をしてしまう

 事例6)スキル未満で実力以上のルートに出てしまう

 事例7)安全意識を持たないで、自己顕示欲の山をしてしまう(昔はそうだったから)が、そのPRが現代ではまったく”成功”の基準から離れているいることに気が付けない

 事例8)間違ったビレイを見て、それがそうと気が付かないので真似してしまう

でした。

   適切な教育がない、

というのが、原因なので、若い人の原因だとは言えないかもしれません。

現に、佐賀県の樋口先生のところでは、非常に良い教育がなされていました。

対策の第一歩は、

「年配の人には、間違ったことでも指摘してはならない」というメンタルブロック(あるいいは世渡り術か?)を解除することではないかと思います。

経験があるクライマーが神のように何でも知っていることは期待できません。知識というのは、当然、陳腐化していきますし、長年トップを走り続けるというのは無理です。

人は弱いもの、時代は流れていくもの、なので、基本的に、若い人のほうが自分たちの実力とスキルに見合ったルートをどんどん主体的に作っていく、という世界のほうが、生産的です。

歴史の流れを見れば、何が歴史を前に押し出すことができる行為なのか?は見たら分かると思いますが、そのような取り組みをしている人はどこにいるのかな?という感じです。

本州ではギリギリボーイズの方たちは、そういう方たちだったようです。今、ユースケさんが沢でネパールにいるようですが、沢というのは日本だけで行われている登山行為ですので、それを世界に持って行けば、あっという間に一等賞です。

以前、知っている中では、海外遡行同人、が一番、活気ある、山やの集いでした。これも、若いクライマー皆誘いましたが、来なかった…メンタルブロックなのではないでしょうか?

ということなので、メンタルブロックの外し方…

■メンタルブロックの外し方

1)「年配の人の間違いを指摘してはいけない」とどれくらい思っているか?10点満点で評価する。

2)大きな声で3回言う

3)客観的に自分を見て、「そう思っていたんだなぁ」という。

4)主観に戻り、「やっとわかってくれたんだな!」という。

これを、10点満点評価が非常に小さい値になるまで繰り返す。

  現代的在り方。若い人のほうが事情をよく分かっており、年配の人が教わる側。


2022/04/12

読了『体がノーと言うとき』 ガボール・マテ 

■ 読了『体がノーと言うとき』 ガボール・マテ 

膝の亜脱臼はくせになる、という以外は、治療も安静程度で、複雑なことはなく、特に大きな手術などは要らない怪我です。

なのに、寝ていて目が覚めるほどの痛みが続く… 

指にできたイボを取ろう!と思ったら、取れました…というので、

  心因性ではないか?

と思ったので、この本を読んでみました。膝こそ、早く治ってほしいなぁ。

■ 無意識の思い込みの事例

1) 私は強くなければならない → 全身性エリテマトーデス

”意気地なしは嫌だ”という思考。

「もし本当にあたなが、”強くない”のだとしたらどうですか? もし私が5000kgの重りを持ち上げようとして、誰かに『君はそんなことができるほど強くないよ』と言われたら、あなたはその通りだと思うでしょう」

「私なら、そんなことをする人には、『あんた馬鹿じゃないの?』と言いますね」

「そこですよ。強いか強くないかという問題ではなくて、そもそも無理な要求だということもあるんです。だとしたら、強くないことのどこがいけないんですか?」

クライマーはすべてツヨツヨでないとクライマーでない、とか、そうとは全然思えません。そんな文化もハッキリ言って嫌いかもです(笑)。なんせ私が気に入ったのは、ロープさえ付けれ入れば、そうそう死ぬことはないだろうという保証のほうです。

そもそも、私は趣味で楽しむために登っているのであり、自分を仲間に認めさせるために登るなんて、小中学生みたいなことはしたくないんですよ…。

他者に認めさせるために登る人は、拒絶の傷、無力感と繋がっているそうです。仲間外れにされたトラウマでもあるんですかね?

2)怒ってはいけない → 慢性関節リュウマチ

心が通い合わない人と別れることができない。

「疲労でくたくたで、午後三時にはすでに横になっていると、夫からは『お前は何もしないな』と文句ばかり言われていました。ただで養ってやっているんだ、なんていうんですよ」

「腹は立たなかったですか?」

「もちろん立ちましたよ」

「その怒りを表面に出していましたか?」

「いいえ」

→ もうとっくの昔に、頑張っていて、怖がっているのに、パートナーからは『こんなのも登れねーのか』と文句ばかり言われること。何回かありました。言った後で、撤回のセリフを言ったとしても同じですね…。

例えば、は?5.9も登れないのか!と言った後で、指力がいるね、この課題は、とフォローしたところで同じです。しかも、その課題、40年前のボルトだったので、非常に悪い課題で、大墜落ではなくテンションくらいにしておかないと危険な課題でした…当人も、その課題が危険課題とは知らなかったようですが…。しかも、九州の5.9は、5.9ではない可能性が濃いです。入門課題と位置づけられてはいないかもしれません。

不適切だと感じている関係を断つことができない…という、これが起きていた可能性が一番濃いです。

風邪ひいて寝ている妻に俺のご飯どこ?という夫、という常套表現がありますが…日本人の男性は女性に立ててもらうのに慣れ過ぎていて、女性の自己犠牲を当然と勘違いして、要求して来ます。これは、不適切な関係の要求ですので、断らないといけないです。

それは、行動の端々に現れます。例えば、ご高齢の奥さんが食事作りが負担だと愚痴をこぼしているときに、代わりに2回に一回は僕が作るよ、と言う代わりに、「なんでもいいよ」と言うとか…。なんでもいいよ、は、食事は君の仕事、を前提にしている。

あるいは、恒例の母親が息子のために食事を作ってくれる時、息子に食事を作ってあげるのが私の幸せ、と言った言葉をそのまま受け取るとか。そこはねぎらいが必要です。

沢に行くのを断ったら、えらい剣幕で怒ったりとか、女性をあるいはセカンドを所有物のように考えていたとしか思えません。

3)怒ったら、愛してもらえない → 食道がん

「今はしょっちゅう腹を立てています。今はそのことについて前よりずっと話し合っています」

4)何もかも自分のせいだ  → 潰瘍性大腸炎 

「最初の妻との関係には苦労しました。彼女は自分から何かやろうという気がなかったんです。とてもパートナーという感じじゃありませんでした。彼女のために何から何まで考えてあげなきゃならなかったんです。二人ですることを私が一生懸命考えるんです。頭がおかしくなりそうでしたよ。妻はあれがやりたい、これがやりたい、なんて絶対言わないんです。ふらりの好みに合いそうな、不利で行けそうな、二人で楽しめそうな映画を見つけるのは、いつも私の役目だったんですよ」

「その役目に腹が立つことはなかったんですか?」「もちろん、腹は立ちましたよ」

「その怒りはどうされたんですか?」「飲み込んだ…それしかないでしょう?喧嘩するわけにはいかないし、喧嘩になれば、妻は『この結婚は失敗ね』と言うんですから。ちょっと口論しただけでいつも気を使っていなくてはなりませんでした」

完璧主義。救世主。見捨ての傷。→ 世の中の人をひとり残らず救おうとする。

これも、可能性ありました…。新人さん対応では、なにもかもこちらが考えてあげないといけないのが疲れました…。

有効なマントラ:私は指導者であり、神ではない。

5)私は何でも自分でできる → 慢性ストレスによる大腸がん  

仕事に忠実すぎる。誰よりも多くの仕事を誰よりも早くやってのける。

6)私は望まれていない  …絶望

右手の質問、左手の答え 右手「がんはあなたの中にいるお母さんなの?」 左手「母は私の存在を望んでいなかった」

7)私は何かをしなければ存在できない。私は自分の存在を正当化しなければならない

→ ぜんそく

「人に求められたことをやり遂げない限り、自分は存在することを許されないんじゃないかという恐怖。はみ出し者。子供扱い。」

8)重い病気でなければいたわってもらえない → 子宮がん、アル中、拒食症、過食症、うつ、結合組織炎

「大嫌いで不向きな仕事を辞めるのに、どうしてがんになる必要があったんですか?」「私は、ほとんどいつも、鬱状態で、ほかに選択の余地はないような気がしていたんです。17歳の時から働いていました。他の職業では、これほど病気をしたら、続けられなかったと思います。」「どうしてがんになって良かったんですか?」「がんになって、自分の気持ちや自分の生活を見つめてごらんなさいって言われたんです。それで、自分が望んでもいないものに自分を無理やり合わせようとしてきたことに気が付いたわけです」

「私は、ガンと聞いた時、すぐに仕事だと分かりました。12年間ずっとメッセージを受け取っていたのに、私は無視し続けてきたんです」「私が聞きたいのはそこなんです。どうしてがんでなければいけなかったんですか?」

「がんなら実体があるから。みんな、心の病気は病気じゃないと思っています。あれこれ避難されてしまう。私の中では、抑うつ状態とだか、具合が悪くなるというだけでは足りなかった」

がんになって通うようになった支援施設で「今までかんじたことがないくらい、ほっとしました」

■ 診断

すべての疾患には、無意識の思い込みがもたらした過度のストレスが大きく影響している。

治癒のメカニズムをたどりたいならば、思い込みのメカニズムの革新に踏み込む旅をしなければならない。

■第一プロセス

ポジティブな考え方に固執しない。無理なポジティブ思考は、抑圧として働く。

「何がうまくいっていないのか考えてみよう」「バランスを乱しているのは何だろう?」「私は何をないがしろにしてきたのだろう」「私の体は何に対してノーと言っているのだろう」

・このような問いかけをしないことがストレスの原因になる

・ポジティブ思考は、自分には現実に対処するだけの能力がないという無意識の思い込みを前提にしている

・自分の置かれた状況に対する重要な情報が欠ける=ストレス

・自律的にコントロールできるようになるにつれてストレスは減っていく

自律を脅かすもの:力関係、罪の意識、愛情への飢え、成功への渇望、脅え、退屈への恐怖

何かに突き動かされている限り、自律はありえない。(つまり、情熱は不要ということです)

脳は、からだのすべての期間とシステムの活動を支配し、統括すると同時に、私たち人間と環境との相互作用も調整している。この調整機能は、種々のネガティブな作用、つまり、危険を知らせる信号や、心の中にある苦悩を伝える合図の影響を受ける。

自分が自己主張できないのは、子供のころの経験によって自らが選択した生き方のせいだ、というつらい真実を受け入れるしかない。

苦痛や痛みについて話すときに微笑んではならない。

他の人の情緒的欲求を満たそうとして、自分の欲求をないがしろにするようになる。自分の痛みや悲しみを、自分自身の目からも隠そうとする。

症状:怒りの抑圧、自分の傷つきやすさを認めないこと、「代償としての過度の独立心」

■第二プロセス

・自分はどんな環境で育ったのか?
・どうその環境を認識したためにこれらの行動特性につながったのか?
・精神的に消耗させられるような関係は、ほとんどすべての疾患のリスク要因
・他者を責めることではなく、健康に害を及ぼすことが証明されている誤った思いこみを捨てる
自分の対人関係に責任を持つ
・自分の情緒的欲求を認識する
・自分は自分が思うほど強くないと認める。自分が強いというイメージにしがみつこうとするのは、弱さー大人と比べた時の子どもの弱さーを隠すため。
・ほんの少しだけ、~かもしれない、という言葉を使って過小評価しない。

以下を問う

1)私は心の底から、自分に正直に生きているだろうか
2)それとも誰かの期待に応えようとして生きているだろうか
3)私が信じていたこと、してきたことのどれだけが自分のためで、どれだけが、他者を喜ばせるために必要だと思い込んで自ら作り上げた自己イメージのためだったのか
4)罪悪感と恨みをもつことでは、罪悪感をえらべ。 例:たとえ、善意でされていることでも、自分のことであれこれ口出しして欲しくないと誰かに言う、など。
5)もっと深いレベルで、真のポジティブ思考を生きる

■ 7つのA
1)Acceptance 受容
2)Awareness 気づき
3)Angwer 怒り
4)Autonomy 自律
5)Attachment ふれあい
6)Assertion 主張
7)Affirmation 肯定

2021/08/23

クライマーあるある=中毒症状

本当にしたいことをしていないで、クライミングが中毒症状になっている方いますよね…

以下、『ソース』より引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ただし、ここで注意してほしいのは、

悪癖や中毒症状を自分の生まれながらのワクワクと勘違いしないこと
です。

朝から晩までテレビゲームをしたり、家じゅうをいつも掃除してあらゆる物の置き場所にうるさかったり、暇さえあればパチンコをしたり、怪我をしても激しいスポーツを続けたりなど、行動が極端な場合はワクワクではなく、心理的問題があると解釈したほうがいいと思います。

心理的な中毒症状の場合は、それをせずにはいられないし、どれだけしても満足感が得られません。ひょっとしたら、自分の本当の興味や関心や好奇心、ワクワクを押さえつけている人が、そういった中毒症状になるのかもしれません。

---P74 『ソース』より

大事なことは、クライミングをしていて以下の症状が解決されることです。
  • 劣等感が消える
  • 心が解放される
  • 爪を噛んだりなどの不安症的悪癖が治る
  • 強迫観念が和らぐ
  • 神経症が和らぐ
  • 体中に元気があふれる
  • 奇跡的なことが起きる
  • 周りが混乱していても自分一人が落ち着いていられる
  • 仕事も人間関係も目に見えるように向上する
そうでない場合は、単なる耽溺、現実逃避、ですので、気を付けましょう。

2021/08/17

登れなくてもあなたには価値があります。


当然ですが、重要なことなので、良いアドバイスを上げているカウンセラーの言葉を上げておきます。



2021/06/07

マインドフルネス・クライミング 一回60分くらいで

 私は個人的にストレス発散にはクライミングが一番効果的と思っているんですが…。

マインドフルネスというのは、

 自分が何をやっているかに超・自覚的 

という意味です。

https://next-sapiens.net/mind/stress/mental-exercise/

によると

 1回 30~60分の運動時間

 1回 90分を超えない

 3時間を超えると運動しないよりもメンタル負荷が悪化

だそうです。

 週に3~5回

 1週間にトータル2時間~3時間

やっぱり、集中することがいいみたいな気がするんですけどね。

自然界の中にいるということが大事なような???

■ バイオフィリア(自然愛)

バイオフィリアという概念もあるそうです。

エドワード・オズボーン・ウィルソン

https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3_%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81#%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BB%AE%E8%AA%AC

自然の中で行うクライミングは、メンタルヘルスに最強ですね!

現代のクライミングの在り方としては、都会からのリセット、ストレス解消、マインドフルネスの実践、うつ病予防、などを、メリット、効果として考えたらいいのかもですね。

そうすることで、永遠に続くグレード競争から脱することができるのではないでしょうかね?



2020/12/12

大安心

■大安心

自然農をしていると、自分の寄る辺、例えば、水源、とかどうなっているか?すごく身近に分かるようになり、それが安心につながるのですが…、その安心を

 ”大安心”

と言うそうです。

私も雪山の登山では、自然界の中での自分の身の守り方、という意味で、この”大安心”を積み上げて登ってきたと思います。

例えば、以前は、-25度の環境でソロテント泊する場合の身の守り方が分からず、ただ雪の山は怖いだけでした…。が、心を向けて、こわごわながらも、やってみたらできました。

読図もそうで、山が怖かったのは、道に迷うということからでした。今は全く怖くない…。

山に一人で行くのが怖いのも、犯罪者が怖かったからです。例えば、富士見平小屋で女性登山者が小屋番に殺害されていましたよねぇ? 今は怖くないです。なぜなら、もはや小屋には泊まらないですし、犯罪者はたぶん読図できない。ので、逃げれる。そもそも、犯罪者が来れない山にしか行かないです(笑)。

ので、私が積み上げてきた活動は、”大安心”を積み上げる活動でした。

■ クライミングは不安を追いかける活動

しかし、クライミングになると、そうではなくなり、なぜか、心の充足、ということがなく、10Aが登れたら、次は10b、10bが登れたらさらに10c、と、延々と世界最高難度が登れるまで、エンドレス…。キリがなく、しかも、競争心の世界で、みなどうどうとマウンティング中です…。ので、最初からやる気になれません。

クライミングでは、むしろ、人間関係の問題が増え、大安心ではなく、

・若い男子が私の注意を聞かない
・ビレイヤーのスキルは信頼しても大丈夫か?
・この男性と二人で山に行っても、セクハラされないか? 
・怪我をしたときに、ちゃんと保険になってもらえないのではないか?

等々…ほとんど常にびくびくとしていないといけない。ほとんどの場合において、不安の方が勝り、大体において、その不安がリアルに現実化してしまう…ということになります。

というので、私にとってはクライミングは、現在は魅力的な活動ではまったくありません。

■ 極性の正常化

一般に、何を楽しいと感じ、何を楽しくないと感じるか、ということは、正常な人だと、楽しいことを楽しいと感じ、怖いことを怖いと感じます。

大安心につながらないことを楽しいと感じるのは、おかしなことなので、クライミングが楽しくないというのは、私の内面的感性が正常化しているということです。

本来、人は大安心につながる道を選ぶべきだと思うので。

…ということで、クライミングは、今、私が寄り添うべき道ではないと感じています。

■ クライミングについての活動

一般に、クライマーは、クライミングが楽しいという人種のことなので、他のクライマーから見たら、じゃなんでクライミングしているの~と感じるだろうとは思いますが…。

それは、日本のクライミング界が全く正常ではなく、一部の特権階級の私物化されていること、それでは、本来日本人のすべてが享受できるはずの自然界からの贈り物がすべての人の財産とならず、もったいない事、に、違うな、と感じるからです。

この気持ちは、過疎の町ターケークなどで、クライミングをし、世界中のクライマーが僻地のラオスに集まって和気あいあいと登っているさま…、人種も、年齢もこえ、言語の違いもこえ…を見ていないと理解できないのではないか?と思います。

ラオスでは、20代のツヨツヨクライマーが、4歳の女の子を登らせてあげている世界がありました…

おりゃーと雄たけびを上げる人もいましたし、私のように各駅停車でしか6Aが登れない人も、ギャラリーを得て、頑張ったら拍手を貰える世界でした…

価値観が多様化しているということです。〇級も登れなかったら頑張っていないとか、人のことに自分の価値観を押し付けてくる人はいません。

これは何と言ったって、遊びですから…。

価値観の多様性ということが、本当に実現している世界、というのは、日本の人には、かなり理解が難しいのではないかと思います…

■ 心が枯渇

そういう多様性が担保されていない日本では、いちいち考え方の面で相手の思想が危険なので、ガードを緩めることができず、常に気を張っていないといけないので、私の心の容量的に、クライミングのムーブ解析まで心が持たない…。

これは落ちるだろうなぁ、落ちたら怪我するかもなぁと思っているところに、”もっと頑張れ”と言われると、ほとんど、”怪我をしろ”、と言い換えたのと同じになってしまいます…。

自分の評価を 命知らずさの度合い、に置いているクライマーだとやはり、私とは合わず、一緒に登ると、相手の安全は増えても、私の安全は増えない。

私はやはり、相手の安全を増やしてあげている自覚があるので、相手からも私の安全を増やしてもらっている実感がある相手と登りたいです。

文化的問題で、それは九州では難しいなぁと思っています。


2017/05/23

Insubong インスボン

クライミングは、…つまるところ人生は…、”不思議”と”奇跡”の連続だ。

クライミングを始めて3年、インスボンへ行くことになった。

感慨深い。

去年は、行きたいと言っても、登攀力の不足で行くことができなかったインスボン…。

今年はクライミング力も十分だろうと判断され、行くことを許された。

■ 何が問われているのか?

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そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです。

                        ヴィクトール・フランクル
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海外クライミングは、すでに昨年11月ラオスへ行っている。

ラオスでの経験を一言で表すと、”社交界デビュー”な感じだった。海外でクライマーたちのカルチャーに触れ、非常に良い感触だったので、自分がその一部となることには快適さを感じた。

今回のインスボンは2度目の海外。

岩場は、とても神聖な場だった。

■ 純粋さ

考えてみれば、私は競争を避けて純粋さが感じられる場所を今までも常に選んできた。

インスボンは、純粋さが感じられ、心地よい場所だった。

だから、私にとって、その場にいることはとても心地よく感じられた。

しかし、岩と私との対話で、まだ岩に問われている問いに対する答えが見いだせない。

■ 素の自分、臆病な自分

ランナウトが怖い。

でも、なぜ、怖いのだろうか?

インスボンのランナウトは、要するに、落ちないような易しいグレードのところだから、ってだけだ。

登攀スキルが確実であれば、落ちない。それは分かる。

私も5.7のスラブでは落ちない自信がすでにあるのだから、瑞牆でクラックをリードした時は、ランナウトに耐えて、成果を感じた。

でも、やっぱり、大ランナウトのインスボン、怖いんだな…。

それが正直な気持ちだ。 

岩場というのは、人間性が現れざるを得ない。日ごろ被っている仮面は被れないのが岩なのだ。

だから、私は落ちることを恐れている、と思う。

■ 自信につながらない登攀力 

落ちなければいいだけのことだから、単純に、”自信がない”、ということだろう。

この岩場は初めてであることを配慮してもらって、今回はオールセカンドだった上、易しいグレードに抑えてくれたため、クライミングは、最初の二日間、楽勝感さえあった。

パートナーは、私を怖がらせまいと、遠慮気味にグレードを押さえてくれたみたいだった…。本当はもっと難しいのに登りたかったみたいだったのに(悪いなぁ)。

私自身、登攀にはそう大きな問題を感じなかった。まぁ、ギリギリではない。

しかし、その楽勝感は、なぜか自信にはつながらなかった。

理性で、やっぱりランナウトしているよな~と思ってしまう。ビレイしながら、最終支点から伸びているロープの長さを見ると、どんなに優秀なビレイヤーであっても、そこで落ちたら、テラスにぶつかり、ヤバいことは理解できるし、その状況下で、リードできるか?否、と思う。

しかし、同じ理性が、登攀力はすでにあると言う。ほとんどテンションをもらう必要はなかったからだ。(まぁ何回か落ちたけど)

登攀力が上がれば怖くないのだと思っていたのに、そうではなかった、というのが今回の発見でもある。

■ 蛮勇と勇気

いかにしてこれをリードするのか…考えていたら、”蛮勇”という言葉が浮かんだ…。蛮勇…、それは私にはないもの。

でも、パートナーは、クライミングには蛮勇は要らないと言う…。

そして、蛮勇の代わりに、何が必要なのか?を示すために、粘って頑張って見せてくれた。

私に無いもの…。粘り?

青ちゃんにはメンタルが弱いと言われる。

”メンタルが弱い”の言葉には、強い反発を感じる。

今までの人生で、勇気がなくて、何かを達成し損ねた、ということはなかったからだ。

人生が17歳の私に早々と経済的自立を求めたときも…

財布に2万円しかないのに単身アメリカ行きのチャンスが巡ってきたときも…

図書館を辞して、まだ卒論も書き終わっていないのに、ロボット開発部に職を得たときも…

SEとして個人事業主として独立し、研究所勤務になった時も…

人生が、

 のるか?そるか?

と私を試してきたときには必ず、挑戦を選んできた。だから、そうした選択肢を迫られた場合に、選択する能力…勇気…については自負もある。

けれど、やっぱりランナウトは怖い。

アイスクライミングでは、落ちないところしか登らないから、ランナウトしても危険はない、と言うことが理解できて、怖くはなくなった。

岩も同じなのだろうか?

■ 岩と分かりあえていないかも?

しかし、岩のお人柄をまだ理解していないかもしれない…

なぜなら、今までも落ちない、と自分で思ったところで落ちて、頭を7針ぬっているんだし。

縦走で出てくる岩場で、こんなところ平気の平ざだと思って、ペンキマークを無視して、どんどん稜線を進み、注意を受けていた頃の無邪気さは、私にはもうない。

まぁ、あのまま進んでいたら、今頃、命はないかもしれない。

死なない程度のひどい目にあっておくことは悪いことではないと言われる。

でも、どうやってランナウトにおびえる自分をなだめるのか?

登攀力を上げる、ということは一つの解だが、すでに5.7や5.8をゆとりを持って登るには、十分な登攀力のゆとりがあるのに、それは自信にはつながっていない。

経験値を上げる、ということは、今の環境では難しい。

さて、どう、この難題を解決するか… 

問われているのは、そこだ。

さて、どうしますかね… 私の出した一つの解は、ヨガを頑張ることだ。

身体のコントロール力を高める。ひとつの自律の在り方だ。