■ 菊地さんのお言葉
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既にお耳にされている方もいるかと思いますが、この度、一般社団法人・アルパインクライミング推進協議会(Alpine Climbing Promotion Council / ACPC)というものを立ち上げました。
今まで法的にグレーだった岩場の整備や廃れてしまったルートの復活などをしっかりした環境で行なえるようにすることを目指した団体です。
設立は4月だったのですがいろいろ体制を整えるのに時間がかかり、この度、ようやく一般会員を募集する運びとなりました。ただし申し訳ありませんが、今の時点で還元できるものは何もなく、法的問題をクリアするのに時間を要することから活動の進展もなかなか目に見えてこないことが予想されます。それらを踏まえたうえで、ご賛同ご協力いただける方、ぜひ会員としてこの活動に参加してください。
時間はかかりますが、皆さまのご協力が、今のアルパインクライミングをより良い方向に進めていけると確信しております。
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■ アルパインvsフリー
今まで日本の岩場の整備は、
日本フリークライミング協会(JFA)
が全国をカバーする団体としては、やっていたわけですが、まぁ手が回りませんわな…。
ほとんど、
一般クライマーが起こした迷惑行為の受付窓口、
みたいになってしまっていることが想像できる状態で、なんかトバッチリ。
■ 既得権なのか?罰ゲームなのか?
結局、開拓クライマーは、勝手に開拓を個人でやる。やったもん勝ち状態でした。
開拓クライマーとして有名になると、その人がやるのが当然っぽい気分がしてくる=既得権獲得。
ちゃんと岩場の使用許可を取っていれば、それもいいですよね。なにしろ、自然界を、誰かが独占したり、私物利用するのは、やっぱり変です。空気はみんなのものでしょう。
まぁ、開拓は大変なんで、既得権益というよりも、罰ゲーム的かもしれません。
無償の行為だし、作った後のルートは、ほかの人に登ってね、という好意でもあるので、ボルト代も高いんだから、ちょとは感謝してくれよ、と思っても仕方ないですね。
私は米澤さんとは少ししか登っていませんが、米澤さんは確実に許可を取った岩場しか開拓しないクライマーでした。大学の先生だし、社会的に失うものがある人、です。米澤さんと知り合ったのは、私が開拓してくれる人にボルトを提供したいと思ったためです。
■ 正統派とやんちゃ派?
どうも、昔からの由緒正しいアルパインクライマーというのは、高学歴エリートな方がた、なので、法的整備などはしっかりと踏まえてからやる、というきちんとした人たちだったのではないか?と思います。
そこら辺の伝統が、やんちゃを持ち味にする人たちに、時代が移っていくと…たぶん、大学山岳部の活躍の時代ではなく、社会人山岳部活躍の時代ということだと思うのですが…、てんでバラバラ、いい加減になったのでは? 土合駅で宴会さわぎするような文化体系の人たちは、反社というか、法?そんなもの、みたいな感性のような気がします…。そこらへんは想像です。
山にしても、命の扱いにしても、プライド中心でいい加減だし、流行語の”無敵の人”ではありませんが、社会的にも失うものがないというか…やったもん勝ち精神というか…
山小屋とかで会う、さわやかな好青年というより、派遣労働村で会う、抑圧されたうっぷんがある人が、それを岩場で晴らす?みたいな??
まぁ、そんなのは、勝手な想像ですが。
■ 国立公園は国立公園のくくりで
アルパインのルートって、基本的に高山=〇〇アルプスみたいなところにあるので、国立公園内のれっきとした山岳アクティビティの一つです。
しかし、そんなルートを例えば、九州で言えば日向神と一緒くたにしたら、違うなーとなるでしょう…。
日向神は、ダムのそばの完全に下界のゲレンデ。町から離れてはいますが、山岳じゃないです。でも、日向神程度でも、自然公園くらいには指定されているかもしれません。九州の小川山って感じかなぁ。
福岡クライマーがゲレンデ使いしている岩場といえば、四阿屋ですが、四阿屋の岩場はもっと下界… こんな岩場で、あれを打ったらイケナイ、これを打ったらイケナイと、色々がたがた言われたら、もうほんと、外岩文化自体が無くなりそうですが…。 日和田の岩場って感じかなぁ。
まとめると
1)国立公園内で一般登山者と山岳環境を共有しつつ登るアルパインルート
2)自然公園内等で、純粋にフリークライマーしか来ないCrag 小川山レベル
3)同じく自然公園内等で、使い倒し系入門用岩場 下界の岩場
国立公園内のルートの整備などに、ローカルクライマーの会とか要らない。これらはもともと山なのですから。ローカルクライマーの会が必要なのは、2)とか3)とかです。
例えば、前穂北尾根にローカルクライマーが仮にいたとして、俺たちのルートだから、好きに整備させてもらうよ、って変でしょう…。岩場は国民全体のもの。
一方、小川山とか、ある程度、地権者も複雑で、地元への調整とか、経済的見返りとか必要そうですし…。やたらめったら、教育を受けていない適当なクライマーが、ボルト乱打したら嫌そうです。多少のランナウトがあるとしても、日本のヨセミテ的性格は維持したほうがいいような岩場ですし…。初登者の尊重もフリークライミングの文化の中で大事そうです。
逆に、小川山みたいな歴史ある岩場ではなく、最初からエイドで登られていたような、フェイス主体の日向神が、小川山で許容するような、フリーのランナウトを許容する必要は全くない…。ランナウトとかで地域の人に迷惑をかける方が、ちょっとな…みたいな立地です。市民クライマー憩いの場的存在です。
四阿屋なら、ボルト1本2本を打ち足すとか引くとかに、いちいち許可がどうこうって…。そもそもそんな価値がある岩場じゃないっていうか。そもそも、採石場後だし…。
山梨なら兜とか西湖の岩場がそうかもしれません。開拓クライマーにだって練習台は必要なので、好きにしてね、みたいな場です。アイゼンで登ったらダメとか、もういいじゃん、みたいな気がする場ですね。そもそも岩場に人工ホールドついているし(笑)。
と、岩場の個性って言うのがあるのですが、
アクセス問題、
と言えば、まぁ全般です。
■ 前例を学ぶ
アメリカでは、全米アクセス問題を扱う専門団体がいます。
日本にはいない…。とても残念。
山での意味ある死…例えばマークアンドレの『アルピニスト』見ましたが、あれは、登山史のページを1ページ推し進めた死で、意味があったと思うのですが…
それと、栗城さんだっけ?単なる、勘違いクライマーの死が混同されてしまっています…。
こんなの日本だけでは…?エライ恥ずかしいことです。
私が思うには、アルパインクライミング教育が廃れてしまったことで、山登りの進化系としてのクライミング活動ではなく、単純にクライミングムーブを楽しむフリークライミングに移行したため、山に必要な体力やリスク認知力への知見が失われ、グレードだけを見て、”俺、ジムの壁で5.11登れるから、北岳バットレスには、もういける”とか勘違いしてしまうわけですが…。
■ 区別、が大事なのでは?
たぶん、フリークライミングはフリークライミングという分野で進化すべし、なのです。
別分野として、です。
フリーの進化という意味では、日本では、進化が止まっているようで、瑞牆の専用トポも出たことだし、専用トポの中に何を書いていくか?みたいなことからも、徐々に海外の各岩場のように、”終了点の管理化”は、避けられないと思います。
なにしろ、
現代のフリークライミングって、ボルトルートを前提にした遊びに進化
してしまっているので、きちんと、TRADか?スポートか?の切り分けが、されていることが大事なように思います。
Tradの岩場なら無料でもいいけど、終了点や支点の整備されている岩場を無料にしたら、それは開拓クライマーの行為へのただ乗り=フリーライドです。
■ 海外より遅れているそうです…
日本のアルパインクライミングって、なんとモンゴルより遅れている、のだそうです。
とても残念です。