2024/02/18

【スポーツ虐待】事例 ストックホルム症候群、自己肯定感の低い親、生存者バイアス

 https://imidas.jp/girls/2/?article_id=l-60-119-22-07-g421より事例抜粋

■ 事例1 ストックホルム症候群

■ 事例3 自己肯定感の低い親

■ 事例2 生存者バイアス

■ 親の期待を背負う2世クライマー

クライミング界で最も有名な2世クライマーは 室井登喜男さん、と思いますが…。

もうなんとなく名前を聞いただけで、登らないわけには行かない、ですよね。

相変わらず、子供と登りたい親クライマーは多い、と思います。

念願のワールドカップ優勝を取った方もいました。

しかし、子供に親の期待をかけて動かすのはコントロールです。

なので、山岸尚政さんの娘さんが、クライミングの道を進んでいないことは、いいなぁと思いました。

■ ユージさんの奥さんも別にクライマーじゃない

配偶者は、クライミングに巻き込むべきか、巻き込まざるべきか?みたいな議論もあり、

クライマーカップル

も多いですが…

一説には、結局クライマー同士で結婚したとしても

 お互いにやりたいクライミングスタイルが違う…

という話も。

■ 愛とは相手の希望を尊重すること

私の母も東京女子美、油絵科の卒業。

しかし、母は私たち子供には、絵は教えなかったんですよね。

弟は、水泳でアスリート教育されて、スポーツ虐待を受け、
私と妹は、教育虐待を受けました。

弟は24歳で死亡。
妹は彼と同じ年齢の時に自殺未遂をしました。

私は、激しい反抗期で、親の期待を180度否定しました。18歳で経済的に自立して、自腹で大学に行きました。

弟や妹には、それだけの力がなかったのです。

親にすがるしかなく、そうなると親からの搾取を受ける。

本来助けてくれるはずの親、自分の幸福を願ってくれるはずの親が、子を搾取する。

結局、妹を救ったのは私です。

母のしくじりのケツを拭いたのは私ってことです。

普通の親は、子供の学費を出してくれ、それは基本的にひもなし、です。

私への学費は、弟と妹の学費を工面するための布石という、ひも付きだったので、そんなひもつきなら、イヤ、というので、自腹で大学出ました。

もう、17歳の時点で、

 パワーが違う。

親に学費出してもらっても実感がなく、のんびり遊んですごした、そこらの一般の人とは背負っている人生の内容が違います…

弟を母から救うのに、時間的に間に合わなかったのは残念ですが、

それは私のせいではない。

クライマーが技術ゼロなのは、

どう考えても、今までの指導者たちの怠慢…です。

俺たちだって、教わらなかったぞ?

それ、ほんとです?

先輩が背中を見せてくれたのは、教えてくれたって意味だと思いますけど?

私は、母は、母なりに良いと思ったことを頑張っただけだと思いますし、

そこには愛があった

と思いますが、ワールドカップ優勝という親の夢を背負ったクライマーが

この先、そのまま親の毒に気が付かないで生きるのかどうか?

気になりますね…。

だって、俺らは教わっていない!だから教えない!といって

現代の指導者層は、必要なことをしない言い訳をしているわけでしょう?

外岩でも、スポーツ虐待、は起こります。

それは、リードの無理強い、です。

え”?怖い?なんでだよ?  それ、虐待ですよ。モラハラ系の。

怖いという感情には、ちゃんと理由があります。そもそも、自由意思でクライミングに来るほどの人が、根拠なく怖がるわけがありません。

怖い。なぜなら、支点が信用できないから。

怖い。なぜなら、ビレイヤーが信用できないから。






【次なるビジョン】スポーツ虐待のないクライミングの世界を実現する

 ■ スポーツ虐待と言う言葉

ご存じですか?

リードの強要はスポーツ虐待ですよ?

ラオスでトニーが気づいてくれたのは、私が

パートナーからスポーツ虐待を受けている

ということでした。

男性は、自分の基準で後輩を裁くことで、悪気がないとしても、スポーツ虐待しています。

以下スポーツ虐待についての情報収集です。

■ 情報収集

https://www.hrw.org/ja/report/2020/07/20/375777

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スポーツが痛みや恐怖、苦痛をもたらす経験となってしまっている。

暴力は、一種の指導方法として、日本のスポーツ界に深く根付いている。試合や競争で勝ち、個人の人格を向上させるためには不可欠だと、受け止められてきた。この危険な慣習は、スポーツにおける暴力を根絶する上で、大きな壁となっている。

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https://gendai.media/articles/-/68832

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親側が「こうあってほしい」と思った通りにならないことが苦しい、腹立たしい。
子どもが「できないこと」に対する拒否反応が、虐待になって表れてしまう

しかも、日本のスポーツ現場はいまだに暴力やパワハラを容認する土壌があり、親は何の疑いもなく、わが子を圧迫する。

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「自己愛性パーソナリティー障害の親は、子どもの失敗をなかなか許せないんだよね。子どものためと口ではいっておきながら、子どもの存在を自分のストレスの発散のはけ口にしたり、意思を尊重せず自分の思い通りにコントロールしてしまう。これらはすべて親自身のためで、子どものためじゃないんだよね」

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クライミングの指導者、陥っていますよね。

【クライミングの在り方】岩場は、その地域の人たちの心を示すもの

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Crags are a mirror that reflects the local climbers.

By Yuji Hirayama

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昨日来た、平山ユージさんからのFB投稿。投稿本体はこちら。

岩場の様子が、その地域のローカルクライマーの精神性を表すもの、だとすると、

 人工ホールドが付いていたり、

 木っ端が付いていたり、

 とてつもなくランナウトなのにグレードは簡単だったり…

 40年以上経過したカットアンカー放置してあったり

 とってもヘンテコな支点だらけで放置

してある岩場って、どんな精神性を表現しているってことなのかなぁ?

自分自身でじっくり考えてみましょう(笑)。

それを指摘してじっくり本人に考えさせるのが、コーチ。指摘する技術がコーチング技術です。

口に出して言えないほど、なんか私の目には、目に余るものがありました…。


2024/02/16

【新しい目標のお知らせ】指導者向けのマニュアル作り

 さてと… クライミング技術そのものを教えるのは、別になんてことはないことだし、誰でもYoutubeを見てだってできると思うのですが

在り方

を教えるのに、失敗しているというのが、たぶんクライミングで大したこともできなうちから人がバタバタ死んでいく原因ではないかと思います。

■ 人工壁育ちの人は何が分からないか?

だいぶ出そろいました。

・”登る動作(ムーブ)”ができるだけで、ロープに使われているのがジム上がりクライマー。ジム上がりの人だけでなく、山から入ったクライマーでも、ロープ使い慣れがない場合、同じ。

・大体の人が、自分の実力を適切に見極めることができない。過剰評価が多い。安全のためには過小評価のほうがマシです。

・自分自身で現在の力に合わせてルートを選ぶことができない。

・10年登っていても、ロープドラッグの回避方法は分からない=観察学習する能力がない

・支点ビレイなどのバッドビレイを見ても、まず気が付かない (子供が毒親に気が付かないのと同じ状態)観察能力の欠如。

・自分の実力を客観的に見出す力がない(大体グレードで判断するので過大評価)

・昔のルートグレードを読みこなせない

・次に何が起るか?という先読みをできない

・トラブルを想像できない

・トラブルに対処できない

・皆が一律に同じ能力であるという前提を持っていることに気が付かない

・誰がえらくて誰が劣位かというヒエラルキーを内的に持っている

無謀なほうがヒエラルキーの上であるという無意識の前提がある

・ヒエラルキー順に発言権があるという前提がある

・思い込みに気が付いていない

・その思い込みが導く帰結に気が付いていない


こんなところですかね?無意識の前提は、

1)経験値があればロープドラッグは回避できる 

→実際は経験しても、そこから学ばない人の数が一定数あり、座学による知識も合わせて与えないと知識と経験の定着にならない

2)10年の経験があれば、自己評価能力がある。

→ 現実には、自己評価能力は、登攀の年数に依存しない。

3)学習の拒否を行ってきた人=経験値を自慢する人

→これらは両輪であり、片方では抜け道につながる

4)危険回避より冒険主義

→ 冒険は大事ですが、危険回避能力が備わってこそ冒険と言えるのであり、ただ危険に対して丸腰で突っ込むのであれば、冒険とは言えない… 自殺行為である。

例えば、降り方を学ばずに登る。



2024/02/15

【クライマーのゲストハウス構想】終了のお知らせ 指導者がリスクがあるクライミングをあおっている日本

 ■クライマー向けゲストハウス(によるクライミング教育普及)を辞めた理由

ゲストハウス構想を辞めた理由は簡単に言うと2つあります。

    1つは、ゲストハウス運営だと収入がゲストハウスに一極集中してしまい、岩場がある地域の人にとって、関係ない話になってしまうこと。地域内多点AirBのほうがベター。

    2つは、今までクライミング教育を私が先輩として、渡してきた人達の行動を見て。

長野県山岳総合センターのリーダー講習は、誰でも入れるところではありませんでした。もちろん、昨今の登山業界の現実から、限りなく敷居は低くなっていたとは思いますが、それでも、山行履歴は出さねばならず、「昨日、山、始めました」みたいな人は入れないのです。

理由は簡単。誰でも出れるんだったら、リーダー講習=リーダー育成にならない。

    仕事で忙しく、人間関係のめんどうな山岳会に入る時間がない

    煩わしい山はしないけど、個人では、きっちり行ける範囲の山に着実に登ってきて、実力を上げている

という人達が存在し、その人達こそサポートが必要で、将来のリーダークラスであると山岳総合センターは思っているのでしょう。

特にコロナで職を失った山ヤもいるし、40代、50代は、介護が必要な家族への負担が増えたり、と公私ともに忙しく、山=余暇という世間の認知から、40~50代って登山人口ではもっとも少ない年齢層です。

私が山岳総合センターに属して分かったことは、登山教育が問題と言うよりも、そもそも、

 登山の指導法が確立されていないことが問題

のようでした。つまり、指導者マニュアルの不在ということです。みな教え方が分からない。

講師になってくれている先生たちですら、指導法について、喧々諤々の議論をして、懸垂下降のセット一つでも、議論した結果のベストだと思える内容を教えてくれたそうです。

今、日本で足りていないのは、この議論、みたいな感じです。

■ 先鋭クライマーを作る方法と、本格的登山をきちんとこなせる人を作る方法、は違う

A)山野井さんとか、ギリギリボーイズのような先鋭的登山者を作るための必要な登山教育

B)一般山岳会のリーダークラスに必要な登山教育

は、

誰が考えても違いますよね? そこが切り分けられないで、議論されているのが、たぶん、何を教えるべきか、意見が分かれる源だと思います。

A)懸垂下降のロープの末端は結ばない

B)結ぶ

おそらく歴史的に、A)とB)は限りなく近い時代があったのだろう…と思いますが…社会人山岳会がバンバン歴史的登攀を登山史に残した時代もありましたよね…。でも、それって、もはや40年前。

アルパインクライミングの土台になる、フリークライミングの基礎力をクライミングジムの出現によって、”山に通わずに”あげられるようになった1980年代以降、特に2000年以降は、もう、

 スーパーアルパインの時代

に入り、A)のレベルは、もうB)の人が理解できないくらいに、ずこー!!と上がったんですよ。

 A)5.12はフリーでオンサイトできるほどの楽勝で登れる × 40kg歩荷

 B)5.12はPRで何とかやっと登れる (昔のⅤ級には、12まで含まれていたから)

たぶん、九州ではそのこと自体に気が付くこと、そのものが抜け落ちてしまっていたようですが…。

一方、B)のほうは、もう零落中というか… 昔の標準的な市民山岳会のレベルすら維持できないくらいなんではないか?と。

八ヶ岳の赤岳で、ひいひい言っているレベルでは、山岳会ではなく、一般登山愛好家レベル、です。市井の山岳会でも、もう、サロン的な会になったほうがいいです。

九州では動くものに道標つけて、これで良し!とか言ってるレベルの低さです。

■ ジム上がりのクライマーは?というと…

さて、ジム上がりの一般クライマーは…というと別の話。

彼らの外岩デビューについては、

   与えられても、受け取るだけのキャパがない

です。

一般にクライミングガイドの開催するクライミング講習に参加すると、トップロープ祭りなんですが…。

 その指導方針だと…?

  お腹がすいている人に魚をあげても、明日またおなかがすく。

です。

同じ人に魚の釣り方を教えたら、自分で出来るようになる。

でも、魚をあげると、また魚を欲しがる・・・。

インドアジムクライマーを外岩教育してみて感じたことは、ここでした。

コロナでお客さんが減ってしまったクライミングジムは、たくさんあると思います。立て直したいですよね…

で、外なら三密もないし…誰か教えてくれないかなぁと思いますよね… できればタダで。

見ている限り、トップロープの端を持っているだけで、簡単そうだし…

知り合いの男性クライマーの様子からして楽勝っぽいし…

ロープ? どんなのがいい? みんなが人工壁で使ってるのでいんじゃね?

ビレイ? やってりゃそのうち覚えるでしょ。

どこを登るか? そんなの、登ってる人みて判断すればいい。あいつが登れるなら俺だって登れるだろ…

誰と登るか? そりゃ俺の言うなりになってくれる奴に決まっているだろ…

外岩を登るための知識? は?何のこと言ってるの。クライミングはクライミングだろ…インドアもアウトドアも何が違うものかよ…

ボルト? え?40年物?でもペツルって書いてあるぜ… なら、いんじゃね?

事故? そんなのは、自己責任だろ…俺は事故らねぇ。

俺が無責任すぎて組めねー?って? じゃいいよ、俺、ボルダーしかしないから

…とまぁ、そんな調子なんだろうなぁ…という心の声が読める感じでした。

でも、自分がビレイされる側になった時、そんなんで登れます?

クライマーが言う”自己責任”は、責任転嫁のための、自己責任。自分だけ責任逃れをし、相手に責任を転嫁するために言うのが、「クライミングは自己責任です」のセリフです。

ボルトが40年経過したカットアンカーの時、それは、登る人の責任範囲にありますか? そんなのどこに書いてあるんです?トポに記載してあれば自己責任ですが、そうでないなら、設置した奴の無責任です。

自分が登るために設置したというのなら、とっとと抜いておいてください!

「クライミングは自己責任」…このセリフが、誰かから聞こえたら、相手は自分の責任を棚上げしている、転嫁している、と見て、ほぼ間違いないです。

自粛期間、クライミングがほとんどできなかった人も多いでしょう。

気の毒に思って、外の岩に安全に登る方法を教えてあげようかなと思って、いろいろと巡り合う人には、先輩の義務があると思って知識を伝授しました。

特に岩場がある自治体の人たちには、今、転勤中でゆとりがあり、時間があるからこそ、外岩を安全に体験してほしいと思って、サポートをしていたのですが、残念な様子も見えました。

全員じゃないですよ!

でも傾向が見えたという事ね。

”岩場に連れていくお礼として、次の人に教わったことをシェアしてほしい。

そうすれば、他にも必要なクライマーに情報を届けることが出来るから。”

とお願いしていたのですが、そのような行動は全くない人もいましたし、自分のビレイ技術は棚に上げて、講習は全然来ない… 

スポーツクライミングのビレイをオリンピックのボランティアで習って、外岩のビレイはオリンピックで習ったのでできます!とか…。

新人じゃなくて指導者層が問題なんです。

そもそも、分かっていないことが分かっていない指導者がほとんどのようでした。

急務なのは、新人をクライマーにする育成じゃなくて、指導者育成

分かっていないことが分かっていない…それって新人の常で、新人なら許されますけど…教える側。

こういう人達に限って、私が身銭を切って、講習会を開いても、参加はしないかもしれませんよね。故・村上先生はやってくれるって言ったけど。

樋口先生が開いてくれた、奥村さんのビレイ講習会イベント(=1000円で勉強出来る☆)にも、指導者は一人も来ませんでした。

そもそも、学ぶ必要自体がある、という自覚自体がないのです。

山ヤは一生勉強だ、という山ヤ道を教わり損ねているからです。

まぁ、山梨にいたころも、勉強したはずの!危険なビレイを、のんびりやっている後輩の様子が見えました…。

うーん、あんときは、めちゃ深く挫折しました…。

なんせ、彼には蒼氷の先輩にも登場してもらって、めちゃエリート教育したんでしたっけ…。

でも、彼指導者ではなく、新人君ですから…。

23歳の彼の様子から、私が43歳の非力な女性にしては、非常にスピーディにクライマーとして成長したことが分かりました。

大体、20代で3か月かかるところが大人は3年って言われているんですよ。

でも、たぶん、それは運動習慣のない人で、今水泳を習っていますが、数か月でだいぶ向上したので、ヨガやバレエ歴の長かった私とは別の話かもしれません。

■ 新人は悪くない

若いクライマーが全然クライミング技術を学ばない理由も少し分かる気がするんです。

人気だから、そんなシリアスなのじゃなくて、ちょっとだけクライミングしたい。体力や熱量が余ってるから、消化したい。暇だし、やってみようかな、的な気持ちだけの人もいたのかもしれませんし…、

”みんながやっているから” ”自分は困らないから”

バッドビレイのまま、という人もいるかもしれません。ビレイは相手に文句を言われないと自分のビレイが悪いと気が付けない。そして、悪いことを指摘すると、相手はたいてい怒るので指摘しづらいのです。

ここが、「己の姿を知らないから、自分では気が付きようもない」ってところなのかもしれません。

とはいえ、日本のトップクライマーからじかに教えてもらえる機会となる奥村さんの講習会に来ないって、ちょっと自信過剰じゃないかとも思いましたが、

こういう勉強をしている事を知られたくない(俺、山岳会の会長なのに、会員に知られたら、気まずい)という人もいるのかもしれません。

たぶん、奥村さんがトップクライマーだということで嫉妬したのかもしれません。

  変化は怖いかもしれないけど、変えなかったら、変わらない

これが、私が九州の指導者層のクライマーに言いたいことです。

もうね… めちゃイケていないですよ… 

会の方針を変えたり、考え方&指導を変えるのは怖いかもしれないですよね。

特に長年やってきたなら。

でも、同じことをやっていたら、同じ結果しかでません。

    山岳会に人が入ってこない

    入っても、「失望して」と辞めていく

    若い人の数が増えない

 ちゃんとした人ほど当会を避けているようだ…

このような問題があったら、同じことを繰り返していても変わらないはず。

「昔はこうだったのよ」的な考えを捨てて、人工壁は外岩の代わりにはならない事を理解して

現状の指導法の何かを変えなければいけないでしょう。

これまでもずっと書いてきましたが、私も含め、登っているときにクライマーの安全を第一にすることが「当たり前」でなかった時代の指導者は、

    ただしいビレイ知識のインプット=今までのクライマー人生を覆されたような、自分を否定されたような気持ち

    指導へアウトプット=今までの間違った指導に罪悪感をもちつつ、生徒と向き合う

という内面の戦いもあると思います。

さしずめ、孤独ですよね。

並大抵のことではありませんよね。

でも、今のままでは上手くいっていないんでしょう? 何か変えなきゃ、変わらないよね。

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狂気とはすなわち、同じことを繰り返しおこない、違う結果を期待することである。

Insanity is doing the same thing over and over and expecting different results.

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これは天才物理学者アルバート・アインシュタインの発言と言われています。

小さなチェンジでも問題なし!

「何か変えなきゃいけないよね?」とお話すると

すぐさま拒否反応を起こす人達がいます。

    うちの会では無理だから

    大先生が聞かないから

    ド田舎だから無理

    それだけの規模じゃないし

    トップクラスを目指しているクライマーはいないし

などなど。

でも、その傍ら、自分の山の会の、会員が10人以下でも、山の指導をしている山ヤが、きっちり勉強を続けているのも知っているし

田舎でも、山岳会をよりよいものにするために、考えている山ヤも知っています。

変化は小さくてもいいんですよ。

前にいた御坂山岳会では、地図を持ってこないおばちゃん登山者がいました。地図を持ってこない人が一人でもいた時点でその日は敗退にします、と事前に告知して、私の当番の山行リーダーはやりました。

一人の先輩が、そのおばちゃんの自宅玄関に行って、地図、渡していた(笑)。

でも、山に地図持っていかない会員がいる、なんて、山岳会って言えます?普通は恥ずかしくて言えませんよね…?

凄く小さな変化だけど、一人が一つ変えれば、12か月後には12回、変わっている。

この会の端にも棒にもかからなかった新人君が、谷川馬蹄形を一人でやっていてうれしかった。

この会であったエイドがクライミングのことだと思っていた男性が、クライミング講習会の音頭取りをしてくれるようになったそうで、うれしかった。

この人、「俺はやっぱりアホです。落ちた人をキャッチしたことがなければ、ビレイはできていることにならない。そんなことはちょっと考えればわかるはずなのに、分かっていませんでした」と私に書いてきた人です。

何よりも、その人のクライミング理解が向上している。

そうした小さな一石を投げることを皆が恐れた結果が、今のていたらく、なんです。

 同じように

    「ランナウトがしびれる」「流して止めてあげる」など、会で言わない言葉を1つずつ増やしていく(=良い環境作り)

    カットアンカーは使わない、ペツルのサイトを皆で見るなど技術をちょこっとだけ伝えてみる(=クライミング技術の理解)

    登攀前後は、きちんとウォーミングアップ(=集中力維持によりケガ予防)

    マルチはちゃんとレスキューを共有してから(=競争ではなく山としての成功を考えられるように)

    グレードではなく、その人のレベルや得意を生かしたオリジナルなクライミングとする(=レベルに合わせた登攀)

など、ちょっとしたことでいい。

粋がるのを辞めて、そういうことをしていく。

上で挙げた例はお金がかからない。

だべりんぐしかしない、つまらない飲み集合のために会費をあげるくらいなら、講習会を開いたらどうでしょう?

ビレイとか、山行計画の立て方とか、レスキュー訓練をみんなで練習するとか。

だって山岳会って、一人で登る可能性より、団体で登る可能性の方が高いんだから。

そこに必要なのは、弱い者に合わせてロープを出す、ですよ?

だから、北鎌尾根で死者だすんですよ?その人の死を本当に意味あるものにしていますか?

私に言わせれば、そんなことも習っていないのか…ですけど。

でも、私も講師の高橋さんに言われましたからね、そんなこともしらねーのかって。

知識は絶対に無駄になりません。ちゃんと使えたら。

ロープの理解は、自分の理解。

つまりクライミングを辞めても、実社会で使える知恵なんですよね。

魚の釣り方ではないけど、ロープを組む、その相方との関係性の作り方が大人になった時に会社で使えるとか、結婚生活で使えるとか、

チームワークや表現力、創造力は社会生活で必要でしょう。

何より、楽しいから、クライミングを辞めたくない!と思う人達が増えてくれたら、山岳会の幹部としては嬉しいはずです。

ま、そんなわけで、クライミングを人に教える活動のためにゲストハウスを作る構想は、クライマー界のほうがまだ機が熟していないと思って、辞めました。

でも、クライマーとしての気づきの蓄積、は引き続き行っていきます。

魚を与えるだけでなく、釣り方を覚えてもらえたら、より多くのクライマーをサポートし続けることが出来ると思うからです。

    ・楽しく安全に登りたい

    ・今の事故だらけのクライミングから、次のもっと楽しいクライミングの世界にアセンションしたい

    ・一生楽しくクライミングを続けられる未来の日本を作りたい

人達とお会いできるのを楽しみにしています。

■参考記事

https://allnevery.blogspot.com/2023/09/blog-post_29.html

https://allnevery.blogspot.com/2023/09/blog-post_22.html

https://allnevery.blogspot.com/2023/10/blog-post_84.html


頭を一個、差し出したが彼はビレイを習得した。たとえ、私の命を差し出しても、現状の空気では彼は学ばないだろう、と思ったのが白亜スラブ



一気に良くなった帯状疱疹…怒りの表出の完了

■ 一気に良くなった帯状疱疹

『がんが自然に治る生き方』を読んだ。なんとなく、元の自分に戻る感覚があった。

ホットタオルを患部に当てるのを辞めて、カイロを腰に貼ったら、なんかよく寝れて、ピリピリした神経痛も引いて、今朝は、すっかり良くなっている実感があった。帯状疱疹は枯れる系のものです。

ちなみに今回の帯状疱疹は、父とA木さんへの怒りの表出だと思います。

■ 枯らす…きっかけ トシゾーさんが来てくれたこと

感情は、執着するのではなく、枯らすことに意味があるんだが、枯れないのは、語らないからだろうと思う…。

去年の今頃、トップクライマーの佐藤ユースケさんと登っているトシゾーさんが、訪ねてきてくれた。話の中で、白亜スラブでのパートナーのA木さんのことを聞いてきたんだが、

 「やっぱロープは60mだね!」のセリフをトシゾーさんが聞いて、”A木さんは考え方そのものがおかしい…”と、彼はすぐ気が付いた。

やっぱり…。だよねぇ~。なんかトシゾーさんの同意を得て腑に落ちた

いくら弟かわゆしの私でも、こんな奴と登っていたら命はいくつあっても足りない…。

そのトシゾーさんの様子を見て、やっぱりこの返事で、彼のアホさがついに露呈していると私も思ったんだが、トシゾーさんが裏付けをくれたと思った。つまり心理カウンセラー役。

私が、”自分自身の心理カウンセラー”として、気が付けなかった、

 小さな場面緘黙

に気が付いたんだよなぁ…

あの場面は、めちゃ怒るべきシーンであった・・・。が、最もひどい事態を想定していたので、とりあえず生きていたことに、ほっとしたのだった。

その怒りが、今頃表出したのが、今回の帯状疱疹である。抑圧がどれくらい強いか?を示すのだと思う。

■ あまりにアホすぎるので、指摘したら、相手に悪いという気持ち=場面緘黙

その場面緘黙の理由は、”あまりにアホさが明確なので指摘したら、失礼かも…”、という気持ち…だ。

なぜなら、そのピッチ、25mと35mで、持っている50mロープでつないだら、途中でロープが足りなくなることなど、登る前から分かっているからだ。

登山で、4時間かかる尾根に、9時出発するのと同じだ。いわゆる、”あのバカまたやったぜ遭難”。

そして、50mしかロープはないのに、現在いるところは?終了点まであと3m。

ということは?どういうことなのか?その時点でも、どうも考えなかったらしい…。

最初からトポ見て知っていたら、25+35mは60mなんだから、50mのロープで60mまであと3mの地点にいたら、セカンドの私がビレイポイントから上がってくれたんだと分かる…。つまり、セカンドの技術力で、リードのケツを拭いてくれたんだと分かる。それが分からないということは?

逆説的に言えば、彼は”トポすら見ないで来た”ってことだ。どんだけ~? え?10年登っている人に、そこから教えないといけないの?だ…。

どーりで、どうも考えている人が私だけっぽい感じだったんだよなぁ…。

■ さきゆきの見通しがない人のしりぬぐいをする人生を歩んでいる

どうも、私の人生は、このように考えていない人のしりぬぐいを、あとからしてやっているパターンになっている。

母の時も、母は見通しなしに子供を3人も生んでしまい、結局、下の二人の子供の”子育て”をしたのは、たぶん長女の私。

父はひと時の快楽に逃げて子供を3人も作ったにも関わらず、ボク知~らない!としたために、結局、落とし前を付けたのは、母とそれぞれの子供たち。私なんて、祖母と妹まで仕送りしてる。

■ 世間の善は役立たない

それでも、仏教は、親は生んでくれた恩があると、一般論的には言うんだが、どうも個別では違うらしくて、納得いかないと思ってスマナサーラ長老に直々に聞いたら、やっぱり、徳は私に落ちたんであって、親が、できた子供を自分の成績表として、”よくできました☆”と花丸ハンコをもらうものではない。

親がサボれば、子は賢く育つしか選択肢がないが、だから、サボった親の育て方が良かった、と言うわけではない。

同じことで、パートナーのA木さんがセカンドの私に助けられて登った白亜スラブは、彼の実力相応のルートではない。

この行為を特に悪いことと自覚していないことから判断すると、たぶん彼の今までの登攀履歴がほとんど全部そうだった、のだろう…。実力がかさ上げされているのだ。

それにも関わらず、リードしているから俺のルートだ!というのはおかしい… むしろ、彼のリードは、セカンドのおかげでリードに花を持たせてもらっている系だ。

教訓:リードしているからと言って、そのルートをきちんと消化して登れているとは限らない。高い倫理観を持って登っていないと、トンデモリードを、登れた判定してしまう。

私もちゃんとしたルートをマルチピッチでリードしているが、客観的に自分の力を評価している。

当方の記録:https://allnevery.blogspot.com/2019/01/hyugami-benzaiten-iwa-east-ridge.html

一方、彼のルート自慢は、だれか先輩や、後輩のセカンドでも、しりぬぐいができる人に、花を持たせてもらった、底上げの山だったわけだ。

■ 場面緘黙を治す

この場面緘黙…あまりに事実関係から、明らかになった事実がバカっぽいので、あきれて声もでない=黙る…が起きたのは2度目だ。

最初は山梨アルパインクラブの会長さん。

 「なぜ〇〇さんには、ほかの男子と組ませないんですか?」@人工壁

 「〇〇さんにけがしてほしくないから」

 → え?その答えって、今その男子と組んでる私はケガしてもいいってこと?

回答したご本人は自覚がないようだった(汗)。

その後、この会長さんが女性に恋をしているために、せっせとルートに連れ出しているということが分かったんが…。

他にも彼がその女性のぞっこんであることを示す会話があったんだが、それは省略する。地元では女性にお熱を上げるのは3人目みたいな感じで、周囲の人は周知のことらしかった。

私のように技術志向、スキルを追求型の人は、集中力がありすぎて、脇が甘くなり、そうしたことに気が付かないで、気が付いたら巻き込まれている、ということになっているかもしれない…(汗)。

■ 80代の水泳指導者がロールモデル

女性の世界の水泳はいいなぁ~と、最近ひしひしと実感中。

水泳の先生は、80代の丸林先生で、今度、編み物教えてくれるそうです。

この丸林先生みたいな人になりたいなと思っています。

さて、この場面緘黙をどう治そうか? 

今習っている、上手な伝え返しで治せると思うのですが、このシーンを再現してくれることができるカウンセラーがいない。これはクライマーじゃないと内容の意味が分からないからだ。

シナリオライティングの技で治そうかなぁ…どうしたらいいかなぁ…。


2024/02/13

【事故報告】疑似リードで死亡

https://freeclimb.jp/information/9978/ より引用。太字当方

当方意見:

古賀志事故のように

 地名×事故ではなく、

タイトルは

  疑似リードで死亡、

のようであるべきだ。

登山の遭難では、地名こそ意味ある内容だが、クライミングでは地名には意味はない。技術の稚拙さにこそある。


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古賀志事故報告書(Drafted 2023.12.10) 文責:神林飛志

・文書の目的:事故の再発防止をクライマー各位に喚起すること

・場所/ルート
古賀志⼭/不動滝エリア ルート名:クウ(5.8)


・事故発⽣時刻
2022/11/20(⽇) 12:55 頃発⽣。天候は全国的に曇り⾬模様だが、この地域のみ晴。


・事故概要
疑似リード後、終了点において確保不備のため、グラウンドフォールにより死亡


・事故詳細
事故者は腰の⼿術で腰椎にボルトが⼊っており、いわゆるリハビリクライマーであった。クライミング・スタイルとして、リードでの不本意なフォールを避ける為に、慎重にトップロープ→疑似リード→リードRP を⽬標とし、徐々に精度を上げる⽅法をとっていた。

疑似リードのやり⽅については、所有の50m ロープ⼀本を使⽤し、トップロープの余った末端を疑似リード⽤ロープとしていた。このやり⽅はビレイヤーと⽇頃から認識を合わせており、疑似リードでトライを繰り返している。(以降、1 本なので"トップロープ端"、"疑似リード端"と表現する。なお、ビレイループの右に疑似リード端・左にトップロープ端をつけることを常⽤していた) この時点で、古賀志での実施は3 回⽬であり、特にトラブルは起きていない。事故者とビレイヤーとの間の基本的な約束事として、トップアウトしたときにはロープの混濁を避けるため、疑似リード端は事故者が解除し、下降時確保には利⽤しない、ということにしていた。

事故者はビレイヤーと共にこの⽇3 本の登攀を実施している。


1 本⽬は「クウ(5.8)」をトップロープ(疑似リード)で試登した。
この時は疑似リードでのトライであり、トップロープ端、疑似リード端ともにエイトノットで連結。次回からは両者区別をしやすいように、疑似リード端を環付きカラビナにて連結することを合意していた。なお、このトライではトップアウト時には事故者の判断として疑似側ロープを外さないこととして下降している。これについては事故者・ビレイヤーで確認は取れている。

2 本⽬は「沙羅ちゃん(5.8)」をトップロープで実施。
このときはトップロープは回収している。このルートは⽀点が勾配にあり、ビレイヤーから回収状況が確認できない。またセルフビレイの合図もなかった為、ビレイヤーが念のために確認したが問題はなかった。

3 本⽬に「クウ(5.8)」を再び疑似リード(トップロープ)。
ハーネスにはトップロープ端、疑似リード端ともにエイトノットにて連結。ヘルメットは着⽤。トップロープは、クウの終了点ボルト上からスリングと安全環付カラビナで⽀点を作っていた。

事故者はクウを疑似リードしながらトップロープ確保で登攀。終了点に着くと、疑似リード端を終了点の残置カラビナに掛け、セルフビレイを掛けたと思われる。そのまま⽀点回収を実施。⽀点回収の実⾏決定は下⽅のビレイヤーには「回収します」の旨の宣⾔で伝達しており、意思疎通は⾏われている。

この後、事故者はトップロープ⽤スリング⽀点の撤去を開始したと思われる。
クウの終了点は、最後のハング部分に乗り越す形になっており、ビレイヤーからは終了点付近の作業状態は視認できない。

このとき事故者は、終了点ボルトまたは残置ロープにセルフビレイを掛けていたと思われる。事故者は疑似リード端を終了点の残置カラビナに掛けてはいるが、ビレイヤーはトップロープ端のみを確保しているので、この疑似リードロープ端は確保されていなかった。(コレ、普通のことでは?疑似リードでは、リードが疑似なのであり、トップロープ確保が基本ですよね)

セルフビレイのみで安全確保されている状態の事故者は、この確保不備に気付かず、またビレイヤーは事故者が勘違いしていることに気付かなかった。

事故者がトップロープの確保確認を怠ったまま、唯⼀事故者を確保していたセルフビレイを解除してしまい、直後にテンションコールを⾏った。ビレイヤーがロープを張ったその後、バランスを崩し墜落したと⾒られる。なお、ビレイヤーからは事故者が⼀瞬複数(下からは3本に⾒えていた)のロープを掴みかけ、後退りの体勢で落下しているように⾒えている。


・推定される事故原因
事故者が下降時にビレイヤーの確保を確認せずにセルフビレイを解除し、確保のないまま下降しようとしたことによるものと推定される。


・推定される遠因と背景
直接の原因は事故者による「下降時における確保確認の不備」によるもので、少なくとも下降前にセルフビレイを掛けた状態で、ロープ・テンションの確認を取っていれば、確保不備は確認できたはずで、事故は起きていなかったと思われる。


なぜ、「下降時における確保確認の不備」が起きたかについては、「疑似リードでトップアウトした直後にトップロープの⽀点回収を⾏ったこと」が背景にあることは無視できない。


このとき、ビレイヤーから⾒れば、いままでの回収の経験通りで、疑似リードといえども、あくまでトップロープによる確保が基本であり、⽀点回収時にはトップロープを残置⽀点に掛け替えて、確保を⾏い下降を⾏うべき、という考えになる。


また、事故者から⾒れば、以下の状況は当然推測可能と考える。
・トップロープの⽀点回収なので、トップロープは確保として機能しない。
・疑似リードで登ってきた上に、終了点にロープを掛けている。したがって、疑似ロープで確保・下降を⾏うことになる。
これは別段、デタラメな推測ではない。

上記のように、事故者・ビレイヤーともに根拠のある推測であり、⾏き違いが起こりやすい状況であったことが推測される。


さらに追加的に以下の2 点は考慮されるべきである

  1. 問題のルートでは、下降⽤の残置カラビナの位置が低く、事故者の⾝⻑ではビレイループよりも下になってしまい、テンション確認が取りづらい。また、ロープ⾃重で引かれているためテンションがかかっているように感じられる。

2. そもそも単⼀ロープでトップロープと疑似リードを⾏っているため、回収後にどのロープがどのような状態かは混乱しやすい。⽬撃情報から事故者はトップロープを回収後、ロープを下に投げずに、⼿元に持っていたことがわかっている。

上記より、通常の⽀点回収よりも「下降時における確保確認の不備」が、よりおきやすい状況であったと思われる。

・対策と注意喚起
まず⼀義的に「事故者が下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う」ことを⾏っていれば事故は起きていない。 もちろん、「クライマーが下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う」という鉄則を怠った以上、どのような策を講じても事故は起こりうるのは当然だが、「疑似リードとトップロープ回収を同時に⾏う」場合は、通常の回収のケースよりもミスが起きやすい、かつ、実際に死亡事故が発⽣している、という事実は看過すべきではない。

⼀般にボルトルートであれば疑似リードは少ない。とはいえ、プロテクション難度の⾼いクラックルートでは試登として疑似リードが⾏われることは、経験あるクライマー同⼠や、とくにクライミング講習ではありうる状況であり、注意喚起を⾏いたい。


以下の対策案を推奨する
・クライマーが下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う、事の周知徹底
・疑似リードロープと確保トップロープを混濁しないために、事前に必要な⼿段を講じること

 - ⻑さのある単⼀ロープの両端を⽤いることはしない
 - できればクライマーが疑似リード端と確保トップロープ端の区別がつくように、疑似リード端を安全環付きカラビナにするなどの⼯夫を⾏う(両者エイトノットの⽅が安全という考え⽅もある)

・疑似リードとトップロープ回収は可能であれば、同時に実⾏しない
・疑似リード時は、必ず疑似リード端・トップロープ端両⽅で確保をする
・疑似リードとトップロープ回収を同時に⾏わざるを得ないケースで、かつ、疑似リード端・トップロープ端両⽅で確保をすることが困難な場合は、事前にどのロープで確保をするか必ずクライマー・ビレイヤーで共有し、かつ、下降前にもう⼀度相互に確認する。
 - この場合、確保しない⽅のロープは先に外し、間違って確保に利⽤されないようにする、という⼿続きを事前に決めておく。
・トップロープ実⾏時には必ず確保側のロープにバックアップの中間プロテクションを⼊れること。

以上

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うーん、トップロープを回収するにしても、架け替えでは、セルフは取ったままテンションコールをします。私なんか、それでもビレイヤーがアホな場合に備えて、反対側のロープを持った状態でテンションしてもらっていますけど。


よほど信頼関係が構築されていたんですね。


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2024/02/11

【クライミング心理学】レスキュー勉強しないで来るクライマー、ロープを持たないで来るクライマー=無条件の愛をパートナーに要求する人

■ みなみゆうたさんのメマガより引用

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「無条件の愛情」にこだわる代わりに、「限られた条件の中で、できる限りのサポート」をしましょう。

「限られた条件」とは、あなたの時間、予定、体力、気力、お金などなどです。

なぜこういうことを言うのでしょうか?

それは、依存的な人や支配的な人ほど、相手に「無条件の愛情」を求めるからです。

この場合の無条件の愛情とは、「底なしの愛情要求」です。

依存的な人や支配的な人たちからの「無条件の愛情」の要求には、あなたの時間や体力、気力、お金などに対するリスペクトがないのです。

無条件の愛情とは、「なんでもあり」ではありませんよ?

電車で足を踏まれても、目の前で嫌味を言われても、暴言を吐かれても、「赦してあげる」のが無条件の愛情でしょうか?

それはやさしさではありませんよね。

成熟した人間関係には「条件」が絶対に必要です。バウンダリーの感覚がマヒしたり、融合していたり、侵入しがちな人の言う「無条件の愛情」は、「すべて私のために犠牲にしてね」という要求になります。

だから、あなたが言いなりになる必要はありません。

ーーーーーーーーーーーーみなみゆうたさんのメマガより

■ クライミングバージョン

「いつでもロープ組んであげる」にこだわる代わりに、

 「いつもはできないけれど、できる限りロープを組んであげる」

をしましょう。

「限られた条件=いつもはできない」とは、

 あなたの時間、

 予定、
 体力、
 気力、
 お金
 性別
 体重

などなどです。

なぜこういうことを言うのでしょうか?

それは、依存的な人や支配的な人ほど、相手に「無条件の愛情」を求めるからです。

この場合の無条件の愛情とは、「底なしの愛情要求」です。

依存的な人や支配的な人たちからの「無条件の愛情」の要求には、あなたの時間や体力、気力、お金、性別、知力、などに対するリスペクトがないのです。

無条件の愛情とは、「なんでもあり」ではありませんよ?

ロープを持ってこないけど、ビレイもできないけど、あるいはめんどくさかったからと言う理由で足りないロープで2ピッチつないで、一つのボルトに仲良くぶら下がることになっても、危険個所でロープを出さないでも、「赦してあげる」のがクライミング仲間の絆でしょうか?

それはやさしさでも、クライミング仲間の絆、でもありませんよね。

成熟した人間関係には「条件」が絶対に必要です。バウンダリーの感覚がマヒしたり、融合していたり、侵入しがちな人の言う「無条件の愛情」は、「すべて私のために犠牲にしてね」という要求になります。一人、一個しかない命までも。

だから、あなたが言いなりになる必要はありません。

ーーーーーーーーーーーーみなみゆうたさんのメマガより

■ バウンダリーの問題

クライミングにおける心理学的問題は、ほとんどがバウンダリー問題だということができると私は思います。

大体バウンダリーの侵害が起きているときに、よろしくない事故やパートナーへの人権侵害が起きる。

共依存的関係に持ち込むことで、成功をクライマーとしての成功をゲットしてきた経験がある人は、山岳会に多いです。昔の山岳会のシステムは、昔の会社と同じで、年功序列なので、下の人が無条件に歩荷してくれ、上の人は、歩荷せずに山に登れて、栄誉を自分のものとすることができた、という流れがあり、それを手放すのが惜しい人が少なからずいます。

例えば、私の前の会の阿弥陀北稜の会山行は、一升瓶を新人に背負わせ、てんやわんやの宴会をして、泥酔状態で北稜に登り、凍傷者3名というていたらくでした。阿弥陀北稜って私が、初見フリーソロ、で登った尾根です。どんだけレベル低下というか、わざと事故を招くようなことをやっているか?分かるでしょう…

そういう意味では、カニを担いで黄連谷行きました、とかも同じメンタリティで、カニをかついで、のところで、いかに黄連谷が簡単か、ということをアピールするのが目的なんですが、新人は、これに騙されないように、ある意味搾取されないように賢くないといけませんね。

なんせ、黄連谷って時点で、すでに諸先輩方のスキルレベルからすると地に落ちたレベルということがうかがえ、それを、カモフラージュするためのカニ、なんですから…。

もちろん、黄連谷であっても、そこが初めての人にはチャレンジですが、チャレンジだと思って行けば成功するものが、カニなんて活がされていけば、死に至る可能性があります。

阿弥陀北稜で、一升瓶活がされた新人、と同じです。私も比叡では同じ目に遭いました。

■ ”カニ担いで黄連谷”と同じ、”敗退ロープなしで!”

この、「一升瓶担いで阿弥陀北稜」「カニ担いで黄連谷」は、「敗退ロープなしで白亜スラブ」と同じメンタリティです。

わざと一升瓶やらカニやら、敗退ロープなしやら、をやるのは、そのルートが楽勝だ、ということをPRするためです。

しかし、現実は、楽勝PRどころじゃなく、アップアップ、死の瀬戸際。

しかし、現代クライマーは、”都合の悪いことは山行記録に書かない”というこれまた不文律があるので、会の中ですら、実際の、

 等身大の山

が共有されていなかったりします。それで、指導する側も、「よし、ここが登れるなら次のステップへ」とか考えてしまい、実際の実力より上のルートを勧めてしまったりします。

なんせ現代の男子は、たったの10cで2時間半かかっても、挫折感ゼロなほど、おぼちゃまくんに育っているんですよ?

結局のところ、(拡大したエゴ)を(等身大の自分)に直す機会が、ほとんどないんですよね…。特にクライミングや、アルパインクライミング、ロープが出る本格的な山はそうです。一般市民の誤解に基づく尊敬のまなざしが気持ちよくて仕方ない、ってことになっています。

なんで、白亜スラブを敗退ロープなしで行きたかった彼は、ほんと、ダメクライマーの伝統のほうを引き継いでしまったみたいなんですよね… (とても残念)

考えてみると、青ちゃんは依存的な人、アラーキーは支配的な人、でした。

■ 教育の失敗

なぜこういうクライマーができてしまうのか?というと、まぁ本人の性格もあるとは思いますが、登山者教育、クライマー教育が適正でない、ということも言えるでしょう。

これは、どうもアメリカでも同じ事態なんではないか?と思いますが。

しっかし、こんな、山の指導者のていたらく、新人の側が、怒りを感じて当然です。

威張るだけ威張って、能力なしという、いったい何やってんだ、っていう情けない状態、っていうのが、客観的な姿ですよ。

■ 対策


相手の気持ちを察する=自分を理解してくれているという誤解(期待)

クライミングで威張りたいんだなぁ=俺を立ててくれるに違いないという期待

2024/02/10

【指導法の探求】誰もが5.12時代&女子の指導


■ 弟とのきずなを感じるバタフライ

横ビート版ドルフィンが意外だった…せりかちゃんの動画。

私の水泳の先生は、YouTubeでは、トモキン先生とせりかちゃんである。とりあえずほかの水泳選手の動画も見ているが、大阪の長居プールの動画など参考になる。

見ていて感じることは、日本の運動の世界は、
 
 一般の人を切り捨て、エリート選抜制の究極な形態

に陥ってきたがために、その少数のエリート以外は国民的に慢性的運動不足の状態に置かれてきた、ということである。

食、運動、休息は、分業制、ではない。Aさんが運動すれば、Bさんはできなくてもいい、と言う風に人間の体は作られていないのだ。むしろ、運動ができるAさんがBさんのできないことを助けるという風に人間界はできている。

さて、ここ2回くらいで、溺れているようにしか見えなかったのクロールも、なぜか急成長した。 んだが…なんと帯状疱疹が出て、水泳に行けなくなった(汗)。

なんだかなぁ…。 バタフライは、なんか弟とのきずなを感じる。

■ 指導者は泳がない

今習っている先生は、80代の先生だから、先生は当然泳がない。バレエの時もそうだったが、指導者は、指導する対象を良く見る目があれば、別に踊れなくても、泳げなくても指導ができる。

男性クライマーはここが分かっていない。登れない奴にいわれたかねーよ、って話になってしまい、その論理で行けば、世界的トップクライマー以外教えることができなくなり、実際そうなってしまっている。

私は、彼より登れないが先輩の荒木さんの指導が出来た。彼が上手になるために何が必要か、私にはわかったが、私がうまくなるために彼は、私に何が必要か?は分からないらしかった。たぶん、その違いは、どれだけ相手に寄り添ってモノを見れるか?ということの違いだろう。

男性は相手の立場に立ってモノを見る、という訓練が異様に不足している人が多いように思う。

特に九州で、男が一番大事の教育を受けた人に多いように思う。

そういう人こそ、本当に優れた人たちの中に混じって、母親の目から見たら息子が一番だが、それは世界中で自分が一番ではないという現実を見つめるべきだ。そうでないと、とんでもない誤解をもったまま、俺ってどーだ!と開陳して、結局、それがしょぼいということになる…。

そもそも、自信というのは子供時代は母親に承認され、安全基地を持つことで出来上がるが、大人になったら、

 自分の過去の選択

に、由来していくようにしていかなければならないのだ。

それは大げさなのことではなく、私の水泳の習得に見るように、自分で選択し、自分で練習に行き、自分で実感して得られるもの。

山もアイスもそうやって習得したけどな。

■ 弟が応援してくれている?

私の弟は、バレンタインデーにチョコを14個ももらってきた…女子あこがれの男子生徒、でした。 水泳ですごく上手になり、メダル選手だった。

子供時代はアスリートの暮らしに合わせて、夏は弟の水泳の大会中心の生活でした。私は泳げなかったので、見ているだけでしたが、弟はほんとにかわいそうな生活でした。真冬でもガタガタと震えながら真水のプールに飛び込んで、ボイラーのお風呂に入る、を繰り返すのです。唇は真っ青。

そんな生活を見ていたので、スポーツ虐待と言えるアスリート教育には私は反対です。私が推進したいのは、

 一般市民のための健全なクライミング。

一般市民でも、5.12を登る時代が来ているんですよね。40年前は、5.12に一瞬でもタッチしていれば、俺ってどーだ!とブイブイ鳴らしていたらしいですが、今はそんな時代ではない。日本人はありもしないリスクに、怖い怖いと言って、ロープを蛇だと思って怖がっている状態に現在あります。

 ”だれもが5.12時代”

です。そのために必要な基礎技術を知ってもらいたいです。例えば、初心者は下部核心の課題に登ってはいけない、など。 

さて、私の水泳ですが、バタフライは、なぜか一度下手になり、昨日の水泳教室でやってみたら、また上達しており、「そんなに上達したら、先輩たちににらまれるよ」と先生がいうほど…。いや~、なぜか分かりませんが、やっぱり、スキルトレーニングは得意なんです。

アイスも、荒木さんより、私のほうが上手で、登れました。そりゃ当然だと思う。自分がカッコよく見えるかどうか?ばかり気にしていたら、登ること自体がそっちのけなんだから…。

ただし、パワーだけで解決できることの多くを、女性は解決できないのは事実です。

たとえば、私が5年も練習していたヨガのアーサナで、マユラーサナは、彼は一発で知った初日にできました。ショックそうな顔をしていたら、男性の外国人のヨガの先生が、慰めるように「男性は筋力でできちゃうんだよ」と慰めてくれましたっけ?

私のアイスクライミングが、相沢大滝で、55m×3が平気なほどの上達をした理由は、クライミングジムのピラニアで、8級の緩いかぶり傾斜で、4つのフラッギングをドリルしていたことにあると思います。

その4つは、正対、側体、アウトサイドフラッギング、インサイドフラッギングの4つで、すべて同じ課題で4つの別の動きをドリルします。

アイスはリーチ関係ないのです。だから、ムーブは単純です。

■ 指導者の価値とは?

指導者の価値とは、相手に適したドリルが考えられること

です。たとえば、この4つのフラッギングとか。

雪がない世界の人に雪山を無理なく、習得させるにはどうしたらよいか?考えつくとか。

余談ですが、このように独自で考えてドリルしている人にむかって、

 「その課題は、こうやってのぼるものだ」

と指南するのは、野暮っていうものです。

登り方は自分で考えろ、と誰かも言っていましたが、自立・非自立の問題意外にも、一般に外岩では、

 ・身長はバリエーション(変数)であり、
 ・ホールドは常数(固定した値)です。

なので、身長やパワーで登り方(ムーブ)は全く違う。

一方、人工壁は正解ムーブを見つける戦いであり、正解ムーブを見つけたら、よほど体格が外れていない限り、大抵の人が登れちゃうように作ってある=すぐ飽きる。そのように作っている、という、まぁ、お受験システムみたいな話になっている。

これでセットを延々としないとお客さんが楽しめなくて来てくれないという悪循環に陥っているジムは多いです。私はセット同じで、全く問題なしな人でした。ドリルは自分で作るからです。上記の8級の課題も、永遠にそこにある課題でした。

一般ジムは、お受験システム的な正解ムーブを見つける課題設定なので、お受験的学習をした人が本番、つまりコンペでも強いってことになってしまいました…。つまり、模試をいっぱいやる、みたいなことです。子供の時から模試漬け…。

しかし、外岩は、そんな方法では、登れないから、楽しい、んですよ。

むしろ、ある程度の基礎力が人工壁で培われていれば、外岩は楽勝になってしまい、どんな難しい課題でも満足できない、と言う人も出てきてしまいますので、人工壁に行くと、外岩が楽しめなくなるリスクがあります。

ま、それは超エリートの話なので、まだ外岩で、5.8も登れない初心者は心配しなくてよいです。

それより大事なことは、

5.8~5.11以前の初心者時期に殺されないこと

です。そのための知識の普及が遅れています。

(例:ランナウトは危険であることを認知させる、下部核心は登らない、プロテクションディフィクルトやカットアンカーの課題は登らない、ビレイヤーからクライマーが見えない課題は登らない、短かしいのは登らない、ロングルートを選ぶ、などなど)

■ ハイエルボー習得しました、次は?

さて、私の水泳ですが、たぶん、ハイエルボーっていうのが身についた段階みたい。いったい、なんで?ってくらい泳げるようになりました。

なぜいきなり上達したのか?いろいろ考えるが、

 先生のやらせようとすることに、あまり抵抗しないで、すぐやってみる

 = 素直である

のが、いいのではないか?と思う。

振り返って先輩の荒木さんは山梨時代から、アルパインの世界で上達したがっているのを私は感じており、それに有効だと思える指導者を紹介したが、彼がその相手が年を取っているとかで、バカにするので、結局のところ、肝心の基礎力の大事なことが分からないで、そのままグレードだけが上がっていくことになったと思う。

例えば、私の師匠の青木さんが、上級クライマーを招いて宴会するときに、彼を呼んだりもした。しかし、こなかった。なぜか?往年クライマーを馬鹿にしているからだった。

彼は、そういう往年クライマーが昔の栄光を語るときに語りを聞いていないので、どの程度の困難がすごいクライミングなのか?たぶんつかめていなかったと思う。

その上、例えば、ロープドラッグがあると登れなくなる、リードで屈曲があると登れなくなるとか、その程度の基礎も、学習しないまま、ただレッドポイントでのグレードだけが上がり、5.12俺登れます!と、空虚な自信だけが積みあがってしまい、10年登っていれば当然しっているだろうと誰もが思うので、抑止力も働かず、結局、めんどくさいという気持ちでピッチをつないでしまって、後輩の私にケツを拭かせるはめになった。

これは、

グレードで判断して、自分はもう、往年のクライマーたちを超えている!という慢心

があったから、こんな羽目に陥ったのだろうと私は思う。(本人は何を舐めている、と言われているのか、自覚する能力が欠如しているようだった)

多くの人は、ロープドラッグを理解していないくらい、小さなこと、と思うかもしれないが、実際、外の岩場では、その”小さなこと”が命を奪うのであり、それを教えるために、往年クライマーは、過去の栄光話(失敗話)をするわけである。

余談だが、往年クライマーでも、相手がロープドラッグで登れなくなったくらいのことは赦してやれ的なことを言う人がいる。大体そういうことを言う人は、ご本人が日和った山しかしていない。日和った山とは、一般の人が無知と誤解に基づいて、すごい認定をしてくれる山って意味だ。

それはその人はそうしたら良いが、私はごめんだね、って感じだ。

それでにっちもさっちもいかなくなった時、無知なクライマーは自分が引き起こしたことの重大さに気が付かない。

昔は教育が十分だったので、小さい失敗から重大な教訓を学んでくれたので、付き合う側としても、付き合った甲斐があったらしいが、現代では、それは起こらないのである。今のクライマーの無知具合は、往年クライマーの想像をはるかに凌駕している。

現代クライマーは、往年クライマーの実力を正確に測れないから、グレードだけで見て、あるいは周囲の人があこがれのルートだというから、という理由だけでルートに出たがる…ということになってしまい、そのやり方で行けば、早晩、遭難することになる。

しかも、もっと重大なことは、フォローにけつをぬぐってもらっても、本人は気が付かないから、行動を改める機会にもならないのである。(参考:白亜スラブ

■ 男性選手の指導と女性選手の指導は違う

前に仕事で、上司に、女性の部下は非常に意図に沿ってくれてやりやすいと言われ、感謝されたことがある。

男性は、相手の意図を汲むのが苦手なのか、指示通りやらないそうだ(笑)。

水泳もクライミングも、同じなんではないだろうか…?

男性のみなさんは、教わる側、教える側としても、ゴーイングマイウェイ過ぎる。

先生に、ハイ、と答えても、言われたことをしない、面従背腹みたいな行動パターンの人が多いような気がする。

実際、私はヨガの指導歴6年だが、ヨガを教えても、ある注意して、その注意を聞く人は、”聞かなくてもできている人”ばかりで、肝心の”聞いてほしい人”は、スルーっていうのが定番だったよなぁ…

ま、そういうわけで、先生の言うことをまっすぐ聞いていたら、ハイエルボーは、できるようになった。先生は、私が得意のバタフライから、クロールの泳法を引き出そうとしたのだと思う。

今は、前バランス+ハイエルボーで、めちゃスピードスイミングな泳ぎになってしまっている…。実は私が習得したいのは、ロングな泳ぎなんだけど。

ハイエルボーにフィニッシュを入れると遅くなる、と先生に言うと、それであっている、ということだった。

ただ、今の技術では、泳速が遅くなると、今度は息継ぎで沈む感覚が出てくるんで、沈まない息継ぎが必要に… と言う具合に、課題が次々出てくる。

 その課題を次々つぶす感じ=楽しい

ということなんだと思うんだけど…。

みんなは違うのかもしれない…?

私にとっては、クライミングはそういう楽しみでしたけど…。まぁ水泳も同じですね。

■ まとめ

女性の指導と男性の指導は違う

コーチの考え方も男女で違う

誰もが5.12時代の健全な市民クライミングの指導者が今必要なもの

水泳やテニスなどは指導者育成が充実しており参考にできる

■ 参考
トップロープ支点の張り方の教え方

2024/02/05

日本にはクライマー育成に指導者マニュアルがなかった件(日本登山界が世界から遅れた理由)

 ■ 登山ガイド育成事業がスタートしたようで喜ばしい

山梨時代に、『八ヶ岳研究(上・下)』をセットで持っていたガイドさんが、これはカリキュラムを起草したのではないか?という 登山ガイド育成事業 を見かけて、うれしいなぁ~と思っている。

https://stps2snwmt.blogspot.com/2024/02/blog-post_52.html

これは登山者版だが、クライマーのが必要ですね!誰か我こそはって人作ってください。

■ 受講資格?

つけ足すようだが、山岳総合センターのリーダー講習では、登山歴を出さないと受講できなくなっていた。

登山歴を見れば、考えている登山者か考えていない登山者か分かる。

受講者の選抜は良い案で、自分で経験値を増やすという努力をしないで、便乗の山や棚からぼたもち系の山したい人を振るい落とす、というのは、一般のネットビジネスでも

ファネル

と言って重要ポイントになっている。

このふるい落としができていないと、良い内容を教えても、相手が教わってくれないのである。したがって講習のレベルを下げないために重要。

■ 身長と体重

一般的に言って、積雪期ガイドには、重たい体重が必要で、クライマーには軽い体重が必要。

私は小柄で体重が軽いので、ビレイのことを考えると、まったくガイドに向かない。

ガイドすると、自分が危険に巻き込まれて、技術が未熟な相手…歩きが粗末な登山者が転んだら、巻き込まれて死んでしまうリスクがあるので、ガイド資格は使っていない。

体重と言うリスクは、個人でコントロールできないリスク。なので、受講者にはそのことを最初に教えたほうがいいと思う。じゃないとお金の使い損になるからだ。

■ 低身長がリスク

身長が重要になるのが、クライミングで、低身長だと、他の人にないリスクが増える。

クリッピングでピンが遠いために手繰り落ちるリスクで、男性のクライマーは、女性のクライマーが自分より大きなリスクに耐えている、ということに無自覚な人が多い。相手の立場に立ってモノを見る、ということがまずやったことがない人が多いためだろうと思うが。

身体条件によるリスク増は、個人ではいかんともしがたいものである。

まぁ、逆に言えば、私の低体重は、アイスでは有利だし、身長が低いこともトラッドではあまり問題にならないどころか、逆に有利な条件と言えることもあるくらいだ。

■ これまでで良かったことをまとめる

1)井上さんが来てくれたこと

2)黒田さんの論文が出たこと

3)ユージさんの小鹿野

4)ラオスに萩原さんが誘ってくれたこと

5)高みへのステップ 30年ぶりのアップデート

6)新田さんが日向神リボルトをしてくれたこと

7)八面のリボルト

8)今回の登山ガイド育成事業が発足したこと

いや~良かった、良かった。

UIAAの登山総合技術ハンドブックを読んだ人は、

 うわ!日本やばっ!!

と誰でも思うに違いない。

■ 登山業界は知識を内輪にとどめておきたいみたいな?

文部省の登山研究所っていう組織があるが、IT化がめちゃおそく、しばらく前までPDFは、画像であり、紙の書籍をスキャナで取ったものらしかった…

それじゃ、Googleの検索に引っ掛からないのである。

だから、検索力が低い一般の人は、情報弱者になってしまって、隣の〇〇さんが行くから自分も、みたいな山しかできなくなり、結果、槍が渋滞するって話になってしまうんである。

しかし、文部省だぞ? パソコンが分かりませんってわけでもあるまい?

ということは、わざと情報を出したくないのか?

いや、たんにガバナンスの問題…であろう…

■ 水泳で立ってるだけのバイト

最近、水泳に行くんだが、プールには立っているだけのバイトがある。

管理のバイトだが、あれ、ほんと若い人生の無駄遣いみたいな感じだ。

楽なバイトに人は群がるんだが…楽をすると、自分の人生の無駄遣いになる。

昔読んだ本で、高速道路の〇〇公団に勤めている人の話が出てきたが、まさに人生の無駄遣い的な仕事で、そもそも仕事自体がないのであった…日がな一日事務所でぶらぶら…

…そんな命の使い方を、お得、と思ってしまってはいけない。

人生は短い。ビジョンを持って、したいことのために時間を使いましょう。

 

日本男児が内弁慶な理由…段級システム。国内の競争に終始して、世界のクライミングが進化していることに気が付かないで済んでしまう…



2024/02/04

【心理技術】自分でルートは選ばないと自己決定していないので自信が生まれない


さて、
 
 現代の山ヤ(クライマー)は、自分の登る山や、ルートを選べない、という点ですが…

自分で選ばない=自己決定感が生まれない。

= 自信につながらない

です。

■ 自信
 
自信= 自己決定 + 自己有能感

です。 自分はできる!と言う感じ…自己有能感…は、誰でも、自分より下の人と比べれば得られます。

おじいさんクライマーが、最近の新人を岩場に連れて行って登れないのを見て、

 俺もまだまだいける

みたいなのです。

なので、ある意味、自己有能感はえるのが簡単です。 低い方と比べていればいいからです。

ところが、自己決定感…自分で自分の道を選んで歩いてきた感じ…は、なかなか難しい。

昔は、山岳会で、会山行が組まれ、ある程度の一年のスケジュールが出ていたので、それをこなしているうちに、こんなレベルではこれに行けるんだ、あれに行けるんだ、ということがまとまってきたと思います。

ところがこれが、岩雪がなくなったり、ロクスノが弱体化したり、山の雑誌の内容が、全然山ヤよりでも、クライマーよりでもなくなり、なんかな~と言う内容になってきたので、誰も読まなくなり、無節操になった結果だろうと思いますが…

自己決定で誰もルートに行っていない

って結果になっているから、

 自信がない

って結果になっているんじゃないですかね?