さてと… クライミング技術そのものを教えるのは、別になんてことはないことだし、誰でもYoutubeを見てだってできると思うのですが
在り方
を教えるのに、失敗しているというのが、たぶんクライミングで大したこともできなうちから人がバタバタ死んでいく原因ではないかと思います。
■ 人工壁育ちの人は何が分からないか?
だいぶ出そろいました。
・”登る動作(ムーブ)”ができるだけで、ロープに使われているのがジム上がりクライマー。ジム上がりの人だけでなく、山から入ったクライマーでも、ロープ使い慣れがない場合、同じ。
・大体の人が、自分の実力を適切に見極めることができない。過剰評価が多い。安全のためには過小評価のほうがマシです。
・自分自身で現在の力に合わせてルートを選ぶことができない。
・10年登っていても、ロープドラッグの回避方法は分からない=観察学習する能力がない
・支点ビレイなどのバッドビレイを見ても、まず気が付かない (子供が毒親に気が付かないのと同じ状態)観察能力の欠如。
・自分の実力を客観的に見出す力がない(大体グレードで判断するので過大評価)
・昔のルートグレードを読みこなせない
・次に何が起るか?という先読みをできない
・トラブルを想像できない
・トラブルに対処できない
・皆が一律に同じ能力であるという前提を持っていることに気が付かない
・誰がえらくて誰が劣位かというヒエラルキーを内的に持っている
・無謀なほうがヒエラルキーの上であるという無意識の前提がある
・ヒエラルキー順に発言権があるという前提がある
・思い込みに気が付いていない
・その思い込みが導く帰結に気が付いていない
こんなところですかね?無意識の前提は、
1)経験値があればロープドラッグは回避できる
→実際は経験しても、そこから学ばない人の数が一定数あり、座学による知識も合わせて与えないと知識と経験の定着にならない
2)10年の経験があれば、自己評価能力がある。
→ 現実には、自己評価能力は、登攀の年数に依存しない。
3)学習の拒否を行ってきた人=経験値を自慢する人
→これらは両輪であり、片方では抜け道につながる
4)危険回避より冒険主義
→ 冒険は大事ですが、危険回避能力が備わってこそ冒険と言えるのであり、ただ危険に対して丸腰で突っ込むのであれば、冒険とは言えない… 自殺行為である。
例えば、降り方を学ばずに登る。