■ミニマムボルト論争
エイドのミニマムボルトとフリークライミングのミニマムボルトでは、意味がちがうよなぁ。
A)エイドのミニマムボルト=ただ距離を稼げばいいだけの思考停止ボルト配置
B)フリーのミニマムボルト=岩と対話しつつ、ここだけは外せないというところに打つボルト
ただの思考停止でしかないA)のボルト配置が、B)の栄誉ある配置と同じ厚遇を受けることになっているのが問題なのであって、
ミニマムボルト自体は、自然界を保護し、フリークライミングのスタイルを向上する素晴らしい理念
です。
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ミニマムボルトとは?
・自然の保護と調和: 自然環境への配慮や保護を重視し、岩や地形の自然な特徴を活かすことを目指します。
・ボルトの最小限の使用: ボルトは必要最低限の場所にのみ設置され、クライマーが自己保護やフォールのリスクを最小限に抑えながら登攀できるようにします。
・伝統的な保護具の使用: ナチュラルプロテクション(結びつけたナットやカム)などの伝統的な保護具を活用し、ボルトに頼らずにルートをクライムします。
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そもそも、エイドで打てば、自然地形は全く生かしたことにならない。
日本のクライミングの国内事情的に、A)で打った人が、Bの理念にフリーライド、つまりタダ乗りしている。
フリークライミングで、価値があるのは
1)そもそも前提として、フリークライミングで登られていること (初登がエイドって…汗)
2)ボルトがプロテクションとして機能すること(ランナウトしてはただの飾り)
3)必要最小限(ミニマム)であること 使える場合は、ナチュプロ
4)グランドアップであること
です。
この前提が崩れて自己規律がなく、
・エイドルートなんですー (グランドアップっていう言い方してるけどね!)
→ フリー時代になったので、そのままボルトうちましたー (しかも上からぶら下がって)
=日向神
みたいなことになっているとしたら、かなりイケてないです。上記のシナリオになっているかどうか?は個人の開拓者のポリシーや倫理観によるのかもしれませんが、クライマーって
「ねぇねぇ、最近はラッペルOKなんだってよー」
「ほんと?ぶら下がってボルト打てるの?ラッキー。ラクな時代になったねぇ」
とかって、自分のラクな方向に物事の意味捉えていませんかね??
ラッペルルートができた理由って、そもそもグランドアップでは、かなり易しい課題でないと、ボルトうち資材一式持って登るの無理!みたいなことになったからだと思うんですが…。
随分前にリンヒルが女性クライマーだけで開拓する動画みましたが、彼女が日本の開拓結果を見たら、Oh My God!なんじゃないですかね…もったいなさ過ぎて。
岩の形状を活かす、とか、課題の質…って事を考えず、量産、ってことを考えた結果なんだろうか…。
国内の地域クライマーは、変なコンプレックス持っているから、あんまり思想的な正しい内容を語る人がいても、話を聞かないかもしれないですね…。
都合いい解釈に収まるほうが先になっちゃって…。
だれか、きちんとグランドアップで開拓されたミニマムボルトが、安全の確保に必要最小限で、素晴らしく美しい調和を持っている様子を語ってください。
そういう詳述がないと、言語化能力が足りなくて理解ができないのかもしれない。
今では、どっちが命知らずクライマー化の競争みたいなことになっている。俺だって命かけたんだぞ-、みたいな。確かに抜け落ちそうなピトンに体重預けるのって、勇気がいりますよね。 フリークライミングだからって威張るな!みたいな感じなのかな?
そんなことを思いました。
伝統的クライミングのスラブで、ランナウトしても、落ちる時、体の摩擦で停めたらいいだけですけど、同じ距離のランナウトをオーバーハングでやったら?とか、発想自体ができないのではないかしら?
みかんとりんごを比べるようなことになっているってことです。
日本は儒教の国なので、後発のフリークライミングが割を食って、日本にはアルパインクライミングのエイドクライミングで開かれたルートはいっぱいあるけど、それがそのままボルトになってしまっただけで、岩の形状を活かしたわけでもないし、そんなところにボルトあっても落ちれないから、ただのお飾りだし、スポーツクライミングのルートとも言えないし、というなんともどっちつかずなことになっている、というのが現状の岩場の正しい認識なのかもしれません。 特に九州の岩場。
世界で名をあげている日本人つよつよクライマーと違って、 日本のクライマーの平均像は、あまり知性は高くないです。しかも、価値基準が、俺がかっこよく見えるかどうか、です。たとえ、誤解による称賛でも、称賛である限りなんでもいいから欲しい!みたいな感じです。たぶん、ちょっと発達障害なんですよね。しかし、悪気はなくて、単に理解力が表面的なだけです。
大体、著名になっている若い強強クライマーって、慶応大卒とか早稲田卒とか、偏差値で言って私と同じような大学出身者ですが、今増えているクライマーってそういうレベルではなく、坊っちゃん大学出とかです。つまり、もともと知性の面でクライミングが気に入ったわけではなく、オールアウトできるから好きってタイプ。地方都市に残っているのは、都会の大学にいかなかった人なので、そういう人が多いのです。ロープを買うときに濡らしては行けないくらい学ぶはずですが、そういう風には、なぜかならない。
つまり、先手を打って、どういう行為が称賛されるか?を教えてあげることが、適切に導くコツです。
たとえば、このように…