■ 混乱しているアルパインロックでのロープを出す基準
これまでの経験から言えることは、アルパインロッククライミングにおいてリスク認知は、
ロープを出す基準
に深く関わっており、その基準を誰もが
俺が正しい
と相手に押し付けるために、
どっちがより命知らずか?競争、
に陥っている、ということです。
■ 九州人のロープを出す基準は、出さない方向=つまり怠惰方向
私個人の経験でしかありませんが、九州人のロープを出す基準は、出さなければならないと一般市民向け山岳会で標準的に考えられている基準より、どうも出さない、方向です。
これは、以前の会(家庭的)で36歳男性(背も高く肥満もない)に対して先輩たちがロープを出してきた基準より、私が持っている自分にロープが必要だ、という感覚は、え?こんなところでロープ出すの?だったためです。
つまり、大雑把に言えば、前の会の人より、私はロープ要らない派、でした。スタンディングアックスビレーも、「こんなところでいらないなぁ。歩ける」ってところで会の先輩たちはロープを出していました。
ところが、九州に来たら、
ここは絶対にロープがいるところ、
あるいは、
マルチの終了後などで2級の歩きでも、ロープを解かないところ、
と私の経験や、青木さんとの登攀で行われてきたロープの出され具合から、私には確信的にロープを出すべきだと、感じられる場所でも、ロープを出さない人たちが主流でした。
例えば、マルチ終了後、短距離で2級がでてきたら、ロープは解かず、岩にかけながら前進するのが普通です。しかし、こちらの岳人や一緒に登っていたA木さんは、その感覚は持っていないようでした。
福岡山の会の人にも、私がスリング出して自己確保でちょっとした下降…マルチの後…を降りたら、え?と驚かれました。
■ 基準は 厳冬期甲斐駒 8合目
本州だと、雪の山で、ロープを出す・出さないの基準は比較的わかりやすいです。
厳冬期の赤岳で、天候や視界に特に問題がない場合では、ロープ無しで歩けないような人は、まぁ、アルパインスノーはお呼びではありません。一般登山の雪山で、もう少し歩きの経験値を積んでから来てください、みたいな差し戻しです。
同じようなのが、厳冬期甲斐駒です。落ちたら一環の終わりのところがあります。
まぁ人間は、落ちたらやばいなと思っていると落ちないので、実際は、通れてしまうことが多いですが、そのような場所でロープを出さない姿勢自体が咎められる、ということになっています。
花谷ガイドが口を酸っぱくして若い人に、少しでも不安を感じたらロープを出せと繰り返していました。
■ 岩
一方、アルパインロックになった途端に、なぜかロープを出さないほうがエライ、みたいなことになるのですが…
5.XXというグレード自体が、もうそこからはロープが必要、という意味に解釈されるべきですが、されていない。
そこに最大の問題があるように思います。
”ロープ出す、出さない”問題は、本質的に言えば、”怠惰・非怠惰”の争いです。それを”かっこいい悪い”問題に転嫁すると、つまり、出さないほうがかっこいいという
問題のすり替え
にすると、”怠惰”を”かっこいい”ということができるようになります。
ロープ出す → 非怠惰 → かっこ悪い
ロープ出さない → 怠惰 → かっこいい
というので、ロープを出さないほうがかっこいい、という論理?は、ただの怠惰の隠れ蓑に使われていることが多いです。
■ 山は誰にでも平等 = Aという山に行ける人と行けない人がいる
当然なのですが、多くの現代人が分かっていないことの一つに、山は誰に対しても平等、ということがあります。
例えば、この人は新人だから、気温を調節してあげよう、とか、晴れにしてあげよう、とかありません。傾斜をゆるくしてあげよう、とか、風を弱めてあげよう、とかもない。
初級ルート、入門ルートという言葉が誤解させるようですが、それらはあくまで、かかる時間の短さや、傾斜のゆるさ、であり、危険が減ります、って意味ではありません。
寒いときは寒い。入門ルート初級ルートでも寒い(笑)。
そこが、どうも、言葉の綾でわかりにくくなるみたいなんですよね。
人間がやっている競争は、相対的競争です。でも、山が求めて来るのは絶対値としての実力です。
男性クライマーは大体、あいつが○○登れたんだから俺も行けるハズ、みたいな心のなかでの計算をしています。
それが大間違い。大学生が○○尾根登れたら、俺も行けるかというと、予備力が違います。
私はヤマレコに、一般登山者と、本格的がつく登山者の間を埋めるようなルートの記録をよくあげていました。
例えば、雪山の入門としたら、3月の金峰山を御岳新道から登るとか、です。あるいはツルネ東稜の縮小バージョンで地獄谷から。
そのような、本格的なバリエーションと一般登山の間のようなルートで基本的なリスク管理を学ぶ、という初歩の段階を飛び越して、『チャレンジ!アルパイン』に進んでしまう、あるいは、『日本登山体系』に進んでしまうことが、根本的な遭難原因…
山の絶対値を相対的な競争に置き換えてしまう
という誤解に陥っている原因のように思います。
たぶん、高校山岳部では沢登りをいっぱいすると思うのですが、沢にワンシーズン程度は最低でも捧げないと、アウトドアでの、リスク感性は身につかないのではないでしょうか?
というのは、沢こそ脆いので、傾斜に関係なく、危険かそうでないか?によって、ロープを出す出さないの判断が必要だからです。
■ 雪の山でも危険な人はいっぱいいたな
振り返ってみたら、雪の山でも危険だなーって人はいっぱい会いました。
・厳冬期の-20度にもなるヤツにアイスに行ったら、携帯出すのに15分かかった人がいた。じっと待っていると寒さで死にます(笑)
・厳冬期のヤツで酔っ払って登山口に来た人がいた。
・素手でピッケルをつかもうという人がいた。
・明日大荒れ、で12時から天候下るとわかっているのに、11時敗退を受け入れられない人がいた
・ウエアが全然ダメ
・冬靴もシェルも貸してアイスに連れて行ったら、2度めを断るとケチ!となじられた
・ガスで視界がゼロなのに、適当に前進したがる
・コンパスウォークができないのに、なぜか荷物だけは不必要なものでぎっしり重たく、ザックの中に芋きんとんが入っていて、凍りついていた
とリスク管理の観点からは、?な事件が結構ありました…
それらは、みな、山行計画を立てる時点で、シミュレーション不足、から来るのではないか?と思います。
逆に、ある会は、ものすごく慎重で慎重すぎるくらいでした…例えば、ジョーゴ沢から硫黄を詰めるという山をした時、ビーコンを持たされました。たしかに雪崩れたら、逃げ場なさそうな地形なので、それは受け入れてビーコンを持って行きましたが、赤岳山荘でビーコンチェックしている私達パーティを、ガイドさんが不思議そうな顔して見ていました(笑)。だよね~ 今からどんなスゴいルート行くねん、って思うよね~と思ってちょっと恥ずかしかったですが…。
むしろ、その会は責任を感じている会ということで、やりすぎ!なくらいでちょうどよいのがリスク認知だと思います。
その会は、山行計画書にジャケットの色を書かせていました。というのは、遭難したら、レスキュー隊が最初に必要な情報が、
ジャケットの色
だからです。
■ フリークライミングのリスク管理
一方フリークライミングに来たら、まぁアルパインと比べるとリスクフリーな感じなので仕方ないかも知れませんが、リスク管理ゼロっぽくて、驚きました。
しかし、海外で登るとなると、リスクありますよね?
なんせ、怪我したら、海外の病院って…先進国以外はどうなんでしょう?
ラオスは、一回目の時に現地の日本人グループと知り合いになり、そのうちの一人は現地で働いている看護婦さんでした。
なので、少し安心があり、それで一人で行きました。台湾も、すでにラオスで一緒に登った人とだったし、まぁ無理をさせられることはなく、大丈夫だという感触はありました。行動プロテクションというやつです。
しかし… ”ロープを出さないほうがかっこいい”と思っていると、行動プロテクションゼロ、です。
怠惰が逆にかっこいいという逆転現象になっている場合、どう転んでも危険に陥る敷かなくなります。
そこのところは、一旦、ロープを出さないほうがかっこいいという価値観が男性の頭に植え付けられるとそれを撤回するのは、かなりの労力というか、本人にしてみれば、自己存在の否定みたいなことになってしまうので、クライマー人生の初期に、
良き岳人の手本&ロープを出す基準
を先輩からインストールされる、というのが大事なことだと思います。それをしそこなった場合、撤回するのは、かなり大変になることが予想できます。
■ 岳人と言えるレベルと思いやりレベルはちがう
同じ難度でも、スキルが低かったり、体力が低かったりすると、怖く感じます。
ので、ロープが欲しいという水準は個人の中でも、変化します。年を取れば、誰でも、保護が欲しくなる。
カッコつければ、もうリード欲はない、です。
なんせ、リードするほうが楽しいのですが、年を取ればリードしなくても楽しくなる。
一方で山が要求するロープがいるという水準は変わらないし、難易度も変わらないので、登れる山は必然的にだんだん低レベル化していきます。
それでいいと思います。
フレッド・ベッキーって、ヨロヨロ、ヨボヨボのおじいちゃんになっても、自分でバックパックを担いで、登り続けていましたよね?
そういうのが、真のかっこよさ、ではないか?と思います。ま、ちょっと頑固で意固地な気がしないでもないですけど(笑)。
■ 怖いという人には出してあげるのがかっこいい
36歳男性のほうが、私よりロープのニーズが高かったのですが、あの経験を後から反芻して考えた結果、結論は、
怖がっている人には、自分には要らないところでもロープを出してあげるのが仲間
ということがわかりました。たとえ、大の男なのに男らしくないなぁ、と内心思っても、です。
それが山仲間として必要な態度だからです。それが本当の優しさ、です。
一方で、山が要求する基準は、絶対値なので、
「○○山は君にはまだ早いと思う」
ということは、言える人でなくてはなりません。優しさと迎合はちがうからです。
男性山やの教育で大事なことは、これらのロープを出すときの基準と態度を分けて考えるということをしっかり伝える、ということだと思います。
そういうことを見て盗むために、マルチにベテランと行くんだと思いますが、ちがうんですかね?