2023/05/11

師匠恋し…エンジョイクライミングには正しいリスク認知が必要

 ■ 青ちゃんの最後の言葉:楽しんで登っていってほしい

山っていうのは、山そのものとの出会いと同時に、人との出会いもあるものだ。

佐藤さんの記録もそういう人との出会いで紡がれて行っているらしい。そうなんだ、と思って嬉しかった。

https://drive.google.com/file/d/1hEx6xLhSBwzooV78ZRJ8yVH6rEs9GYhJ/view?ts=645bed0b

世界レベルのクライマーでも、グレードを追いかけているわけではない、ということです。

普通に楽しんで登っていたら、こんなグレードが登れるようになるのが、現代アルパインクライマーなんですよ?? 



■ 雪から、アイス、そして岩へ

私の山との出会いは、雪の山… 美しい八ヶ岳の山にと、後に一人で、登り始めたのが最初だ。

厳冬期の八ヶ岳は、小屋も充実しているので、個人でも取り組みやすい雪山だ。さらに高めたいと思ったので、山岳会に入ったが、会自体が弱体化していたので、なかなかレベルアップはできなかったが、それなりに楽しい残雪期の鹿島槍鎌尾根やら、黒部川を遡行して、真砂尾根などに行っている。

山行リストはこちら。 

https://stps2snwmt.blogspot.com/p/201504201603-2016-2016-2016-201629.html 

すべて山との出会いが、人との出会いによってもたらされた山だ。

この2つは、御坂山岳会の榑林さんという素晴らしい先輩が企画してくれた山だ。(信大出身者)

苦言になるが、御坂は家庭的で良い会だったが、みなが良い人過ぎて、メタボになったオジさん登山者が一升瓶を担いで初級のバリエーションに行く、という無謀…凍傷者3人…を阻止する力がなかった…。

その時、私の参加を阻止してくれたのが、当時の師匠の鈴木清高さんだった。今でもお元気で登られているようで、時々、山の記録を拝見している。

インスボンや韓国のアイスは、青木さんという佐久の師匠と出かけた。私は雪の山は、単独初見での阿弥陀北稜を終わった。ロープが出るルートは、初級のアイスルートのジョーゴ沢から硫黄に登るとか、入門の峰の松目沢敗退だったが…も、なんとか済ませて、個人で厳冬期にテント泊ができるところで、それ以上の山となると、仲間が必要なので、雪稜はこれ以上レベルをあげるのは、もう無理ね…というところだった。

実際、フリーのルートのほうが、アルパインのルートよりも、リスクが小さい。ある程度フリーが上達するまでは、フリーに専念した方が良いという蒼氷の先輩のアドバイスもあった。

ので、結局、冬季のフリーはアイスだろ、というので、アイスクライミングを習得することに力を注いでいたのが、私の山梨最後の日々だった。

スケジュールは、全部クライミング優先(笑)。

■ アイスから岩、岩からクラック

青木さんは、もともと日本発のレスキューを組織した人で、30代のときに、わざわざ関西から長野にレスキュー隊を作った話をしてくれと呼ばれたそうだ。それが定年退職の年令になって、長野に移住したら、レスキュー隊の人が人手不足というので、もう退職の年齢なのに、手伝ってくれないか、という話が来たのだそうで、この30年レスキューの世界が衰退していったということをしみじみ感じたみたいだった。

私の山岳総合センターでのリーダー講習で、講師をしてくれた高橋さんと村上さんが、八ヶ岳のレスキューの隊長、副隊長だったので、私にとって、青木さんの技術には、非常に魅力があった。

私は当時、山梨アルパインクラブという義理入会のパートナーが、ジムで5.11が登れるからというので、北岳バットレス四尾根にいくというので、振り回されて、てんやわんやしていたのである。四尾根に同意した理由は、私は3年後くらいのつもりだったのに当人は今年のつもりだった…という大きなすれ違いがあった。

この時、花谷康弘さんに相談して、それを師匠に誤解されるという事件があった。ガイドさんだからだ。一般に師匠クラスの人はガイドを嫌うが、それは誤解に基づくことが多い。昨今、ガイド業している人は山岳会の貧困を理解しており、山岳会で登っている人をガイドの顧客扱いすることは無い。むしろ、山岳会が弱体化したことがガイド業の興隆となっているのだ。

山岳会を一つ運営している私でも、無料でギアを貸して連れて行く山にはやってられない感しかない。

一般に高校・大学などの山岳部を経由していないジム上がりの男性クライマーは、リスクの認知がものすごく甘い。

その上、女性の発言は言うことを聞かない。危険なビレイを指摘しても聞かない。

ジムで5.11が登れるというのは、北岳バットレス四尾根が登れるという何の裏付けにもならないが、そのことがよく分からないのだ。それはグレードが付与されている弊害のため。

北岳バットレス四尾根は、ルートグレードは3であるので、入門や初級ルートですらない。

御坂山岳会の先輩が気の毒がってくれ、「前穂北尾根にパートナー君も一緒に」と言ってくれたのだが、5.11の彼は来なかったので、結局、アルパインロックとはどういうことか?せっかく先輩が張り切って見せてくれたのに、共有できず、残念だった。

私はこの後、自分のリードで取れるルートということで明神主稜とか、ご近所の旗立岩中央稜に出かけた。もちろん、テント泊一式とカムを一式持って、自分でプロテクションを取っていくのである。こういうのを今の若い人はしなくてはならないが、みんなやりません… 

それより、派手で有名なルートに行きたがってしまいます。たぶん、ルートの選び方でみな間違ってしまうから死んでしまうのでは…。

ちなみに当時の私は5.8は落ちないでのぼれましたが、5.9が万全か?というと怪しいレベルでした。そもそも、日本のルートってグレーディングがもっとも曖昧なのが5.9です。5.9と言っても、実は10cだったりします。

それでも、私が上げたような冒険的ルートは、リスク認知がきちんとできれば、言い換えればロープが出せれば、行けるのです。

福岡の想山会はここで躓いており、ロープを出さずに北鎌尾根に行って死者を出しています。

■ フリークライミングはアルパインの基礎です

5.9は確実でないとならぬというので、山のルートは一旦お預けでした。だからフラストレーションが貯まるので、ときどき一人で出かけていました。厳冬期の甲斐駒とか。

フリークライミングに専念しようということで、小川山通い、が始まった頃、出会ったのが、青木さんでした。通称、青ちゃんです。個人名を出すのはどうか?ということで、A木さんと書いたら、荒木さんという別人と誤解されたそうで、それで青ちゃんと書くように改めていました。

荒木さんと青木さんが、同じA木さんになるとは、うっかりミスでした(笑)。

青木さんは、関西では名を知られた岳人のようで、最初一緒に行った摩利支天大滝のアプローチで、知らない人たちが次々に挨拶していくので、なに?有名人?って感じでした(笑)。アイスクライミング40年のベテランでした。

ちなみにベテランが私と登ってくれたのは、当時、私が大学生のO君の指導を頑張っていたからです。 63歳、43歳、23歳のトリオでした。若い男子は一緒にいるだけで危険で、何をしでかすか分からない爆弾だからです(笑)。

私は、ベテランから、多くを学びました。

彼が何を言うか?するか?ではなく、何をしないか?から学ぶのです。

ある時、赤岩のアイスに誘いが来たので、青ちゃんに話すと、「俺は行かねぇ」という答えでした。それで私も行きませんでした。すると、行った人は、氷が崩壊して足を骨折していました。それも若い人。 

大体ベテランは、日の高い日中はアイスを登らないし、南面の氷も避けている。と学習。

雪の山と同じですね。 悪い日は登らないのです。

■ 小川山通い

同様なのが、岩です。

岩は蒼氷の先輩が一年くらい月一で小川山に付き合ってくれましたが、小川山は、当時の私には桁違いに難しく、リードが取れるルートは殆どないのでした。

この頃、ホントはピラニアのムーブ講座に通いたかったのですが、金曜の夜は仕事の日で、だめ。その解消に日曜に仕事をスイッチすると、小川山が、ということでした。

その頃、菊地さんの講習にでて、クラックは、まだフェイスより見込みがあるなと感じました。

その後、故・吉田和正さんの講習でクラックを登り始め、青ちゃんと湯川を2日、そんなところです。

一応、TRで確保しながら、スリングで繋いだカムに落ちるというのも、一回はやってくれたのですが、一回でカムへの信頼、積み上がります?いや、それは…無理でしょう。

同時に登攀の力も上がっていっていたので、結局、デイビットと出かけた台湾のクラックでも別に落ちることなく、ほぼオンサイトで登り…ほぼというのは、登るのを辞めて降りてきたルートもあるからです…雨が降って、クラックに手を入れたら、手から脇の下を通って水が流れて来て、こりゃ無理だと思いました…(笑)。 カムエイドで敗退しました。5.4の看板ルートのほうは、最初は恐る恐るだったのに、最後はカム3つでのぼってしまう…回収便だったので…という手の抜きようになりました… あれを見たら、清高さんは激昂するでしょう。

余談ですが、このように心の中に、誰々が見たら…というのが良心の正体なのです。

インスボンは青ちゃんが生涯をかけて登り続けている山なので、誰か付き合ってあげてほしいです。廣瀬さんが有名ですが、青ちゃんにも取材が来て、でも断っていたそうです。私が同行した時点で30回目くらいでした。

一度、青ちゃんの情熱を引き継ぐのが私では、間尺が合わないと思い、若い人を連れていきましたが、私とは登れるのに、その人とは登れないみたいで、息が合わないみたいでした。

40代スタートの私だと毎年行ってもリードが取れるまで5年はかかると言われました。

まぁ、ホントのことを言えば、ルート次第で、インスリッジなどアルパイン入門ぽいリッジルートもあるのですが、そのフォローをするのが、いやだ、というのが、多分、本音(笑)。

しかし、入門者のフォローは、後輩には努められず、先輩、が必要です。その理由は、この白亜スラブの登攀をお読みください。https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post.html

登攀歴10年のクライマーでも、こんなことになるので、初心者であれば、なにをかいわんや、です。

これは山梨アルパインクラブの先輩です。後で教えてくれたところ、

 登攀の仕方について指導は受けていない

そうでした。俺は教わっていない、のだそうです。私も山梨アには、数ヶ月しかいなかったので、様子はわかりませんが、ほとんど会長さんが気に入った女性クライマーを山に連れていくために男子は歩荷要員みたいでした。 

さて、そんなこんなで、師匠に恵まれたため、あれよという間に、海外クライミングデビューを果たしてしまった私ですが、インスボンだけですよ、師匠と登っているのは。

一人で行ったラオスの岩場、台湾の岩場に行ったことで、日本の岩場…普通のゲレンデと言われるショートの岩場…が、世界的に稀に見る遅れ具合…であることに気がついてしまいました。

九州では、そのため、フリークライミングでの問題点を多く感じるようになりました。 

それでUIAAのスティーブ・ロングさんに色々と日本の現状を相談するようになりました。彼とは、メール友達という具合です。海外の人の意見は、複数のソース(友人)を持っています。

日本のフリークライミングは、海外のフリークライミングとは明らかに違い、アルパイン色が強いです。初心者に安全なのは、海外のほうです。もちろん、海外にも危険なフリークライミングというのはちゃんと?あります(笑)。ただそれらが一般の市民向けクライミングとは峻別されているか?いないか?というのが違います。

海外の若い市民男性クライマーで、俺だってトニー・コールドウェル!と思っている人は、ほぼいません(笑)。たとえ、カムではなくナッツで支点を取るような人でもです。 

日本では、なぜか話が飛躍する。いきなり、お前もピオレドール賞、目指せよ、になり、中心的価値観が名誉に偏り過ぎています。

しかも、そもそも、アルパインを教える人、スポーツクライミングを教える人がいても、きちんとフリークライミングを教える人がいないのに。

それで、最近は、現代の若いフリークライマーはAMEGAの資格を取るのが良いと思っています。

■ 米澤さん

九州では、屋久島フリーウェイを開拓された米澤さんとしばらくご一緒していました。

米澤さんのことはお会いする前から尊敬していました。当時、御年74歳と青ちゃんを上回るご年齢の立派なアルパインクライマーでした。ヒマラヤ・タサルツェの記録を拝読し、失望されているご様子で、とても気の毒になりました。

米澤さんの開拓で、必要なボルトを私が提供しようとして、わかったのが、現代でも九州では開拓にカットアンカーを使い続けている、ということでした。米澤さんは、古い中根穂高さんの書いたものを読んでカットアンカーにしたそうです。つまり、グージョンが一般的になっているという情報自体が、九州には届いていないみたいなんですよね。

最近、中根さんの本を確認してみましたが、グージョン推奨というのがわかりにくかったので、ロクスノにきちんとグージョン推奨の記事を乗せるべきですね。JFAのフリーファンは九州では、入手自体が不可能感あります。

後で福岡山の会と比叡に行った時、M8カットアンカーを大量購入しようかと考えている途中の場面に出くわしました。

ボルトや使うべき資材など、JMSCAの経路で流したら、一発で全国に広まりそうなのに、全くそうでないのです。つまり、山岳会離れは、若い人だけでなく、年配の人もそうなのです。

比叡だけでなく、九州の一般的なフリークライミングのゲレンデ(例:野岳や八面)のボルトは、大体40年前のカットアンカーで、これは、まずいということで、JFAが来てくれたりしました。

しかし、JFAは現地の開拓クライマー(山崎さん)に、このボルトはまずいですよ、と言わないのです。なんか私に言ってもらおうとしているようでした。

しかも…なんと、日向神ローカルクライマーの代表開拓者の山崎さんが、私に、登れと薦めてきた”大蛇山”がリボルト対象でした…(汗)。

もちろん、私は、大蛇山、ヨーヨースタイルで登ったので、ボルトはそっとしか使っていませんが…。リボルト対象のルートをそうと知りつつ薦めてきたってこと?と青くなりました。しかも、リボルト前にすら、落ちろ落ちろ、と言われていたのです。

私は、ラオスのオーバーハングの6Aでは積極的に落ちています。別にK君に落とされて頭を6針縫ったトラウマはありません。寝ているルートで必要もないのに落ちると怪我します。 

開拓者は、一般にリボルトはしたがらない体質です。それでボルトが古くて登れないルートが貯まる一方、新たにカットアンカーで開拓している人が後を絶たないので、ルートが増えて、それもまた登っていい強度はないという悪循環にあるのが日向神でした。

確認したわけではありませんが、新規開拓ペースが早すぎる場合、資材を確認したほうがいいです。現代のグージョンは高いので、どんなにお金持ちでも何10本も開拓できるとは思えないです。1本一万円でも、100本作れば、100万円なんですよ?

■ 地方独特の対抗心がボトルネック

地方の人は、地方独特の対抗心?で、どうも中央のやり方に対する反発もあるのかも知れません。

肝心の人たちに…例えば、比叡の人たちに、カットアンカーがだめ強度のボルトであることは伝わらなかったかもしれません。

さらに言えば、当時、九州の師匠さんとしてお慕いしていた松井さんは、外岩の指導経験は少ないようで、どう考えても、これは初心者がリードするには適していないルート選択ではないか?というのが示されるのでした。

一般にフリークライミングは教科書的に言えば、1ピン目で落ちても死なないハズですが、1ピン目から落ちていいフリーのルートは日本にはなく、あるのは海外ですよ。

日本の岩場は基本的に、エイドのフリー化で作られたままのボルトの配置になっているので、リードの取り付きはほぼほぼ、ハイボルダーです(笑)

松井さんはボルト以前に課題の捉え方が、私とは違いました。例えば、愛のエリアの、”愛は勝つ10c”は、下部核心で左上しています。さらに言えば、5.10bが登れたから、すぐ次!とグレードをあげようとするより、同じグレードのものをたくさん登っていれば、グレードって勝手に上がっていくんですよね、なぜか、わかりませんが。ということで方針としても、合わなかったです。日本の岩場には、10代が少ないと言うのは理解できますが。

推測ですが、九州では、ボルトの検証自体が、年配の人は抜け落ちており、松井さんだけでなく、ムーブの高田さんも普通に残置を使って登っており、それを危険だと考えていないようでした。松井さんは、本ちゃんで残置を使って落ちたそうなのですが、そのことでボルトについての勉強は進まなかったのかも知れません。米澤さんですらカットアンカーで停止していたのですから、仕方ないことなのかもしれませんが、だからといって、間違っていることは間違っている。事実を覆して、残置を使う登攀が正しいことにはなりません。

余談ですが、クラックの岩場、大堂海岸もカットアンカーでした(笑)。もう日本国中そうなのです。

また、憶測ですが、九州では、若手のクライマーの育成が希望の星?なので、コーチ職にあると、選手として相手を見てしまい、性急にグレードを稼がせたい、自分の手柄としたいという気持ちが働くのかも知れません。

それは人工壁ではいいかもですが、普通のクラッギングではNGですね。

今までの師匠たち、清高さんや青ちゃんには、まったくなかった視点なので面食らいました。

一般に選手とされるような年齢…10代後半~20代前半…を終わった人は、全員、セーフクライミング世代ですよ。

43歳でフリーを始めた人を18歳と比べられても(笑)。

フリークライミングのグレードは、一つのグレードの中でも濃淡があり、私はギュリッヒのクライミング理論…5.9のベテランは、10Aの初心者であるを採用しているので、まだ4本しか(九州の)10A(オンサイトではあっても)を終わっていないのに、10cに取り付くというスタイル自体がリスクに感じられました。

その上、ですが、人工壁のスタイルが定着しているので、九州の人はすぐ外岩で落ちます。

すぐ落ちるスタイルのほうが上だと考えられているのも疑問で、私がヨーヨースタイルで登っていると、チキン扱いされるのですが、伝統的フリークライミングのエシックでは、ヨーヨースタイルのほうが、スタイルとして上ですよね?

その辺もどうもフリークライミングそのものが理解されていないようで、落ちろ落ちろと言われるのが苦痛でした。そもそもボルトが安心できないと結論がでているのに、落ちろと言われても。

古いボルトが安心できないこと自体が、九州では認知されていなかったみたいで、出会う多くの人は、カットアンカーは、カムより強度が強いと思っているみたいでした。大きな誤解です。

同じことがマルチピッチでも起きており、マルチではより深刻です。ランナウトが楽しいみたいになっている。

私も瑞垣で初めてのマルチではランナウトしていますが‥あれはカムで取った支点で自分のミスですが、それと話がちがうのが、ボルトルートのランナウトです。

歩ける3級スラブなら、いっそインスボンみたいにボルトを抜いたらどうかと思います。あってもランナウトしていたら意味ないですよね。インスボンも3級で取り付きはスタートですが、ボルト自体がないので、その時点で怖い人は来ないです。

九州ではマルチ=アルパインと理解され、取り付きまで徒歩5分の白亜スラブはアルパインとされていますが(これが大きな誤解であることは本州のクライマーは分かると思いますが) 、残置を使った登攀が基本になってしまっています。それは、アルパインではなくスポートルートというのです。残念なことに沢ですら、そうらしいです。(祝子川) 

というので、落ちれないボルト配置を肯定しているフリーのルートっていうのが九州のボルトルートの現状です。

というか、日本全体がそうなのかもです。私は、山梨のゲレンデでは、新しいルートかトラッドしか登っていなかったので、山梨でも気がついていなかっただけかもしれません。

余談ですが、小鹿野の紛争は、花崗岩のランナウトと、どっかぶりオーバーハングのランナウトを混同しているというのがあると思っています。

私もどっかぶりは、ラオスで登っていますが、被っていて地面が近ければランナウトは懸垂の失敗が許されないのと同じ程度の許容度の低さです。オーバーハングで地面が近ければ、なおさらです。逆に、地面から離れれば、別にどんだけロープがでていても安全です。オーバーハングのルートのほうが落ちるには逆に安全です。 

■ エイドクライミング

このような具合に、つぎつぎと、九州でのロッククライミング全体像が、私の前に暴かれて行ったわけですが…

JFAが来てくれたり、奥村さんが講習会を開いてくれたり、と次々と手が差し伸べられたわけですが… ありがとうございました。

でも、その差し伸べられる手を振り払ってしまうのが、九州クライマーみたいなんですよね…

わたしの仲間は、誘ったけど誰も来なかったですね…

それは、なぜなのか分かりませんが…。独自の発展を遂げているのは、その通りです。

その一つがエイドクライミングです。こちらの会では、ムーブの高田さんが指導者となって古典的アルパインクライミングというので、エイドを教えてくれているのですが…

現代のアルパインって、オールフリーですよね? 

そもそも、山に残置があるのがおかしいので。私の山岳総合センターの講習でも、初日に言われたことが、「山の残置は信頼してはいけない」とか、「支点ビレイはダメ」です。

まあ、初心者はエイドを覚えて置くと、ピンチに役立つとは思いますけど。私も初期にちょっぴりやりました。しかし、ピンチに出してOKのエイドの記録…残念な記録を…立派な記録としてロクスノにあげてしまうようになると…これは、前後不覚ってやつです。

山梨クライマーの先輩が、九州の悪習慣に染まり、そんな記録を出したので、本当に悲しかったです。これまでの彼の努力、フリーの登攀の栄光を無にするような記録だと思いました。

そもそも、彼はロープクライミングに向いていないほうだったので、ボルダーに転向するそうでした。性格を鑑みて、それが良いのではないかと思いました。

結局、彼と行動をともにして一般的クライマーの行動原理を知ったことは、すごく私にとって、参考になりました。これまでベテランからのハンドダウンだったので、一般的なジム上がりクライマーというのを余り知らかなったからです。

彼はジム上がりというよりは、山よりでしたが、行っていた雪稜など、雪上訓練や、スタンディングアックスビレーなどの確保技術ゼロで行っていたんだろう…読図技術もないだろう…ということがわかりました。沢もたぶんロープの出し方、いい加減ですね。というのは、一緒に行く岩場で、私にお助けヒモが必要なことが何回かありましたが、まったく気が付かない様子だったからです。チームで登った経験値はないのでしょう。

現代の若い人は、指導者がいない上に、技術習得にお金を払うこと自体をしないため、指導者との接点自体がなく、ロープを出す基準が全く習得されておらず、結果としては、イチかばちかなんですね…

そのままルートが難しくなるだけなので、長年やっている人のほうがリスクが高い。

トレードに例えると、リスクヘッジ無しで、デリバティブやっているような感じです。 追証が発生したら無限大です。つまり、命を取られます。

つまり、落ちなければ確保は要らない、というレベルをだんだん難しくしているだけ、なんですね。それで登れるのは、せいぜい入門ルートです。

初心者の時期に身につけておくべきリスク管理能力を身に着けそこねていると、そのことに負い目ができてしまい、バレるのが嫌で、講習会からは更に足が遠のく、という循環にあるみたいです。

小さな嘘がどんどん雪だるま式に大きな嘘につながっていくみたいなことになっているんですね…

ということで、非常に残念な終わり方をした先輩とのパートナーシップでした。指導者さえきちんとしていれば、まともな山やになったと思います。

■ 鬱

そのプロセスで、右足の肉離れ、右膝の脱臼、左足のアキレス腱断裂、と怪我が続いているのですが、鬱にもなってしまい、驚きました。

この鬱というの始まりが、漠然とした不安、でした。師匠の青ちゃんと別れた頃から始まりました。

青ちゃんと登っていた頃は、青ちゃんが警戒するくらい、イケイケでした(笑)。まぁベテランと登っていたら何も怖くないですよね。

ところが、リスク認知が疎かな上に、登れない人たちといることが不安の種になっていました。漠然ではなく、顕在化している不安です。

不安の裏には怒りがあるそうです。怒りを抑圧すると? 鬱になる。

ですので、このブログでは不安の根源を永遠に書いているような気がします(笑)。

フリークライミングをしたいのに、まったくフリーとは言えないような、落ちれないフリーを続けていて、十分な実力があると本人が感じらず、下部核心のルートは登るべきでないとリスク認知しているのに、グレードだけをあげさせられ、さらにスタイルで、落ちろ落ちろ、と言われば、そりゃ鬱にもなりますね…。

怪我は、私の潜在意識が、クライミングに行かないで済む口実を作り出すために作っていたのではないか?とすら、今では思っています(笑)。

               楽しかったあの頃・・・兜