青木達哉さんの記録です。
甲府にいる頃、私より登攀できない若い男性クライマーに一緒に鹿島槍北壁に、と言われて、"はぁ?おとといおいで"って思ったことがあったよなぁ…
私は自分が管理できる、鹿島槍鎌尾根とかなら、ロープ合わせや足合わせの意味で行ってもいいんですが、いきなり北壁って…。普通の無雪期の壁が登れていないのに北壁???って感じです。
男性の皆さんは、大体、行きたいルートのレベルが、
初めての一歩
が高すぎます。
小さい一歩を積み上げていくということをしないから、死んでいるとしか思えないのですが。
それは、そのルートに必要になる体力度とか、登攀の困難度とか、あるいは必要な判断力がどのような内容なのか?ということが、伝わっていないからだと思うんですよね。
これをみても、人工壁のスポーツクライミングで5.12が登れるとか、無雪期のショートでしか登っていない仲間とロープが組める、とかが、核心じゃないですよねぇ??
核心=山の経験を共有して判断をそろえる
リスク= 天候、早出、生活技術、雪上でのロープのリスク判断(凍って滑るとか)、落石、アイゼンワーク、下山の安全性確保、体力
九州でも、そもそも実力を客観視できていない事態…
例:根子岳が登れるアルパインクライマーになりたい!→ 足元が崩れる山のリスクはヘッジできない
例:3級しか登れないのに2段のボルダーをノーマットで登る!→ 2段がフリーソロで登れるためには3段を落ちても登っている必要があるがどうやってそこへ達するつもり?!
…とか、そんな人ばっかりでした。バカは休み休み言えって感じ。
昔の山岳会の在り方…つまり、行くルートのリスクを先輩にダメ出ししてもらえる…CMCは毎週ミーティングがあるそうですよ…に含まれることができなかった場合(昨今は、会といっても名ばかりで、相互助け合いや監視体制はなく、技術も教えられず、ただお荷物なだけです…)、男性は、基本的に、
過信
に傾くと思われました。過信した人は過信と全く分かっていない。事例は白亜スラブです。
しかも、もっと悪いのは、過信に傾いた人をヒーロー扱いする傾向です。
ちっともすごくない記録をすごい!と言っていたりします…(汗)。周囲の人も、ばかは休み休み言え!って感じ。
事例はこっちの若い人の会の記録です。フリーで登ったみたいにエイドの記録が書いてある。
いくら私が過剰適応したよいこで、相手に寄り添う人でも、さすがに ばかじゃないの?とわかりますよ…
もう、表現としては世紀末的状況、というのが正しい表現なのではないか?と…