2023/05/25

【クライミングによる地域おこし】北方地域ユネスコエコパーク準拠点施設 整備計画

宮崎県延岡市 北方地域ユネスコエコパーク準拠点施設 整備計画

https://www.city.nobeoka.miyazaki.jp/uploaded/attachment/14065.pdf

■ 情報ピックアップ

・来訪者数 1日20名

(2022 年 1 月 14 日~2023 年 1 月 13 日の 1 年間 =つまりコロナ禍中)

・お隣の高千穂町の滞在人口は年間を通して平日・休日ともに 8,000 人

・5割以上がハイキング、1割以上の方がクライミング(岩登り)を目的に来訪

■ まだ遠見の見物感ありのローカル自治体

一般的に言ってのことだが、地方の自治体は、自分たちが、地域の資産…この場合の岩場や山だが…をどのように使ってほしいのか、決める主権が自分たちにあるのだ、ということは、ほとんど自覚してない…。

つまり、人間に例えると、物心つく前の、幼稚園の時代にいるような感じなんですよね…

その結果、京都や大阪ではないが、地域にとって好まざる事態…ゴミポイ捨てだの、観光客が多すぎて地元民がバスに乗れない、だの、岩場の場合だと、死亡事故、などなど…そうした、え?!違うんですけど!っていう事態が起こって初めて、

 こんなの、頼んでない!

となる。本来はローカルが、主体的に、

”自分たちの山(岩場)は、このような使い方をしてください、あるいは、このようなタイプの人に公開します”

というビジョンを出していかなくてはならないのだが、いかんせん、日本人は、ビジョンがなくても、他の人が敷いたレールの上を走ればオッケーだった時期が長く、「どんな町になりたいですか?」と言われても、「って言われても…」と言葉に窮すのがオチなのである。

例えば、このようなビジョンを打ち出している岩場もある。


■ 公共の岩場であるという自覚

何もルールが存在しなかった時代を経て、大衆化の時代に向かいつつあるクライミングだが、その先行事例は、当然だが、欧米に既にある。

例えば、スコーミッシュやジョシュアは、クライマーなら誰でも一度は訪れることをあこがれる、あこがれの地だ。

参考:

https://i-love-banff.com/sub/squamish%E6%BB%9E%E5%9C%A8%E8%A8%98%EF%BD%9C%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%A0%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

それは、みな、まっとうな社会人ではあるが、

 ひとときのバム生活

を仮想体験するために来ているのである。一生、サラリーマンの生活に縛られ、しがらみにからめとられた一般社会人クライマーにとって、バムクライマーというのは、

  自由の象徴、あこがれ

なのである。

その伝統はフリークライミングの伝統であり、似ているところでは、ワーキングホリデーにいそしむオーストラリアやニュージーランドでの若者の姿がある。違いは、若くない人も多分に交じっていることだ。

ただの安い旅行というわけではない…。そこらへんは、近年はやりの定年退職者の車中泊グループとは峻別されたい。

海外からのクライマーは、車がないので、その理想と現実の折り合いのところで、バックパッカーみたいな、あまりサービス過剰ではない宿泊施設に滞在するということになる。

■日本の旅館は日本人の幸せの具現化

昔の人は、上げ膳・据え膳、それに布団の上げ下ろしも自分ではしたくないのが、休暇のスタイル。つまり、高級旅館が、日本人の幸せの形だったが、現代のアウトドアブームの中心を担っている若い世代では、そういうことすら煩わしさに入り、できれば電源オフできて、自然の中にたっぷり放り込まれるような、ある意味、文明に背を向けたようなのが好まれている。

が…、ほんとのほんとに背を向けることは、もはやだれにもできない訳で…例えば、病院やレスキュー体制の整備など、まさかの備えは必要…

というところの落ち着きどころ…文明と自由な生活の折り合いの良い点を複数の解で見出せるのが、海外の岩場で有名な町、ってことになっている。

ヨセミテにも、実は一泊300ドルのキャビンがあり、10ドルで泊まれるキャンプ4に泊まる人とは客層は全く違う。私はヨセミテでは、エコなゲストハウス、ヨセミテバグズに泊まった。

岩場を持つ自治体の人が、自分たちの山(岩場)ってこんな風なんだよ!と価値観を前面に出していい、ということが、今一つ分かっていないことがうかがえるレポートだった。

でも、地域住民に聞いて回るというのは正解だと思う。地域は住民のものなのだから。

ただまだ受身的で具体的なイメージがつかないでいるということだ。海外の岩場を視察に行ったらいいのではないかと思う。

これでなし崩し的に客だけが来てしまえば、

 え?!こんなはずでは…

と思ったこととは違う可能性もある。

バラ色だけを夢見たければ、バラしか呼び寄せない土づくりが必要なんだが‥‥もちろん、これはバムを追い出せという意味ではない。

バムの中にも、社会性のある人はたくさんいるし、むしろ、お金出せば何をやってもいい、と思っているような人は、大金を旅行に使ってしまうような人たちの中にむしろいる。

■  ここにしかない恐怖体験?


もっぱら、日本の岩場が、海外に向けてオープンになるために必要なのは、

 40年経過したボルトの更新

である。通常、10年とか15年で更新になるところを、さぼりにさぼって40年っていうのが日本の現状なのである。

その解消に使えるのではないか?というのが、不動産の小口証券化、という仕組みだ。マンションなどが対象だが、岩場の再生にも国交省との交渉次第で使えると思う。

ボルトが40年ものとは知らない海外クライマーは、行政が集客を始めれば、知らずに、のこのこやってくるだろう…(クライマーの集客は簡単で、誰もがみるクライミングのサイトがある)

一般的にものすごくクライミングは海外では普及しているので、そのつもりで来てしまうと?

当然だが、事故が増えるだろう。

しかし、そうなるとボルトの脱落などで、事故が起こった場合の責任問題ともなりかねないのが現状の日本の岩場。

宣伝していなくても、毎年誰か落ちているのを必死に隠蔽している、というのが現状なのだから…。

クライマーの自己責任、の掛け声のもとに、設置者責任は放棄してきた歴史が積みあがってしまっており、義務を履行しないままに権利を叫ぶことが普通になってしまっている。

それは、一般社会の通念とはかけ離れた感覚なので、今までのようにクライマー同士しか知らないのならば、それで何となく押し通せてしまったが、エコパークとして整備するのであれば、そうした無理はもはや押し通せない。

これは、地元にとって、メリットか?デメリットか?

もちろん、それは地元がどういう人を歓迎し、どういう人を歓迎しないか…によるが、普通に見れば、メリットであろう。

なんせ山や岩場って、ここ以外にはないもの、なのだから。そうした大きな資産を使わずに、埋もれさせてきたことが、製造業から、内需主導のサービス業への転換に乗り遅れた大きな理由の一つである。

言っておきますが、日本はとっくの昔に内需経済の国なんですよ?

公共の岩場で、わざと危険が増大するように登る…例:ノーマットで登る…などという自己顕示欲のクライマーをどう処するか?そういったことも、実は地元が決めればいいのである。(例:ノーマットクライマーお断り、マルチならノーヘルクライマーお断り、敗退ロープなしクライマーお断り)

海外のクライマーのゲストハウスには

 ”いやな客は断る権利が運営者にはあります”

って張り紙がありましたよ。

結局そういうことなのです。人間社会で生きるからには、相手があってこその自分。好き勝手してよい、っていうのが自由だと思っている人はただの子供、ということなのです。

自由の本当の意味はそういう意味ではないのですから…

日の影がビショップみたいに、ボルダリングのメッカとなって栄えれば、ほんとに楽しい未来が待っていることと思います。 

それには、ローカル自治体の主体性が必要だし、ローカル自治体がリスクを回避する程度には、クライミングを理解する必要がある、ということは言えます。