しばらく、
日本に健全な市民クライミングをもたらす、
というミッションを設定して活動していました。ここ5年ですね…
しかし、そもそも、日本のクライマー業界は、
わざと命知らずをやって見せることがかっこいい、
みたいな部分が払拭できず、なんだか、一般の人であっても楽しんで岩に登るという価値観自体がむしろ否定されているようなんですよね。それは、
グレード至上主義
が、スポーツクライミング(コンペクライミング)から、フリークライミングの世界に流出してきているからのように思われました。
■グレード以外のクライミングの価値
先日は、北海道の下川町の移住体験にお金を使いました。未来への投資として行きました。田舎に行くのに、クライミングできないところに行っても仕方ないからです。
クライミングクラブがあり、九州での失敗体験を活かして、予め、クライマーの人とズームで話してから、行きました。
昨今、クライミングジムすらクライマーじゃない人に運営されており、例えば、”吉田和正”と言っても、わからない人が多数になってきてしまいました…。フリークライミング、アルパインクライミング、スポーツクライミングの切り分けが一般の人はできないので、好きなクライマーは誰?という質問もほとんど意味をなさなくなっています。現在、クライマーで有名な女性は、単純にコンペクライマーで、外で登っていない人ばかりです。理由は、コンペの優勝情報は頻繁にニュースになるため、ひと目に付く機会が多く、外の岩で登っても、ニュース記事になることは、殆どないためです。野口あきよさんとか、コンペの方ですよ。
谷口ケイさんは、アルパインクライマーです。お二人がやっているクライミングは、天と地ほども異なります。
ほとんどの人が、若手のクライマー、”小峰っち”とか、”門田ギハード”とか、言ってもわからないでしょう? クライマーのネットワークは小さく、そういうのにつながっていれば、名前は頻繁に見聞きすることになりますが、そうでない一般の人は、クライマーの本来のヒーロー、ヒロインがわからないです。活動がロクスノに乗ることがないので。
九州の偉大なクライマー小山田大さんの活動記録が、ロクスノに乗ったのっていつ?みたいな感じだし、北海道の吉田さんの亡くなる前の活動ですらそうでした。フリークライミングでの記録というのは、世界最難以外は、ほとんど記録にならないので、頻繁に出せるクライマーがいるわけがないんですよね。
で、クライミングジムに行っている人は、一般市民クライマーですので、記録とかは関係ないし、興味もありません。みんな自分のジムで強い人の名前しか興味ないんですよね…内輪の競争で終止して、誰が誰に勝った、負けた、とか、誰が誰と結婚した、みたいな感じです。どっちかというと、高校生、大学のコンパみたいな雰囲気です。出会いのための山岳会というのもあるほどです。
私は、中高年でクライミングを始めたので、クライミングに、
競争 および 恋愛
を持ち込む気持ちはまったくなく、個人的な人格成長、より良い思い出づくりのために、活動している感じです。ご縁、つながり、を大事にしています。
■見晴岩
名寄(見晴岩)は、故・吉田和正さんの課題がたくさんあるので、吉田さんゆかりの地です。ジムのガッツウォールも吉田さんのゆかりのジムで、吉田日記を見せてもらいました。嬉しかったです。
私はクライミングで、誰がすごいか競争する輪には入りたくないんですよねぇ… 入りたいと思っても入れないだろうし。 グレード至上主義っていうふうに師匠は表現していました。
グレードを追いかけると、技術に厚みがなくなる。ある5.12が登れても、ある5.8で落ちるとか。そういうのが嫌で、ずっとオンサイトグレードの底上げを私は目指してきたのですが、そういう態度はなんか否定されるみたいで、それじゃダメだ、という感じでグレード追求を強要されているようで嫌だったなぁ…
そうでないクライミングができるなら、またクライミングも楽しくなるかもしれないが。
年齢的問題ではなくても、国際的に見ても、日本では
成人が楽しむ趣味としての市民クライミング
の定着が遅れています。海外のクライミングに行って、誰が誰に勝った、で競争している人などいません。
グレードは、
自分が登るとき、安全に課題を選ぶための目安、
でしかないです。ですので、5.9と書いておきながら、実は、5.10c、とか、基本的には、間違っていることだ、という認識がされています。
日本の、達成感だけ、競争だけのフリークライミング文化も、世界の流れに結局は合流することになるのが歴史のこれまでの流れですので、そのような流れを先取りをすることのほうがジム運営上は大事だと思います。
《クライミンググレード以外の価値と代表的な映画》
1)人との絆 例:メンター
2)地域愛 例:笠置ロック
3)特定の山との因縁 例:メルー
4)ひたむきな努力: 例:ドーンウォール
5)生と死の意味 例:フリーソロ
6)クライミング史の進化 例:剣点の記
7)チャレンジ? 例:アイガー北壁
8)未知への冒険 例:7イヤーズインチベット
9)無駄な死を避ける 例:八甲田山
10)登るとは?という永遠の問いを問い続けること 例:クレイジーフォーマウンテン
■ 日本国内クライミングでは時期尚早
私が出した結論は、 市民クライミングの普及というのは、日本では時期尚早なんだろう、ということです。
というのは、クライマーは自己変革を拒んでいるのではないかと思うからです。
それよりも、海外に行って、日本だけが遅れているという自覚を深める、というのが日本のクライミング界にとっては必要な段階のような気がします。
海外に行けば、日本の岩場がいかに遅れているか?すごくよくわかります。
日本もゆくゆくはそうなっていくでしょう…
クライミング後発国の、中国よりも、日本がクライミング後進国に陥っていることなどを目の当たりにすると、ちょっとがっかりすると思います…